281話 白背表紙
ハク爺との対話は、それほど時間を置かずに終えていた。対話と言っても"言葉"を介したモノではなかったが……時に、言葉ではなく"拳"で語り合う事もあるのだ。
汗を拭くハク爺と視線が合ったので、軽く手を上げると言った。
「それじゃあ行くな」
「うむ!」
まるで青春の一コマかの様なやり取りだが、圧倒的に爽やかさが足らないだろう。何故なら、登場人物はおっさんと爺さんで……ふむ。
「パパ?」
「いや、何でもないさ」
背筋を撫でる悪寒に苦笑すると、歩き始めた。
「ところで、サナはまだ寝てるのか?」
「どうでしょう?」
首を傾げたマムは、「起こせば起きると思いますが」と続けながら、小さく「マムはパパとの時間が長くて嬉しいです」と言っている。
そんなマムの言葉を聞いて、もう少しこのままでも良いかなと思った。
実は、ハク爺との組手中、目を覚ましたサナがこちらを見ていたのを知ってはいたのだが、今の状態で二人が満足しているのであればそれで良いだろう。
再び歩き始めた正巳に、無垢な顔したマムが聞いて来る。
「それで、白老師とは何か進展が?」
「進展って……いや、そうだな覚悟は伝わったんじゃないかな」
タイミングと妙な言い回しが気になったが、別に深い意味は無いだろう。
それ以上突っ込まず、素直に答えた。それを受けたマムは、「覚悟をみせたのですね」と納得した様子だったが、やはり少し気になったらしい。
「でも、そもそも初めの時点で"信じて任せた"のでは無かったのですか?」
首を傾げながら聞いて来るので、険しくなりかけているマムに苦笑しながら言った。
「確かにそうだろうな。でも、人間は変わるものだからな……その人生に責任を持つ親として、自分で確認をしておきたかったんだろう」
「むぅ、パパはいつでもどんな時でも正しいのですよ!」
客観性のきの字の気配もないマムの言葉に、思わず笑ってしまった。しかし、こうして全てを肯定してくれる存在がいるだけでも、随分と違うのだなと思う。
「……間違う訳には行かないな」
そう呟いてマムの頭を撫でた。
◇◆
その後、地上階へと上がって来た正巳だったが、そこに見知った影があるのを見た。
二人は、最上階の一番見晴らしの良い場所で遠くを眺めて立っていた。何かシリアスな雰囲気を感じて、声を掛けるのを止めた正巳だったが――
「あ、ユミルと綾香なの!」
いつの間に起きたのか、マムの腕の中から飛び出したサナが駆けて行った。
制止する間も無かったが、サナであればまぁ仕方が無いだろう。これ以上雰囲気を壊してしまわない内に、正巳だけでも退散する事にした。
二人が見ているのはガラスの向こう、それぞれ大切な人のいる場所だ。
「よろしいのですか?」
何か用事があったのではないか、と聞いて来るので首を振って答えた。
「問題ない。既に整理が付いてるみたいだからな」
実は先日確認した時、二人から明確な答えを受けていた。
それも、迷いがあったどころか、即答したユミルに「本当について来て問題ないのか」と聞いたところ、「私はもう不要ですか……」と変な誤解をされたほどだった。
綾香は「お兄さんが責任取ってくれるって言ってたのに、アレは嘘だったんですね」とおどけていたが、何にしても少し心配になるほどハッキリしていた。
きっと、色々悩んだ結果ではあるのだろう。あの表情を見れば、改めて確認するのがどれほど無粋な事なのかぐらいは流石に分かる。
空気を読まず飛び込んだおまけもいるが、ここはそっとしておく方が良いだろう。
そのまま階段を下りて行くと、現在では食堂として使っている場所に一人の男の姿があった。その男は、珈琲を片手に読書をしていたが、途中で正巳に気付くと顔を上げて言った。
「やあ、早いね」
それに手を上げて返しながら応える。
「そうかな……いや、そうかも知れないね」
思い返してみれば、記憶にある限り、朝はゆっくりと起きる派だったかも知れない。隣に座りながら何を読んでいるのかと聞くと、意外な答えがあった。
