悪意の巡る夜1
――お兄様!
金切り声かと思うような声を上げてメイド姿のアメリアが自分の下に駆けて来たのは、今夜の出来事ながらかなり前のように感じるヴィセラスだ。
アメリアから大方の事情を聞いた時は愕然としたものだ。妹たちの愚かな行動力と、加えて、書面でしかやり取りしていなかったミレーユという女性がまだ若かった事に。
「……てっきりもっと歳上の、お袋くらいの女性だとばかり思ってたんだがなー」
「どうしかましたの? まさかエレノアがいましたの!?」
「いっ!? ちょっと待て落ち着け違うから」
馬車に同乗している妹から独り言を勘違いされ、あまつさえその勢いに食い付かれるかと思ったヴィセラスだ。妹は肉食魚ではなく確か人間だったはずと辟易しながら向かいの座席に疲れた目をやった。
ヴィセラスはジャスティンの手当てのために医者を呼びジュリアンを叩き起こして、彼に知っている事情の全てを説明した。
ジュリアンの指示で招待客のリストを手元に用意したが、彼は紛失物騒動もその作戦の一部だったのだろうとの見解を述べた。逃走用の馬車を止められないよう門周辺が無人になるようまんまと仕向けられたらしい。
同伴者の人数は記入するが、その一人一人の身元は招待客からの申請だけだった。
ヴィセラスとしては事前の情報を得ていたにもかかわらず、他の客の手前、招待状所持者以外にまでチェックを入れられなかったのは自分の手落ちだと、苦々しい思いでいる。
懐中時計を失くしたという宰相には本音を言えば一言文句を言いたかった。彼のせいで警備が手薄になったと言っても過言ではないのだ。
怪しい人物候補には宰相と、他に何人かの名前が浮上していた。
ただその何人かというのが偶然にも全員両親の商売仲間たちで、怪しむべき点は見当たらなかった。
故に、唯一怪しいのはその宰相だった。
万が一本当に宰相が関与しているとして、堂々と自ら計画の歯車の一枚として演技をしていたとすれば、さすが腐っても宰相だ。侮れない。
しかし相手の地位を思えば、確証がないまま下手に動けばこちらが痛い目を見る。
そんな時、折良く新証言が舞い込んだ。
クレマチスと共にジャスティンの様子を見に行っていたアメリアが、彼がうわ言のように「宰相に気を付けるんだ」と何度も訴えていたと報告に来たのだ。
リストを手にテーブルを挟んで難しい顔をしていたヴィセラスとジュリアンは、急いで会場内で宰相を捜したが、騒動の中心人物たる宰相は一歩違いで既にピンカートンの屋敷を離れた後だった。
そういうわけで確信したジュリアン、ヴィセラス、アメリアの三人は馬車で貴族街にある宰相の屋敷へと向かった。クレマチスはジュリアンが青年弁護士の介抱を頼んで屋敷に残らせたため、夜の王都には繰り出していない。
だが宰相の屋敷では、入口の所に馬の居ない大きな箱馬車本体だけが捨て置かれ、屋敷内には宰相はおろか手下の一人の姿さえなく、事情を何も知らないらしい使用人しかいなかった。
隠れている可能性も脳裏を過ぎったが無理に押し入るわけにもいかず、収穫もなし。
これは対策を練りに一旦屋敷に戻ろうと決めた。
途中、ジュリアンはやはり居ても立ってもいられなかったようで、駄目もとでエレノアを捜すと言って一人馬車を降りた。
既に警察や屋敷の人員を動員して、大々的にではないが捜索は開始されているので無茶はするなと言ったのだが、彼は頑固にも聞く耳を持たなかったのだ。
一層騒がしくなる夜の王都で、犯人一味もそういつまでものうのうと追跡やら逃走を続けてはいられないだろう。状況がジュリアンの味方になってくれれば幸いだった。
王都をピンカートン家へと戻りながら、ヴィセラスは向かいの席のアメリアへと目を向ける。
馬車に乗る前からずっと表情の厳しい妹は、エレノアを本当に案じている。いい友人が出来て兄としては喜ばしかった。
残念ながら義姉には出来そうにないけれど。
「なあアミィ、そのメイド服着替えなくて良かったのか?」
「そんな悠長な時間はありませんでしたでしょ! 一刻でも早くエレノアとミレーユさんを捜さないといけませんもの。ところでクレイトン様は本当にお一人で降ろして大丈夫でしたの? まだ酔っぱらっているのでは?」
「いや、酔いざましと根性でいつもより余程冷静だよあいつは。ところでお前まで来る事なかったんだぞ。クレマチスと屋敷で待機してくれてても良かった、というか俺としてはその方が余程安心だったんだが」
