333話 その結末【敵兵】
――誘拐犯視点――
通信機を通して聞こえてくるのは悲鳴ばかり。
初め叱責していた男だったが、次第にその数が増えるにつれ何かとんでもない事が起こっているのではないか、自分が何かとんでもないモノを呼び寄せてしまったのではないかと思い始めていた。
そんな中、ようやく目的の部屋までたどり着き――
「通せ!」
部屋の前で警護している兵士に言うと、敬礼して返して来る。
「許可を取るまでお待ちください」
どうやら事の緊急性を理解していないらしい。
必死に止めようとする兵士に構わず、扉を開いた。すると、どうやら通信中だったらしい。普段聞いている声に比べ少し高く、丁寧な話し声が聞こえて来た。
「――はい、しかしどうにも守りが固いようでして。砲撃許可を頂ければ事態はもう少し……」
聞いてはいけない。
話している内容は間違いなく機密事項。それを理解しているのだろう。警護していた兵士はそっと手を伸ばすとドアを閉じた。きっと、中での事には感知しませんと言う事なのだろう。
こちらに気付いた男が、通信を終えてかこちらへ視線を向ける。
「緊急にして失礼します」
そう言って部屋の中ほどへ進むと、立派な机とそこに座った男が目に入る。
細い眉に細い瞳、本当に軍人なのかと疑いたくなる程に華奢な身体。そして、明らかに手の加えられた軍服……その細さを隠すためなのか、パッドの入った服は不格好にも見えた。
きっと、今の今まで一度も打たれた事がないのだろう。整った顔立ちをしているが、少し撫でれば簡単に膝を突いてしまいそうな気配がある。それに、戦場で香水とは……。
少しばかり普通ではないものの、この男こそ自分の上司だ。
元は大統領直属だったが、今回の作戦では男の指示に従うようにと言われていたのだ。公にされていないとは言え、このようなバカ息子に顎で使われるとは……。
そう、何を隠そうこの男は、今回"箔"を付ける為に参加した大統領の一人息子だったのだ。
防弾仕様の厚いガラスの向こうには、先程任務で訪れた島があるが、きっとここから戦況を確認しながら待っていたのだろう。男が顎で指して言う。
「それで、ソレがそうなのか?」
そう言って目を向ける男に頷くと、被せていた布を取った。
どうやら、言われた通り金属製の特殊ワイヤーで縛っておいて良かったみたいだ。歪んで伸びそうになっているワイヤーには、血が滲んでいた。
このワイヤーには弾性があり、力を加えて引けば細くはなる。しかし、切れる事はなく、終いには髪の毛程までも細くなると言う代物だった。
つまり、一度縛ってしまえば力づくでは外せないと言う事だ。
仮に外そうとしても、その前に肉が切れてしまう。
その様子を確認してだろう、笑みを浮かべる男に一瞬嫌悪を覚える。そして、こんな子供を縛って何しているのかと迷いかけるが、自分の仕事は命令に従う事だと考えるのを止めた。
「それで、この"被検体"はどうしますか?」
状況も状況だ。場合によっては、敵との交渉材料としての使い道もあるだろう。そもそも、前情報として「大した事ない敵だ」と聞いていたが、考えれば考えるほどに矛盾がある。
そう、そもそも大した事がないのであれば、こんな大連合で来なくて良いだろう。相手が噂通りの"超兵器大国"であれば、人が多くても無駄死にを増やすだけだ。
もっとも、この点に関しては「兵器を使わなければ敵も使って来ない」と噂もあったので、その為の"数"なのかも知れないが。
何にしても、この作戦には、互いに裏をかこうとする各国の思惑が蠢いて見えた。
そんな事でこの戦争に勝てるのか心配な所ではあるが……まぁ、戦争と言うモノは集団対集団、国対国で戦うモノであって、決して個人対個人で行うモノではない。
