51話 其々の出発
ホテルから一台のハイヤーが出てくる。
少し進んで、周囲を確認するかのように停止するが……
安全を確認すると、今度は止まる事なく走り去っていった。
◆◇
ホテルを出発した今井は、ホテルマンの運転する車で空港へと向かっていた。
運転している男は、白髪の混じり始めた髪をしているが、その、スーツに隠しきれない筋肉の盛り上がりが、只者ではない雰囲気を醸し出している。
「この後のフライトは、何時だったかな?」
「搭乗時刻1時45分、離陸時刻2時と記憶してます」
以前シンガポールに行ったのも、仕事でだった。
「乗っている時間は、7時間くらいだったかな……」
「はい。搭乗予定時間は7時間15分となっています」
独り言のつもりだったのだが……
「えっと、君は一緒に来るのかい?」
「はい、警護するように仰せつかっていますので」
ほんの話題提供程度のつもりだったのだが、どうやら本当に付いて来るらしい。
自分も行くから、詳しく覚えていたのかも知れない。
「僕は頼んだ記憶無いんだけど……」
「依頼は既に受託しておりますので」
……誰が依頼したんだろうか。
まあ、正巳君かマムしかいないか。
「誰の依頼かは――」
「申し訳ありませんが、守秘義務に反しますので、お答えできません」
「でも、僕は依頼主と同じ部屋に泊まっているんだよ?」
「申し訳ありませんが、直接の依頼主以外には、お答えできません」
……中々強情だ。しかし、これで安心も出来る。何が有っても、このボディーガードから情報が洩れる事は無いだろう。
「そっか、まあ良いや」
「承知しました」
一瞬、男が略式の敬礼の動きを取る。
受け答えと言い雰囲気と言い、この人は元軍人か傭兵なのだろう。
癖なのだろうが、時々今みたいに略式での敬礼をしてくる。
嫌ではないし頼もしいとも思うが、非日常的でどうしても目が行ってしまう。
「それじゃあ、空港に着いたら起こしてくれるかい?」
「承知しました」
その後、暫く車の中で揺られていたが、特に大きく揺れを感じる事が無かった。マムの運転で数時間を乗った身としては、比べられないくらいに素晴らしい運転と言える。
心の中で(マムにも安全で、滑らかな運転技術を吸収して貰わないといけないな)と考えつつ、空港までの間浅い眠りについた。
■□■□
その後、一時間ほどしたところで空港に着いた。
「搭乗時刻まで時間がありますが、ラウンジをご利用になられますか?」
「そうだね、そうしようかな。ここから入り口まで行くのかい?」
今居るのは空港の横で、業務用車両が通るような場所だ。
「いえ、ここから直接ラウンジへと向かわせて頂きます」
「直接? まあ良いか任せるよ」
特別悩むような事でもないので、任せる事にする。
その後、車が滑らかに移動して行くと、業務用車両が入る搬入口を通過した。
「ご利用頂き有難うございます」
「うん、ごくろうさま」
入り口にいる警備員に軽く頷くと、ゲートを通過する。
その後、駐車場や倉庫等の中を通過したが、その区間毎に警備のゲートがあった。しかし、それ等ゲートに関して最初に確認した以外は、それ以降全て顔パスだった。
その後ゲートはなかったが、その代わりに上り坂があった。
多分だが、2階か3階分くらいの高さを上がったと思う。
坂を上り切ったところで、車が止まった。
止まったと同時に運転手が、素早く後部席のドアを開いた。
「到着しました」
「……何処に?」
確か、ラウンジに直行すると言っていたはずだ。
「ラウンジへは、こちらの扉を入って頂ければ直ぐです」
運転手が指す方を見ると、開いたドアから数歩行った場所に扉が見えた。
「こんな風にラウンジに行くのは初めてだよ」
「何事にも、初めてが有るかと存じますので」
運転手の方を見ると、時折きょろきょろと周囲を見回している。
「どうしたんだい?」
「いえ、敵影を」
……敵影ね。
「まぁ良いさ。仕事なんだろう?」
「ハッ! あ、いえ。……はいっ」
何となくこのやり取りにも慣れて来た。
息を吐きたながら腰を上げると、当然のように運転手も付いて来る。まあ、案内してもらわないと困るのだからそれは良いのだが。ただ、乗って来た車を置いて行くのが、何となく乗り捨てるようで気になった。
「ところで、あの車はどうするんだい?」
「……はい。車は、鍵を渡す事で保管されることになっています」
今度は抑えたようだ。その様子に少し面白くなって口元を緩めると、短く答えた。
「なるほど」
■□■□
運転手が開けてくれた扉を入るとカウンターがあり、控えるようにして女性が立っていた。
