4:聖女
夜半過ぎに部屋の扉がノックされる。
王城の一室、俺にあてがわれた部屋のベッドの上に俺は居た。
「どうぞ」
身を起こしながらそう声をかけると、扉が静かに開き、人影が一つ、部屋の中へ入ってくる。
「失礼します……」
勇者パーティーの聖女と呼ばれる女性だ。
ゆっくりと俺の居るベッドに近づいてくると、仄暗い照明の魔道具の明かりに、彼女の姿が浮かび上がる。
纏っているのは、見慣れたいつもの修道服ではなくバスローブ。風呂上りなのか、その髪はしっとりと濡れており、肌は若干上気しているように見える。
「こんな夜中に男の部屋を訪ねるなんて、婚約者の居る淑女のやる事としては褒められた物じゃないと思うぜ?」
そんな軽口を叩きながらベッドの縁に座り直し、すぐ傍まで歩いてきた彼女の顔を見上げる。
「あ、あの……えっと……その……」
俺の目の前に立つ彼女は、何かを言いたそうにしながら言い淀み、目を泳がせる。
「……」
暫くそのままにしていたが、やがて意を決したかのように目を瞑ると、バスローブの帯に手をかける。
「っ……」
肩から抜かれたバスローブが床に落ちると、そこには一糸纏わぬ聖女の美しい裸身があった。
その肌は魔道具の仄暗い明かりの中に白く浮かび上がり、
羞恥に頬を染め、俺から反らしているのは整った顔。
片手で隠してはいるが、収まり切らぬ豊満な胸。
秘所を覆うもう片方の手の隙間からは、髪と同じ色の陰りが窺えた。
距離が近い為、内股にある黒子一つまでがハッキリと見える。
男であれば誰であっても手を伸ばしたくなるであろう極上の女体であった。
「ひっ……」
俺の立ち上がる気配に小さな悲鳴を上げ、一瞬体が強張る。
そんな彼女に触れる事無く床にしゃがみ込むと、床に落ちているバスローブを拾い、肩にかけてやる。
「えっ……?」
恐らくはそのまま押し倒されるとでも思っていたのであろう彼女が、キョトンとしたまま固まる。
「眼福ではあるが、目の毒でもある。とりあえずそいつを着といてくれ」
そう言いながら、彼女の横を通り過ぎ、ティーテーブルまで移動し、収納空間からマグカップを取り出す。
同じく収納空間から取り出した牛乳を注ぎ、カップを手で覆い火魔法を極弱火で発動。
程よい温度になった牛乳に砂糖を少々。
「どうぞ」
バスローブを纏い直した彼女に椅子を勧める
「あ……はい……」
彼女の前に先程のホットミルクを置くと、自分も対面に腰を下ろす。
「……」
「……」
暫くの間、静かな部屋の中に、二人が飲み物を吹き冷ましつつ啜る音だけがしていた。
ちなみに、俺が啜っているのは寿司屋の湯飲み ――魚の漢字が大量に書いてあるアレ。特注で作らせた一点物である。―― に入った緑茶である。
ちなみに、湯呑の材質は神造金属。保温保冷に優れ、外側に温度を通さない。ドラゴンが踏んでも壊れない逸品である。
「で、誰の指示だ?」
「あの……それは……」
「まぁ、大方教会のお偉いさん辺りだろ」
目、いや、この場合は耳聡いと言うべきか……。今朝の騒動を聞いた教会のお偉いさん方が、聖女を使って勇者にやる気出させて王家に貸しなり恩なりを作りたかったってところだろうな。
「……その通りです」
「なんつーか、筋違いも良いとこだな」
救国の勇者パーティーと言っても、その実は政治色塗れの代物だ。
勇者は王家が召喚し、聖女は教会、剣聖は冒険者ギルド、賢者は魔術院からそれぞれ選出されている。
『救国の英雄』ともなれば、その名声は計り知れない。完全に取り込むことは出来なくても、一枚噛んでおこうという各組織の思惑が透けて見える。
恐らく剣聖や賢者にも同じような指示が出ているのだろうが、彼女達はそれが無理筋である事を理解しているので、突っぱねるか無視しているのだろう。
結果、聖女だけが今夜ここに来ている。
「今回の騒動に関して、責任の所在は全面的に王家及びその取り巻きの貴族共だ。教会に含むところが無い訳じゃないが、アンタを差し出されて俺がほいほい尻尾振るとでも思ってるのかね」
まぁ、彼女の立場や役割的な物を考えれば、致し方無いと言えなくも無いが……。
「他の二人にも同じような指示が行ってるだろうが、ここに来たのアンタだけだぜ? 大体、アンタ婚約者が居るんだろ? その婚約者がこの事知ったらどう思うかね? それにそういうのが嫌だから色々と気を使った俺の努力を無駄にしないでもらいたいもんだがね」
全く、三文ラノベじゃあるまいに、いつから『勇者』ってのはのべつ幕無しに他人の女まで寝取るクズの代名詞になったのかね。
「それは……ですがっ! この身一つで国を救えるならと!」
ほらきた。
『聖女』ねぇ。幼馴染、婚約者、聖女、勇者のお供ときて、これで『魅了の魔眼()』でもあれば、量産型ラノベにありがちな、物語の序盤に勇者に寝取られて主人公の成り上がりの為の踏み台役に数え役満で和了だわ。
あ、ちなみに有ったよ。便利な勇者スキルの中に『魅了の魔眼()』。使ってないけどね、必要無いから。
かくありて、世には『聖女』と『勇者』があふれ返りけれ。ってか? まぁ、『聖女』のところは色々置き換わるけれど、踏み台に変わりはないよ。
こうなると最早登場『人物』じゃないよね、ただの記号。『踏み台』という『物』に与えられたただの『記号』
とすると、ここで彼女とキメとけば、彼女の婚約者は『大いなる力()』とやらに目覚めて世界を救う『真の勇者』にでもなるんかね?
