336話 戦闘終了、そして……
靄がかっていたのが、まるでスッと線を引いたようにして晴れて行く。どうやら、こちらで仕掛けた一連の"一掃作戦"が終わったらしい。
時間にしてニ十分にも満たなかっただろう。
方々で上がっていた悲鳴も、それに乗じるようにして響き渡った銃声も、そのどれもが沈黙していた。微かに呻き声の様なモノは聞こえて来るものの、状況が変わったのは間違いなかった。
「あれは……」
足元から晴れた景色だったが、拠点から先――敵艦が見える辺りには広範囲に渡って未だに靄があるようだ。いや、あれは未だあると言うより、移動したと言った方が正しいかも知れない。
もしかして、と呟いた正巳にマムが言った。
「パパの想像の通りです!」
「と言うと、今はあそこで……」
「はい、きっとお化け屋敷状態ですね!」
「それは……ご愁傷様だな」
その大半が軍人――つまり、先頭のプロでありその職場は戦艦の上だろう。そんな中、トラウマになるほどの恐怖体験をそこで植え付けられる事になれば、多少なり影響が出るに違いない。
「拠点内、戦闘可能勢力の一掃を確認しています。なお、攻撃を仕掛けたシステムには、混乱状態を維持する機能と操縦を奪い送還する指示を出していますので、あちらの方々には長く楽しい旅行になるかと思います」
想像して手を合わせた正巳だったが、横でうずうずとする気配に言った。
「そろそろ後片付けに出るか」
「任せてくれアニキ!」
その後、退避中の各部隊に、被害状況の確認及び敵兵士の拘束を指示した。
「捕虜は、先日完成したばかりの居住区に隔離する」
出来たばかりの居住区は海底にあり、ゲートにより区切られている。下手に地上に隔離地域を設けるよりは、居住民の決まっていないエリアを代替させる方が良いだろう。
精神面だけでなく、その他の面でも……。
現状に於いて敵兵が残っているとして、それは負傷したか気絶しているか戦死したかのどれかだろう。もっとも、こちらが殺傷兵器を使用していない以上、戦死者はそう多くないはずだが。
方々へと散開して行くのを見ていると、マムが来て言う。
「海中はどうしますか?」
「そうだな、放っておくわけにも行かないな。全て引き上げてくれ。出来る限り蘇生して"捕虜"として扱う事にする。そのまま腐らせても教育上良くないしな……」
時々死体が浮かぶ海など、とてもそれで良いとは言えない。残らず回収するようにと言うと、それに頷いたマムが早速"ミミ"と"チカチカ"に回収させると言っていた。
遠くではいまだに銃声が聞こえ、時折ミサイルや大口径の艦砲が発射されたりもしていた。きっと、ホログラムによる幻影の真っただ中にいるのだろう。
次第に遠のき始めた敵艦を見送っていた。
そんなこんなで、ようやくひと段落付き始めた中だった。突如上がった悲鳴に、直後入った緊急通信。その内容に、そう言えばそうだったと苦笑する事になった。
『緊急です。海中から突如化け物が現れました! 正巳様ー!』
それに、「焦るなすぐ行く」と返すと急いで向かい始めた。
◇◆
現場に急行した正巳だったが、そこに居たのは幼女だった。
白い髪に白い肌、大きな黒目が特徴的だが、よく見ると白目の部分は銀色がかっていた。髪の毛は水に濡れ少し透き通って見えるが……。
近づいた正巳に驚いたのか、サナの陰に隠れる。
「戻ったか」
視界の端で治療を受けるファナを見ながら言うと、それに頷いたサナが言った。
「なの! けっこうすごかったなの!」
満足そうに言うサナ。
本人は何でもなさそうだが、サナが言うほどだ。きっとそれなりにギリギリだったのだろう。後ろに引っ付く幼女に構わず近づいたサナが、撫でろとばかりに頭を突き出す。
それに苦笑し手を伸ばした正巳だったが、必死にサナに引っ付いていた幼女がビクンとして目をギュッと瞑った。そして、そのまま倒れると……。
「ん? それは尻尾か?」
幼女の背中、その下から生えていたのは、まごう事なき魚の尾びれだった。よく見れば手のような部分もその間に膜が張っていて、まるで特殊メイクでもしているかのようだ。
その様子に見入っていた正巳だったが、そこに来たジロウが言った。
「危ないから下がった方が良いぞ、そいつの正体は――」
恐らく親切心からの警告だったのだろう。
「ああ、知っている」
頷いた正巳に、口を開いたまま固まり、しばらくパクパクとしていたジロウだった。が、すぐに「ああそういう事か、新しい"機械"か」と納得し下がって行った。
きっと、ジロウの解釈が広まったのだろう。周囲の子供達も「なんだそういう事だったのか」と緊張を解いていた。事実とは少し違ったが、丁度良かったのでそのままにしておいた。
「さてそれで……」
再び視線を戻した正巳だったが、次第に集まり始めた子供達に(場所を変えた方が良さそうだな)と考え、問題があれば報告するようにと移動する事にした。