全体的に上品な雰囲気の内装で、その全てが分かりやすく上質だ。
「ようこそ。ご利用いただきまして、真にありがとうございます」
こちらが観察を済ますのを待っていたのか、ちょうど良いタイミングで声がかかる。それに(見てくれだけじゃなく接客まで上質で上品なんだなぁ)と感心すると、頷くと共にひと言。
「うん、よろしく頼むね!」
それに丁寧なお辞儀をした女性が案内を始めた。
「こちらへお進みください。ロイヤルラウンジへとご案内いたします」
案内する女性に付いて歩き始めたのはよかったものの、程なく目的地に着いていた。もう少し案内を聞きながら散策したい気持ちもあったが……それはきっと、女性の声が心地よかった為だろう。
その場で周囲をぐるりと見まわすと、頷いて言った。
「うん、これは良い」
良いのは当たり前だ。それこそ、つくりだけ取っても、そこら辺のホテルのスウィートにすら引けを取らないだろう。そこに加えてこの接客が付くのだ。悪いはずがない。
「それでは、利用可能なサービスについてご説明いたします」
そう言った女性が、そのサービスについて説明を始めた。
「まず、手前に有るのは有名エステティシャンの在籍するエステでして――」
簡単な説明を受けたが、長くなりそうだったので軽くで良いと伝えた。
その後説明を終えた女性が「お時間まで、ごゆっくりとお寛ぎください」と一礼し戻って行ったが、聞いた内容を思い返しながら呟いていた。
「暇はしなさそうだね」
軽く説明して貰っただけでも、ラウンジ内に幾つものサービスがあることが分かった。恐らく、全てのサービスを利用しようと思ったら一日や二日では、とても時間が足らないだろう。
「スパやネイルなどが人気なようです」
すかさず運転手が合いの手を入れてくるも、それに思わず良いねと答えていた。
「そうだね、取り敢えずはスパにしようかな!」
徹夜したり神経を使う事が多かったせいなのだろう。今井自身、心身共に疲れが溜まっているのを感じていた。
これまでは限界が来るまで放っておいて、限界が来たら寝る──なんて事をしていたが、それは若かったからそれで持っていたのだろう。どこかで限界が来たら、体がおかしな事になってしまう可能性だってある。
時間までの間おとなしく、疲れを和らげる事にしたのであった。
「こちらへ」
運転手がそう言って案内してくれる。
「ほぉ、これは中々に本格的じゃないか!」
そこに並ぶ岩でできたベッドと、その横に並ぶ幾つもの最新機器を目にした今井は思わず顔をニヤケさせていた。もちろん今井が惹かれたのは、人がするマッサージの方ではなく、その横に並んだ機械の方……。
実は、今井自身マッサージ機を自作したりしていた。が、やはりその出来は精々が肩揉み程度。とてもエステティシャンに及ぶようなものではなかったのだ。
そこで行くと、見たところ目の前にあるのは最新機器。噂によると最近のメーカー製のマッサージ機は、プロ並みの腕を持っていると言う。それこそ興味を持つなと言う方が無理な話だろう。
「これが最新の?」
「はい、そちらはまだ一般販売されていない最新のマッサージ機でして──」
いつの間にか検証に入りかけていた今井だったが、途中でリラックスする為に来たのだと思い出し、今日は諦めようと首を振った。機械であれば後からでもいくらでも買えるだろう。今は身体を休ませる方が重要だ。
大人しくマッサージを受けに進んだ今井だったが、その様子を見ていた運転手は少し意外そうな顔をしていた。きっと、我慢できずに暴走するとでも思っていたのだろう。
(ふふふ、僕だってそりゃあいつも暴走するわけじゃないさ。僕だって大人なんだからね、流石にこんな場所でバラしたって中途半端になるだろうし、そもそも時間が足らないだろうからね。うん。……もう少し時間があったらなぁ)
その少し後ろに控えていた男は、そんな横顔を見ながらほんの少し表情を緩めていた。
■□■□
幾つかのサービスを堪能した今井は、近づいて来る気配に顔を上げた。
「そろそろ搭乗の時刻となります」
どうやら出発の時間らしい。
「うんそうだね、そろそろ行こうかな!」
運転手が歩き始めたので、後に付いて行く。
「楽ちんだな~」
荷物は愚か、チケットすらも持って来ていなかった。持って来たものと言えば、ポケットにあるイヤホンとスマフォくらいだろう。それこそ今までになく軽装だったが、いつもこれくらいであれば便利な事この上ない。
「さて、ぐっすり寝ようかな」
そんな事を呟くと、片道7時間の道のりを夢の中で過ごし始めたのだった。
