299話 綺麗な海
プールを後にした正巳とサナ、マムの三人は拠点下層部へと移動して来ていた。
目の前にあるのは地下研究所、今井さんの住居にして戦場だ。今日ここに来たのは用事があると呼ばれたからだったが、お見舞いに来ようとも思っていたので丁度良かった。
内容に関して事前に聞いてはいなかったが、詳しい話は直接聞けば良いだろう。新たに増えている機体の間を歩きながら、その合間に見える半透明の強化パネルの向こうに目をやった。
そこにあるのは"全自動立体生成出力機"、大型専用の立体形成機で3Dプリンターが専門特化した機械だった。最近はこれで海中用、探索機体を作っていると言う話だが……。
「ますますやりたい放題だな」
苦笑しながらそう呟くと、その先に見える部屋へと向かった。
ドーム状に架かった天井と五角形のパネルで構成された外壁、遠くから見た事はあったが中に入るのは初めてだった。近づくと壁が変形して入口が出来る。
「おや、正巳君じゃないか!」
中に入ると、そこに居た今井さんが嬉しそうに手を振って来た。どうやら、強化外骨格を装着しているらしい。塗装のされていない機械が見えていた。
手を上げて返すと、様子を伺いながら聞いた。
「歩いて大丈夫なんですか?」
例え強化外骨格を着ていても、それは飽くまでも"補助"であり負担がゼロになる訳では無い。安静にしていなくてはならないだろうに、良いのだろうか。
心配そうにするも、それに頷くとどうと言う事は無いと言って返して来る。
「急な動きさえしなければね。それより、ほら見ていてくれ給え!」
そう言って手元のパネルを操作し始めた今井にどうしたのかと思ったが、直後起こった変化に思わず息を呑む事になった。その内側は外見そのままにドーム状だった。
そのドーム状をした壁が一瞬にして切り替わり、深い青を映す。
「これは?」
取り敢えず説明を求めると、楽しげに笑って口を開いた。
「これはね、ちょっとした"シアター"だよ。ほら、これなら手順踏まずともお手軽に共有できるだろう? いずれ、もう少し大きい規模で実装したいんだけどね……っと、話が逸れたね」
シアターと言うには少しばかりリアルが過ぎる。以前確認した時は、レンズを通した拡張現実の研究をしていた気がするが……どうやら、そのレンズでさえ面倒だと判断したらしい。
目の前を泳ぐ小魚に手を伸ばしながら言った。
「これは、ホログラムとの融合ですか?」
触れたかに思われた瞬間揺らぐもその感触はなく、直ぐに揺らぎも戻っている。正巳の問いに頷いた今井が口を開くも、聞いた事を少し後悔した。
「そうなのだよ。色々試行錯誤してみているんだけどね、この方法が一番安定していて現状ではベストなんだ。他の方法として、直接脳に映像信号を送る方法もあるんだけど、これは倫理的にちょっとね。それより、ほら空間の形状と広さでも違うんだけど、この五角形の壁が内部の座標把握と映像の出力指定には最適でね……」
その後も続いた説明を流し気味に聞きながら、その美しい映像――もはや景色と言っても差し支えないレベルだったが――を見ていた。
この映像自体は、きっと実機から飛ばしているのだろう。段々と変わって行く光景の中、ふと気になった物があった。それは、水中に浮かんだ細長い形をしていて……。
「今井さん、アレは何ですか?」
話を遮る事になったが、特に構う様子もなく頷いて説明してくれる。
「ああ、アレはね"一次集積庫"通称ゴミタンクだよ。ここ一ヶ月程度、集めたゴミとか汚れをどうしようかと思ったんだけど、結局集めて置くしかなくてね。こんな事になってるのさ」
どうやら、今回呼ばれたのはこの件が関わっているらしい。なるほどと頷きながら、その先に浮かぶ集積庫もといゴミタンクたちを見て、想像より少し多そうだなと苦笑した。
そこにあったのは、タンクの山――つまり集められたゴミが詰まった廃棄物の山だった。
その数を数えながら聞く。
「それで、つまりこのゴミの廃棄先について困っていると?」
現時点でゴミタンクは、八つあるみたいだった。その全てが満タンでないとしても、相当量のゴミが集まっている事だろう。正巳の問いに今井が頷く。