その点で、こちらに圧倒的優勢なのは間違いないだろう。
そう、幾ら一人で頑張ろうが、一人で一万の軍勢は相手にできないのだ。
問題ない。負ける筈が無い。何を心配している。
と心の中で自問自答していた処で、近づいて来た男が言った。
「ふふふふふ、そんな事決まってるだろう。ソレは僕のお土産さ。考えてもみろ、僕はこれから輝かしい道を歩く。それは父にも、そして組織にだって約束されているんだ。そんな僕のトロフィーに"普通"は似合わないだろう?」
……どうやら自分の考えが甘かったらしい。
「失礼ながら。この者は敵国からの"捕虜"です。一向に改善されない戦況も、この一人を吊るし上げればそれでこちらに傾くかと――」
「バカか、お前は馬鹿か!」
「――はぁ、」
「そうだろう、お前は馬鹿なのだ!」
「しかし、現状を鑑みるに……」
「そんなもの、今にどうとでもなる! 敵は疲労困憊であとが無い。比べ、こちらはまだまだ"弾"がある。単純な事だろう、十人で一人倒せなくても百人使えば倒せる。それにどうだ、何故だか砲撃が許可されないが……許可さえ下りればあんなちっぽけな街なんぞ一瞬で焦土と化すだろうが?」
聞けば聞くほど、自分が誤解していたと気付かされる。
密かに上陸して人、それもなるべく幼い子供――を連れて来いと指示された時には、純粋にそれがこの戦争でより優位に立つ為の指示だと思った。
その時でさえゲスな作戦だとは思ったが……それでも、効果的な事には間違いない無いだろう点から、そう言った種の戦略家なのだと思っていた。しかし、どうやらそれは違ったらしい。
この男は完全に――。
上司の評価が更新された瞬間と、外から鈍い音が聞こえてくるのはほぼ同時だった。
『"ドンッ……"』
ゆっくりとドアが開くと、外で警護にあたっていたはずの男が倒れて来た。
「隠れて下さい、敵です!」
言いながら距離を取ると、脇に抱えていた子供を床に下ろす。
最初の内は大分抵抗していたが、薬が効いたのかすっかり寝ている。大人でも数秒で昏倒する薬だ、少し後遺症が残る恐れもあったが使っておいて良かった。
開ききったドアだったが、そこに姿はなかった。
懐から出して構えた銃を右手に、短刀を左手に構えつつじりじりと死角へ移動する。
しかし、途中でふと視線を上げると……
「クッ――!」
そこには、天井に張り付きこちらを伺う、少女の姿をした影があった。
咄嗟に二発撃つも、体をひねらせ着地した影には当たらない。
「どうなってるんだ、何だ、なんで敵がいる?!」
悲鳴交じりの声に悪態を吐きたくなるも、どうにか堪えた。
「ハッツ!」
踏み出して来たのを見て、横に避けながらもう二発。加えて左の短刀で薙ぎ払った。
きっと、自分でなくてはこの動きに対応できなかっただろう。
姿がブレる早さだったが、長年の経験と知識が活きたのか自然と体が動いていた。
しかし、それでもどうやら足らなかったらしい。
「ウガッ――」
信じられない事に、空中でこちらの短刀を受け止めた影は、そのまま着地すると体当たりして来た。それも、まるでトラックに撥ねられたかと言うほどの衝撃で……。
「ばかな……くぅ、もしやこれが向こうの……最終へいき……」
意識が遠のきそうになる中、視線を横に動かすと左手がおかしな方向に曲がっているのが分かった。右手は無事なようだが、痺れていて感覚がない。
ぼんやりし始める意識の中、床に横たえて置いた子供をその影が背負うのが見えた。そして、そのタイミングを狙ってか飛び出して来た男の姿も。
その光景に、目を覚ませと唇を噛んだ。
『"ダンッ! ダンッ! ダンッ! ダンッ! ダンッ! ダンッ! ダンッ!"』
