373話 シャフイル山の戦い【四】
視点が変わります。
吹きつけるように舞っていた吹雪が、いつの間にか巻き上げるように変わっていた。恐らく山頂が近いのだろう。かなりのハイペースで進んで来たが、ここらで一度休憩を取る必要があるかも知れない。
後方をチラリと見ると、その後に続く輪郭が見えた。肉眼では腕を伸ばした先、その指先ですら霞むほどの吹雪だったが、こうして問題なく見えているのは新調した装備のおかげだろう。
山頂を越えた辺りで一度休憩を取るぞと伝えると、すぐに了解したと返事が来た。
ちなみに視界をサポートしているのは、スーツに付随した機能、通称"プロビデンスアイ"ともう一つ。眼球を保護する形で角膜へと装着された"ナイトビジョンフローター"だ。
プロビデンスアイの方は、その機能を周囲の地形や人や動物の認識に特化している。それに対しナイトビジョンの方は、その名の通り夜目が効くよう、その見え方の補助をしている。らしい。
全て、あの少しネジの外れた女の話していた事だが……確かに、話の通り便利で凄いものだ。
「弟が信頼するだけの事はある」
あの女に関して言えば、ほぼ初対面にも関わらず酷い思いをさせられた。今でもあの"試運転"という名の恐怖体験を思い出すことがある。
だいぶイカれた部分がある様にも感じるが、それを抜きにすれば、まぁ良い女寄りだとも思う。
「人を見る目はあるんだろうな」
そう呟いた後で、何だかんだ自分も弟(と言うには出来が良すぎるが)を高く買っているんだなと気付かされる。何でもと言うわけではないが、弟がそうだと言えばそれをすんなりと納得する自分がいるのだ。
柄にもなく余計な事を呟いてしまったが、それもこんな状況であればこその独り言だ。これが普段であれば、何処からか聞きつけたサクヤが飛んで来ては、ブラコンだ何だと弄って来るところだろう。
タチが悪いのは、「お前こそ」と返しても何の言い返しにもならない事であって、却って「そうだけど?」と開き直られる事。おまけに、何の対抗心か黙っていると、自分の方が弟のことを知っていると話し始める事だろう。
まったく、何の罰ゲームだよと言うところだ。
「……まぁ、たまになら悪くは無いんだけどな」
そう呟いて、そう言えば(これは回線が繋がったままだったか?)と少し気になった。流石にこんな断片的な呟きからその内容を察される事は無いと思うが、そんな事になっては切腹ものだ。恥ずかしい。
何となく、背後からの視線を感じる気もするが……きっと気のせいだろう。
その後少し進むと、山頂らしき輪郭が見えて来た。山頂と言っても一点を頂点にした山の形では無いので、どちらかと言えば「登り斜面の途切れ目」と言う方が分かりやすいかもしれない。
そのまま登り切った所で、休息を取るにはちょうど良さそうな場所があるのが見えた。
楕円形に窪み、まるでちょっとした広場のようになっている。普段であれば、敵の存在を意識して決して選ばないような場所ではあったが、この天候にこの視界だ。問題ないだろう。
「あの位置で休憩を取る。二人は、この位置から目標までのルートを再確認。もう二人は周囲の警戒だ」
それぞれ動き出したのを確認して、自分は他部隊へと報告を入れる事にした。
■□■□
「どう言うことだ?」
その後、合流したアキラ達にも試してもらったが、どうやら別部隊へ通信が繋がらないらしかった。以前であればいざ知らず、ことハゴロモに属するようになってからはおそらく初めての事だろう。
そもそも、ハゴロモには"マム"と呼ばれる人工知能が居て、デジタル面での全てを担っている。絶対など無いとは分かっているが、それでもこの存在であれば不可能はないのでは無いか、そう思わせられる力を持っているのだ。
「そう言えば、少し前から"声"を聞かないなとは思っていました」
そう言って首を傾げるのは、アキラ班の班員でショウマと言う青年だ。
この青年は、元々半身不随の状態であったが、その体の三割ほどを人工筋肉によって補強再生する事で、驚異的な身体能力を得ると共に日常生活を補助なしで行えるようになっていた。
ショウマの言葉に続いて、他の班員からも同様の声が上がるが、確かに言われてみればそうかも知れない。
「ジロウ!」
その声に振り返ると、そこに居たのは先ほど目標までのルート確認を頼んだメンバーだった。その声から良い報告でない事はすぐに分かったが、聞かないわけには行かないだろう。
聞かせろと言うと、それに応える形で報告があった。
報告は半ば予想した通り。
「なるほど、どうやら完全に通じないみたいだな。ルートの再計算すら出来ないとなると、それ以外のサポートも望めないだろう。ここまでのルートと事前に確認していた位置関係からして、目標の大まかな場所は分かるが……」
そう言って視線を向けると、それにアキラが頷く。
