372話 シャフイル山の戦い【三】
前回に引き続きニース(敵兵)視点です。
隊長の話によると、どうやら敵側に動きがあったらしい。
「観測したのは日付の変わる三時間前。つまり、既に五時間が経過しているわけだ」
不思議に思ったニースだったが、それに答える形で話が続く。
「言いたい事はわかる。けどね、お前達も知っている通り外はこの天候。到底任務に当たる処の話しではないのさ、それこそ生存第一で凌ぐしかないほどの状況だからね」
そう言って「正常な人間であればそれが素人だって、まさか数時間、下手したら数日以上かかる攻勢をかけようなんて思わないだろう?」と続けた隊長に、なるほど確かにその通りだなと頷く。
「なるほどな、それで知らせて来なかったのか……」
言葉の上では理解を示したドルゲンだったが、やがて眉間に皺を寄せ始めたかと思うと言った。
「だとしてもだ、現場を馬鹿にしてんのかよ。判断するのはこっちも同じだってのによう」
それに表情を緩ませた隊長だったが、一つ頷くと答えた。
「ああ。だけどもうそれも大丈夫さ。僕が言って、どんな些細なものもその全ての情報を寄越すよう言って来たからね。それこそ、どんな小さな異変だって知らせて来るだろうさ」
どんな脅し方をしたのか分からないが、自分の知る中で隊長以上に頭の切れる人を知らない。それが他の事であればまだしも、こと戦闘時に於いてはこれ以上に安心できる事はないだろう。
「それで、それだけなのか?」
何となく嫌な予感がして言うと、それに嬉しそうな顔をした隊長が言った。
「さすがニース察しが良いね。実はここからが本題なんだ」
この感じ間違い無いだろう。
「……それで、何処が交戦中になったんだ?」
そもそも、互いに拠点の位置は把握していない前提なのだ。自分達のように、予めフィールドへ仕込みをしていれば別だが、そもそも拠点を見つけ出すなど到底ありえない。
それに距離もある。これが例え好条件好天候であったとしても、距離を考えればかなり早いペースで移動していないと不可能なのだ。それでも、そんな不可能を横に置いてそう結論づけた。
そもそも、一国で世界を敵に回すような国が普通であるはずがないのだから。
「ふふ、本当に察しが良い。結論から言えば、戦闘に入ったと通信が入ったのはミラウレス平丘の方だ。向こうにも古参が居るから大丈夫だとは思うけどね、最悪数だけでも減らして欲しいかな」
古参と言うのは、兵士としてのではない。ここで言っているのは、自分達と同じ特別な兵士としてもと言う意味だ。それに頷きながらも首を傾げた。
「数?」
事前情報では全部合わせても六十弱、こちらの兵数からすればほんの20%足らずだった。その上で数というからにはそれなりの兵数が出て来ているのだろうか?
隊長が頷く。
「うん、探知でかかったのは全部で二十二。仮に全部向こうに向かった訳でなくても、少なからず割いてるはずだからね」
なるほど、確かに全兵力の三分の一が出て来ていると考えると、ここでしっかり叩いておきたいところではある──そう考えて頷きかけるも、ふと前回の戦闘を思い出して呟いた。
「なあ、ここはまだしも通信基地の方は大丈夫なのか?」
あの時は一人相手に自分達三人がかかりっきりになり、それでも倒せず、あろう事かイヴァンがやられた。全員があの強さと言う事はないだろうが、仮にそうであればまずい事になる。
それこそ、この基地すら──隊長が帰って来た事で最適化されるとしても──完全ではない可能性がある。そもそもだ、この基地にいる兵士たちもその半分以上が急拵えな出来損ない。
全員が強化兵士と謳って入るが、その実この半年間で無理矢理増産しただけのハリボテだ。確かに普通の兵士とは比べるべくもないが、いつ限界が来て壊れるか分からない。
それでもきっと、上の人間からすればそんなのは関係のない事。構った事ではないのだろう。その全部が死んだとしても、全て終わればこう言うはずだ『祖国の為に命を捧げた名もなき英雄達よ永遠なれ』……全く、本当にクソッタレだ。
どうやら、全て(心の中で)吐き出すまで待っていたらしい。顔を上げると、それに微笑んだ隊長が言った。
「先にこの拠点に関して言えば、最悪僕ら以外は全滅するかも知れない。ここに着くまでにデータを確認させてもらったけどね、勝率は限りなく低いと思って間違いないだろうね」
冗談かとその顔を見るも、その顔を見て本気で言っているのだと理解した。
「マジかよ……」
血の気が引いてゆくのを感じたが、それを見た隊長が続ける。
「そうさ、それこそ前回接敵した時、君達全部が死んでなくて良かったよ。もしそうなっていたら、それこそ死の行軍する事になっていただろうからね」
死の行軍、つまり死を前提にした作戦だ。
ぞわりと何かが身体を通り抜けた感覚があって見ると、鳥肌が立っていた。堪らず両腕をさすったニースだったが、隣にいたドルゲンは続きが気になったらしかった。
「それで隊長、通信基地の方はどうなんだ?」
ニースとしてはそんな事もはや聞くまでも無い事だったが、どうやらその予測さえ今回に限っては当たらないらしかった。頷いた隊長が続けた言葉に思わず聞き返した。
「それなら問題ない」
「問題ない?!」
何が問題ないんだと言いそうになるも、グッと抑えると隊長が続けた。
「ああ、問題ないよ。あそこに辿り着くには、向こうからだと必ずあの峠を通るからね」
一瞬何を言っているのか分からなかったが、すぐに思い出して言う。
「それはディアトロフ峠の事か?」
それに頷いた隊長が続ける。
「そう、──悪名高きディアトロフ。そこに住まうは悪魔なり。望む者には試練を与え、その対価に魂を欲す。得るには得るがそれも残らず後の事、全てを得るのはディアトロフ。そこに悪魔が住んでいる──ってね、まぁそんな事であそこは問題ないのさ」
聞きながら首をかしげたニースは、思い出しながら言った。
「得るって何のことだ? 俺が聞いたのは『己を喰らい引き裂く誘惑』だったが」
すると、それを聞いて何を考えたのか笑った隊長が言った。
「フハハハ、どうやら君の友人は優しいらしい。確かに、最終的にそうなるんだから、そう言ったほうが良いだろうね。そもそも、望もうと望まなかろうと関係ないしね!」
その言葉に何か知っているのかと聞きそうになったが、その表情を見て聞かないでいた方が良さそうだと思った。世の中には知らない方が良い事が腐るほどあるが、これもその一つなのだろう。
痺れ始めていた足をさすると、他の兵達にも備えておくよう伝えてくると言って歩き始めた。数歩進んだところで呟き声が聞こえたが、何となく自分達の根幹に関わる事な気がして、聞かないようにと意識的に思考を外した。
「──まぁ、私たちはそのギフトを得ている訳ですが」
後から伝わって来た音は、ただの波として通り過ぎて行った。