「何を言っていますのお兄様は? 大親友心の友世界一の女友達の危機に指をくわえていろと言うんですの?」
アメリアが信じられないこの人でなしと言った顔付きになる。
ヴィセラスは若干たじろいだ。
「……なんて、お兄様が心配してくれているのはちゃんとわかっていますわよ。もしも腕力の出番になりましたら、躊躇なくこれをぶっ放しますのでご安心を」
不敵に笑ってごそごそとスカートの中から短銃を取り出したアメリアへと、ヴィセラスは脱力した。
「そんな物騒なもんを何つー場所に……。いくら身内の前でももう少し恥じらいってもんを持てよ……」
「ホホホ女スパイと言ったら太腿は鉄板ですのよ」
「へえ……最近の女子は逞しいな」
ぞんざいに言ったヴィセラスがどこか遠い目をしていると、アメリアが決然とした眼差しになった。
「お兄様、やっぱり私もクレイトン様みたいに街中を捜してみますわ。そこの角で下ろして下さいませ」
「やめとけ。ジュリアンみたいな執念の『エレノアセンサー』とか『目的地はいつもエレノアルート選択します』能力とか犬並みの『エレノア専用嗅覚』っつの? お前にそれがあるのか? ないだろ。そんな奴が我武者羅に捜しても時間の無駄だ」
「……ええとちょっと待ってお兄様? 何ですの今のそのセンサーとかルート選択とか嗅覚というのは?」
「ジュリアンの神懸かった絶対的特技? 本気になったらマジであいつ外さないと思う」
アメリアは口に手を当て大きく目を見開いて言葉を失くした。
ややあって深刻な面持ちでごくりと咽を鳴らす。
「……クレイトン様って恐ろしい方ですのね」
「お前もああいう男は選んでくれるなよ?」
「え、ええ……心底気を付けますわ」
この会話、兄妹の表情はいつになく大真面目だった。
「けれど、でしたらどうやってエレノアたちを捜せばいいんですの?」
策が浮かばないアメリアが無力感に臍を噛んだ時、馬車窓の向こうにおかっぱの黒髪を見つけた。
「あの方……ミレーユさんですわお兄様!」
「何! ……彼女がミレーユ・フォグフォード。無事なようで何よりだ」
そうしてアメリアとヴィセラスは人通りの少ない街路を一人険しい顔で走っていたミレーユと合流した。
ミレーユはエレノアが警察にいないと知って、嫌な予感が的中したのだと悟っていた。
焦燥に駆られつつ夜の街をエレノアや男たちの行方を捜していたのだが、途中でヴィセラスたちと会えたのは運が良かった。これで現段階での情報の把握と共有ができる。
「――じゃあやっぱり宰相が黒幕なのか」
「ええ。あなたに宰相の情報を伝えておかなかったのは、こちらの落ち度としか言えないわね。ごめんなさい」
「いや、俺があなたの立場でも告げなかったでしょう。お互いそこまでの信用はなかったですしね。むしろ謝るべきはこっちの方ですよ。事前に得ていた情報からでも、もう少し警備を厳重にするべきでした。俺の考えが甘かったんです。そのせいでこんなことに……すいません」
車内では兄妹の向かいに半端なドレスのままのミレーユが座っている。彼女の黒いタイツを穿いた長くしなやかな両脚にはヴィセラスの上着が掛けられていた。彼が目のやり場に困るという事らしかった。
「お二人共、ここで責任の奪い合いをしても意味がないですわよ。大体、悪いのはあの悪党どもなんですのよ?」
「「……」」
呆れたような目をするアメリアの言葉に、実は結構自責の念に駆られていた二人はやや面食らったような顔をしてから、それぞれふっと肩の力が抜けたように微苦笑を漏らした。
全く以てその通りだった。
「そうよね、今は全力を事態の早期解決に向けるべきだわね。エレノアちゃんはきっと馬車の通れない細道に逃げ込んでると思うわ。でも最悪奴らに捕まったなら宰相の屋敷に一度は連れて行くはずよ」
「なら引き返してこっそり見張った方が……?」
「そういう人員も勿論必要だわ」
「見張りに行くのでしたら、お二人だけで行って下さいませ。本当は私だってクレイトン様みたいに自分でエレノアを捜したいですわ!」
方向性が決まりかけていた馬車内で、大きな難色を示したのはアメリアだった。
ミレーユはそんな友人想いの少女を見て頬を緩める。
そんな時だった。
どこかで銃声が上がったのは。
おそらくは事態がのっぴきならない展開へと進行していると、瞬間的に息を呑んだ三人は直感した。
(ジュリアン、どこ……?)
