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『インパルス』~宝くじで900億円当たったから、理想の国を作ることにした~  作者: 時雲仁


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289話 医者の不養生

 拠点を移してから、約一ヶ月が経過していた。


 この一ヶ月の間にも色々な事があったが、先ず大変だった事を挙げるとすれば、人々の体調の問題が挙げられるだろう。と言うのも、二日目辺りから原因不明の体調不良者が続出したのだ。


 事態に対処する為すぐに、正巳の父で精神の専門家である征士や医師免許も保有しているロイス教授、薬品の専門家でもあるドーソン博士らの協力を仰いでいた。


 その結果、原因と対処法が分かったが、つくづく人材には恵まれていると思う。


 診察の結果出した答えは、三人とも同じだった。


 どうやら、環境の変化から来る身体的精神的ストレスが原因だったらしい。そもそも、これまで地上で暮らして来た人が、急に海上で暮らし始めるのだ。考えてみれば当然だろう。


 今回に関しては、体力のあるなしに関わらず影響が出ていたが……唯一、環境の変化によるストレスに耐性がある人――主にハク爺率いる傭兵たち――には、それほど変わった様子は無かった。


 この結果を踏まえて、今後の訓練に少しばかりの工夫(・・)を加えるらしい。


「さて、ここだな……」


 落ち着いた色合いのドアを開くと、横になった征士の姿が見えた。ここは、拠点内でも少し郊外寄りの、窓から海が見える場所に位置した部屋だ。


 中心部は人の出入りもそれなりにあるので、休息用に少し離れた場所を用意したのだ。


「お、正巳か」


 こちらに気付いて体を起こそうとするので、それを止める。


「そのままで良いよ」


 すると、それに悪いねと言いながら横になり直している。倒れた直後は、自分で体を動かせないほど疲れた様子だったが、随分と良くなったみたいだ。


「体調は?」

「ああ、随分よくなったよ」


 頷く征士にほっとしながらも、少し呆れるようにして言った。


「にしても、体調悪い本人が"安静に"とか……医者の不養生もいい処だ」


 征士は、自分が体調が悪いにも関わらず、それを横に置いてここまで診察を続けていた。その結果、限界が来て倒れた訳だが、近い内にこうなる事は分かっていた筈だ。


「それは、まぁそうだねぇ」


 苦笑して頬を()く征士に、ため息を吐くと言った。


「負担をかけて悪かった。今回のケースはマムが解析しているから、次は負担が減るはずだ。それに皆も心配していたし、早く良くなってくれないと困るよ」


 実際、珍しくあのサナでさえ「お留守番してる」と言い出したのだ。皆と同じですぐに良くなるとは説明したものの、心配かけている事に間違いなかった。


 正巳の言葉に頷いた征士は、視線を回すと外の景色を見ながら言った。


「そうだなぁ……久しぶりの海だし、ここは何かと興味を惹く物が多そうだしな」


 そう言えば、征士はマムの躯体や拠点内の機器類を興味深げに見ていた。本人は全くの機械音痴だった筈だが、興味と感心だけはあるのだろう。


 それに頷くと、少し前に今井さんの研究室(ラボ)で見た"水上移動機(ジェットボード)"の話を少しする事にした。それは、海上を通り拠点間を移動するため開発されたものだったが、単体でも中々楽しそうな乗り物だった。


「実は、父さんの好きそうな乗り物があるんだ」


 その言葉に振り返った征士は、その瞳を輝かせていた。きっと、少し休んで余裕が出て来た処で、新しい情報が欲しくなって来た処だったのだろう。


「ほぅ、それはどんな乗り物なんだい?」


 父にしては食い気味な反応に、この様子なら大丈夫そうだなと話し始めた。


「水面から数センチンチ浮いて移動する乗り物で、一度に乗れるのは大人二人まで。将来的には海面に設置して橋のように使ったりする予定みたいで……」



 ◇◆



 その後、しばらく話した処でマムからの合図があった。


 一応、安静にしておかなくてはいけない身だ。


 最低二日は休んでいるようにと言って、部屋を後にした。


 部屋を出ると、少し離れた場所にいたサナが駆けて来た。


「やっと来たなの!」


 好きにしていて良いと言ったのだが、どうやら待っていたらしい。


 その後ろを歩いて来る二人を見ながら、サナに言った。


「何をしてたんだ?」


 一緒に居たのはミューとマムだったが、マムはともかくミューは忙しかった筈だ。抱え上げろと言うので、言う通りにすると満足げな顔で言った。


「あのね、ミューもひと段落付いたから来たんだって」


 それに目の前まで来たミューが頷いて捕捉する。


「先日の内に回復した者が多かったのですが、その安定が先程確認できたので、後は任せて来ました。護衛部も給仕部も協力して対応しているので、数日以内に終息するかと思います」


