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ジャスティンの真心

 惨めだった。

 自分にだって貴族としての、というか人としての矜持はある。

 こっそりお金を渡していたジュリアンには少し腹が立つ。


(私が連絡を断ったから報告も相談もしようがなかったのかもしれないけど、でも何であなたが出すのよ、ジュリアン!)


「エレノア、気持ちはわかりますけれど落ち着いて? きっとクレイトン様もあなたを思ってした事だと思いますし。この人だって助かったはずですわ。事務所のこの惨状を見るに、当時だってお金はないよりあった方が断然良かったと思いますわよ」


(アメリアったらそんな身も蓋もないことを……)


「だってこんなにボロい事務所しか借りられないくらいですもの」


(駄目押し! もう少し婉曲に!)


 エレノアも狭い事務所を見回して大いに賛同するが、時として正直さは酷だ。カワイソ過ぎてジャスティンを直視できない。

 エレノア同様頬を引き攣らせた彼の隣では、大人しく聞いていたミレーユが「ぶふっ」と噴き出している。

 しかしジャスティン青年は決して怒ったりはせず、大人な対応で頬の筋肉を苦笑いへと移行させた。


「ええとお嬢様、そういうわけですし、この話はここまでに」


 ジャスティンの提案にエレノアは頷いた。

 給金の件についてはもうジャスティンを煩わせる必要はないだろう。

 話すべき相手はジュリアンだとわかった。

 ゆっくり深呼吸をする。

 本番はここからだ。


「あのね、実は今日来たのは、叔父を騙した詐欺師について話を聞きたかったからなの」


 彼のしてくれた仕事に対する正当な対価云々を蔑ろに思うわけではないが、これこそが今日本来の用件だった。

 エレノアは封筒を手持ちのバッグに仕舞うと、気持ち同様表情を切り替えて弁護士の青年を見やった。


「昨日、路上であなたの活躍のおかげで逮捕された男がいたでしょう?」

「お嬢様まさかあの場に……? そう言えばクレイトン様はいましたが」

「わけあって一緒にいたの。ってそれはいいの。でもその時もう一人の狐顔の男は逃げたでしょう? 彼はどうなったのか知りたくて」

「ああ」


 てっきり晴れやかになると思っていたジャスティンの表情は曇った。


「面目ないですが、その男はまだ捕まっていません。張っていた警官たちが追い掛けたのですが、まんまと取り逃がしました」

「「えっ」」


 これにはエレノアだけではなくアメリアも小さく声を発した。


「今も警察は検問を設けたりしていますが、そう簡単にはいかないでしょう」

「そんな……。だけど張り込んでたのだって有力な手掛かりを見つけたからだったんでしょう?」

「うーんそう言っていいのかは微妙な所です。彼らを見かけたのは詐欺被害者の一人だったそうで、それも紳士が利用するような高級酒店から出てきた所を偶然見かけたと聞きました」

「そんな場所に堂々と?」

「ええ、どうやら。ですが路肩に待たせていた馬車に乗り込まれ早々に走り去られてしまったので、後は追えなかったそうです。酒店には注文記録が残っていたので、まあ偽名でしたけど、それを手掛かりにしたんです。注文したからには誰かが受け取りに来るでしょうから。それで、何日も張り込んでやっと取りに来たのが昨夜でした。それなのに……」


 ジャスティンはやるせない様子で短く嘆息した。


「この先はより警戒されるでしょう。これまで尻尾らしい尻尾を摑ませなかった犯人サイドも、決して馬鹿ではないようですから。何か彼らをおびき寄せるいい方法があればとは思うんですけどね」

「ええとでも、捕まえた男からは何か有益な自供が得られてるんでしょう?」

「それが……」


 ジャスティンは黙って横に首を振った。

 ミレーユが溜息をついて肩を竦める。


「まだ昨日の今日だし、男に裏があるならこれからの取り調べでってことね」

「あ、えっとごめんなさい。そうですね昨日の今日ですし、それに機密保持で話せないならこれ以上は訊きません」

「気にしなくて大丈夫よ。この人に機密保持なんて無理無理」

「ミレーユ!」

「だって、嘘なんてつけないじゃない。そういうの苦手なくせに」

「うう……」


 確かに昔からジャスティンはその通りだったと思い返せば、エレノアはくすりとした。


「ジャスティン、私は犯人を捕まえたいの。ジャスティンも犯人を追いかけてるんでしょ? 良ければあなたに協力させて。前にあなたからもらった人相描きのおかげで狐顔の男にだって気付けたのよ」


 そんなものを渡したのかと、ミレーユがジャスティンを少し咎めるように見た。


「お嬢様は復讐をなさりたいと?」

「このままのさばらせたら、またうちみたいに破産して悲しい思いをする被害者が出るでしょう? そうでなくても他にも被害者はいるようだし、それは嫌なの。第一、私を狙った動機も知りたい。だって危険だったから私はジュリアンとは…………ううん、でも、そうね、復讐心は確かにここにあるのかも」


