334話 おみやげ【???】
――時を遡る事三か月。
南国のとある島から、いざ旅立たんとする人影があった。
洞窟から岩場、そして砂浜……。
足首まで海水に浸かった処で振り向くと、呟いた。
「ありがとう」
それは誰に向けたものだったのか……。
再び歩き出すと、今度は止まる事無く進み、やがて水中へと消えて行った。
◇◆
降り注ぐ光とそれを受け止める水面。
仰向けになっていると、その上を通り過ぎて行く小魚の影。
岩場に生えた面白い形の海藻や、その間に棲む生き物たち。
どれもお気に入りの景色だった。
そんな中とっておきの光景もあったが……それは、深海から勢いよく浮上しながら眺める景色で、そこには一瞬のうちに全てを詰め込んだような濃さがあった。
浮上する際の不思議な感覚と瞳から入る情報が、気分を一気に高揚させる。
「フハ、フハハハハハハハ~!」
その日三度目の大ジャンプを決めた後で、ふと不安になって呟いていた。
「違うのだあるじ。いや、確かにおりゃは、楽しくてこんな事を繰り返してはいたけども……そう、これは高く跳んで何処にいるか探す為。そう、あるじが何処にいるのかを見つける為なのだ。ほんとだよ?」
そうして言い聞かせるように呟いたあと、満足したのか頷いて、もう一度深く潜って行く。
(そうなのだ、これはあるじの為でもあるから良い事なのだ!)
途中、ちょうど手ごろサイズの魚が見えたので、そっと口を開ける。
(モグ……ううむ、美味しい。うむ、あるじに"おみやげ"は必要なのかな?)
何となく、自分だけ美味しいものを食べていてはまずい気がして来る。
(あるじ怒らないかな……そう言えば、師匠は"話し方"も重要だって言ってたけど)
すっかり定着していた自分の口調が、人間社会で言えば"立派な口調(と思い込んでいる)"であるのを思い出して、少し心配になった。と言うのも――
『立派な口調は良い事だろう。
立派な話し方をする事で周りの人から一目置かれるし、なめられずにも済む。しかし、しかしだ。それを相手をわきまえずにすれば、かえって怒らせる事になり逆効果だ。
よく気を付けなくてはならない。』
――と、師匠がそう話していた事を思い出したのだ。
(……あるじ、怒ったらかじるかな)
心配になってぶるりと震えた処で、少し深く潜り過ぎた事に気が付いた。
周囲を見回してもキラキラとした光は見えない。この景色から上昇しても、途中までその変化を楽しむ事が出来ないだろう。普段であれば失敗と考える処だったが……。
(ここから勢いよくジャンプすれば、もっとよく見えるかも!)
助走を長くすればするほど高く跳べると理解していたのもあって、今の状況には丁度良いと思った。何より、あるじを早く見つけなくてはいけないのだ。
偶然とはいえ、その思い付きに満足すると早速上昇し始めた。
早く、もっと早く。
高く、もっと高く。
自然とその身体を抵抗の少ない形へと変異させる。
滑らかでバネのようにしなる体……。
その見た目は、まるっきりイルカと呼ばれる哺乳類の姿だった。普段特に意識して姿を取らなかったが、どうやらこの姿かたちは高く跳ぶのに良かったらしい。
水面を突くように飛び出すと、その日一番の大ジャンプを見せた。
「フハハ、フハハは――……!!」
目的を忘れ、再び高笑いを上げそうになった。しかし、その瞬間感じた気配に身体のみならず細胞レベルで硬直していた。それは、懐かしくも恐ろしいあの気配だった。
(あ、あるじ……あるじが怒ってる! 本気で怒ってる!!)
硬直したまま水中に落ちると、その数秒の間に様々な不安と予測が頭の中を渦巻いた。その殆どは一方的な誤解だったが、当人にとってそんな事知った事では無かった。
(まずいまずいまずい、早く行かないと!)
以前であれば、本能から逃げる選択肢しかなかっただろう。
しかし、それも過去の話。
("おみやげ"ないと怒られるかな、かじられるかな?!)
その頭には、仕えるべき主人の事しかなかった。
無我夢中でその気配の方へと泳ぎ始めた一匹は、やがて泳ぐのに最も適したカタチへとその身体を変異させていた。それは、傍から見れば槍のような先端をした魚の姿だったが……。
少しずつ近づくにつれ、何やら沢山の気配と、そこに広がる美味しそうな匂いに気付き始めた。
そう、大好物だったあの甘い匂いに。
◇◆
結局、その匂いには逆らえなかった。
(あるじはここに居なそうだけど……)
目の前にあるのは大きな身体。
いや、これも師匠から聞いて知っている。
(これが"ふね"なのかな? 確かに美味しくは無さそうだなぁ)
人は陸上、主に"くうき"が存在する場所で生活する。
――とすれば、きっとこれも人の為の何かなのだろう。その証拠に、この"ふね"の中には沢山の人がいて、美味しそうな匂いをしているのが分かる。
(……いけない、いけない。食べたら怒られるんだった。確か、むやみに食べるのはダメで、あるじに許可された人だったら良いんだっけ? 仲良しじゃない人とか? だっけ?)
