306話 鬼の腕
「目的はこの国を内部から弱体化させる事、そして暴発させる事だろう」
そう言った正巳に、兵士たちがざわつき始める。
本来このような場で私語するなどあり得なかったが、それも仕方のない事だろう。何せ、自国に入り込んだ工作員によって、テロ行為が行われていると聞いたのだ。
落ち着くまで待とうかと思った正巳だったが、どうやらその必要は無かったらしい。
「静まれ」
口を開いたのはバラキオス。大きな声では無かったが、不思議と通る低い声だった。それまでざわついていたのが嘘かのように、元の緊張感ある雰囲気に戻る。
その様子に感心した正巳だったが、視線を戻すとそこには、眉間にしわを寄せ目を閉じた男がいた。きっと、周囲の様子など欠片も入っていないのだろう。
少しの間があった後、ゆっくりと目を開けたアブドラが言った。
「それで、その村にいた我が国の民はどうなった?」
普通、工作員がどんな活動をしていたかとか、その影響についてとか、得ている情報はとか、そう言った今後へと目が向くものだろう。それなのにこの王様ときたら……。
「ふっ……」
予想通りの展開に(やはりこいつはこう言う男だ)と笑みを浮かべそうになった。
しかし、ここで緩んだ顔を見せる訳には行かないだろう。どうにか頬の筋肉を抑えると、捕虜となった工作員とそれを連れた二人にチラリと視線をやった。
正巳の視線を受けた二人、ハク爺とハクエンは小さく頷くと、捕虜二人を引き後ろへと下がって行く。ここでアブドラないしバラキオスが手を上げれば、この捕虜の命は無いだろう。
これは予め決めていた事だったが、話が終わるまではこの二人を守る事にしていたのだ。話を終えた後での判断であれば構わないが、衝動的な反射はあとで困る事になる。
つまり、アブドラ側でコントロールが効かなくなる可能性がある以上、少なくとも落ち着くまでは、こちらで管理するの事にしたのだ。これが両者にとって最善だ。
「……もはや他人事では居られないか」
小さく呟いた言葉にアブドラが首を傾げるが、それに「何でもない」と答えると言った。
「村は崩壊し村人は全て亡くなった。先ほどここに来る際、最後の一人を看取って来た処だ」
視界の端にサナが唇を噛むのが見えた。
思いの外冷静だったアブドラは、頷くと先を促すように言った。
「知っている限りの事を教えてくれ」
きっとこれを話せば、その感情を荒立てる事になるだろう。
ちらりと見ると、マムと視線が合った。当初マムは「話さなくても良いのでは」と言っていたが、その瞳には最早そういった類の心配は映っていなかった。
その、全幅の信頼を寄せる瞳に力を貰うと、その顛末について話し始めた。
「事は、我々ハゴロモの"技術"に目が留まり始めた事から始まる。知っているだろうが、我々の技術は客観的に見てそれこそ数世代、数十世代先を行っている」
たまに呼び出されて研究室に見に行くが、その中には元々が形になっていない、単なるアイディアでしかなかった様な技術まで目にする事がある。
まだ実用段階では無かったり欠陥が幾つもあったりもするが、それらについても考えられないほどの速度で改善、改良、実用化されて来ている。
つまり、何処を取っても"数世代"と言うのはかなり低く見積もっての話なのだ。
「そして、この技術の中にはそれを運用する事で莫大な利益を生み、国を潤わせ、或いは他国を支配する力さえ与える物もあるだろう。さて、そんな事を知ったらどうなる?」
正巳の話に心当たりがあるのだろう。
頷きながら聞いていたアブドラが、小さく息を吐くと言った。
「是が非でも……奪い合いだな」
若干本音が見えたが、それだけ正直に話しているのだろう。
「そう、そしてそれを当然我々も予想していた。各国が我々を取り込もうと、それが無理なら奪い取ろうと、盗み取ろうとした。が、それらに対して我々はそれが不可能だと示したんだ」
示したと言っても、別に特別な策を講じた訳ではない。単に、圧倒的な力で以って侵入を防ぎ、襲撃を撃退し、要求を拒否したまでだ。それがハゴロモには可能だった。
無言で頷くアブドラに言葉を続ける。