「そうだな、これが敵の仕掛けた"罠"だと考え、迂回するほかないだろうな」
時間はかかるが、それでも事は確実に成してこそだ。
方針を決めた所で一度集合をかけた。
「集まってくれ、計画に変更がある」
それに応じて休んでいたメンバーが集まって来た。
その中には、警戒を指示していた班員も含まれていたが、何故か返事があったのは二人のうち一人だけだった。様子がおかしいと感じたジロウは、アキラと視線でやり取りすると言った。
「おいニーナ、アロウドはどうした?」
「えェァ、戻ってテぇエいィないんですかアァ?」
「ああ、戻っていないが……」
声をかけている間、アキラとその班員が周囲に展開し始める。
「アぉロウドそうダ、隊長にぃ報告がぁアあぁダァあァ」
「聞こえにくいんだが、それはどういった報告──」
そこで言葉を止めたジロウは、その光景に思わず息を呑んだ。
「おい何の冗談だよ」
そこに居たのは、肩のあたりの骨が異様に発達し"異形"の姿となった怪物だった。
何かの冗談や出来の悪い悪夢ではないのか──とそう考えるも、その腹部の引き裂いたような傷と辛うじて確認できたその表情から、これはどうやら悪夢より悪夢らしい現実だと知った。
どうしてこんな姿になってしまったのかは分からないが、どうやら自分の知りえぬ領域で何かとんでもない事態が起こっているらしい。こんな時、あの全能感すらある人工知能に繋がれば助かるのだが……。
「くそ、てめえら! ニーナは死んだ!」
込み上げてくるすっぱいものを飲み込むと、そう叫ぶや否や携えていたブレードを抜いた。
その腹部の傷と、最早服の機能を成していない布切れを見るに、恐らくニーナはこうなる前にどうにか自分を止めようとしたのだろう。あれはそういう傷だ。
二枚刃になっているブレードを正面に構えると、振り下ろされた異形の腕へとその刃を振るった。
「ツッ──」
その剣線通り、腕がその根本から断ち切れるのが見える。
恐らく、その大きく肥大した異形の腕を失った為だろう。バランスを崩したのが見えた。当然、その隙を見逃すはずがない。よろけた背へ回ると、その膝を蹴り抜き体勢を崩した。
『ズゥン』
振動はないが、沈んだ雪の厚みでその重さがわかる。
「隊長!」
「分かってる」
かけられた言葉にそう返すと、振り上げた刃を寸分の狂いなくその首元へと落とした。
その瞳から光が消える瞬間、口元が僅かに動いた気がした。
「埋葬はあとだ。先にアロウドを探す」
アロウドとニーナとは長い付き合いだ。それこそ、自分たちがオヤジに拾われ、その直後戦災孤児として連れて来られたのがこの二人だった。込み上がって来る感情はあったが、あくまでそれを無視する。
「こっちに来て下さい!」
どうやらショウマが見つけたらしい。
その様子からして生きてはいないのだろう。
「……くっ、確かにアロウドで間違いない」
そこにあったのは、どうしてそうなったのか内側から引き裂かれたような傷跡と、それによって即死したであろう男の死体だった。不思議なのは、どうしてアロウドがここで死に、それに対してニーナはあのような異形の姿へとなりつつも生きていたかだ。
その差から原因が探れるかも知れない。少なくとも、ここに何か手がかりがあるはずで──
「壁ですね」
言われて気がついたが、確かに壁がある。
明らかに人工物であって半壊しかけているが、確かにそれは壁。
しかも、不自然な事にその周囲にだけ雪が積もっていない。
自分が目の前にしているのは、いったい何なんだとパニックになりかける。が……それも、ふと視線を向けた先──ショウマを見て、血の気が引くと共に我に返った。
どうやら、事態はまだ収まっていないらしい。
「お前ら壁から離れろ!」
状況から見てこの壁に近づいたことが原因だろう。
急激に肥大化した脚部がスーツを破るのが見えた。周囲のメンバーが退避するのを確認しながら、咄嗟に治癒薬を二本取り出すと、一本を剥き出しになったショウマの足へ、そしてもう一本を自分の首元へと打った。
「グッ、ぐぁぁぁ……」
込み上げる激痛に耐えつつショウマを抱え上げると、そのまま体を引きずるようにして離れた。
混濁してゆく意識の中思い出していたのは、アロウドとの思い出。
アロウドはハゴロモに来る前、ニーナが失った腕のことを気にしていた。
その後、しばらくしてハゴロモに合流する事となり、ニーナも"新たな腕"を得て……ようやくアロウドの奴も『負い目を感じず堂々と告白できる』とそんな事を話していた。
結局、アロウドがニーナに告白したのかは、どうなったのかは聞かずじまいだったが、その様子を見れば聞かずとも答えは明らかだったのだろう。
……許してくれ、これは俺が背負う罪だ。
意識が途切れる瞬間、薄れゆく視界の中並ぶ二人を見た気がした。
その中での二人は、少し残念そうな顔をしつつもしっかりと手を握っていた。
──またな、そう言った気がした。