駆けながら周囲に視線を走らせるエレノアは一緒に行けば良かったと悔いていた。
中々見つからず堪えた涙が滲みそうになった時、まだ微かだがどこかで言い争う男の声を聴覚が捉えた。
きっと昼間だったら聞き逃していただろう音も、夜だと人通りの少ない路地裏の静けさもあって届いたのだ。
「まさか、ジュリアン……?」
小さく呟き、自分の手の中の冷たい鉄の武器を胸に握り締める。
距離もそんなには離れていないだろう。
そうして、自らの息さえ殺すようにして耳を澄ませその方向へと急いだエレノアは、とうとうその場所に辿り着いた。
小さな街路灯がポツポツ寂しいながらも点在するような路地に目当ての人物はいた。
こちらに背中を向けて立つ金髪が薄い光を受けて輝いている。
その周囲には何人かの男たちが倒れ呻いていた。
弱い光源に照らされているその顔は先程までエレノアを追いかけていた連中だ。
(うそ、一人であれを!?)
やや離れた位置から視認したエレノアは我が目を疑った。
多対一をものともせず、ジュリアンは最後の一人となったフォックスの腕を捻り上げ両膝を突かせる。
いつも素で貴公子然としている彼が荒事に強いなんて思ってもみなかった。
エレノアはまだ光の届かない暗がりに居て向こうからは気付かれていない。
「刃物くらいで僕が怯むとでも思った?」
「あんた何なんだよっ、素手で刃を摑むとか普通の神経してねえよ!」
痛そうに顔を歪めて焦ったように喚く男の足元には、ジュリアンの言葉通りナイフが落ちている。
その刃先が赤く濡れているのを目にしたエレノアは息を呑んだ。
ジュリアンの片方の掌が赤い。
「二度とエレノアに近付くな」
痛がる男よりも余程痛そうな怪我をしているのに、彼の声は微塵も揺らいでいない。
まるで温度を感じない。
(本当にジュリアンなの? あんな冷たい声、初めて聞くわ)
驚く反面別人みたいな一面を垣間見て、エレノアは元婚約者から目が離せなくなっていた。
心が痛い。
「うぅ……そ、れはボス次第だ…ぜ?」
「君のボス――宰相が彼女を狙う理由は、メイフィールド家が持つ宝だって聞いたけど、そんな物が本当にあるとでも?」
「はっ、黒幕が宰相様だってもうわかってるのか。それにあるかないかなんてどっちでもいいんだよ。令嬢を捕まえて報酬さえたんまりもらえればな」
「ははっ何だ、君たち所詮は使い捨ての駒か」
「んだと!」
「他に重要な情報がないなら、君にもう用はないかな。さっさと寝てなね」
「いててててっやめ……ッ」
ジュリアンが腕の力を強めたのか男が悲鳴を強くする。
エレノアの胸中に暗雲が垂れ込めるように暗い気持ちが広がった。
背を向けている彼が今どんな表情をしているのかはわからない。
けれどエレノアは止めていた足を動かしていた。
「待て待てっ知ってる事は全部言う! だから見逃してくれ!」
「……見逃す、だって? どうして僕がそんな情けを?」
抑揚のない声がいよいよ底冷えするような低さにまで下がる。
慄いた男の呼気が明らかに引き攣った。
「やめてジュリアン!」
制止の意を込めて彼の腕を摑んだ。
「エレノア……?」
一瞬虚を突かれたような無防備な顔でこちらを見たジュリアンの隙を突いて、フォックスが拘束から逃れ四肢で地面を這うと、ナイフを拾う。
(しまった!)
致命的な愚を犯した心地のエレノアの傍で、唐突にジュリアンが膝を突く。
「くっ……!」
「ジュリアン!? え、えっとまだ刺されてないわよね? まさかその前にどこか刺されてたの!?」
短く呻く彼は頭痛でもするのか頭を押さえて苦痛の色を浮かべている。改めて見ても外傷は掌の傷だけだが見えない所に怪我をしているのだろうか。
「へへへへ、良かったやっと効いてきたな」
一転し余裕をかます男がナイフをヒラヒラさせてにやりとした。