「我々からは奪えない、が、どうしても手に入れなくてはならない。次に目を付けたのは、その協力国――いずれ恩恵を受けるであろうこの国"グルハ"だったと言う事だ」
正巳の言葉に複雑な表情を浮かべるアブドラだったが、その視線に気づいたのかニヤリとすると言った。
「つまり、我がグルハはその"恩恵"を受けられると言う認識で良いのか?」
こちらに配慮したのだろう。それに苦笑すると言った。
「話を戻すが、これがそもそもの切っ掛けだ。この流れがあって工作員が入り込み、今回の村での一件に結び付くわけだが……」
そこで言葉を止めると、それに視線を合わせたアブドラが言った。
「ああ、なんだ? 別にそれが切っ掛けだったとしても大した話ではない。そもそも切っ掛けと言えば、我がそちらに同盟を持ちかけた事がそもそもの切っ掛けだろう。責任があると言うなら我にある」
それに頷いた正巳は、内心ほっとしていた。
別に試した訳ではなかったが、ここで責任云々言ってくるような相手であれば、今後の関係とその構築の仕方を考えなくてはいけないだろうな、と心のどこかで考えていたのだ。
言い切ったアブドラに、バラキオスは嬉しそうに頷いていたが、ライラは少し困った顔をしていた。そんな様子に(上手くバランスが取れていそうだな)と頷くと続けた。
「村で行われていたであろう事は、裏が取れている情報以外には話せない」
状況証拠によって推測される事も幾つかあったが、それらは飽くまで"推測"だ。ほぼ間違いない事でも、今回は感情への影響が大きすぎると予想されたので、控えておく事にした。
再び険しい顔つきになったアブドラに、これ以上前置きは不要だなと話し始めた。
「この村が選ばれたのは、成り代わるのに丁度良い規模だった為だ。四十名程度の村、制圧するにも相手は農民だ。そう時間は要らなかっただろう」
それこそ、場合によっては十数分もかからず終わる可能性が高い。
「虜になった村人は、その大半が裏の市場に流されている。そも行き先は臓器移植を扱う病院だったり、はく製にして鑑賞を行うような下種な趣味を持つ富裕層だが……それについては、いずれ社会的な"制裁"を受ける事になるだろう」
そこで言葉を止めた正巳は、アブドラの様子を見て(対策しておいて良かったな)と思った。目の前に男たちを並べたままだったら、きっと今頃その怒りを身に受けていたに違いない。
しばらく落ち着くのを待っていると、やがて大きく息を吐いて言った。
「実はな、我らも備えていたんだ」
それに問いを返す。
「備えていた?」
すると、それに頷いたアブドラが言う。
「ああ、近い内起こるであろう"戦争"に備えてな。ほら、気付かなかったか?」
そう言って視線を扉の方に向けるが、正直なところ直ぐには思い至らなかった。少し考えた正巳は、そう言えば何となく荒立った気配が多いなと感じ取ると、ようやくそれに気が付いた。
「なるほど、首都に軍を集めたのか」
それに頷いたアブドラが答える。
「うむ、当然分散させた戦力を戦略的に配置させているがな。ここの守りを一番に固め、何かあれば直ぐに進軍できるようにしている。勿論、要請があれば直ぐに」
呆れた事に、ハゴロモ側で何かあれば出撃するつもりだったらしい。口を開いた正巳だったが、続けたアブドラの言葉に黙るしかなかった。
「元々、地方にもある程度軍を駐留させていた。その駐留軍には、地域一帯を回って異常が無いか見回る役割もあったのだ。それなのに……うむ、住民には済まない事をした」
日本の警察のような組織のないグルハでは、軍が警備の役割も担っている。今回、招集命令によって軍隊を集めた様だったが、そのしわ寄せが思わぬ形で影響したらしかった。
何と言ったものかと思ったが、その様子から黙っている事にした。
きっと今アブドラの中では、後悔の念と怒りの激情とが渦巻いている事だろう。これは本人の中で決着をつける以外に、外部から触れてどうにかする事は出来ない。
――そう思っていたのだが。
横に控えていたライラが、そっと近寄ると頭を垂れた。
「我が君、それが最善だったと私は信じています」