◆◇◆◇
白い靄の中を走っていた。
時折襲い掛かって来る獣を倒しながら走っていた。
そして、白い靄を抜けた。
白い靄を抜けた瞬間、一歩先が崖になっている事に気が付いた。
冷や汗が流れ落ちる。
崖の下、底の方に岩が剣山のようになっているのが見えた。
……その剣山の切っ先に、何かあるような気がした。
何となく、見てはいけない気がした。
見てしまっては、もう二度と同じには戻れないような。
しかし、それでも見ない訳には行かなかった。
何となく見覚えがある気がしたから。
……目を凝らして見た。
ぼやけた輪郭しか見えない。
……もっとよく見ようとした。
眼に痛みが走る。
……それでも、見た。
それは、背中から剣山に突き刺さった"自分"だった。
「――っつはぁ、はぁ、はぁ……」
目が覚めると、朝日を再現したパネルの淡い発光と、横に熱を感じる。
「……移動して来たのか」
横にはサナが寝ていた。
昨日寝る前の時点では、リビングで皆と寝ていたはずなのに。
「……シャワー浴びて来るか」
部屋の空調とは別に、不自然に掻いた汗を流しに行く。
■□■□
シャワーを浴び、戻って来るとサナが起きていた。
「パパ……じゃなくて、おにいちゃ!」
「おいおいどうした?」
俺の姿を見つけたサナが、ベッドから飛びついて来る。
パパと言ったのはマムの影響だろうか?
「苦しそうにしてたの」
一瞬、何のことだと思ったが、もしかすると寝言で何か言ったのかも知れない。
何となく嫌な夢だったような気もするが、それも既に忘れてしまった。
「もう大丈夫だ」
ぎゅっとしがみ付いて来るサナの背中を擦りながら持ち上げると、そのままリビングへと向かう事にした。
途中でどこか不機嫌そうなマムが現れたので、それにどうしたんだと首を傾げた。すると、それに答えるように顔を向けると、少しモゴモゴした後で言った。
「パパと呼んで良いのはマムだけなのです!」
しっかり聞いてたらしい。
それに、一体誰が決めたんだかと苦笑しながら、話を変える事にした。
「それで、今何時だ?」
「今の時刻は8時を回った処です」
しっかり答えるには答えるが、どうやら誤魔化せないらしい。直ぐに「重要な事なのです!」と話を戻したマムは、その主張の中で正巳に『自分以外は"パパ"と呼んじゃダメ』と言って欲しいらしかった。
が、流石にそんな事を約束するわけにも行かず(そもそもどう呼ぼうと自由なのだ)、適当にあしらいながら今日の予定を確認する事にした。そう、今日の予定は──
先ず、この後スーツを受け取る。
次に、車に乗って取引先へ行く。
そして最後に、俺のアパートを確認して帰って来る。
アパートを確認しに行くと言っても、遠くから確認するだけだ。
中に持ち物を取りに行く訳でもない。
持ち物だったら、トラックに積み込んだモノがある。
──これで今日の予定は全部。
リビングへ入ると、既に大半の子達が起きていた。
まだ寝ている子達は皆、小さい子供ばかりだ。一部を除いて。
「テンは疲れているか……」
それに反応したミンが「起こしましょうか?」と言いながら、テンの頭の上に拳を振り上げた。
それに慌てて「いや、寝る子は育つ……子供は寝るのも仕事だ。そのままで良い!」と返したが、不思議そうに首を傾げる姿に思わず(同い年の女子は逞しいと言うか恐ろしいものがあるな)と苦笑した。
その横で「寝る子は育つの?」とサナ。「大丈夫、サナは特別なの。焦らなくても大丈夫」とミン。何やらよく分からない会話をしていたが、子供であっても女の子。色々とあるのかも知れない。
余計な詮索はしないでおこうと頭を振った正巳は、向き直ると言った。
「さて朝食を食べたら、一先ず昨日話してた事を聞こうか!」
それに「ハイ」「うん」「分かりました」「{**}? ……アい!」「お兄ちゃんと一緒なの!」と、それぞれが返事をする。一部ちゃんと話し合ったのか心配になる声も混ざっていたが、それでも一応自分で決めはした事なのだろう。
■□■□
朝食は、昨夜と同じようにマムを通して注文した。
流石に、ガッツリ食べられないだろうと思っていたが、育ち盛りのちびっ子達を甘く見ていたらしい。 昨日と同じくらいとは言わないが、通常の朝食の倍近くの量を食べていた。
「運動させないと、いつの間にかコロコロしそうだな」
単なる独り言だったが、それに首を傾げたサナが「コロコロ?」と聞いて来たので、少しふざけて「あんまり食べると、豚になっちゃうぞ?」と答えた。