 そう言って自身の胸へ問いかけるように手を当てる。

 ジャスティンは同情の色を滲ませた。


「クレイトン様と離れたのはそのせいなんですね。金銭事情だけならお二人がこうなる事はなかったと私は思っています。……もっと私に相談してくれればよかったんですよ。彼に危険が及ばないようにする方法だってあったかもしれないのです」


 やや責めるような気配を含む彼の言葉の裏にあるのは思いやりだ。その頃はもうギリギリ彼はメイフィールド家の顧問ではなかったし、他の依頼で忙しいだろう彼を煩わせるのは気が引けたのだ。


「お嬢様の身にしても、てっきり留学して安全だとばかり思っていましたから。……今までお力になれず申し訳ありません」

「えっ、あ、謝らないで! こっちが勝手にジャスティンに秘密にしてたんだし、あなたが気に病む事じゃないのよ。ね? ああそれと私がここに来たって話をもしどこかで会ってもジュリアンにはしないでほしいの。今はまだエレノアとしてあの人と顔を合わせられる状況じゃないから」


 そう言ったエレノアを心配するように見て来たが、ジャスティンは不用意な好奇心からの詮索は控えたようだった。


「……わかりました。ではクレイトン様には内密にします。いいね、ミレーユも」

「もちのろん、黙ってるわ。あたしはいつだって女の子の味方だもの」


 ぱちりと器用にウインクするミレーユにエレノアは少し気持ちが解れた。

 謝意に自然と頭が下がった。


「ジャスティンありがとう。ミレーユさんもありがとうございます」


 エレノアは紅茶に口を付けて一息入れてから、逸れていた話を戻す。


「ねえジャスティン、今もまだ捕まってなくて検問にも引っ掛からないなら、犯人はこの街で息を潜めてる可能性が高いわよね。もしかしたら隠れ家とかアジトみたいな場所があるんじゃない? でなければこの王都の中に匿ってる誰かがいるとか」

「それは……」

「実はね、情報収集をお願いしている方たちも不審がっていたの。まるで誰かが周到に足跡を消しているみたいだって。ジャスティンもそう思わない?」

「そ、それは……」


 すまし顔のミレーユとは違って、隠し事が苦手なジャスティンはやや歪めた顔で肯定も否定もせず目を大きく泳がせている。


「やっぱり! お願いジャスティン、協力させて。多少の荒事は覚悟してるわ」

「私からもお願いしますわ。ピンカートン家の娘として、最大限助力致しますし」

「ピンカートン? あらま、うちでいつもお世話になってる所じゃない」


 ミレーユが意外な繋がりに目を丸くしている。


「ジャスティンお願い!」


 エレノアの緑の強い眼差しと出会いジャスティンは微かに息を詰める。

 彼は自分が弁護士になる以前より知る少女に微笑んだ。


「七年いえ八年でしょうか、その頃と比べると随分お嬢様は大きくなられましたね」

「ええ? うーんそんなに経てば当然だと思うけれど」


 どこかおっとりとしていた令嬢は世間に揉まれて逞しくなった。それでもやはり彼女は自分にとってはどこまでも小さなお嬢様なのだと彼は思う。


「駄目です。キツイ事を言うようですが、荒事になれば足手纏いでしかありません。その結果犯人を逃がしでもしたら目も当てられませんよ。ですからお嬢様のお気持ちだけ頂戴致します」

「そんな、どうしても駄目なの? 捜査の秘密を漏らしたりなんてしないわ」

「そういう事を懸念しているのではありません。お悔しいのは理解できますが、とにかく駄目なものは駄目です。それにお嬢様、あなたがそんな必要はないと仰っても私はあなたの身を案じます。義務ではなく私がそうしたいのです」

「でもっ」

「万一お嬢様に何かがあったとして、メイフィールド伯爵たちお二人が戻って来られた時に私は彼らに何と言えば?」

「……っ」


 卑怯な言い方だった。

 まるで両親を盾に取られたようで、エレノアは信頼が揺らいだような目を向ける。


「……あなたは今でも、二人が戻って来るって信じてるの?」


(なんて、馬鹿な質問だわ。答えなんてもうわかってるのに)


「――信じています」


(え……)


「お二人が戻って来ないと決まった証拠はどこにもありません」


 濁りのない(はしばみ)色の瞳にハッとした。

 言うなれば頭を何か硬いものでガンッと殴られた気がした。

 その真っ直ぐな眼差しに、彼は本気で希望を捨てていないのだとわかった。

 我知らず薄ら涙が浮かぶ。

 周囲は気を遣ってかその話題にはほとんど触れなかった。それはつまりは諦観していたということだ。


(私は、ずっと誰かにそう言ってほしかったのかもしれない)


