319話 業火によりて
目の前の海面を猫が跳ねている。
――とは言っても、さすがに本当に跳ねているのではない。水に潜ってから海面を飛び出すまで、そのスパンが短い為、まるで海面を飛び跳ねながら歩いているかの様に見えるのだ。
水面に着くと同時に出て来る影。
着水と同時にと言うのは、一見おかしな事の様にも思えるが、その仕組みは単純だ。一体ではなく二体が、入れ替わるようにして代わり替わりに跳ねているのだ。
「ふむ、まるでサーカスに来たみたいだな」
その様子を見ていたアブドラが、感心している。
きっと、魚か何かを調教したとでも思っているのだろう。それか新型の機体を作ったか。その証拠に「あれはヒレか、鱗も見えるな」などと呟いている。
残念ながら、ヒレも鱗も無いのだが……。
「まぁ、最近ずっとこればかりだからな」
そう言って手を二回叩くと、跳ねていた二匹がこちらへと向きを変えた。よく見ると、二匹に並行して岸沿いを小さな毛玉が走って来るのが分かる。
途中まで海中へと目を向けていた毛玉たちだったが、どうやらこちらに気付いたらしい。目が合うや否や、わき目もふらずそのまま走って来た。
「みぃーー!」
「みゃーー!」
それを受け止めると、ひっくり返して腹をかいてやる。足をパタパタと動かして応戦してくるが、きっとこの夜の時間帯こそ、こいつらの活動時間帯なのだろう。
「ははは、お前たちは元気だな」
ステテテテと来てそのまま飛び込んで来たのは、二つの毛玉。それぞれ白と黒をしていたが、きっと日中相手してやらなかったのが、ここに来て爆発したのだろう。
嬉しそうに体をクネらせたり、甘噛みして来る。
そんな毛玉たちの相手をしていると、途中で海から上がった二匹が歩いて来た。
その身体には、一見ハーネスの様にも見える専用スーツが付けられており、海中では顔を覆う形で変形するマスクも、地上では頭の上で兜の様に収まっていた。
「まさか、犬……いや猫なのか?」
驚いているアブドラに頷いて紹介する。
「ボス吉とシーズだ。こっちのチビ達はふたりの子共だな」
正巳の言葉に、ボス吉は頭を下げ、シーズは体を伏せた。少し前までシーズは、体をゴロンとさせお腹を出していたのだが、どうやらボス吉が止めさせたらしい。
アレはあれで可愛いと思うのだが。
「ふたりとも自由にして良いぞ」
そう言うと、姿勢を崩したふたりが歩いて来て両脇に落ち着いた。やはり、なんだかんだ言っても水中より地上の方が落ち着くのだろう。
シーズに至っては、ほっとしている様子さえある。
そんな様子を横で見ていたアブドラは、一連の事に呆気に取られたようだったが、それが段々と我に返って来たのだろう。無理やりに作った笑顔を向けて言った。
「うむ、常識を捨てろと言う"常識"を忘れていたわ」
正巳としては、まるで「常識がない」みたいに言われるのは心外だったものの、目的の一つでもあった"シーズの元気な姿"を見せられて満足だった。
その後、話の中で「猫は泳ぐものなのか?」と聞かれたので、スーツの具体的な性能をぼかしつつ「テクノロジーのお陰だな」と答えておいた。
そんなこんなでゆったりとした時の流れの中、話は様々な事に及んだ。
中でも注意を引いたのは、徐々に狭まりつつあると言うグルハへの"包囲網"についてだった。どうやら、国際社会が連携してグルハへの政治的・経済的な圧力を強めているらしい。
その原因は、考えるまでも無くハゴロモとの"同盟関係"だろう。一応、グルハの他に日本とガムルスとも協力関係を結んでいるが、その辺りの事情はグルハとは少し違う。
実際、日本は政治的な取引をして上手い事いなしていたし、ガムルスに限っては密かに兵器を発注していたり、表に出せないような事をしていた"政治の弱み"と言うべき情報を握っていた。
その結果、本来分散する圧力が全て一つとなり、グルハへと向かっていたのだ。
求めるのは、こちらで提供しているあらゆる技術及び、その利権だろう。
