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覆面交際のススメ

「な、何ですのクレマチス?」


 挙動不審のアメリアをじっと見据えると、老婦人は至って真面目な顔で「思い付いた事があるのです」と近づいてきた。

 完全予想外だった。


(よりにもよってクレマチスから呼び止められるなんて)


 しかも予想外の百歩は上を行く驚くべき提案が、その彼女の口から次の瞬間齎された。


「エリー、あなたジュリアン様の恋人になるつもりはないかしら」


 とんでもなかった。


「はあああああ!?」


 思わず素っ頓狂な声を上げそうになったが、その前にアメリアが淑女らしからぬ大声を上げた。


(よっ予想外の予想外による予想外のための……ってああもうわけわからないわ! どういうつもりなんだろう)


「ちょっとクレマチスあなたどうしちゃったんですの!? 頭でも打ったんですの!?」


 五月蠅く動転するアメリアの気持ちは痛いほどによくわかる。

 恋人だなんて、そんなものになったら正体が露見するだろうに、乳母は一体何を考えているのだろうか。


「ふふふ年寄りのおせっかいかしらね。ジュリアン様はあなたを気に入ったと今仰っていたのですよ。こんな殿方後にも先にも他にいないと思うのだけれど、試しにどうかしら?」


 絶句。

 もう絶句以外の何をすればいいのか。

 クレマチスの真意が読めない。完全に木石と化しているエレノアを背中に当てた手から感じ取ったのか、アメリアが真っ向から反対した。


「絶対駄目ですわ! クレイトン様もクレイトン様ですわ。顔も知らない相手に言い寄るだなんて見境なさすぎと言いますか、もしや特殊な性癖の持ち主なんですの?」

「ええと……」

「軽い気持ちで私の親友に手を出したら末代まで祟って差し上げますわ。必ずあんの馬鹿兄共々葬って差し上げますから覚悟なさいませ!」

「僕はまだ何も……」


 弁解になっていない弁解も虚しく、アメリアからは完全に敵認定され冷たい視線を突き刺されるジュリアンだ。


(ううっアメリアったらそこまで私のことを思って……! 嬉し泣きしちゃうじゃない)


 こんな瀬戸際に、緊張感がないと言われればそうだが、エレノアは我慢できずぐすっとシーツの中で鼻を啜った。もしかすると自覚していないだけで、突然の窮地に精神的におかしくなっているのかもしれなかった。


「落ち着きなさいアメリア様。わたくしは何も普通に付き合えとは言っていませんよ」

「ど、どういう意味ですのそれは? 普通に付き合わない交際があると……?」


 訝しげにするアメリアへとクレマチスはゆったりと笑んだ。


「顔も知らないでお気に召されたのですから、そのままでしばらく付き合えばよろしいのです」


 は?……と目を点にして、若者三人は沈黙した。

 それは一体全体どんなステキ交際なのだろう。

 ここでクレマチスは珍しく人の悪い笑みを浮かべた。


「仮面舞踏会だけで会えなどと厳しいことは申しませんから、エリーにはジュリアン様とお会いする時には仮面でも袋でも何でもいいので被ってもらって、とにかく顔を隠すのです。そうして二人で過ごしてそれでもいいと思えるようなら正式にお付き合いしては如何でしょう。そうでもしないとジュリアン様は納得しないと思いますし」


(ええと覆面の時点で納得しないと思うんだけどもー……?)


「なるほど。それで付き合わないと決めたら、エリーには金輪際近づかないって事ですわね」


 意気込んで確認するアメリアへ、クレマチスは鷹揚に頷いて見せた。


(えっと待って私の意思は?)


「ええと待ってくれ僕の気持ちは? 金輪際っていうのは極端な気が……」


 ジュリアンの言葉はクレマチスがすっと流し目を向けただけで途切れた。

 見えない力で若者たちを支配する老獪なる笑みを湛えた老婦人。

 この場の主導権は歳の功なのか完全にクレマチスが握っている。


「それでいいですね、ジュリアン様?」

「ええと、はあ、まあ……わかりました」


 有無を言わせ得ぬ雰囲気に、どうにか不満を呑み込んでジュリアンは了承した。


(ええっそれでいいわけ!? ノーって言える男にならないと駄目よジュリアン!)


