348話 隔壁の誤解
捕虜のいる区画は厚い"隔壁"に閉ざされていた。
隔壁と言っても、捕虜を閉じ込めるため特別に用意したものではない。元から一定の区域ごとに設置されたもので、建造の際の名残。通常時収納されている防護壁だった。
巨大な隔壁の内、通用路を抜けると視界が開ける。
飛び込んで来る明かりの向こうに、天井まで三十メートルはある空間と、そこに"仮り組み"された街並みがあった。どうやら現在この区画は"昼"の設定らしい。
「明るいな……」
降りそそぐ明かりに目を細めると、気のせいか光が落ち着いた気がした。
横を見るとマムが微笑んで来るが……マムの事だ、正巳の様子を見て明るさを調整したのだろう。有難いと言えばそうなのだが、一々そんな事で光量を変えていては切りが無い。
余計な気を使うなと言ってみて、少し気になった。
「この中が"昼"なのは、何か理由があるのか?」
てっきり防犯的な面――脱走されても昼夜逆転しているから~とか、体内時計を狂わせておく事で~とか、そう言った理由かと思った。しかし、どうやら違ったらしい。
頷いたマムが答える。
「暗くするとパニックになるらしく、仕方なくずっと明るくしているんです」
それに首を傾げる。
「暗くなるとパニックに?」
「ええ、……何故でしょうね」
その様子から、これは(原因を)知っているなと苦笑する。
「パニックの原因か……暗くなるとパニックになる。でもって、明るければ問題なくて……」
少し考えてみて、そう言えば最近、怖がらせてどうこうって事があったなと思い出す。
「そう言えば、戦闘の終盤で――」
「そろそろ行きましょうパパ!」
答え合わせしようとするも、すかさず話題を変えるマム。これでは言葉にしなくても正解だと言っているようなモノだろう。露骨に焦る様子に頬を緩めると、そうだなと歩き始めた。
……マムは少し誤解している。
捕虜がパニックになるのは、確かに終盤に実行した作戦が関係しているのかも知れない。
しかし、そもそもが"戦争"なのだ。攻めて来た相手を"撃退"するとなれば、普通どちらかに甚大な被害を出す――つまり、かなりの数の敵兵士を"戦闘不能"にする必要があるのだ。
戦闘不能というのは、命を奪う必要が無いまでも、ほぼほぼ選択肢が絞られる行為だ。そんな中取ったのはその難しい方、命を取らずに撤退させる方法だった。
よくやったと褒めさえすれ、責める事などあり得ない。
右手側を歩くマムの頭を撫でると、驚きつつも頬を緩め、口元を引きつらせている。その混乱した様子に笑うも、チラリと視線を動かしたマムに頷く。
左手側を歩いていたフィナの手を引くと、そっと反対側に移動させる。
「つっ!」
直後人影が飛び出すも、それに身体を半身にして対応する。
その様子からして、フィナを人質にとでも考えていたのだろう。
突き出された拳と、逆手に握られたナイフをいなす。
「くっ!」
体勢を崩した襲撃者だったが、流石に闘い慣れしているらしい。
そのまま体をひねると、今度は斜め上からのかかと落としを仕掛けて来た。
恐らくこれは、次の動きに繋げる為のつなぎだろう。
そのまま避けるのが楽だったが、それでは相手の想定内――。
「甘く見られたもんだな」
短く呟くと、斜め上から迫るかかと落としを掴んだ。
「っあ?!」
戸惑った様子に構う事無く、そのまま無理やり振り飛ばした。
飛んで行った男にその先で響く衝撃音。
「やりすぎ……じゃないよな?」
手加減したものの少し不安になるも、それに大丈夫ですとマムが頷く。
「残りはどうしますか?」
突っ込んで来た男とは別に、周囲でタイミングを計っている者たちが居るのだろう。ぐるりと見回してみて「来たのは全部か?」と聞くと、「半分ほどですね」と答えがあった。
どうやら残りは別の場所に居るらしい。
「意見が分かれたのか?」
一見してイレギュラーとも取れる状況ではあるが、こうなる事は前もって聞いて知っていた。と言うのも、捕虜にした際その手首に付けた追跡装置から情報を得ていたのだ。
その中で"襲撃"の機会を狙っているらしいと知ったわけだが……残念ながら、ここに来るのは食料品を届けに来る"機械"だけ。人質に出来るような者はいない。
てっきり意見が分かれたかとも思ったが、違うらしい。
首を振って否定したマムが言った。
「いえ、どうやら言葉が通じなかったらしく、計画を共有しようにも難しかったみたいですね。誰か通訳できる人がいれば、また違ったんでしょうけど」
マムの言葉で思い出す。
確かに、捕虜にしたのは数の偏りこそあれ多人種の兵士だ。ハゴロモでは、国語の異なる多種多様な人が当たり前のように会話しているが、そもそもそれが普通じゃないのだ。
改めてマムの恩恵だなと思う。
「そうだったな。それで、他の奴らはどうして出て来ないんだ?」
それに今度はマムが苦笑する。
「結果が見えているからでしょうね。武器もありませんし」
「だが、あいつはナイフを持ってたぞ?」