すると、それにバラキオスも続く。
「我が王よ、我らはその言葉に従います。この身が続くまで」
どうやら、"この身が続くまで"と言うのは一つのフレーズだったらしい。控えていた兵士たちが足を振り上げると床を蹴って「この身が続くまで!」とあとに続ける。
その様子に、正巳達の中にはない一種の"歴史"を感じた。
同じフレーズを一つとなって唱えるのは、確かに結束を強めるのに良いかも知れない。ただ、正巳としては少し恥ずかしいので、提案されてもまず却下だが……。
何となく視線を感じて見ると、マムが目を輝かせてこちらを見ていた。それに気付かない振りした正巳は、自分の感情に区切りを付けたらしいアブドラに目を向けた。
すると、それに頷いたアブドラが言う。
「あ奴らを引き渡して貰えるか」
大丈夫そうだ――そう判断した正巳は、手を上げて合図すると捕虜二人を連れて来させた。二人とも神経毒が回り動けず、目と口と耳が塞いだ状態だ。
「この神経毒は解かない限りそのままだが、解毒するか?」
それに頷いたアブドラを確認して頷くと、マムが近づいて行く。男たちの首元に手を当てたマムだったが、直ぐに引くと「済みました」と言って来た。
「拘束は――「解いてくれ」」
解毒後、五分もすれば動けるようになると聞いている。拘束を解けば、暴れるリスクもあったが……アブドラの言葉に頷くと拘束を解かせた。
次第に合う焦点とパクパクと動く口。
確か責任者の方だったか、先に若干回復した男がよろよろと立ち上がった。
「アブドラ王よ、私たちは――」
それに応じたアブドラは、その腰に備えていた儀礼刀を取ると振り抜いた。
一拍置いて響く、絶叫。
「喚くな。高々腕の一本。なんて事は無いだろう?」
やろうと思えば止める事は出来た。
しかし、これはアブドラの"判断"だ。
「血を止めるぞ」
「頼む」
刀を収めたアブドラを横目に頷くと、マムが移動してその身体を押さえつけ薬を塗り始める。この薬は、飽くまで傷を塞ぐ役割のみしか持たないがそれで十分だろう。
目の前で起こった突然の事に、連れて来たメンバーに動揺はないかと確認するも特別取り乱した様子はなかった。若干ハクエンと護衛部所属の班員に動揺の色はあったが、それでもこう言った事も覚悟していたのだろう。取り乱した様子は感じられなかった。
「連れて行け」
アブドラの言葉に前列にいた兵士が頭を下げ、腕を引いて連れて行った。腕を失わずに済んだ男の方も目を剥いていたが、それでも叫び声を上げたり喚いたりする事は無かった。
その後、静かになった広間の中、突然顔を上げたサナが言った。
「ハム食べたいなの……」
どうやら、その隅に転がっていた"腕"をじっと見ていたらしい。
それに頭を抱えそうになったが、一拍置いて笑い声をあげたバラキオスとハク爺、そしてアブドラの「うむ、とっておきのご馳走を用意しているぞ」という言葉にため息を吐いた。
静かにしているとは思ったが、もしかしたらずっとハムの事を考えていたのかも知れない。
その後、アブドラの号令によって食事会に移る事になったが、その場から移動する正巳達の中、ひと際視線を集めたがサナだった事は言うまでも無いだろう。
◇◆
自分達の王と上司、客人である一行が去った後しばらくの間話題が尽きなかった。
「アレを前にして微動だにしないとは」
「ああ、とんでもない胆力の持ち主だ」
「ところで、あの幼女は何なんだ?」
「バカ野郎、前に話しただろあれが剛力幼女だよ」
「えっ、あの持ち物全部腕っぷしで掻っ攫われた?」
「そうだよバカ野郎、おれの時計がよぅ……」
「じゃあもう一人は誰なんだ? とんでもなく綺麗だったが」
「それな、あれは将来美人になるぞ~」
「バッカだなぁ、将軍――っと今は元帥か――によるとだなぁ、あの幼女こそ真の剛力幼女。物静かなように見えて、姉であるあの子の方がとんだ過激らしいぞ」
その後も盛り上がった一同だったが、その後「夕方ごろ一緒に宴を開く」と聞いて、「腕相撲大会だ!」と盛り上がったのだった。
身ぐるみ全て剥がされるとも知らず……。




