発覚
「ジュリアン、おいジュリアン、いい加減起きろ」
「んん……」
ぺちぺちと頬を叩かれ、たぶん二、三度ではなくもっと沢山叩かれジュリアンは目を覚ました。自分はどうやら長椅子か何かに横になっているようだ。毛布も掛けられている。
「ったく、黙ってた俺も悪いがマジで間が悪いのなー、お前って」
頭上で酷く苦々しい声がして、それが傍に立つ友人の声だとわかるもののまだ全然頭が働かないジュリアンは、ぼんやりした眼差しでその男前の友の顔を眺める。
「あ、起きたか? っつか起きないなら叩き起こすがな。ホントアホだな、こんな時に自棄酒とか」
「……何だか酷い言われようだなあ」
声が掠れて咽がヒリ付いた。のそのそと長椅子の上に身を起こす。
「――ッ、頭が、くらくらする」
「当然だろ。お前だいぶ酔ってるし」
「ああ、そうだった」
苦笑しながら額を撫で、ふと自分の掌を見つめた。
「何だ? 吐き気か?」
「いや、それは大丈夫。因みにだけど君は僕に唾を吐いたり水を掛けたりは?」
「そんな事するかよ。それとも何だ? 唾吐いて欲しいのか? 特殊な性癖だな」
「なら良いんだ」
普段なら特殊な性癖の部分に訂正を入れそうなものだが、今は他の思考に気を取られているのか、彼は依然自らの掌を見つめ下ろしている。
「本当に大丈夫か?」
「ああうん、ただちょっと……おでこが濡れてたな、と」
「は?」
酔っているせいで支離滅裂なのだろうかとヴィセラスが思っている間も、彼は何かを真剣に考え込んでいる。
「そう言えばお前の頬も湿ってたような気もするな。あー…失恋で泣いたのか?」
「ええ? ハハまさか。でも頬も濡れてたの? ……でも、まさかなあ」
その表情が何故か必死に自らを落ち着かせようと努めているようで、ヴィセラスは訝しんだ。
「一体どうしたんだ? やっぱ吐くってんならここじゃやめてくれ。すぐに容れ物持ってこさせるから」
「いやそれは本当大丈夫だから。まだ全然ふらふらするだけで」
ヴィセラスに連れられて夜会を途中退場したのは何となく覚えている。前後不覚に陥りそれからどれくらい経ったのか、全く時間の感覚がない。
「ええと、毛布をありがとう」
「俺じゃないぞ」
「でもここは君の部屋だろう? 前に来たし」
「まあ確かに俺がここまで運んだが、酒臭い野郎を自分のベッドに寝かせるなんて御免でそのまま椅子に放置した。で、後はうちの優秀なメイドに任せた」
「あ、そう。運んでくれたのはありがとう」
毛布は親切なそのメイドが掛けてくれたのだろう。
「あーあーもう少し時間稼げると思ったんだがな。うちの優秀なメイドにもっと親身になって目を覚ますまで世話してやれって命じとけばよかったぜ」
ヴィセラスは苦虫を口全部で潰した顔付きでガシガシ頭を掻いた。折角セットした髪も乱れていつも以上にワイルドなことになっている。それにやけにその優秀らしいメイドの部分を強調してくるのも解せない。何かを試されている気がするジュリアンだ。
「ところでまだ舞踏会は?」
「やってるよ。表向きは平和にな。ああいやちょっと騒動があったな」
「? 何かあるような言い方だね。それに騒動って?」
「実は今夜この夜会に宰相のグレーウォール卿が来ててな。何でも会場内で大事な懐中時計を落としたとかで、会場係を総動員したんだよ」
「へえ、宰相が……。確か彼は足が悪かったはずだけど、こういう場にも来……」
「どうしたジュリアン?」
途中で言葉を切り黙り込んでしまったジュリアンへと、ヴィセラスは怪訝にしてみせた。
「いや、たぶん今夜僕はそのグレーウォール卿と言葉を交わしたと思う」
「へえ、奇遇だな」
「……そうだね。それで、失せ物は見つかったの?」
「まあな。一度探した場所にあったらしい。探し物に駆り出されてたクレマチスが見つけたよ。見落としたのか、盗んだものの騒ぎに怖気付いた間抜けが置いたのかは不明だがな」
「まあ、見つかったなら良かったじゃないか」
「そうだな」
クレマチスが結局アメリアの部屋に行けなかったのは、伝言を受ける前に会場で紛失物騒動が起き手伝わされていたからだ。
ヴィセラスは騒動の発生をエレノアたちと廊下で別れた後に知って、対応に追われていたという次第だ。