なぜそこまで力を入れるのかと言えば、それはグルハの技術的な圧倒的進歩が背景にあった。世界的に見てそこまで先進的とは言えなかったグルハが、今ではハゴロモに次ぐほどの技術大国になっている。その変化は、先十年処の変化ではない。
何せ、砂漠だった土地に緑が生まれ、都市を囲む半透明な"ドーム状防護壁"と、夜も仄かに明るい"疑似太陽"が話題になるほどの劇的な変化なのだ。
食料に関しても、ハゴロモの提供した生産技術が食糧不足を解消し、今では殆ど飢餓の話も上がらなくなっている。生産量に関しては、既に満足のいく水準に達しているだろう。
そんな、豊かになりつつあるグルハだったが、現在深刻な問題となっているのは、本来の国家的主事業であった"原油"を初めとした原料。その輸出量が激減したと言う事だった。
つまり、外貨を稼ぐ事が出来ない。
いくら劇的な変化を持って多方面で豊かになりつつあるとは言っても、その根は原油で潤ってきた国なのだ。急に国内で回るよう産業改革をしろと言っても、早々に出来る事ではない。
それに、もう一つ問題となっているのが輸入量の激減だった。
どうやら、グルハ向けに輸出する国に対して、国連主導で経済制裁を科しているらしい。
なんだかんだ言っても国によって存在する特産、その味を知っている者にそれを忘れろと言っても、それは中々難しい話だろう。
この先、完全に外からの輸入が無くなったとして、今度は国内からの不満が高まるのは目に見えた事だった。きっと、それを見越してのこの"包囲網"なのだろう。
報告は受けていたが、直接話を聞くとまた違った形で見えて来る。
「そうか、結局避けられなさそうだな……」
そう呟いた正巳に、難しい顔をしていたアブドラは、開き直るかのように笑うと言った。
「ふはははは、何にしても我――いや、我らはお主らに着くと決めたのだ。この先どうなろうが我は我の信じた道を進むさ。それにしても、こうしているとやはりここは、おとぎ話の国だな」
それに首を傾げて返す。
「おとぎ話の国か?」
おとぎ話と言っても、そう言った類の本を読まなかった正巳にとっては、その想像がさっぱりつかなかった。語彙的な意味として、子供に聞かせるような話と言う事は分かったが。
どういう事か分からないと言った様子の正巳に、「お前にも知らない事があるんだな」と楽しそうにしたアブドラが、一呼吸した後で口を開いた。
「その国、昔栄えし大国也や。
比類なきその大国は、美しくとも恐ろしき。
ただ和を持って交流せしば、その和に応えし知を以て返す。
ある時その富み狙いて襲いしは、その国一夜に滅ぶなり。
永く世を治めるも、ある時その国悪き王立つ。
その世、これまで滅ぶなり。
その時、天上開きたり。
業火によりて滅びたり。
――その国の名は、アトランティス」
まるで歌うようなその話に聞き入っていた正巳だったが、終わるなり言った。
「いや、滅びてんじゃねーか」
素で突っ込みを入れた正巳に、「確かにそうだな」と笑ったアブドラだったが、言われた方としてはたまったものではない。縁起でもないとムスッとした正巳に、アブドラが言う。
「なに、"悪き王"さえ立たなければ問題は無い。そもそも、当の国は海に沈んだと言う伝承だがな、この国は既に沈んでいるも同じじゃないか。ワハハハハハ!」
笑うアブドラに「笑い事じゃないだろ」と悪態を吐くも、その裏で「お前がしっかりするのだぞ」と言われたのだと気付いてはいた。笑う横顔を見ながら、ため息を吐くと言った。
「そうだな。少なくとも、家族にとっては常に良き存在で居るつもりだが……」
そこまで言って、ふと肌に感じる違和感があった。初めに反応したのは正巳だったが、そのコンマ数秒後に隣で伏せていたボス吉、続いてシーズが立ち上がった。
「何だ、何かがおかしい――」
次の瞬間、爆音と同時に炎が上がった。
どうにか更新できました!
いよいよ動き出す世界――お楽しみに!




