324話 ノワール号 【三】
振り返ると、ハッチが閉じて行くのが見えた。
それまで見えていた唯一の光源が消えると、次第に暗闇へ目が慣れて行くのを感じる。真っ暗にも思われた夜の海だったが、目が慣れて来るとどうやらそう言う訳でもないらしいと分かった。
『アレは街の光か?』
ラウルの呟きが聞こえる。本来、通信機を使用している訳でも無い自分達に、声を伝える何の手段も無いはずなのだが……その点において自分達は特別なのだ。
『拠点型だったと言うのは本当だったのだな』
通信機ではない、脳に組み込まれた特殊なチップと、その過程で活性化された脳波で会話をする。難なのは、受信できる相手が近くに居れば、誰彼構わず伝わってしまうという点だろうか。
『そうね、と言うかその位人工衛星でも何でも使って、確認しとけって話よ』
ミーシャが答えるも、それに応じたのはラットンだった。
『でも、それが出来ないから、今回僕たちに仕事が回って来たんじゃないのかな』
どうやら緊張しているらしい。普段であれば頷くだけなのに、今回は自分の考えを口にしている。……いや、口にしていないからこそ、考えを言ったとも取れるか。
『うっさいわね、そんなの分かってるわよ』
声を上げるミーシャにラウルが応じる。
『おめえの声が一番うっせえわ。ってか、一般人に公募かけるとか普通じゃねえよ』
それに何か考える処があったのか、一拍置いてミーシャが言った。
『まぁ公募と言っても、あたし達みたいなどうでも良い人間に対してだった。みたいだけどね』
雲行きが怪しくなって来たのを感じたグラスは、口を挟もうとするも、どうやらその時間は無いらしかった。それまでひと言も話していなかったジェレミーが、言った。
『目的の物確認、対象は海上に浮かんだ独立装置かと思われる。独立した装置が連結している為それを解除、分断する必要がある。どうするリーダー?』
予め打ち合わせした通りではあったが、インストールされていた知識を用いて対象の調査をして来たらしい。一瞬反応が遅れたが、深呼吸して落ち着くと言った。
『よし、それじゃあラウル、ラットンはジェレミーと共に行け。ミーシャとストーンは俺と共に海面に浮上、分かれて当たるぞ』
その後、指示通り二手に分かれた。
必要な工作機は持って来ているが、ジェレミーは物理工学面での知識を持ち、ラウルは兵器全般の知識、ラットンは熟練工兵と同等の知識がある。任せて問題ないだろう。
『これがターゲットか……』
それは、上の方が四角く下の方がすぼまっている、とても大きな装置だった。連結部分も確認できるが、どうやら手前の端一つだけ連結が外れているみたいだった。
他の個所を確認するも、とてもではないが簡単に外れなそうな気配だった。
水中で使用でき、鉄をも焼き切る機械を持って来てはいるが、これを使っても相当時間が掛かるに違いない。それであれば、ちょうど外れているこの装置を持って帰った方が良いだろう。
『報告。装置はハつで固まっており、それが三セット確認できた。全て海中でホースを通して繋がっているが、これがどうにも切断する以外に外す方法は無いと思われる』
どうやら少し面倒な事になっているらしい。早めに事に当たらなくては、下手すれば数時間単位でかかる事にすらなりかねない。それもこれも、どの程度の障害かにもよるが。
『了解した。こちらで連結が外れている装置を確保した為、その装置下、海中の障害を排除してくれ。場所は本艦側、三時の方角だ』
了解と返って来たのを確認すると、装置の上によじ登り早速他の装置から離し始める。装置自体、一つが一辺で四メートルはある大きなサイズだった為、離すだけでも力が必要だった。
ミーシャとストーンと協力して作業していたが、何か気になる様子でソワソワしていたジェレミーが言った。
『リーダー、あれって本当にここ数年で出来たのかな?』
それに視線を動かす事無く答える。
『任務に集中しろ』
『でも、アレは余りにも……』
きっと、その街の灯りに心が奪われたのだ。これまで数カ月単位で変わらぬ光景、退屈な環境で過ごして来たのだ。その気持ちは分からなくもない。しかし、それは命取りになり兼ねない。
再び注意しようとしたグラスだったが、今度はストーンの言葉に頭が痛くなって来た。
『あの光、消してはダメか?』
どうやら、少し先で海中に漂っている光源の事を言っているらしい。
『ダメに決まってるだろ、あれが繋がっていれば俺達の事も、何か異常が起こっている事も知られてしまうからな。それに、海中での作業の良い目くらましにもなる』
『そうか……』
不安そうな顔をするストーンに、何処か不安定さを感じ取ったグラスは(体が強く大きいのは心の弱さを隠すためなのかも知れないな)と思った。
その後、作業に集中していたグラスだったが、不意に聞こえて来た言い合いに手を止めた。
『そんなの俺が許すと思ってんのかよ!』
『でも、これは僕がやるべきだと思うんだ』
『ふざけんな!』
『だって、僕は痛みを感じないから』
『クソが、それとこれとは話が違ぇよ!』
『僕、引かないよ。リーダー皆を頼むよ』