で、俺が華々しく『ざまぁ』されて惨めに落ちぶれるまでがテンプレ。
閑話休題。
「国を救う、ね。言ってる事は御立派だが、それを言いながら俺やアンタ、他の二人にも命懸けで戦う事を強要している連中はどこで何をしている? 人が命懸けで戦ってる最中に、貴族や教会の偉い連中は安全な場所から動かずに、毎日のように贅を凝らした生活して、あまつさえ真実の愛の翼とか広げちゃってんだぜ? 人に命を掛けろってんなら、それを言う人間がまず範を示すべきじゃねーのか?」
「それは……そう……ですが……。ですが、無力な民衆は、罪の無い人々は守らなければならないと!」
彼女の言葉に嘘は無いのだろう、彼女は本気でそう信じている。
成程、彼女は優しい女性なのかもしれない。だが同時に、どうしようもなく愚かだ。
「『無力な民衆』ねぇ。アンタさ、今自分がすっげぇ上から目線で物言ってるってわかってる?」
「……え?」
「『民衆は無力で使い物にならないので、私が犠牲になって助けてあげます』って言ってんだよ。極端に言えば、自分でおしめを換えられない赤ん坊に代わって、自分がおしめ交換してあげますって言ってるようなもんだ。これはもう聖女サマ改め聖母サマじゃねーか?」
「わ、私はそんなつもりでは!」
自分の覚悟を揶揄されたと思ったか、立ち上がり激昂する彼女をを見据え言葉を続ける。
「アンタがどういうつもりで言ってるかは問題じゃないんだ。言葉ってのはさ、『どう思って言った』かではなく、『どう受け取られたか』が問題なんだよ。そう解釈出来る事を、アンタは言ったんだ、無意識かもしれんがな」
「それは……でも……」
「まぁ、続きを聞きなよ」
そう言って彼女に着席を促す。
「俺もさ、『無力な民衆』だったんだよ」
「……はい?」
俺の言葉が理解出来ないらしい彼女は首を傾げる。
まぁ、彼女も含めて、パーティーの連中は『勇者』としての俺しかしらないだろうからな。
「俺の居た世界はさ、戦なんてものは物語や記録の中だけの物なんだ」
湯呑の中の水面に視線を落とし、静かに語る。
「そりゃあ沢山の国が有ったからね、一部の国同士が争っていたりしたけれど、俺の住んでいた国は、もう何十年も戦争なんてしていない平和な国だったんだ」
「争いの無い国……素晴らしい世界ですね……」
そこだけ聞けばそう思えるだろうな。まぁ、戦争ってのは直接殴り合うだけとは限らないし、戦争が無くても嫌な事や筋の通らない事は山程あるけれど。
「そんな国だから、俺も戦なんてものとは無縁な人生を送っていてね。言うなれば、その辺の服屋の店員みたいな事をやってたんだ」
「……」
「それがある日突然、事前の連絡も打診も無しに、この世界に一方的に連れて来られた訳さ。そんで、知らない世界の知らない人達に囲まれて、『お前は勇者だ!魔王を倒せ!』って寄ってたかって言い詰められた訳」
お茶を一口啜る。彼女は黙って俺の言葉を聞いている。
「初めて魔物を殺した時の事は今でも覚えてる。それまで、人どころか動物だって殺した事の無かった俺が、自分の手で、人に見えなくも無いゴブリンを真っ二つだぜ? 平気な顔してたけど、実際には体の震えを悟られないようにするのに必死だった」
直ぐに慣れたけどな。そう付け加える。
「そっからはまぁ、アンタも知ってる通りだ。魔物だろうが見た目は人間と変わらない魔族だろうが、同じ人間であっても盗賊とか犯罪者って理由があれば、並居る敵をバッタバッタと切り捨てる御立派な勇者サマの出来上がり。でもさ」
自分の掌を見つめる。
「敵を殺す毎に、殺す事に慣れる度に、自分の中で何かが壊れるような、無くなるような感覚がしていた」
顔を上げ、天井を見上げながら零れる言葉は、果たして彼女に向けた言葉であるのか否か。
「多分さ、俺の心はどこかがもう壊れてる。最近はさ、俺は人間じゃなくて、ただ敵を殺すだけの機械になったんじゃないかって、あの世界に居た俺は、もう此処には居ないんだって怖くなることがある」
だからこそ、俺の中に最初から有った、『筋を通す』という行為に、これ程拘っているのかもしれない。