段々と、その美味しそうな匂いが強くなっている。
我慢できなくなりそうなのをグッと堪えていると、ふと何処か懐かしくも恐ろしい。何度も叩きのめされ、終いにはあるじの次に恐ろしい人間として記憶していた、その気配がある事に気が付いた。
(!!!!)
咄嗟に逃げそうになるも、その気配の持ち主もまた"あるじ"と共にいる仲間なのだと思い出した。師匠曰く、『仲間とは良いもので一生の付き合いになる』らしい。
どうしようかと考えていると、それまで上の方にいた気配が降りて来るのを感じた。
……何やら、あの怖い気配の人間は追い回されているらしい。
(怖い人間とあるじは"なかま"で、連れて行けば喜ぶ……そう、"おみやげ"になる!!)
どうしてあれほど怖い人間が、何方かと言えば"美味しそう"な匂いをさせている人間たちから逃げているのかは分からない。しかし、きっとこれが"数の理"なのだろう。
師匠も、『数は純粋な力の一つ』と言っていた。
きっと、あの怖い人間も数の力に負けそうになっているのだ。
そこまで考えて、今しかないと思った。
("ふね"の上に乗まで少しあるけど、でも大丈夫なのだ!)
それまで幾度となく繰り返して来た跳躍、その成果を見せるべく潜り始めた。
(フフフ、怖い人間を"おみやげ"にして、あるじの処まで行くのだ!)
十分な深さまで潜った処で、勢いをつけて上昇し始めた。
水を切り――、空気を切り――、日の光の下に飛び出る。
「よし、到着なのだ!」
そう満足げに言ってみるも、そこで待っていたのは悲鳴と怒号の嵐だった。
最初に視線があったのは、飛び乗った先にいた人間。
こちらを見て指さすも、何か理解できぬ言葉を叫んで来る。
――うむ、美味しそうな匂い。
男から吹き出す恐怖の気配に思わず舌なめずりする。
「ぎゃぁああああ!」
その悲鳴に思い出したように姿を変える。
どうやら、自分の姿に驚いたらしい。
まぁ、確かに人間からすればヒレとウロコを持ち、二足で歩く生物は異形かも知れない。お腹の辺りに空いていた口が、変異と同時に上がるのを確認しながら言った。
「まぁまぁ、そう慌てないで欲しいのだ。おりゃは別に食事に来たわけじゃなくて、あるじの仲間を探して――『"パンッ!"』」
途中で飛んで来た弾に言葉が遮られる。
「だから、別におりゃは食事に来たわけじゃなくて――」
そこに駆け付けた人間が、こちらを見て恐怖に顔を歪ませる。きっと、歪んだ部分を治したのに驚いたのだろう。師匠も、『人間の治癒は一瞬で起こるようなモノではない』と言っていた。
(となると、あるじは人間じゃないのかな?)
この場に関係ない疑問が浮かぶも、直ぐにその匂いに引き戻される。
「……フフ、本当に美味しそうな匂いなのだ」
我慢しようと思っていたものの、時間が経つ毎に強くなる誘惑に負けそうになっていた。
「少しだけ――」
そう言って触手を伸ばしそうになった処で、無視できない気配に気付く。
それまで囲うようにして銃撃していた輪に、人間の子共の姿をした少女が現れた。それを見た瞬間、それまでの誘惑が綺麗さっぱり消し飛ぶのを感じた。
突然現れた少女に、それまで攻撃していた者達も驚いたのだろう。
降り注いでいた銃撃が止まると、近づいて来た少女が言った。
「おじさん誰なの?」
その言葉に返そうとするも、言葉が出て来なかった。それおかしいと感じたのか、少女は首を傾げている。どうにか言葉を探そうとするが、ふとその背に背負った子供に目が留まった。
何処か弱々しい気配だったが、きっと何か人間の薬を打たれているのだろう。
(この子共から漂うのは、興味の気配……?)