「実はね、僕もまだ分からないんだ」
自分が読んでいる本のタイトルが分からない。そんな事があるのだろうかと思ったが、本人が言うのだからそうなのだろう。頷くともう一つ質問をした。
「それで、読んでいて楽しい?」
タイトルが分からないのだから、今度も分からないと言われるかと思った。しかし……
「ああ、一番だな」
「一番?」
驚いて顔を見るも、静かに頷いて返して来る。
「間違いない」
……記憶にある中でも、この男は数百数千処でない数の本を読んでいた。その中でも「間違いなく一番だ」と言う書籍が目の前にある。当然の如く興味を持った正巳は、聞いた。
「それはどんな内容?」
この男はあらるジャンル――それこそ、学術書から文芸、ハウツーものからニッチな趣味の本まで、様々な本を読む男だ。面白いと言っても、それがこちらの想像するような本ではない可能性がある。
正巳の質問にスッと目を閉じた後で、再び本の合間に視線を戻すと言った。
「そうだね、これは冒険活劇……いや、成長譚かも知れないし英雄譚かも知れない。もしかすると、悲劇の物語として終わってしまうかも知れない」
取り敢えず何かの小説らしい事は分かったが、その内容に関してはちっとも分からなかった。首を傾げつつも、本から目を離さない征士に聞く。
「それは、展開が読めないって事?」
そんな物語あるのだろうかと思いながら聞くと、今度はこちらを見て頷いた。
「ああ、さっぱり読めない。それこそ、序盤では読めたと思っていたんだけどね。直ぐにそれが間違えだったと思い知らされたんだ。それも、手厳しくね……」
「それで?」
「ああ、それでこう思ったんだ『きっと、これは読むものじゃない。体験するものなんだ』ってね。それからはもう、一生懸命だったよ。……もう、それはそれはね」
しみじみと言う征士に、そこまで一生懸命になる小説は何なんだろうと気になった。しかし、経験上父が、自分が読み終えていない小説を人に貸す事は無いと知っていた為、貸してもらうのは諦めた。
見た処半分ほどまでは読んでいるようで、正巳であれば十分もあれば読み終えてしまう分量だろう。しかし、無理を言ってまで父から借りるのは違うだろう。
続きを読み始めた父に微笑むと言った。
「それじゃあ、読み終わったら貸してよ」
それに小さく頷いた父に満足すると、座っていた椅子から立ち上がった。
ふとこちらを見た気もしたが、どうやら気のせいだったらしい。
続きを読み始めた父を背に、その場を後にした。
◇◆
その後部屋に戻ると、今井さんと双子が待っていた。
どうやら、三人で朝食を用意しようとしたらしい。が、結局上手く行かず、戻って来たばかりのミューに助けを求めたみたいだった。
ミューは、先日から泊りで給仕部の現場指揮をしていたが、最終調整が終わったらしい。戻って来て早々申し訳なかったので、代わりにやると言ったら断られてしまった。
どうやら、ミューにはミューのプライドがあるらしい。
その後、見る見るうちに食卓に並ぶ朝食を見ていたが、何となく量が多いようにも感じた。理由を聞こうかどうしようかと思っていた正巳だったが、どうやら心配は要らなかったらしい。
元気に飛び込んで来たサナと綾香とユミル、それに途中でばったりと出会ったらしいアキラとハクエンも一緒だった。
普段であれば少し広く感じるリビングだったが、今日は丁度良い大きさだった。
その後、賑やかな朝食を済ませた面々は、しばらくの時間くつろいでいたが、時間が来ると一人二人と戻って行った。きっと、出発の準備と指示を出しに向かったのだろう。
見回すと、そこにあったのはいつもの顔ぶれだった。
すっかり準備が整った様子に頷くと、言った。
「それじゃあ出るか!」
まるで"ちょっと出かけるか"くらいの調子だったが、それで良かった。
まるで最終回の様な閉じ方をしましたが、安心してください。まだ続きます(汗)
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