当然悪ふざけの冗談だったのだが、サナが『!!』と驚いた顔をして子供達に伝えてしまった。その後一時恐慌状態に陥った子供達だったが、ミンに手伝って貰って、どうにか『運動すれば人間でいられる』と納得させた。
……コロコロとした子達も可愛いとは思うのだが。
■□■□
何だかんだとワイワイしていたが、落ち着いて来た頃合いを見て本題に入ることにした。
「さてみんな、どうする事になった?」
それに答えたのはミン。
「はい。13人の子供達が故郷に帰る事になりました」
正直、思っていたよりも多い。
「良いのか?」
攫われた子供もいるだろうが、恐らく、売られた子供もいる。
マムに確認したところ『子供からすると攫われたように見えるが、実際は裏で売られていた子供達もいます』という話だった。迷ったが、この話自体はミンに伝えてある。
しかし、どうやらそれを踏まえて考えた結果だったらしい。
「話し合った結果ですので。それに、私も付いて行きますから」
「そうか。ミンは皆を故郷に送り届けたら、その後はどうするんだ?」
俺が知っている限り、ミンは外交官だった父と母、それに妹を国に殺されている。
「私は……皆を送り届けたら、戻って来たいです。その、ココに……」
ミンが言う『ココ』と言うのは、位置的な事では無く"居場所"の事を指しているのは明らかだろう。つまり、ミン自身は戻って来たいと言う事だ。であれば正巳の答えは端から決まっている。
「ああ、お前たちの居場所はここにもある。歓迎するよ」
そう言って微笑むと続けて言った。
「頼むな、マム」
最後の最後でマム頼りなのが情けない気がしたが、そんな事も言っていられない。
「はいパパ。その時には、きっとマムの体も――」
もちろんですと答えたマムが何やら続けていたが、正直それを聞いている余裕はなかった。
「ぐずっ……ありがとうございまズ……」
言葉の途中でミンが泣き出してしまったのだ。それに手を伸ばしかけるも途中で抑え、テンをつついて別室に連れて行かせた。その後、サナに『誰が残って誰が帰るのか』を教えて貰った。
残ると言ったのは全部で8人らしい。
サナやテンは残ると知っていたが、13人もの人数がいっぺんに居なくなると、残るのもまた13人。数の問題ではないもののやはり家族が半分になると言うのは寂しいものがある。
「パパ、そろそろ時間です」
しんみりしているとマムから声がかかった。
それに頷いて答える。
「ああそうだな。それじゃあ、俺と今井さんが帰ってきたら皆を故郷に送る。現地まで行く事は出来ないから、今の内に別れを済ませておいてくれ」
そう言ってもう一度顔を一度見回すと、ゆっくりと部屋を出た。サナが途中まで付いて来たので、皆と一緒に居るように言ったのだが、結局『良くない事がありそうだから』と言って聞かなかった。
それに対して口を開きかけるも、そう言えばサナに「付いて来て良い」と言っていたなと思い出し、仕方なく連れて行く事にした。一応持っておけと、サナにはスマフォを渡しておいた。
必要があるかは分からないが、渡しておいて損はないだろう。
■□■□
昨日と同じく、カウンターへと行くと女性のホテルマンが立っていた。
「おはよう。スーツの用意できてる?」
そう言って話しかけると、一瞬サナへと視線を向けるも答えがあった。
「用意しております。こちらへ」
女性が誘導したのは昨日と反対側。目につかない場所にある扉だった。
「中にスーツが有りますのでお着替えください」
それに「ありがとう」と答えると、サナに外で待っているようにと伝えて着替える事にした。頷いたにも関わらず、当然のように入って来ようとしたサナだったが、係の女性に頼んで外に連れ出してもらうと、渋々ながら従っていた。
■□■□
「お待たせしました。さて、行きましょうか」
スーツの具合は完璧だった。
本当に合うスーツを着ると、自然と背筋が伸びると初めて知った。
「こちらへ」
そう言って促す女性に頷くと、後へついて歩き出した。
「お兄ちゃんといしょ!」
左手にしがみついたサナが重かったが、その笑顔には勝てなかった。何となく世の父親の気持ちが分かった気がしたが、直ぐに(あまり浮かれていると別れが来た時に寂しくなるぞ)と自分に言い聞かせた。
浮かれている心を落ち着かせながら進むと、駐車場に停まっている車へと乗り込んだ。
ごく普通の乗用車だったが、気持ちの面ではどんな高級車より良い車に乗っている気分だった。
さて、其々の出発を決めた訳ですが、
今後にどう関わってくるのでしょうか。
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