何か問題が生じたらしい。
『どうした。説明しろジェレミー』
そう言って状況報告を命じたグラスだったが、次の瞬間起こった事態にそれ処ではなくなった。不意に消えた灯りに、直後感じた背筋を撫でるような気配。
慌てて振り返るも、どうやらストーンの仕業では無かったらしい。
横に座り込んだ気配にミーシャを呼んだ。
「周囲を警戒――」
しかし、それを言い終えぬ内に上がる閃光と爆発音。
衝撃で海中に投げ出されるも、どうにか体勢を立て直すと無事を確認する。
『無事か?』
『ええ、私とストーンは』
『こっちも合流する』
『……』
『ホースは?』
『切断できたよ』
ジェレミーの言葉に安堵すると、ミーシャとストーンに指示して装置の回収を始めた。どうやら、先程の衝撃で完全に外れたらしい。二人に両側に配置するように指示すると、言った。
『帰還する。二人はブーストを起動し先行せよ。切れたタイミングで交替、艦に収容し撤退だ』
それに応じたミーシャとストーンが、潜水服に取り付けられた加速装置を起動する。どうやら、問題なく運べそうだ。潜って行くのを見送ると、ジェレミー達と合流した。
◇◆
合流してすぐ、一人足りない事に気付いて問いただすと、ラウルの無言とジェレミーの「彼は役割を果たしたんだ」という言葉が返って来た。
『つまり、ラットンは爆発に巻き込まれたと言う事か?』
グラスの言葉にジェレミーが頷く。
『そうだね、彼はそれを知って志願した』
『そうか……』
きっと、先程の言い合いは納得のいかないラウルとの衝突だったのだろう。
『クソッ、ふざけやがって』
吐き捨てるように呟いたラウルと、後方に上がった炎を見て言った。
『全ては終えてからだ。まだ任務は終わっていない』
どうやら、点火したのはホース内の燃料に対してだったらしい。
後方でホースのあった辺りから上がる炎と、前方を行く装置のホース部分を見るに、きっとあちらからは既に大半の燃料が抜けた後なのだろう。
ホースから散る細かい物質が少し気になったが、一先ず無気力状態になったラウルを抱えると、ブーストに点火した。
『あいつ、何が「妹を頼む」だよ。自分で会いに行けってんだ……無責任だろそんなのよぅ』
◇◆
途中、装置を運ぶ役を交替しながら進んだが、見えて来た処で服に仕込んでいたボタンを押すと、少し間があって後船底に用意された収納庫が開き始めた。
『そのまま俺達も乗り込むぞ、中から戻れるからな』
そう言って入ろうとしたグラスだったが、ふと背後に光るものが見えた気がした。
何かと思ってそちらへ集中するも、閉まって行く格納扉の向こうにその姿が完全に確認できた瞬間、全身に鳥肌が立つのを感じた。
『急げ、早く出せー!!』
『ちょ、うるさいんだけどぉ?!』
『そうだね。それに、ここで叫んだ処で上には聞こえないよ』
不思議と落ち着き払った様子のジェレミーが気になったが、今はそれ処でないだろう。衝撃に備えるように体を強張らせた。しかし、来ると思った瞬間が来る事は無かった。
薄っすらと目を開けると、灯りが付くと同時に半分ほど排水が始まった処だった。
『リーダー、今は中に戻らないと。早く休みたい……』
ミーシャの言葉に頷くと、端に備えられた梯子を上るため歩き始めた。
後ろを付いて来るラウルは、やはり肩を落とし力のない様子だった。その様子を見ながら、先程の一連の事態とその結果得たモノ、失った者を考えてグッと奥歯を噛んだ。
――皆を頼むよ。
分かっている。
そんな事言われるまでも無い。
艦内に戻ると、中は慌ただしく怒声が飛びまわっていた。
「今度は十二時の方向だ、この化け物俺達を馬鹿にしてやがる!」
「うるせえ! そんな事どうだって良い、早く振り払う方法を考えろ!」
「クソッ、今度は何だ。この影は……魚にしては早すぎるぞ!」
「おいおい、壊れたんじゃないだろうな! 数十処じゃ無いぞ!」
「まさか魚雷か?」
「それじゃあ、上の化け物はなんだよ!」
先程閉まる寸前に見た、蛇のような節が沢山ある巨大な化け物の事を言っているのだろう。仮にあれが攻撃して来るとしたら、きっと唯では済まない。
こちらは金属製で、本来何の心配も無いと言いたいところだが……。何にしても、自分達の仕事はこれで終わりだ。あとは無事帰れることを祈る他ないだろう。
「部屋へ戻り次第、帰還するまで自由にしろ」
そう言って喧騒の中を歩き始めたグラスは、先に潜水服から着替えると部屋に戻った。
部屋の入口、その主人を無くしたベッドに視線を向けたグラスは、目を閉じて数秒黙とうした後、ゆっくりと自分のベッドへと上った。
相変わらず固いマット。
横になり目を開けると、そこには黒い箱がある。
「……あとにするか」
きっと、今繋いでも報告どころではないだろう。
艦長室へと繋がる通信装置を前に、揺れる船体が落ち着くのを待つ事にした。
ストラップが左右に揺れている。
「やっと終わったのか……」
どこか遠くで歓声が聞こえた。
誤字報告等、いつもありがとうございます! 今回も書きっぱなしでの投稿となるので、何かおかしなところがあったら申し訳ありません。日頃の感謝を込めて。