だがそれを言葉にする事は無い。その事に対する承認も謝罪も、別にしてもらいたいとは思わないから。
「勇者様……」
「その『勇者』ってのもさ、何処まで信頼できるものなんだろうな」
『信用』ではなく『信頼』この二つは似ているようで決定的に違うものだと思う。
「……どういうことでしょうか」
「俺の『勇者の力』ってさ、俺がこの世界に来た時に勝手に与えられていたものなんだよ」
「それは……、それこそが貴方が勇者様である事の証では?」
「そうかもしれないし、そうでないのかもしれない。重要なのは、これがただ『与えられた』力だって事だ」
「……」
「アンタ達の力は、アンタ達が自分の才能と努力で手に入れたものだ。だが、俺の力はそうじゃない。『勇者』だから力が与えられたのなら、『誰』が、『何』を基準に俺を勇者と決めた? 力が与えられたから『勇者』なら、『誰』が『何の為に』力を与えた?」
今、聖女の目に俺はどう映っているだろうか、魔王を倒し、王国を救う勇者様に見えているだろうか。あるいは、道端で拾った木の枝で剣士ごっこをする幼子だろうか。
「俺を『勇者』にした『誰か』が、ある日俺の行いを見て、『勇者』ではないと判断したら? 俺に『力』を与えた『何か』が、ある日気まぐれにそれを取り上げたら?」
「まさか……そんな事は……」
「『そんな事』が無いとどうして言い切れる? 少なくとも、俺はこの力の由来を何も知らないんだぜ? だからさ、俺はいつも怯えてる。敵に切りかかる瞬間にこの力が無くなったら? 巨大な獣の牙を受け止めている時にこの力が取り上げられたら?」
すっかり温くなってしまったお茶を啜る。
「もちろん俺だって旅の間に鍛錬はしたさ。でもさ、そんなものは所詮付け焼刃だ。少し強い風が吹けば、紙切れの様に飛ばされるしかない」
立ち上がり両手を広げ聖女を見下ろす。
「そこで質問だ」
俺を見上げる彼女目にあるのは、果たして侮蔑か憐憫か、将又別の何かか。
「こんな惰弱で怯懦な俺に、『弱さ』の上に胡坐をかいてただ見ているだけの連中が命懸けで戦う事を強いるのは、果たして筋の通った話であるかい?」
「貴方は……今までそんな事を……」
広げていた手を降ろし、肩を竦めてお道化て見せる。
「ま、色々言ったけれどさ、とりあえず今回の件に関して、筋を通すのは王家と貴族の連中だから、アンタが何をする必要も無いし、出来る事も無いよ」
そのまま彼女の返事を待つことなく扉へ向かう。
外を窺い、人の気配が無い事を確認する。これなら彼女も誰に見咎められる事無く部屋へ帰れるだろう。
扉を開きこれ以上会話の意思が無い事を示し退出を促すと、彼女はゆっくりと立ち上がりこちらへ向かってくる。
「そろそろさ」
俯いたまま俺の前を通り過ぎようとする彼女に声をかける。
「アンタも自分で考えて、自分の意思で行動しても良いんじゃないかな?」
「自分の……?」
顔を上げた彼女のその目は、いつもの慈愛に満ちた揺るぎの無いものではなく、酷く儚げに見えた。
「誰かに言われて聖女になって、誰かに命令されて勇者パーティーに参加して、誰かに促されて体を差し出す。少なくともアンタがやりたくてやってた事じゃ無いだろ?」
「ですが……」
「もちろん、それが許されない事態だったってのもあるだろうさ。でもさ、『今』はそれをしても良い機会じゃないかな」
そう言って、軽く彼女の背中を押して廊下へ送り出す。
振り返った彼女に、軽く笑いかけて扉を閉める。
「お休み、良い夢を」
そう声をかけながら……。
§
暫く部屋の前から動かなかった彼女の気配が遠ざかり、彼女に宛てがわれた部屋へ戻った事を確認すると、寄りかかっていた扉を離れ、その足でバルコニーへと出る。
見上げれば満天の星。
目を閉じれば、彼女の裸体や、会話の最中に目に映った胸の谷間等が思い出される。
「据え膳、食いたかったなぁ……」
そんな事を呟きながら、俺と息子は涙を流すのだった。
姿勢良く紅茶を飲む女性より、マグカップを両手で包んでちょっと猫背になってふーふーしている女性の方にドキドキします(真顔