飛んで行った方を指して言うも、首を振っての否定が入る。
「それはアレだけですから」
「まさか(隠し持ってたのも)知ってたのか?」
知ってそうだなと詰めるも、視線を逸らしてはぐらかす。
「……ま、まぁ結果良しと言う事で」
「ならんわまったく。他の奴が来て怪我したら大変だろうが」
正巳だったから良かったものの、何かあってからでは遅いだろう。やはりここは怒らなくてはいけないなと息を吸いこむ正巳に、何故だか胸を張ったマムが言った。
「それは大丈夫です。ここに来るとしたら坂巻か、パパですから」
「いや、それこそハク爺が来たら……うん。相手が可哀そうだな」
きっとハク爺であれば、相手が立てなくなるまで"組手"を始めるだろう。
その想像に連想する形で、最近ハク爺の訓練を受けているメンバーの事を思い起こした。子供達はみな目が据わり、先日の戦闘でも目が据わっていた。
「無茶な訓練も出来るようになったからな」
白い髭をたくわえた"爺さん"と、生産量の確保もでき、いよいよ安定して供給できる体制となった"治癒薬"を思い浮かべ苦笑した。
「子供達の将来が不安だ……」
それこそ、ハク爺と同じ戦闘狂にならなければ良いのだが……。その将来を想像して苦笑するも、一向に出て来る気配の無い者達に、このまま待つのも面倒だなと頭を掻く。
「どうしましょうか」
「そうだな、普通に呼びかけても無駄だろうからな。仕方ない」
視線の集まる中歩いて行くと、その先で気絶していた男の襟をつかむ。そのまま頬を軽く張ると、初め反応がなかったものの数回繰り返すと気が付いたみたいだった。
「グッ……あ? お前は……俺はどうして……ッツ、お前この!」
ぼうっとしていた処から、意識が覚醒するにつれて思い出したらしい。
キッと睨みつけた眼光そのままで、身体を動かそうとする。が、それは無理だ。重心の動きからして拳を振り上げようとしたのだろう。腕を持ち上げかけた瞬間苦悶の声を上げた。
「ズッぐあぁ、イテェ何だこれぁっ!」
生憎、そちらの腕はそんな事が出来る状態ではなかったのだ。
悶絶する男に落ち着くように言うと、状態を確認する。
「ああ、これは腕が外れているな。それに、うん。手首の骨も粉砕、反対の肩の骨も逝ってるな。他は大丈夫そうだが……先ず肩を入れ直す必要があるな」
口をパクパクとさせる男に、まぁ男なら大丈夫かと頷くと一息に肩を入れた。
『"ゴキュ"』
関節のハマる音がして肩がハマる。
少し響いたのかも知れない。今度は歯を食いしばらせた男に、少し痛むが根性見せろよと言って、マムから受け取った注射型の治療薬を投薬した。
「ぐ、ぐあぁぁ……!! ずあぁぁ!!」
全身に力が入っているがそれもそうだろう。何せ今使ったのは、治癒薬の中でも即効性のある薬品。急激に再生が起こるため、全身に激痛が響くような劇薬なのだ。
のたうち回っていた男が、しばらくして静かになった。
「済んだか」
「テメェ何を――」
男が起き上がろうとした処で、それまで様子を見ていたらしい者達が出て来た。
「それ以上は許さないぞ!」
「そうだ、どうせ死ぬならここで道連れにしてやる」
「実験体になんぞ、なってやるものか!」
口々におかしな事を言っているが、その内容から察するに大きな勘違いがあるらしい。何故そんな発想になるんだと突っ込みたくなるも、状況を考えてみて苦笑した。
捕虜として捕まり連れて来られたのは、街を模した場所。
一定の時間ごとに運ばれてくる、食事。
拘束具として着けられたのは、腕輪一つ。
……確かにこんな状況では、今から何か実験が行われるのではないか。と不安になっても仕方ないだろう。前もって、この区域内では自由にして良いと伝えてはいたが、それすら不気味な響きに聞こえて来る。
最後まで抵抗するぞと構える面々に、頭を抱えた正巳は言った。
「何を勘違いしているのか知らないが、お前たちは大切な"捕虜"で将来への"保険"だからな。そんな向こう見ずな事はしない。それになぁ、だいたい誰に聞いたんだ? ……人体実験だなんて」
するわけ無いだろうがと苦笑するも、それにすらビクッと反応している。
その様子に、いったいどうしたものかとため息を吐くも、ようやく状況が読めて来たらしい。背後で起き上がった男が、身体の節々を触って確かめたのち言った。
「全員下がれ」
それに男たちが反応する。
「しかし伍長、危険です」
「そうです。一刻も早く脱出しないといけません」
「……あれ? 伍長、身体は何ともないので?」
「だから、下がれと言ってる」
どうやら最初の男が、この中では隊長をしているらしい。伍長と呼ばれた男の身体が治っている事に一人が気付くと、他の者たちもそれに気づいたらしかった。
「何ともなかったのか」
「いや、あんな衝撃で叩きつけられてそれは無いだろう」
「しかし、何ともなかったとしか思えないが……」
首を傾げる男たちだったが、割って出て来た男が言った。
