381話 シャフイル山の戦い【十二】
視界いっぱいに、真っ白でフワフワとした光景が広がっている。それに手を伸ばし触れると、見た目通り柔らかく、それでいて包み込んでくるような反応があった。
実は先ほど、拠点である飛行機体”ノワール”と合流したのだが、入り口が閉まるや否やどこからともなく現れたボス吉によって捕まっていたのだ。
心配そうに鼻先を近づけたボス吉がその先でつつくと、ブルリと身震いした後で体を寄せ、より一層密着する形へとその体勢を変えた。
どうやら、自分が嫌いな寒さの中から帰ってきた事で、心配が行動となって現れたらしい。
その様子に頬を緩めた正巳だったが、横にいたサナを見て、今度は苦笑する事になった。
「モッフモフなの!!」
手を目いっぱい広げた状態で、そのままボス吉の身体に埋まっている。普段であればすぐに逃げ道を探すボス吉だったが、どう言うわけか、珍しくされるがままになっていた。
興奮するサナに「程々にしておけよ」と伝えると、上昇し始めた機体から外を確認した。
「どれくらいで着く?」
「五分以内には」
それに難しい顔をして「意外にかかるな」と言うと、頷いたマムが「距離はそれほどありませんが、山脈を越える必要がありますので」と答えた。
恐らく、山頂付近の風の流れや、斜面の氷雪を計算しての事なのだろう。
はやる気持ちを抑えつつ、一度眼を閉じると深く息を吸い込んだ。
ここで自分が焦っても何の解決にもならないだろう。それこそ、自分が冷静でなくては、いざ駆けつけた先でも適切な行動が取れない可能性だって出てくる。
いま自分にできるのは、仲間の無事を願う事、そして信じる事なのだ。
「無事でいてくれよ……」
そう小さく呟くと、それまで夢中になっていたサナが顔を上げ、言った。
「大丈夫なの、おじさんがいるなの!」
それに「そうだな、ジロウも居るもんな」と答えつつ、心の中で(いつの間に”おじさん”になったんだろうな)と苦笑した。サナの言葉は、当のおじさんが気を失っていると知らずにした発言ではあったが、それを踏まえても何処かそうなりそうな不思議な安心感があった。
感情の波が落ち着いたところで腰に手を回すと、そこに装備していた一丁の銃を取り出した。
戦闘の中では使う事のなかった武器であり、使う事もないだろうと考えていた物だったが……どうやら、最後の最後でタイミングが来たようだ。
重さを確かめるように一度握り込むと、今度は装着されていた弾倉を取り出し、代わりに赤い帯の入った弾倉をセットした。この弾倉に込められているのは特殊な弾丸だ。
一度でも対象を捕らえれば、その体内に侵入し対象を死滅させる。
──完全に、殺す為の武器。そこに一切の猶予はないのだ。
それを見ていたマムが、心配そうな目をして言った。
「良いのですか?」
それに「大丈夫だ」と答えると、そもそもこうした不足の事態に備えての武器であって、仲間を守るためであれば決して躊躇するつもりは無いと続けた。
マムの心配は、この武器を受け取った際「あまり使いたく無いな」と答えた、正巳に対しての心配だったのだろう。確かにこの弾丸は、その性能を考える時使用するにはあまりに強力。
対象に対して、無慈悲にして”凄惨”とも言うべき結末を生み出す兵器だ。
結果が同じであれば、何を使おうと同じだと言う者もいるかも知れない。しかし、それは例外なく己で手を下した事のない人間。もしくは、そもそも人の心が欠落しているか、失ってしまった人の言葉だろう。
窓の外、吹き付ける風に目を向けると呟いた。
「最後の最後にとんだサプライズだな、まったく」
■□■□■□
その後、程なくして目的地上空へと着いた。
「ポイント上空へと到達。これより着陸態勢に入ります」
それに頷きつつ言う。
「先に降りる。ハッチを開けてくれ」
着いたと言っても、ここから地上まではまだまだ距離がある。ここから着陸するまで少なくとも後数分はかかるはずだ。その時間が惜しい。
正巳の言葉に応じたマムが、外へと通じるハッチを開き始める。きっとこうなる事も織り込み済みだったのだろう。「直ぐに合流しますので」と言うマムに頷くと、顔を前へと向けた。
三重構造で密封されていたハッチのうち最後の一層が開くと、その急激な気温差からか、冷気が勢いよく吹き込んで来た。
それに、しまったと思うも、背後に見たのは、吹き込んだ冷気それから逃げるようにして機体最奥へと消えてゆく”白い綿菓子”もといボス吉──そして、その綿菓子に絡め取られたサナの姿だった。
サナには悪いが、後から来てもらう他ないだろう。
薄い雲のかかった足元を一瞥すると、一歩踏み出した。