「では、エリーは?」


(うっ……前言撤回。断れない雰囲気よねーこれは……)


 シーツお化けが前後に揺れた。つまりはエレノアも不承不承頷いた。


(よ、要は考えようよね。ポジティブシンキンッ! 一度目を付けられちゃったんだから、この際クレマチスの策に乗って結果としてジュリアンの興味を失わせればいいのよ)


「話がまとまった所で、さあ、早くエリーは擦り傷を手当てなさい」


 クレマチスがもう行っていいと示したので、アメリアに連れられてその場を辞した。

 ……勿論シーツお化けのままで。

 廊下を歩いて見えない位置まで来ると、横のアメリアが「そうですわ」と声を上げ、エレノアはシーツを捲って顔を出す。


「アメリア?」

「今度うちで催します夜会ですけれど、ただの舞踏会じゃなくてこっちも仮面舞踏会に変更しますわっ! それならあなたも気兼ねなく踊れるでしょう? ですから出ないなんて言わないで頂戴ね?」


 強引だ。けれどエレノアがどうしても嫌がれば引き下がるつもりなのだろう。

 少しだけ声が不安げだった。

 そんな気遣いが嬉しい。

 エレノアは綻ぶ花弁のように自然と頬が緩んだ。


「ありがとうアメリア」


 そう告げれば、えへっと照れ臭そうにアメリアは笑った。とても可愛らしかった。





 目深な帽子OK、二重のベールOK、服装も地味な色合いで目立たず派手でなし。

 さすがに白昼堂々袋や仮面は奇人変人レベルでの怪しさ満載だったので却下した。

 ベールで厳重に顔を隠したエレノアは、ピンカートン家の屋敷前まで迎えに来た馬車から手を伸ばす容姿端麗な男の手を取った。彼は丁寧に馬車へ乗る補助をしてくれる。座席のクッション性も抜群の広い馬車内にエレノアが乗り込むと、彼はその向かいの席に着席した。

 その男とは、勿論ジュリアンだ。


「ちょっとお兄様! ちゃんとエスコートして下さいませ!」

「へいへーい」


 続けてピンカートン兄妹が乗り込んで来て、アメリアはエレノアの隣に座る。

 男女二人きりは猛烈に駄目だからと主張し、アメリアは自分が今度はお付きに徹すると言い出したのだ。


『勿論、お兄様も連れていきますわよ。クレイトン様に力技で来られたら私じゃ止められないですもの』


 ジュリアンが聞いたら気を悪くしそうな台詞を口にし、兄ヴィセラスを強制同行させたアメリアは終始ご満悦だ。

 この展開を知ったヴィセラスから、残念な生き物を見る目をされ揃って居た堪れなくなったエレノアとアメリアだったが、言い出しっぺはクレマチスとは言わなかった。言っても多分信じてもらえないと思ったので、甘んじて罪を被った二人だ。クレマチスはそれだけ生真面目で厳格と評判で、ふざけた事を言うわけがないと周囲からは思われているのだ。

 御者がドアを閉め馬に鞭をくれると馬車の車輪がゆっくりと回り出す。


「今日はよろしく。ああそれと二人の事はいないものと思うけど、良いんだよね?」

「ええ。だってデートですもの。私今日は黒子に徹しますわ」

「……俺は寝てるよ」


 にこやかに微笑むジュリアンへと兄妹はそれぞれマイペースに返した。

 今日は半日お休みを貰っての彼との初デートだった。

 まあアメリアが付いて来ているので休みと言う感じはしないけれど。

 エレノアとしては何度逢瀬を重ねようと、婚約者だった頃のように大した進展はないだろうと思っている。まあ今回は進展してしまっても困るが。

 あの頃は挨拶や親愛のキスはあっても、恋人のキスは一つもなかった。

 エレノアが存外恋愛面でお子様だったのもあるだろうし、エレノアとしてはジュリアンも優しいが故に奥手な方だったと思っている。


(ジュリアンは嫌がる相手に無理強いするような人じゃないけど、迫られたらドキドキするのは確実だし、気を抜かないようにしないと)


 ベールの奥からこっそり彼を眺める。加工の賜か、外から内側は見え辛いが内側からは案外見える。

 触れてみたくなるさらりとした金の髪が懐かしい。


(って駄目駄目、どうかヘマをしませんように……!)