 マムも頷いているのを見るに、ミューが無理していると言う事も無さそうだ。こういう時頑張り過ぎて倒れるのはミューだと思っていたが、どうやらきちんと体調管理が出来ているらしい。


「そうか、良くやってくれた」


 言いながら頭を撫でると、嬉しそうにほっと息を吐いていた。その様子を見ていた正巳だったが、ふと少し前から出ていた要望の事を思い出した。


「みんな頑張っているみたいだしな、検討してみるか……」


 それは、主に元気だった傭兵の子達を中心に要望が出始め、次第に回復した面々についても希望が出ているらしい事だった。まぁ、こんな立地にあるのだ、遅かれ早かれな事だっただろう。


 首を傾げたサナとは対照的に、直ぐに分かったらしい。


「もしかして"海"ですか?」


 そう、これは来た時から既に、一部で希望が出ていた事だった。


 海中に入る事の許可――例えば、これが何処か島であれば良かっただろう。しかし、ここは海の真ん中でしかも砂浜がある訳では無いのだ。


 当然緩やかに深くなるわけでもなく、一歩踏み出せばそこは最低十数メートル以上ある深海だ。慣れていても油断できないのが海な訳だが、何の対策も無く許可などできる筈が無かった。


 興味を示すミューに頷くと、参考までにと聞いてみた。


「ミューは海に入りたいか?」


 すると、少し目を泳がせた後で言った。


「その、これまで経験が無かったのですが……興味は少し」


 どうやら、すごく(・・・)興味あるらしい。


「でも、こんなに大量の水の中に入るんだぞ、怖くないのか?」

「それは少し怖いですが、でも……その水着と言うかなんと言うか」


 きっと、先日の今井さんとの会話を聞いていたのだろう。


 あの時は、開発がほぼ終了したという水上移動機(ジェットボード)の話から、何故か水着に興味は無いかという話になった。子供たちの手前、曖昧な答えをしていたが、子供と言うのは存外色々な事を注意深く見ているものだ。


 その瞳に輝く興味の光に苦笑すると言った。


「どうするかは話し合ってからにはなるがな、努力はするさ」


 正巳にとっての努力(・・)は、実現する事を前提にした努力だった。


 その事を近くで見て知っていたミューは、その後の足取りが心なしか軽かった。気持ちスキップするような足取りのミューに、いよいよどうにかしなくてはと思ったのだった。


「ミズギなの?」


 首を傾げるサナは全く分かっていない様子だったが、それもそうだろう。正巳が追い詰められている間、サナは先輩と一緒になってジェットボードに夢中になっていたのだから……。


 首を傾げながら「それは美味しいなの?」などと言い始めたサナに、お前はそのままでいてくれと心から思ったのだった。


 やがて、目的のエレベーター前まで来ると振り返った。


「それで、二人は何か用事か?」


 きっと、本人たちは気付かれていないつもりだったのだろう。


 驚いた声がした後で、こそこそと物陰から出て来た。そこに居たのは綾香とユミルの二人だったが、何やらもじもじとしていた。


 初め気が付いたのは、綾香の視線だった。足の使い方含め、気配の消し方は見違えるほど上達していた。きっと、師が良いのだろう。


 対して、ユミルの存在に気が付いたのは、綾香居る所にユミルも居るという前提があったからだ。殺気があれば別だが、素でストーキングされたらしばらくは気付かないかも知れない。


 用事があるのではと待っていたが、中々切り出して来なかった。仕方ないので、「また思い出したら声を掛けてくれ」と乗り込むと慌てて寄って来た。


「あの、私泳げないんです!」


 状況が読めなかったが、一先ず頷くと言った。


「とりあえず一緒に乗るか?」


 頷いた綾香と、それに続くユミルを見て息を吐くと言った。


「マム、研究室(ラボ)まで頼む」


 それに頷いたマムは、何か言いたげな視線で綾香を見ていたが、やがて頷くと言った。


「承知しました、マスターの所まで向かいます」


 それは、そのエレベーターにあった最下層を示すボタンより、遥か下にある施設だった。その場所に行くにはマムを通さなくてはならず、許可されていなくては行けない場所でもあった。


 下り始めたエレベーターの中、何とも言えぬ沈黙があった。


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