この老婦人と青年の間には余り交流はなかった。もしもこの二人にもう少し情報共有の意思があれば、状況はまた違っていたかもしれない。
ジュリアンは友人をじっと見据えた。騒動が解決したようなのに何故か友人の表情は微塵も晴れていないのだ。
「……何かあったんだね?」
すると見下ろすヴィセラスは、険しい面持ちのまま唸る獣のように咽の奥で声をくぐもらせた。余程言いにくいことらしい。
しかし意を決したように口を開いた。
「エリーが消えた」
「は?」
「こっちも警察には応援を頼んでたんだが、向こうの方が潜入には一枚上手で、しかも落とし物騒動で人員を割かれた隙に逃げられた。ワーグナー弁護士は毒で寝込んでるし、アミィの証言によればミレーユ嬢が誘拐されてそれをエリーが追ったらしい。二人がどこに行ったのか目下のところわからない」
「待って、ちょっと待ってくれ話が見えない」
ヴィセラスは一見焦っているようには見えないようで、かなり慌てているのだろう。
矢継ぎ早に言葉を重ねられて整理に困った。
ただでさえ酔っていて思考が緩慢なのだ。順序立てて話してくれと言いたいジュリアンだった。
誰かに話した事で少し冷静さを取り戻したのか、ヴィセラスは「ああ、悪い」と深呼吸をする。
「こうして無駄に焦っても意味がないよな。まずはお前の意見を仰ぎたい」
そう言ったヴィセラスは、ジュリアンが催促する前に最初から順序立てて事の次第を話し始めた。
実はエレノア・メイフィールドが前々から狙われている事、囮作戦の概要、襲撃者と、そしてその結果を。
「――……そんな事が。しかもよくわからない宝のためにエレノアを攫おうと目論んでる? アハハふざけるのも大概にしてほしいものだよ」
「いや俺に凄むなよ」
「だけどどうしてエリーとアメリア嬢がこの件に関わろうとするんだ? アメリア嬢が夜会の主催者一家として暴挙を見過ごせないって言うのならわかるけど、エリーなんて特に関係はないだろう? エレノアの友人でもあるまいし。それとも、アメリア嬢の侍女だから一緒になって首を突っ込んでるのか?」
もしそうなら一度無謀さを窘める必要があるとか何とかぶつくさ呟くジュリアンへと、ヴィセラスはゆるゆると横に首を振る。
「……お前な、この期に及んでまだ気付かないのか?」
「何を?」
「一応言っとくと、お前に毛布を掛けてくれたうちの優秀なメイドはエリーだぞ。素顔晒してたが、お前は折角のチャンスを棒に振ったらしいな」
「えっ」
驚いたようにジュリアンは自分の額に手をやって軽くこすり、そこにあった何かを確かめるようにして掌を見つめる。
ヴィセラスが見た所、生憎その手には何も付いていない。
そういえば起きた時に額が濡れているとか何とか言っていた事と関係があるのだろうか、と彼は訝しく思った。
とは言え戸惑ったように瞳を揺らす様をこれ以上見ていても無駄だろうと判断し、こんな質問をした。
「ジュリアン、もしもエリーとエレノアが同時に川で溺れたとして、お前はどっちを助けにいく?」
「それは勿論…………うーん、あれ? どっちだろう?」
ヴィセラスは「お前わかっててやってる……?」とビミョーな顔になった。
「まあいい。なら当時行方不明だって知って、血眼になってでもエレノアを捜し出してやろうとか思わなかったのか?」
「それは……あらゆる手を尽くしたかったけど、彼女が嫌がると思ったからしなかった」
「はああ? 何だそりゃ?」
「だって自分から姿を消したのに、色々と無理やりその何らかの決意を乱すような捜索はためにならないじゃないか」
「へえー、そおー」
それは善し悪しだろうとヴィセラスは思った。
「んじゃさ、お前ってエリーとエレノアの二人を結びつけて考えた事ないの?」
「――――あるよ」
「…………」
間。
空白。
無の境地。
神の国星の郷時の果てまで行って来たような気がするヴィセラスは、現在に戻ってきた。
「――はああああああああっっ!? なら何で今までっ!?」
「そりゃ僕だってもしかしてと思った事は何度もあるよ。でもエリーに直接訊いたら否定されたし、じゃあきっとそうなんだろうなって……」
「…………こいつって」
思わず会話の途中で独り言を差し挟んでしまったヴィセラスは、まさに開いた口が塞がらないような気分だった。