「そうなんだ。僕らには廃棄物用の埋め立て地なんて無いからね」
どうかなと聞いて来る今井を横に、少し考えてみた。
まず間違いなく、可能であろう一般的な処理方法については検討した筈だ。そして、その一般的な方法ではきっと問題点が多くあるはずで……。
ふむ、取り敢えず今井さんの求めているであろう流れに乗ってみるか。
今井が何を考えているのか、何を思い付いたのかは分からなかった。
ただ、こうして呼び出した時点で、何か策を思いついたであろう事は予想できる。ここで問題のある一般的な方法を提案するのは野暮にも思えたが、一応話の流れとして口にしておく事にした。
「方法としては、買って貰うか買わせるかですかね」
一応、深海に投棄するなどの方法も無くはないが、それは将来的な事を考えた時選択肢には入らないだろう。他国では過去海中への投棄が横行していた過去もあったようだが、ここでは論外だ。
正巳の答えに満足したのか一瞬笑みを浮かべた後、わざとらしくため息を吐き言った。
「やっぱりそれしかないよね、そうなると少し面倒が掛かるけど」
これまた段階を踏んで来る。
ここで言う"面倒"と言うのは、大きく二つ考えられるが……
先ず考えられる面倒は、どうやっても何処かの国に借りをつくる事になると言う事だ。例え正当な対価を支払っての事だとしても、こちらからお願いする以上は避けられない。
次に考えられる面倒は、それがいつまで続くのかと言う事だ。ゴミの量に際限があるのであればまだ良いだろう。しかし、ここは"海"で全世界と繋がっている。
例え一帯の海を綺麗にしても、それは一時的な解決にしかならないだろう。どこかの国が海を汚せば、回りまわってその汚れが辿り着くのだ。
つまり、普通にしていては誰かが流した汚れやゴミを、対価を支払って綺麗にする"他人の尻拭き"を、永遠に続けると言う事になり兼ねないと言う事だ。
……実にアホらしい。
初めの"借り"については、友好国に頼めば多少面倒ではあるものの、許容範囲内に収まるはずだ。問題なのは、二つ目の"終わりがない"と言う点だ。
この二つ目は、"面倒がかかる"とかそう言うレベルではない。言うなれば、永遠に掛かり続ける面倒で、何処かで解決しなくてはいけない"課題"ですらあるだろう。
黙ってこちらを見ている今井さんに、ため息を吐くと言った。
「こちらの負けです。聞かせて下さい」
きっと、この言葉を待っていたのだろう。それまで抑えていた笑みを溢れさせると、「なんだぁお見通しだったのかい」と言いながら、その手元を操作し始めた。
その後、景色が変わると共に現れたのは、複雑なつくりをした装置だった。
装置を前に自慢げな表情を浮かべているが、正巳としてはそんな物見せられた処で「おお凄い!」とはならない。楽しそうだなと思いながら説明を求めると、思い出したように話し始めた。
「これは"分離処理装置"と言ってね、ゴミの成分によって適切な処理をして再利用可能な原料に戻す装置なんだ。この子の凄いのは、どんな物質であっても大抵の物を処理可能だと言う点で、これはマムと繋がっているから可能なんだ。マムの処理能力が上がったから、出来る事が増えて嬉しいね!」
早口だった為か、あまりにぶっ飛んでいた為か聞き間違えかと思った。
「ええと、つまりゴミを再利用できると言う事ですか?」
少し引き気味に確認した正巳だったが、頷いた今井に苦笑した。何せ、これまで邪魔者で厄介者、どう手間少なく処理しようかと考えていた物が、真逆の"有益な物"へと変わると言うのだ。
もしゴミから得た物がハゴロモにとって不要な物でも、それは外へ輸出すれば良い。場合によっては、手間以上の利益が出る可能性だってある。
もしそうであれば、この汚れた海は"宝庫"となるだろう。
「海を綺麗にしながらそれが利益にもなる。これ以上ない解決方法ですね」
予想の遥か上を超えた今井の提案だったが、今回ばかりは手放しで称賛する他なかった。
後日、皮算用をしていた正巳の元に来たマムによって、その設備の完成させるまでにかかる時間と、その大きさを聞いて苦笑する事になるのだが……。
この瞬間だけは確かに、目の前に広がる海とその美しい水面が見えていたのであった。