銃声が続くも、何処か聞きなれない音だった。
これはもしやダムダム弾……いや、さすがにいくらあの男でもそれは無いだろう。国際的に使用が禁止されているのには理由があって、それを理解しているはずだ。
ぼんやりとした視界だったが、子供を背負った影が数度揺れた気がした。
しかし、次の瞬間蹴り飛ばされた上司を見るに、きっと当たっていなかったのだ。二発ほどこちらに流れ弾が飛んで来たが、そのいずれも通常の弾痕と違い周囲を抉るようにして着弾している。
なんでこんな男の……。
ギリリと歯ぎしりすると、一瞬こちらを見た気がした。
しかし、最早こちらに興味など無かったのだろう。
跳ねて机に乗ると、信じられない事にそのままガラスへと飛びこんで行った。
何となく予感はしていたが、ふつう壊れる筈が無い防弾仕様のガラスが弾け、その細かく小さな破片がこちらまで飛んで来た。どうやら、自分が相手にしたのは人間ではなかったようだ。
「うぐっ、報告を……中止の……」
どうにか体を起こそうとしたが、勢い余って倒れてしまった。
頬にガラスの破片が刺さるのも構わず、どうにか体を動かしていた。そんな中、蹴り飛ばされ失神していた上司も、ようやく気が付いたみたいだった。
「痛い、痛いよ。ねえ僕の鼻曲がってない? ねえ! 痛いよ父さん!」
しばらくの間、ぶん殴りたくなるような事を吐いていた。
情けなく感じる中、ようやく正気に戻った男が通信を開いたのを見て、少し期待した。しかし、その直後聞こえて来た言葉に正気を疑うどころか、これは終わりかも知れないと力が抜けるのを感じた。
「ガキだ! ガキの姿を見たら殺せ! いや、動けなくして連れて来い! 絶対に俺の処まで連れて来い! 後悔させてやる! 分かったか、これは命令だ! 命令だぞ!!」
吐いた息から鉄の味がした。
◇◆
ここは?
……ああ、そうだったな。
意識が戻って浮かんだ疑問も、思い出した状況に塗りつぶされる。
どのくらい時間が経ったのかは分からないが、視界の端で震えている男を見るにそう長い間寝ていたわけでも無いだろう。せいぜい、十数分と言った程度だと思う。
意識を失っていた間の状況が気になった。事態が好転していると良いがと、ほんの僅かに期待したが……どうやらそれは、自分の目で確かめる外ないらしい。
「おい、お前。俺を起こしてくれ」
近くにいた男に言うと、こちらを見て頷いてくる。
きっとこの男も、気絶していて目が覚めたばかりなのだろう。
気のせいか外が騒がしい気もしたが、立たせてもらい外を見て理解した。
甲板に上がる炎とそこにいるナニカ。
方々から砲撃が注ぎ、射線も目で見えるほどだ。
息をするのも忘れてみていたが、爆発音に我に返ると言った。
「……なぁ、アレは何だ?」
それに首を振り、掠れた息を吐いた兵士を見て頷いた。
「そうだよな、俺もここは夢だと思う。きっと悪い夢の中なんだ……」
その直後だった。
少し距離を取っていた仲間の艦から、白いのぼりが上がるのが見えた。
それがこの艦を狙ったミサイルだったと気付いたのは、着弾の衝撃と、傾き始めた船体によろめいた時だったが……最早、その時には遅かった。
いや、今でも少し前でもない。ずっと前に手遅れだったのだ。
そう、きっとあの時手を伸ばさなければ良かったのだ。全ては手を伸ばしたあの時、相手が子供と知って手間が少なく済んだと喜んだ時、あの時、すでに終わっていたのだ。
船体が傾いた衝撃で壁に打ち付けられる。
いつの間に海面が上がったのか、空いた窓から海水が入って来る。
これが俺の人生か……。
意識が途切れる瞬間、何か柔らかい触手のような物が体を掴むのを感じた。




