367話 境界線
「わー真っ白なの!!」
小さな窓から外を見たサナが、歓声を上げ突っ込もうとしている。先にあるのは扉。その外は、水を撒けば瞬時に凍り付き、地に落ちる前にパウダー状になるようなそんな極寒の地だ。
「サナちょっと待て、今開けると――」
「まっし……」
「ふみゃっ!?」
制止するも間に合わず、開け放たれた扉とそこから吹き込んで来た凍えるような冷気に、近くに寝ていたボス吉が跳び上がった。どうやら、油断していた所に直撃したらしい。
奥へと消えて行ったボス吉を見送ると、呆気にとられた様子で固まっていたサナに言った。
「取り敢えず閉めるぞ」
「……なの」
閉めると同時に、吹き込んでいた冷気も止んだ。が、時すでに遅かったらしい。一瞬の間に吹き込んだ冷気が、強烈な目覚ましとなって、その先で休んでいた仲間へと届いていた。
聞こえて来る悲鳴やら話し声やらを聞きながら、まぁ丁度良い眼覚ましになったかもなと息を吐くと、未だに首を傾げたままなサナに苦笑した。
「そうか、サナもここまで寒いのは初めてか」
以前傭兵として働いた期間が三年あった。その時に、山岳地帯の山頂付近で雪の中キャンプと言う事も、あるにはあったのだ。しかし、それと比べても段違いに寒い。
何と表現すれば正確に表せるか難しい処だが……こう、"触れた部分の肌が凍る"感覚と言えば良いだろうか、寒いレベルが違うのだ。ボス吉を連れて来たのは失敗だったかも知れない。
起きて来た面々と軽くストレッチを済ませると、朝食を摂る事にした。
朝食と言っても携行食だ。
流石に拠点で食べるような物とは違ってくる。それでも文句が出て来ないのは、それで十分すぎるほど満足できる食事と言う事だ。見た目はともかく味は保証できる。
この携行食も、持って来ているだけできっちり人数分三か月分は確保している。
いよいよとなれば食糧生産プラントの内、最も小型化された物を持ち込めば良いが……流石に戦闘がそれほどまで長期化する事は無いだろう。
朝食を終えれば、いよいよ三日後となった開戦へ向け準備を始める事となる。と言っても、これは第二段階目。昨夜到着した時点で既に、重要な一手目は打っている。
夜安心して休めたのも、この"対策"があったからだが……ここで明らかとなる結果次第では、開戦迄の準備の仕方が変わって来るだろう。
横で皆と同じように食事を摂っていたマムに、それとなく聞いた。
「それでどうだった?」
チラリと目線を上げたマムが、何処から取り出したのか真っ白なハンカチで口元を拭うと言った。
「やはり予想通りでした」
正巳が聞いたのは、事前に予想していた可能性の事だった。
それは『何らかの形で向こう側に有利な状況を用意している』可能性。昨夜到着した時点で報告を受けていたが、その時点では「何らかの監視機能が働いている可能性」だった。
これに気付いたのは、到着と同時に散布し始めたナノマシンの成果だったが、そこに加えて「予想通り」と言う事はつまり既に向こう側に正巳達が到着した事が伝わっていると言う事だ。
情報は力だ。この状況が芳しいとは、とてもではないが言えないだろう。
「と言うと、この地帯にはすでに?」
こくりと頷くマム。
それを確認した正巳は、率直に残念だなと思った。
「そうか、向こうが約束を守るならと思っていたがな。どうやらこちらの、期待のし過ぎだったらしい。ちなみに、何らかの手は打ったか?」
首を振ったマムに「それで良い」と頷く。その後、少し考えて口を開きかけた正巳だったが、集まっていた視線にそうだったなと頷いた。
「予定では開戦後、数日を斥候に使う予定だった。が、その予定を変更し今夜から作戦を始める事とする。戦闘自体は開戦時刻まで禁止とするが、その他の"準備"は進める。良いか?」
それに応えた声に頷くと、早速マムに言った。
「境界線で留めていたグルジアと、その分布域を全領域へと変更。見つけた敵保有機は捕捉しつつ引き続き手は出すな。相手に『上手く行ってる』と思わせるんだ」
グルジアと言うのは、ナノファクトリーの一種で球体状をした個体の個体名。境界線と言うのは、両陣営が開戦迄越えないと約束したラインの事だった。
正巳の指示に「分かりました」と答えたマムだったが、正巳の顔を見ると続けて言った。
「それにしても、隠していれば見つからない。とでも思っているんでしょうかね。それも、あちらで決めた中心線"境界"を破ってまで危険を冒して来るなんて」
マムが言うには、そのケーブル類は雪の積もった遥か下。土の中に、ご丁寧にコンクリートの"道"を作って設置されていたらしい。
「いや、きっと今回見つけたのは、この場所に決まる前に設置された設備なんだろう。指摘しても『約束は破っていない』とか言って否定して来るだろうな」
姑息ではあるが有効でもある。
「なるほど、確かにログを辿れば……。この場所に決まる前に開設されたみたいです。でも、これも最後に設置された物なんか、この場所に決まるひと月ですよ?」
「ははは、それは露骨だな。よっぽど焦ってたんだろうな」
笑う正巳にマムが言った。
「でも、宜しいのですか? 場合によっては、見せたい物を見せる事も出来ますが」
マムが言っているのは、相手に取って都合の良い状況を演出したり、実際とは異なった情報を掴ませてはどうかと、そう言う事だろう。これをすれば、油断を誘ったり混乱を引き起こしたり出来る。
確かに、戦術としては有効な手だろう。
場合によっては、この一手が戦況をより有利に傾かせる可能性だってある。
では採用するか、その答えは否。これが通常の戦闘、勝てば終わりの戦闘であれば迷うまでも無く採用だった。だが、残念ながら今回の戦闘に関しては、そう単純な物では無いのだ。厄介な事に。
今回に限っては、勝つことが前提にあって、そこに加えてある"注文"が付いている。
それは、はっきりと実力を示す事。
これまでがそうだったが、ハゴロモはソフトの面でもハードの面でも圧倒的であると、はっきりそう示さなくてはならないのだ。
それこそ「今回も情報の錯綜が原因で負けた」等と言われては、近い将来再戦を挑まれかねない。そんな事になれば、それこそ何のために今回戦うのか、血を流すのか、その意味が分からなくなるだろう。
――そう、今回の戦争は、同じ戦争であっても違う。圧倒的な力を見せつける"覇者的勝ち方"でなくてはならない。戦っても敵わないと、そう思わせなくてはならない。
少し前までは認めさせるだけでも良いと思っていたが、もはやそのステージにはいないのだ。
マムに頷いて応えると言った。
「今回はそのまま見せてやれ。何なら、こちらを探ってる機器の精度を上げてやっても良い。その上で正面から叩き潰す――それくらいで良いんだ」
それに、拠点待機組の安全に関しても十分に考えてある。開戦後、例えこちらの拠点へ辿り着く者がいたとして、その切っ先が届く事は決して無いだろう。
朝食の匂いに釣られたのか、出て来たボス吉に微笑むと言った。
「さあ、お代わりの分もあるぞ」