吹き付ける風は感じるものの、装備の性能が良いのだろう。全くと言って良いほど寒さは感じない。目の前に表示される数値が急激に変化して行くのを見ながら、衝撃に備え姿勢を整えた。
目の前を覆っていた煙が晴れると、地上までの視界が開ける。
上下反転しているためだろうか、まるで地上へと昇って行くような感覚に陥るが、すぐに赤く点滅し始めた数字を確認し、体を抱えるように引き起こした。
直後──ズズン。いや、”ズガン”と現す方が近いだろうか。体の芯を衝撃が突き抜けるのと同時に、そこに積もっていた雪と衝突──直撃、接着したのが分かった。
普段であれば落下低減システムを機能させているのだが、到着までのスピードを上げるため寸前まで切っていたのだ。その影響か衝撃も大きかったが、幾分か雪のおかげで抑えられた衝撃もあったのだろう。正巳を中心に、軽いクレーターのような物ができていた。
「さて、どこだ……?」
予定では真ん中に着けるつもりだったのだが、少しばかり座標がずれていたらしい。
「ズレたのか」
「いえ、この辺りのはずですが」
視界に表示された位置マーカーを確認すると、確かにすぐ近くを示していた。
「雪しかないが……」
ぐるりと見渡すも、視界に入るは一面の雪景色。
その姿を探し移動しようとした正巳だったが、何かに気づいた様子でマムが呟いた。
「おかしいですね、ジロウやアキラ含め各員の体温数値が下がり始めています……! そう言う事ですか! とういう事は……パパ、そこから離れてください!!」
何がどうしたのかよく分からなかったが、取り敢えず言われた通り座標から離れる方へ避けた。その直後、背後の雪が空宙へと持ち上がり始めたが、それを見て理解した。
「これは……なるほど、そういう事だったのか」
宙へと浮かび上がる雪とその中に見える面々。これは組み込まれた特殊機能の一つで、緊急時に機能する緊急装置の一つだ。訓練では何度か目にしていたものの、こうして外で見るとまた随分と異質に見える。
「でも、なんで宙空間亞導装置が動作するような場所に……埋まってたんだ?」
宙空間亞導装置──雪山で雪崩や崩落に巻き込まれた際、そこからの脱出に機能する緊急脱出装置。これまた既存の技術とは一線を隠す装置であって、非常時以外は多用しないよう決めた物だ。
正巳の言葉にマムが苦笑する。
「先ほどの着地で吹き飛ばされた雪が、雪崩のように覆い被さっていたようです」
どうやら、位置がズレたわけではなかったらしい。
「これは、一体何が??」
「おい見ろ、あれって正巳様なんじゃ……」
「間違いない兄貴だ! が、なんでここに?」
「あれだろ、駆けつけてくれたんだ」
そこに居たのはウェンにドウマ、カオルにキョウヘイ、四人ともジロウ班として行動していた面々だった。一先ず無事そうなのを見てホッとした正巳だったが、そこに見えない他のメンバーの姿が気になった。
浮遊していたのが降りてくるのを確認し、聞いた。
「お前ら、他の奴──ジロウとアキラ、それにショウマと……タゴだったか? はどうした? 化け物が出たと聞いて来たんだが、その化け物はどこだ?」
その言葉にハッとした様子に変わり、口を開いた。
「そうだった。早く探さないと!」
「いや、あの瞬間隊長がトドメ刺した筈だ」
「ショウマはどうした?」
「アキラの治療があったからな、タゴに変わってもらったぞ?」
「何? それじゃあまだ下か?!」
慌て始めた面々に、一度落ち着くように言う。
「落ち着け、取り敢えず化け物はどうにかしたんだな?」
それに頷いた面々だったが、いまいちハッキリとしない。
「殺したのか?」
改めて確認するように問うと、それにウェンが答えた。
「いえ、隊長がナイフを化け物の脳天に蹴り込んだ瞬間は、確かに見たんですが……その直後雪崩のような……その、兄さんが空から降って来たわけでして……」
どうやら原因は正巳達にあったらしい。それに、すまなかったなと謝ると、一先ず決着は着いたらしいとホッとした。いくら化け物であっても、命がある以上頭を貫かれて無事と言うわけにはいかないはずだ。
絶対にと言えないのが怖いところではあるが、その結果を確認するためにも、姿の見えないメンバーの無事を確認する必要がある。
「しかしジロウ、ショウマ、アキラの三人はともかく、タゴが上がってこないと言うのはおかしいな」
それにマムが答える。
「タゴに関しては、どうやらショウマを抱えたまま吹き飛ばされていたようです。あちらに……」
その言葉に視線を回すと、気を失っているらしいショウマとそれを抱えたタゴが、こちらへと向かってくるのが見えた。二人とも無事だったらしい。