「どういうつもりか分からないが、治療を受けるのは二回目じゃないか?」
何を言っているのかと思ったが……
どうやら、先日戦闘後に行った治療は、気絶させた後で行っていたらしい。マム曰く「情報を漏らさないため」との事だったが、きっとそのせいで自分達の身体に何が起こった知らなかったのだろう。ここではぐらかしても仕方なかったので、肯定する。
「そうだ。捕虜に死なれては困るからな」
「その言い方だと、先程の言葉は本当なのか?」
先程のと言うのは、大切な捕虜云々の下りだろう。
「初めからそう言って、伝えていたと思うんだがな……」
それに目を閉じ、見上げるように顔を天井へと向けた男が言った。
「信じろって言う方が無理だぞ」
その様子を見て、もう大丈夫そうだなと息を吐くと、一度きちんと話をしておく事にした。そこからは、捕虜である男たちとマムとフィナを交えて話したが、子供が二人いた事で上手い事緊張が紛れたらしかった。
「……つまり、本当に子供達の為に起こした国だと?」
「ですからそう言っています。パパはそういう人だって」
「む、マム人違う。でもそれは本当。フィナも証人」
「要は只の良いヤツって事か?」
「タダのではありません。パパは完璧で一番なのです!」
「お兄ちゃん優しい。それに不思議」
「しかしな、俺達は攫われた子供を保護しろって言われててだな……」
「保護なんて建前でしょう。これは権益戦争ですし」
「それ保護じゃない。人質。望んでない」
話してみて分かったが、戦闘前に得ていた情報と実際の戦闘のギャップで、恐怖と妄想が膨らんでいたらしい。その後、緊張が解けたのか座り込んだ男たちと、聞こえて来た腹の音に首を傾げた。
「腹減ってるのか?」
それに居心地悪そうにした男が言った。
「ああ、いや……何か入ってるんじゃないかと思ってな。手を付けていないんだ」
確かに体調が悪そうだが、何も食っていないのであればそれも当然だろう。なにせ丸一日以上経過しているのだ。一応水分は摂っているようだが、それだけではこうなって当然だ。
ため息を吐くと、食べても問題ないし何も入れてないから心配するなと言った。
「ここに居ない残りの者達にも伝えておいてくれ――って、そうか。言葉が通じないのか……そうだな。マム、通じるようにしておいてくれ」
それにマムが耳打ちしてくる。
「よろしいのですか? もしかすると、また脱出しようとするかも知れませんし。面倒を減らす為にも、少しくらい不自由な方が良いのではありませんか?」
確かにマムの言っている事は分かる。しかし――
「それならそれで構わない。幾ら試そうがゼロはゼロ。不可能は変わらないんだからな。それに、俺としては、ここでの生活を楽しんで貰いたいからな」
いずれ開放するのだ。それであれば、苦しい思いをさせ負の印象を植え付けるより、良い印象を持たせ、ゆくゆくは「あの国は良い国だ」と宣伝して貰った方が良いに決まっている。
正巳の言葉になるほどと目を輝かせたマムは、頷くと共に言った。
「それでは、捕虜をどんどん連れて来ましょう!」
それに吹き出して「それは拉致って言うんだよ」と突っ込んだ正巳だったが、首を傾げながら「難しいです。つまり、向こうから来ないといけないんですね。何か良い方法は……」と続けるマムに止めておけと苦笑した。
「これ以上増えたら大変だろう?」
「食料の事でしたら問題ありません。今の人口の十倍は軽く養えます」
「そうなのか……って、そうじゃなくてだな。必要以上に増やす必要はないと思ってるんだよ。それこそ、自然に増えるのは喜ばしいけどな」
「ううん、難しいですね人間って」
その後、いつの間にか舟をこぎ始めたフィナを抱えると、改めて幾つかの事を伝えて部屋へと戻る事にした。伝えたのは、この区域内にある物は自由に使って良い事と、必要なものがあれば伝えて欲しいという二つの事だった。
正巳の言葉に「まるで客になったみたいだな」と苦笑していた男たちだったが、有難いと言って頭を下げていた。確かに、普通の捕虜としてはあり得ない待遇だろう。しかしこれで良いのだ。
帰り道、ふと顔を上げたマムが言った。
「あの者達。もしかすると、パパが誰だか知らなかったんじゃないですかね」
それに笑いながら「それは無いだろ」と返した正巳だったが、考えてみれば戦場では常に仮面を着けていた。加えて、直接対面した事があればまだしも、これが初めましてだ。
振り返って、そう言えば自己紹介しなかったなと思った。
「でも仮にそうだとしたら、俺を誰だと思ったんだ?」
確かに少し馴れ馴れしい気もしたが。
「そうですね。案外"少し偉い立場にいる人"くらいの認識かも知れません。そうでなければあんな軽口叩けませんし……それに、まさかトップが一人で来るとは思わないでしょう」
なるほど、確かにそうかも知れない。
「まあ良いか」
そう呟いた正巳は、背後で閉じる隔壁の音を聞きながら扉を抜けた。