 事実、死亡の知らせは届いていない。

 まさか家族でもないこの青年が両親の生存を信じていて、娘である自分が不甲斐なくも諦めかけていたなんて、恥ずべき愚かさだった。


「……ありがとう、ジャスティン」


 頭の中の濃い(もや)の一つが晴れた気がする。


「でもそれとこれとは別よ! 私も何か出来る事をしたいの」

「駄目です」


 なおも食い下がるエレノアに妥協を許さない厳しい眼差しを向けながら、ジャスティンはにべもない。


「首を縦に振ってくれるまでいつまでだって居座っちゃうわよ」

「それは困りますね……うーんそうですねー……」


 全然困ったようには見えなかったが、顎に手を添え十秒も思案せずに「いい方法を思い付きました」と彼は顔を上げた。


「お嬢様、こうしましょう」

「ええ、何?」

「一度だけお名前を拝借させて頂いても構いませんか?」

「名前を?」

「はい。何をするかと言うと、要は(おとり)です」

「囮? 名前だけで?」

「はい。お嬢様に変装したミレーユが犯人たちをおびき寄せるといった感じでしょうか」


 さすがは頭の切れる男なのかもう策を思い付いたらしい。


「ホントジャスティンは人使いが荒いわね」


 ミレーユがぼやいたが仕事上では彼の方が主導権を握っているようだ。何とも不思議なコンビだった。


「ええと私を騙るのは構わないけど、到底有効な手段には思えないわ」


(それに囮を立てるだなんて、完全に普通の弁護士業からは逸脱しているんじゃないかしら。そんなの捜査官に近いわよね。ジャスティンやミレーユさんって一体……?)


 疑問は湧いたがおそらくは訊ねても教えてはくれない気がした。


「言いにくいのですが、あながちそうとも言い切れないと言いますか……」

「えっそうなの? それって以前私を狙って屋敷に押し入ってきた人たちがまだ諦めてないってこと?」

「はい、おそらくは」


 それは看過できない身の危険だった。


「どうして私を狙うのか、その理由は知ってるの?」

「まだ推測の域を出ませんが、メイフィールド家の領地のどこかに至宝があるとか何とか」

「至宝?」


 エレノアは不可解な言葉を聞いた気分だった。

 生まれてこの方家にそんな物があるなんて聞いた試しがなかった


「至宝って言われても……指輪とかの装飾品くらいしか思いつかないわ。それだって微々たる物で至宝とまでは言えないと思うし、とっくに質に入れちゃったし」

「どうやら権力の象徴のようなものらしいのですが、連中はお嬢様がその在り処を知っていると思い身柄を拘束しようとしたのでしょう」

「ええっ、それはまた、大迷惑な話ね」

「ですね。現在王家の方が多少継承問題でゴタ付いていますし、もしかしたらそちらの方面の関係者が権力を握るために、少しでも箔が付くような物を欲しているのかもしれません。とは言え、まだ推測の域を出ませんが」

「そうなのよね。黒幕とか至宝が何かも含めてもっと詳しくわかるまで、エレノアちゃんには危険から遠い所で待っていてほしいの」


 ジャスティンだけではなくミレーユからも釘を刺されたが、エレノアは納得できなかった。


「やっぱり私が仲間に入るべきだと思う。私自身に関わるんだもの」

「いいえ、駄目です」


 きっぱりとジャスティンは一刀両断した。本当に徹底している。


「どうして! 私が何も知らないってハッキリ宣言すればいい事でしょう?」

「お嬢様を危険に晒すことは私の本意ではありませんし、この件がバレてクレイトン様を敵に回したくはありませんので」


 エレノアは怪訝に眉を寄せた。


「もう婚約だってしてないし、ジュリアンは関係ないでしょう……?」

「ええとそれはですねー……」


 曖昧に言葉を濁しつつ、相手の棘を落とすような柔和な微笑を湛えるジャスティンの横では、ミレーユが「ああやっぱり」と頭痛でもするのか額を手で押さえている。


「エレノアちゃんは騙されているのよ!」

「こらミレーユ。そこは当人同士の認識の問題だし、私たちが立ち入って余計な事を吹き込むものじゃないだろう」

「でも、あんまりだわ……!」

「ごめんなさい、話が見えないんですけど、ミレーユさんにもしかしてジュリアンが何かやらかしたんですか?」

「ああううん違うのよ。あいつがホントは食えない奴でエレノアちゃんの前じゃ猫被ってるだけだって話」

「ちょっミレーユ!」

「とにかく、ええと、そうね、あいつがどんな奴であれ、エレノアちゃんには害も損もないと思うから安心してってことよ。ああいえ安心したら駄目だわ、んもうどう言えってのよ!」


 男っぽくがしがしと頭を掻く美人も様になるなんて思いながら、エレノアはやっぱりわけがわからない。

 理解できる部分があったのか生温い目をしているアメリアは何も言わない。

 はあ、と溜息をついたジャスティンが口を開いた。


「彼はお嬢様をと~っても大事に想われている、とこれだけは断言できます」


 そう言って微笑む青年弁護士は、結局最後までエレノアの協力申し出を容れる事はなかった。


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