330話 敵と策と判断と
遠方に停泊した戦艦が見える。
距離にしてニ十キロ弱と言った処だろう。
その数は尋常でなく、水平線が埋め尽くされるほどの数だった。いくら連合軍とは言え、たかが数万の国民擁する小国にこの戦力は過剰だ。
――普通に考えれば。
呆れて言葉が無かったものの、マムの報告に集中し直す事にした。
「敵司令艦と思われる艦へのハッキングに成功。対象を米国第六艦隊旗艦"アイアン・ホイットニー"と断定。これより当該艦、指揮下艦隊及び他連合旗艦の掌握へと移ります」
どうやら動き始めたらしい。
ハッキングと言うと、恐らくは多連結型状況対応装置――通称"ミミ"による直接干渉を行ったのだろう。この"ミミ"は、見た目こそ攻撃的だが物理的な攻撃能力は無いに等しく、その能力は全てテクニカル寄りだ。反対に魚の群れに擬態した"チカチカ"は、攻撃全振りな訳だが……。
動きを把握した正巳は、他の部隊も問題ないか確認する事にした。
「各部隊報告を」
――すぐに通信が入る。
「こちら給仕。全住民の避難、無事完了しました。混乱なども無くみな落ち着いています」
どうやら早めに動いていた分、避難が済むのも早かったらしい。
ちなみに、現在住民が避難しているのは海中隔壁"シェルター"の中だ。これは、状況に応じて設定される"警戒レベル"に則した形で、現在の設定レベルは"3"――強制避難執行レベルだ。
これが一つ下がって"2"になれば、海中内の"街"へは自由に出歩けるレベルになる。もう一つ下がって"1"となれば、地上では制限がかかる物の海中では、ほとんど普段通りと言って良いだろう。
ミューの報告が終わると、次は護衛部からの報告があった。
「こちら護衛部だ、全部隊配置についた。少し緊張している者も多いが、俺はいつでも動けるぞ!」
それに「打って出る事は避けろよ」と返すと、少し物足りなそうなアキラに代わって、ハクエンから「絶対に出ません!」と返って来た。性格が違う二人だが、これで上手くやっている。
ちなみに、護衛部と傭兵達がベースになっている"白髭部隊"だが、基本的な役割は大きく違う。
「こちら白髭、非殺傷武器への携行変更完了。ふむ、確認だがのう、こちらに危険があると判断した場合、仕方なしにも完全に無力化するが……良いな?」
普段の様子と打って変わって、すっかり本職モードとなっている。それに「構わない、必要な時は躊躇しないでくれ。責任は取る」と返すと、満足そうな様子で通信が切られた。
そう、護衛部が"守る"事に重きを置くのに対して、白髭部隊は敵に対しての"無力化"をその役割としている。ここで言っている『完全に無力化』と言うのは、つまりそういう事なのだ。
「これが最後だと良いけどな……」
つい最近、サクヤたち元傭兵メンバーと話していて出た話題を思い出して呟く。
その話題と言うのは――『以前に比べお爺ちゃんらしくなって来たが、ずっとそうあって欲しい』――と言う、ハク爺に関する簡単そうで難しい話だった。
ハク爺が年相応な好々爺でいる為には、それなりの状況が必要だろう。
それこそ現状を見れば正反対の状況で、ここで仮に負ければきっと、いや間違いなくもう二度と今の仲間と"平安"な時間を過ごす事は叶わない。
改めて重要な局面だと確認した正巳だったが、近づいてくる気配に言った。
「こんな所に来て良いのか?」
するとそれに、少し困った様子で答えがある。
「子供じゃないんだから大丈夫だと、追い出されちゃいました。私もまだまだ未熟なようです」
綾香の事だ、きっとユミルに気を使ったのだろう。
他の子共やここに住む事になった大半の住民と違い、生まれた家こそ特殊だとは言え普通の女の子だ。不安でない筈が無い。それなのに……。
ユミルの表情から、既に二人の間で済んだ話なのだと察した正巳は、それ以上その話題に触れる事はしなかった。そんな様子を見てか、隣に来たユミルが言う。
「依頼があればいつでもと父が」
父と言うのはザイの事だろう。彼の事だ、きっとこのような状況になる事もある程度予測していた可能性すらある。加勢してくれるというのは有難かったが、頷く事はなかった。
「心は共にと伝えてくれ」
それに頷いたユミルもまた、その答えを予測していたのかも知れない。その後、護衛に出ると言ったのに誰の護衛かと聞くと、今井さんのだと答えがあった。
確かに、この状況にあって今井さんが大人しくしているとも思えない。よく見張っていてくれと頼むと、苦笑した後で承りましたと言って下がって行った。
その後、隣で控えるマムとサナと共に、敵側の動きを見張っていたが……
「敵司令部より攻撃指令が下されました。来ます!」
その様子を見ていた正巳は、間があって後どこから現れたのか無数の点と、その上に乗る兵士たちの姿を目にしていた。どうやら、各艦備えていた上陸用ボートに乗り換えたらしい。
「予想通りと言う事か」
実は"対策会議"をした際にマムから、「戦艦の制御を奪っても、その後に何らかの手段を用意している可能性が高い」と前もって聞いていたのだ。
正巳の言葉に頷いたマムが言った。
「次の準備は既に済んでいます。パパの指示さえあれば、いつでも動きます」
どうやらそういう事らしい。
視線を向けると、既にかなりの数こちらへと向かい始めているのが見える。当然の様に武装しているが、仮にあの一団が上陸した後の事を考えると、例え一人でもそれを許す事は出来ない。
無数の点となって押し寄せ始めた敵へと、手を掲げると言った。