「お前ってつくづく馬鹿なんだか優秀なんだかわっかんないよなー」
「何だい失礼な。喧嘩を売ってるのかい?」
「まさか」
ヴィセラスは思う。きっと自分でさえジュリアンの立場だったならエリーの正体に早々に気付くと自信を持って言える。
何しろエレノア付きの乳母クレマチスがいて、エレノアの愛称でもあるエリーと言う名前(ぶっちゃけもっと別の名前にしろと思った)の少女がその近くにいて、しかも髪色まで同じときている。挙句は執拗に顔を隠しているのだ。怪しいと思わない方がどうかしている。
「お前はさ、自覚はないが本当は頭の奥じゃわかってんのに、世界でたった一人の声にだけは弱いのな。疑いもなくそっくりそのまま信じて受け入れるくらいに」
「はは、何だいその例えは?」
「どうしてエリーを好きになったのか、よーく考えてみろって話だ」
益々不可解そうな顔色になるジュリアンに、ヴィセラスは極めつけとばかりに言ってやった。
「実はな、今だから言うけど俺とエリーの間にはとある取り決めがあるんだよ」
「取り決め? 雇用のってことかい?」
「いんや、将来的な婚姻の話」
「………………………………は?」
ヴィセラスは久々に背筋が寒くなった。
「おいおい殺気立つなよ。いいだろ別に。お前のエレノアじゃなくて侍女のエリーとなんだし。それにお前さっき彼女に振られただろ」
「それは……でも……」
言い淀んだジュリアンが絞り出すような声を出した。
「……納得できない」
「はあ? お前の納得なんて必要ないだろ」
「……嫌だ」
「駄々捏ねられても仕方がない」
「君は仕方がなく婚姻するの?」
「エリー相手ならそれも悪くないと思ってる」
「そんな中途半端な気持ちで……っ」
ジュリアンは長椅子から立ち上がってヴィセラスに摑み掛かった。
「最初は中途半端だろうと、長年連れ添ってれば半端もなくなると思ってる」
ヴィセラスの存外生真面目な眼差しに、彼の胸倉を摑んだままのジュリアンは目元をヒクつかせた。
「駄目だ」
「諦めろ」
「嫌だ」
「どうして」
「だって彼女はっ、エリーは僕の大事なっ――――エレノアだっ!」
あ、と自分の言葉に驚いたジュリアンは思考停止したように動きを止めた。やや苦しげに顔を歪めているヴィセラスは「全く世話が焼ける」と苦笑する。
「ほらな、答えは簡単に出ただろ。それが自覚なくも気付いていた真実だ」
「……ああ、そうだね」
爆発した自分の思考の結果に自分でも放心したような顔付きで、ジュリアンは「ごめん」と力なく両手を離した。
「ならお前の知恵を貸してくれ。お前のお姫様が危険に首突っ込んでる。人質もいるしな」
「ああ。でもどうして君までこの件に? やけに詳しいし」
「前々から二人を見張ってろって言われてたんだよ。ミレーユ嬢に」
「そういえばさっきからミレーユミレーユって……まさかミレーユ・フォグフォードのミレーユ?」
「ああ。因みに偽エレノア役は彼女だぞ……って笑みが怖えよお前」
「何であいつから?」
「いやーまあ文通友達?」
「……何だいそれは」
「ハハッ企業秘密」
「ああそう」
ヴィセラスはそれ以上は答えなかった。
ジュリアンもそれ以上は追及しなかった。
こういう面で案外ドライな関係性を保っている二人だった。
「行き先の見当がつかないんだよね」
「ああ。だがアミィが見た誘拐実行犯は四人組だ」
「四人か……。なら取り急ぎ招待客の名簿を見せてくれ。仮面舞踏会とは言っても君の所は招待状所持者の身元確認はきっちりしているんだろう? 同伴者はどうか知らないけど」
「まーそうだが、名簿を見ただけでどう当たりを付ける?」
「一つは同伴者の人数と照らし合わせる。後は既に帰った客をわかる範囲でいいからピックアップしてほしい」
「わかった。すぐ戻る」
ジュリアンからの要請に、ヴィセラスは即座に踵を返した……と、思いきや思い出したように振り返って何かの小瓶を放ってきた。
「一応動く前に飲んどけ」
パシリと掌でナイスキャッチするジュリアンは首を傾げた。
「これは?」
「すっげ~効く酔いざまし」
「へえ」
それは悪いね、と呟いて素直に栓を開け咽に流し込んだジュリアンだったが、酔っていた方がマシだと思うくらいには激マズだった。