その様子を確認し、安堵の息をつくと続けて確認する。
「それで問題のアキラとジロウはどこだ?」
「恐らくこの下です」
「ナビゲートしてくれ、みんなで掘り起こすぞ!」
「はいパパ!」
「おう!」
「分かった!」
深さにして二メートル程だろうか、雪を退けている最中、到着した機体とその中に乗っていたメンバーも合流していた。前もってマムから状況の説明を受けていたらしく、人手があったのも合間ってすぐに見つけ出せた。
一歩出遅れていたサナは、単純に雪を掘り起こす作業が楽しかったのか、嬉々として掘っていた。手が小さいのもあるのだろう。それほど掘れてはいなかったが、その様子は雪遊びをする子供そのものだった。
一度その場を他のメンバーに任せ、機体の中へと戻った。
「大丈夫か?」
「ああ、もう大丈夫だよアニキ」
見つけた当初、体温が低下して意識が朦朧としていたアキラだったが、暖かい毛布もといボス吉に包まりドリンクを飲んで回復して来たらしい。怪我をしたという腕のあたりも大丈夫そうだ。
「おう、回復したな」
やって来たジロウがそう言ってアキラの頭に手を置く。
発見した当初ジロウの方が重傷のようにも見えたが、呆れたことに回復用の薬を一本飲み干すとケロリとしてスクワットを始めていた。体の調子を確かめるため、病み上がりのトレーニングを始める辺り誰かに親近感を覚えなくもないが……それは言わずもがなの事なのだろう。
薬を一本飲み干した事については、マムが「また過剰治癒反応を起こしますよ」と呆れていたが、その後の反応を観察しながら「これは面白いですね耐性が上がったのでしょうか、マスターに報告ですね」と呟いていた。正直、ジロウが実験台になる未来しか見えなかったが、その時はそれとなく助けてやろう。
その後、ジロウとも二、三言葉を交わした。中心となったのは主に報告だったが、その中で聞いた二人の最後──ニーナとアロウドの最後は、忘れぬよう心に刻んだ。
「悪いが、遺体は一度戻ってから収容する事になる」
「ああ分かってる。二の舞踏んでちゃ仕方ないからな」
表面上は変わった様子はなかったものの、これもまた職業柄なのだろう。一瞬遠くへ視線をやったジロウに心を寄り添わせつつ、その最後をきっちり送り出してやりたいと思った。
「葬式に関しては──」
話の途中だったが、聞こえてきた声に中断する事となった。
「短いモフモフー? ゴワゴワしてるの見つけたなの!!」
その声はサナのものだった。
反応が早かったのはジロウとアキラ。
「ダメだサナちゃん!」
「離れろサナ!!」
その様子から、向かった方が良さそうだなと歩き出す。
「サナ、一応死んではいるようだが……」
外へ出て目に入って来たのは、何か巨大な生き物の足とそれを掴んで持ち上げるサナの姿だった。
「これ見つけたなの!」
そう言って、その足を掴んだまま向かってくるサナ。
その半身は雪に埋もれたままだったが、サナの手によって引きずり出されて行く。こうしてみると確かに二足歩行、もしくは四足歩行で移動する人型の生き物だとは分かるが、そのサイズ感からして普通ではない。
「おいおいサナ、それはそこに置いて……っ、コイツ──!」
ふとその頭へ目を向けた正巳だったが、その片側に刺さったナイフと反対側の瞼が瞬いたのを見逃さなかった。その瞬間、脇の銃へと手を伸ばしたが……その直後起きた出来事に、咄嗟に反応ができなかった。
脇から引き上げた巨大な両腕を、持ち上げたかと思ったら頭の後方へと放り出したのだ。
格好から言えば、足を広げ腹を出し、腕を放り首を見せる。それはさながら戦う意思がないことを示す”降伏”のポーズのようであり、逆らう意思のない”服従”のようにも見えた。
「……これは、なんなんだ?」
数秒経っても動く様子のないのを確認しそう呟くと、どこから持ち出したのか拘束用のワイヤーとそれを担いだマムが来て言った。
「どうやら怖がっているみたいですね……あ、ほら」
その言葉の後、チョロチョロと何か水の流れるような音がした。
視線が集まる中見ると、目の前の巨体をした化け物が、その股の間から液体を漏らしていた。何となくそのまま見ているのも、ここで手を下すのも可哀想に感じて呟いた。
「もう暴れる気はなさそうだな」
少し前まで死闘を繰り広げていたメンバーも、そこに出てその様子を見守っていたが、一連の出来事とその様子を見ると最早、呆れを通り越し笑いが込み上げて来たようだった。
──こうして、雪山を舞台にした初めの代理戦争及び、その延長線上で起こったアクシデントは終わりを迎えた。