 密かに気を引き締めていると、ジュリアンがおもむろに手を差し出してきた。


「?」


 握れと言う意味だろうか。訝しく思って動作を迷っていると、彼は爽やかに言った。


「僕への質問を書いて。僕も君に質問するから。まだ知り合ったばかりでお互いに知らない事ばかりだろう。だから交互に一つずつ質問し合うってのはどうかな」


 断られるとは露ほども思っていない様子で彼は無邪気にも掌を強調した。エレノアも断る理由もないので素直に応じる……わけもなく、控えめに首を振ると安価なメモ用紙とペンとインクを持参していたのを鞄から取り出して見せた。意思疎通は筆談でと思っていたのだ。これにはジュリアンも意外だったようで、やや小首を傾げると悪戯っぽい笑みを唇に浮かべる。


「どうせなら僕はエリーの手に触れたいし、君に触れてもらいたいよ。手袋越しでもね」

「……お兄様私ちょっと塩気が欲しいですわ」

「ああ俺もだ。胡椒や唐辛子も付け加えてな」


 ピンカートン兄妹がやや何かを堪えるように震えながら明後日を向いた。


「ね、エリー? だから紙とペンはしまって? お願いだよ」


 ジュリアンは聞こえているはずの二人の台詞を宣言通りさらりと空気扱いした。


(え、ええと、ええとええとええとー、ジュリアンはホント何なの!?)


 悪意ない微笑みにエレノアの防壁は破壊されそうだ。しかし内心たじたじになりながらも本日の「お試しデート」という名目を考慮しお願いを聞き入れた。

 そんなわけで指文字での最初の質問はこれだった。


 ――そんなに、私の髪が気になりますか?


「……もしかしてあの時クレマチス女史との話聞いてた?」


 ――すみません。出るに出られなかったもので。


「はは、そっか。そうだよね自分の話されてちゃね。僕が君の髪を気にしたのは、君の髪質や髪の色が婚約者の……エレノアと言うんだけどね、彼女を思わせたからだよ。今は留学中……いや正確には行方不明なんだけど」

「え? 行方不明!? そうなんですの!?」


 黒子に徹しているはずのアメリアが驚いてエレノアを見やった。

 エレノア自身も行方不明扱いにびっくりだ。てっきり自分の留学を信じているものとばかり思っていた。じわりと背中に嫌な汗が滲む。


「現地に足を運んだんだけど、エレノア・メイフィールドと言う名の生徒はいないと言われた。じゃあ彼女はどこにと思ったけど、未だに捜し出せてないんだ。今はどこでどうしているのか本当に心配だよ」


 声は表情同様憂いに沈んでいた。

 彼は留学先にまでわざわざ足を運んでくれたのだ。

 そこまで気にかけてくれていた事にエレノアはベールの奥で酷く動揺した。


(だって手紙一つで裏切るように姿を消して、傷付けて、きっと今でも怒って嫌われてるんだって思ってた)


 それなのに身を案じてくれている?

 エレノアはどうしようもなく胸が締めつけられた。


(ホント顔が見えなくて良かった……。でも、留学は嘘だってバレてたのね。そこは隠し通したかったのに)


 今更ながら浅知恵だったと反省した。捜索願いが出されて大々的に捜されれば見つかっていたかもしれない。

 けれどジュリアンは、というかクレイトン家は事を騒ぎ立てたりはしていない。そこは助かったと言うべきか。


「元気だといいんだけど。婚約を解消したいと言ってきた彼女にしつこくしてしまったから、一方的な婚約破棄をされるくらい嫌われちゃったみたいだけどね」


(えっそんな風に思って?)


 それは違う。でもエレノアにはその言葉を告げられない。

 どこか寂しげに窓の外に目を向けるジュリアンの姿から堪らず視線を外した。

 怒って罵ってくれた方がマシだった。

 罪悪感が込み上げて胸が苦しい。

 自己防衛のように自然と背が丸まって、俯いてしまっていたのだろう。


「ごめんね。ちょっと重い話だったね」


 気付いたジュリアンが謝罪した。

 彼はちっとも悪くない。

 エレノアは首を左右に動かしてせめてもの意思表示をした。

 触れられる程すぐ近くにいるのに、今の自分は彼の心を掬い上げてやる事さえできない。

 それがどうしようもなく、もどかしかった。


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