新しい匂いに首を傾げるも、どうやらそんな事をしている場合では無かったらしい。
それまで様子を伺っていた兵士たちに動きがあった。
状況が分からず首を傾げていると、背負われていた少女が言った。
「ファナ達にも射撃命令が出たみたい、撃って来る」
撃って来ると言うのはきっと、先程の攻撃の事なのだろう。細胞が消滅しない限り無事な自分にとって、あまり効果のない攻撃だったが、それは目の前の二人にとって同じでない可能性がある。
基本的に、人間は脆い生き物なのだ。
未だに声を出す事が出来なかったので、怒られないよう力加減に気をつけながら、二人を守る事にした。この怖い生き物はともかく、その背の子供は弱い生き物だろう。
体を変異させ、その触手で二人を包み込む。
怖い方はともかく、弱い方はてっきり叫ぶかとでも思った。しかし、どうやらこの怖い生き物と一緒にいるだけの事はあるらしい。驚いた様子で目を丸くするも、すぐにまくし立てて来た。
「きみ面白い。へこんでも治ってる。生物の枠からはみ出てる。これは未知の分類。新しい生き物の可能性かも知れない。博士の研究データにあったのは、この生物の細胞を解析したものかも知れない。とすると、あの"牙"はこの子の牙なのかな……。ねえ、ちょっと牙だしてほしい」
しかし、どうやらそれに応じる暇は無かったらしい。再び始まった銃撃に、二人を守るため更に体を大きくさせると、その内側に守るようにして肉の壁をつくり包み込んだ。
その後、反撃する事も出来ずにただ守りに入っていたが、その原因は少女にあった。そう、最初に発したっきり口を閉じる少女とその視線が気になって、どうにも動けずにいたのだ。
そんな心情を知ってか知らずか、考え込んでいた少女が嬉しそうに手を上げた。
「分かったなの!」
「……?」
手を上げる少女に何となく頷く。
「そうなの、ゴンなの!」
その言葉にそれまで出なかった声が漏れた。
「そうなんだなぁ~」
満面の笑みで手を伸ばして来る少女と、怖くないのか真剣な様子でその肉壁を観察する子供に脱力する。これは何と表したら良いのか、そう……これはきっと安堵と呼ぶべき感情なのだろう。
ほっと息を吐いていた処に少女が言った。
「帰るなの!」
その言葉に、それまで何処か欠けていたピースがはまる音がした。
「かえる……あるじの処に、そうおりゃのあるじは"カンザキ"! カンザキ・クニオカ・マサミなんだなぁ~ 早く帰るんだなぁ、おみやげも持ったしもう大丈夫なんだなぁ~!」
その言葉を最後に、空気を取り込むと海中へ飛び降りた。直後、背後で爆炎が上がるのを感じたが、あれに巻き込まれていれば流石に無事では済まなかっただろう。
二人が無事なのを確認し、早速自分の主人の下へと向かおうとしたゴンだったが……そこで感じた強烈な匂いに思わず足を止めていた。
きっと、感情を匂いとして感じるゴン特有の感覚だったのだろう。
無視してはいけない気がした。
それは恐怖とは違った匂いで……そう、言うならば魚を蒸し焼きにした後、ゆっくりと熟成させ十分に旨味が出切った後で、最後の仕上げとなるソースを加えたようなそんな至高の味。
(これだ、これこそあるじへの"おみやげ"によいのだ!)
もしかしたら少しだけおすそ分けしてもらえるかも知れない――そんな事を頭の片隅に浮かべながら、体の一部を変異させた。
模したのは深海で出会った生物。
柔らかく、捕らえるのが難しかったが、向こうは幾つもの触手でもってこちらを離す事がなかった。変異させた部分をもにゅもにゅと動かしてみて、違和感がない事を確認する。
そうして、伸ばした触手でもってその美味しそうな匂いを放つ人間を捕らえると、そっと大事に包み込んだ。大切なあるじへの"おみやげ"とする為に。
図らずも重要な役割を果たしたゴンだったが、次第に近づくにつれ不安になっていた。
(かじられないか心配なんだなぁ、そうだ。おりゃの得意な方法で何か対策が出来れば、きっと……ええと、立派な人間の姿は……ううん、だめだ生意気かも知れないんだなぁ。それじゃあ、あるじと同じ姿で……いや、それもダメなんだなぁ。師匠にやって怒られたし)
その後、到着までの間あれこれ考えていたゴンだったが、結局消去法である選択をしていた。
(かじらないで欲しいんだなぁ、あみやげもあるからそっちにして欲しいんだなぁ)
それは、学んだはずの人間に関する知識を全て横に置いた内容だったが、それも仕方のない事だったのだろう。何せ人間に関して学んだ事に、当てはまらない事が余りにも多かったのだから。
いつの間にか、身に付けていたはずの"立派な口調"が戻っていたゴンだったが……時折聞こえて来る呟きに一人微笑んだ少女は、満足げな様子で言った。
「任務完了なの!」
かなり久しぶりの登場でしたが、覚えていましたでしょうか。
ことの始まりでもあるデスゲームにて、上原先輩の腕を食べてしまったキメラ"ゴン"です。その後、少しばかり可哀そうな事になりながらも自由の身になり、ひょんな事から再会しましたよね。
そんなゴンは、なんやかんやありながらも、ユミル、そして綾香と因縁のある男"岩斉"を師匠とし、人間やそのほか色々な事を学んでいました。
そんな中、岩斉の死と共に再び旅に出ていて、今回の件に繋がるわけですが……。
次話から正巳視点に戻ります。
少し忙しくて満足に時間が取れていませんが、更新できるよう頑張ります!
今後ともよろしくお願いします!