移動先について考えていた正巳だったが、そこに声がした。
「あの、あるじにおみやげなんだなぁ」
それに目を向けると、その小さくて丸っとした指をさす幼女の姿がある。
「おみやげ?」
首を傾げた正巳だったが、その先に男が伸びているのが見えた。何となくその顔を見ていた正巳だったが、そこに来たマムの言葉にそういう事かと納得した。
「あの男はファナを攫った犯人です」
どうやらこの幼女は、犯人をおみやげとして連れて来たらしい。
「おみやげなんだなぁ。だからおりゃの事はかじらないで欲しいんだな、その、出来れば先っぽだけで良いから分けてもらえると嬉しいけど。でも、それは出来ればで良いんだなぁ」
よく分からない事を言っているが、つまりそういう事なのだろう。
「安心しろ、きちんと報酬は出すさ」
その後、伸びている男を決して逃すなと言うと、一先ず一番相応しそうな場所へと向かう事にした。そこであれば、仮に何かあってもすぐに対処できるだろう。
戦闘後の処理も重要ではあるが、それより先に対処すべき事が出来た。
「まさか『人喰らいの怪物』を、そのままにする訳にも行かないからな」
治療を受け少し顔色が回復した様子のファナだったが、正巳の顔を見るとシュンとしていた。それにため息を吐いた正巳は、「無茶するのは師匠譲りだな」と言ってから無事で良かったと抱きしめた。
ぐずり始めたファナに苦笑すると、すぐにフィナも連れて来ると言ってその場を後にした。
その背後にはサナと、幼女の姿をした人喰らいの怪物――ゴンがいたが……始終何か呟いている様子は、何となく最後にあるその記憶とは少し違ってみえた。
「それで、何でまた幼女の恰好してるんだ?」
それに恐る恐ると返って来たのは、苦笑しかない答えだった。
「その方が良い気がしたんだなぁ、そんなつもりじゃなかったんだけどなぁ。何でなんだなぁ?」
自分でも不思議だと首を傾げた怪物は、その可愛らしい姿でタシタシと付いて来ていた。心なしか小動物と重なった正巳だったが、すぐに頭を振ると気を抜かないよう気を引き締め直した。
背後で、「可愛いなの!」と言う声と共に捕獲される音がしたが、きっとサナにとってマスコットとそう変わらなかったのだろう。若干気の毒に思いながら、先を急ぐことにした。
到着したのは拠点下層部、今井の"研究所"だった。
◇◆◇◆
前を歩く主人を前に不思議に思っていた。
「……何でなんだろうなぁ、身体がかってに変わったんだなぁ……でも、その方が良いかもなんだなぁ。それより、沢山おいしそうなお肉がいたんだなぁ……さすが主なんだなぁ」
少し前の状況を思い出してそう呟いていたが、不意に伸びて来た腕に驚いた。咄嗟の事で、避けようとするもそれは叶わない。あえなく捕まってしまったが……
「ぎょぇ?!」
腕が回った直後、そのあまりの力に変な声が出る。
「可愛いなの!」
千切れるかと思った。
視線を下げて、どうやら半分にはなっていないらしい、自分の下半身は無事らしい、と確かめると身体をよじらせてどうにか脱出しようとした。
しかし、どういう力を入れているのか、一向に外れる気配の無い様子に遂には姿を変えようとした。主人の前で姿を変異させる事になるが、ここで死ぬよりは良いだろう。
「……何でなんだなぁ?」
普段であれば自由になる体が、どうしてかピクリともしなかった。
理由を考えたゴンだったが、何となく自分の本能がその原因――変異する事を本能的に制限していると言う気がした。となれば、きっとこの状況はどうにもならないのだろう。
「食べないで欲しいんだなぁ。ちょっと、端っこだけにして欲しいんだなぁ……」
自分を掴まえたのは、普段であれば少なくとも一度は抵抗を試みる相手だった。
しかし、この状況ではどうにもならないだろう。方針を生き残る方へと変えたゴンは、その後しばらくビクビクとしながら、小さく呟いていた。
◇◆◇◆
その頃――、上陸作戦から命からがら帰還した兵士たちは、戻った先でも続く悪夢に恐怖していた。それは、ある瞬間子共であり、殺人鬼であり、化け物であり、自分の親類であった。
もっとも、その幻影の元となったのは、兵士たちの情報の詰まったデータベースであり各国軍部に保管された"パーソナルデータ"。そして、世界各地の伝承や都市伝説にまつわる"怪談"の類だった。
しかし、そんな事つゆ知らない兵士にとって、只でさえ疲弊する戦場は、最早悪夢の続く地獄に他ならなかった。
戦死者こそ少なかったものの、帰還した兵士の多くは、その後精神的な病を理由に辞職する者が後を絶たなかった。
のちに三度目の世界大戦として記録される事になるこの戦争の、初戦となる『ハゴロモ本土戦』はこうして幕を閉じた。――後に続く"人類史変革"の先鋒として。