「一人たりともこの地を踏ませるな、俺はそれを許可していない!」
それが合図となったのだろう。
視界の端で水飛沫が上がったと思ったら、その辺りを進んでいた集団一帯が吹き飛んだ。目視での判断ではあるが、凡そ七、八メートル程の水柱だっただろう。
その中には、巻き込まれた一団の姿があった。死にはしないだろうが、きっと死ぬほど驚いたに違いない。その動揺を分かりやすく表すようにして、動揺の波が広がっていた。
水柱の上がった場所を避けるように、後に続くボートが進んで来る。しかし、今度はそこから少し離れた場所でも同様に水柱が上がり……。
至る所で上がり始めた水柱と、それによって転覆するボートが増え始めた。
初めは、下から何らかの方法でもって突き上げているのかと思った。しかし、どうやらそう言う訳でもないらしい。注意して見ると、その中にキラキラと光る影が無数に存在するのが分かった。
「アレは確か、小型撃退機だったか?」
そう言った正巳にマムが頷く。
「はい、あれは遊泳式小型連撃撃退機――通称"チカチカ"です。拠点方位を十二等分して、十二の群影で仕掛けていますが、一つの巨影にまとめる事で例え戦艦であっても沈める事が可能です」
説明は受けていたが、こうして実際に目で見るとまた迫力が違う。
「チカチカなの!」
隣で戦闘態勢に入り集中していたサナだったが、その姿に目を輝かせている。
「なるほどな、確かに光に反射してまるで銀の柱だ」
その後しばらくその様子を見守っていた正巳だったが、やがて海に落ちた兵士たちが、段々と泳いで近づいて来るのを見て言った。
「気を引き締めろ、いよいよ来るぞ!」
ここからが本番だ。
海に落とされ、既に敵兵は少なからず消耗しているだろう。中には装備を失った兵士もいるかも知れない。しかし、それでも相手は職業軍人――戦闘のプロだ油断などあり得ない。
こちらでは、やむを得ない場合を除き基本的には無力化を基本としている。そうして捕らえた敵兵は、捕虜として今後の交渉の材料にするつもりだが、流石に全てを捕虜には出来ない。
そんな事をしても、こちらの備蓄を無駄に消費するだけだろう。
だからこそ幹部級、できれば将官クラスが参戦している事を望んでいたのだが……マムの調査では、残念ながらキーとなりそうな人は見当たらなかったらしい。
これが万が一を考えての采配だったとすれば、敵も侮れたものではない。
「マムも補助します」
そう言って、"見えざる手"と呼ばれるナノマシンの制御に入ったマムだったが、このナノマシンもその総数こそ完全であれば、もう少し事は簡単だったのだろう。
残念ながら現状では、各出入口付近の警護と人の足らない部分を補う程度が限界らしかった。それでも助かる事には違いないし、有ると無いとでは状況が全く変わって来る。
感謝しなくてはいけないな――そう考えていた処で、背後から飛びついて来る影があった。普段であれば後れを取る事などあり得なかったが、前方へ集中していた為だろう反応が遅れた。
「つっ――……って、お前はフィナか?」
必死な様子で背中にしがみ付く小さな影は、今井さんに弟子入りした双子の内の妹の方だった。後ろからは、今井さんとそれを守る形でもってユミルが走って来る。
状況が見えずにいた正巳だったが、どうやらそれはここに居ない片割れにヒントがあったらしい。背中にしがみ付いていたフィナだったが、絞り出すようにして言った。
「見つからないの、何処にもいないの……」
どうやらそういう事らしい。
現状での話ではあるが、敵兵はまだ上陸していない。であれば、最悪の事態には至っていないはずだ。つまり、まだ何処かにいる筈で、それはきっと思いもよらない場所。
「正巳君、ファナ君が!」
「正巳様!」
走って来た二人に、一先ず落ち着くようにと言う。
「大丈夫ですから。先ずは状況を教えてください」
パニックになっている相手には、気持ち低めの声で話しかけると良い――そう言っていた父を思い出す。すると、どうやら効果があったらしい。
冷静さを取り戻した二人が状況を説明してくれた。
「避難している途中で、ファナ君が居ないと気付いたんだ。てっきりどこか近くに隠れていると思ったんだけどね、避難所を探してもいないし、マムに聞いても隔壁を越えてもいないって言うし」
どうやら、ファナが居ないと気付いたのは、もう殆ど避難先である隔壁内に入った後だったらしい。となると考えられるのは、隔壁内に死角があるか、何か探知されない方法を見つけたか、それともそもそも避難していないかの何れかだろう。
先ず、死角がある事はあり得ないだろう。次に、探知されない方法があるとしても、現状でそんな事をする理由がない。最後は、そう……初めからこれしかなかったのだ。
考えてみれば、ファナは好奇心が並みはずれて強かった。
となれば、今回の戦闘に興味を持ったとしても特別おかしな事でもないだろう。何せ、戦争に遭って攻め込まれる事など滅多にない状況だ。これを逃せば一生経験しない可能性もある。
「くそっ、考えろ……」
取り返しのつかない事態になる前にと考え始めた正巳は、この瞬間の判断に、重要な分岐点が重なったのを感じていた。ここで間違える訳には行かない。
もし間違えば、一人や二人の影響では済まないだろう。それこそ、この一点の間違いが全てのバランスを崩し、それが結果的に破滅をもたらす事だってあり得る。
慎重に、しかし素早く確実に……。
その場にいた全員が、正巳の判断を待っていた。




