279話 お天気雨
途中で視点が切り替わります。
記事が出てから、約一週間が経過していた。
その内容は、『ハゴロモ主催のイベントで起こった爆破はテロ事件であり、現在全世界で突発的に起こっている事件の先駆けだった。全ての元凶はハゴロモにあり、その拠点が日本国土にあるのは危険だ。――このハゴロモこそ今回の爆破テロを招いたのだ』という内容だった。
対外的に、『イベントでの爆発は"実証実演"だった』と発表していたわけだが……今回の記事で、それが事実では無かったと暴露されたわけだ。
これ単体で言えば、確かに間違いない事実ではある。なので、事実を事実と報道されてもまぁ問題は無いだろう。悪いのはテロリストであるはずなのに、そのすり替えがされている事に腹は立ったが。
問題だったのは、そこに"証言"として載っていたインタビュー記事だった。
『質問:"あなたは爆発が起こった時何処に居ましたか"
答え:"その会場、ほんの数メートルの距離に居ました"
質問:"どんな状況でしたか"
答え:"凄まじい炸裂音がしました"
質問:"どう感じましたか"
答え:"命の危険を感じました"
質問:"あなたは一人でしたか"
答え:"息子と一緒に居ました"
質問:"息子さんは今どうしていますか"
答え:"恐怖で家から出られなくなってしまいました"』
きっと、このインタビュー記事さえなければ、ここまで大きな騒ぎになっていなかったに違いない。それこそ、一部の人々が声を上げ、多くの国民は外出を控える――その程度だっただろう。
「……これは、少し予想外でしたね」
モニターを見ながら呟くマムに、今井が苦笑する。
「まぁ、感情なんて計れるものじゃないからね。コントロールなんてもっと難しいさ」
そこに映っていたのは、国会前で抗議の声を上げる人々の姿だった。注目すべきは、参加している年齢層と集まったタイプに偏りがない点だろう。
普段、こういったデモに参加しないような主婦や青年、中年からお年寄りまでその姿がある。その様子を一瞥した正巳は、困った顔をしているマムに聞いた。
「それで、どのくらいの規模なんだ?」
複雑な心境ではあるが、今は冷静に状況を判断する必要がある。
「現時点で三万人、今後更に拡大して行くものと思われます」
現時点でこれなのだ。直ぐに、倍々ゲームに膨らんで行くだろう。狙っていた流れだったとは言え、このままでは予定を前倒しにする必要があるかも知れない。
「にしても、ここまで影響が出るとはな……」
我慢強い国民性を考えて、デモを起こす為の工作をしていたほどだ。
まさか、これほどまでに大きな反応を起こすとは思わなかった。きっと、予想より蓄積された不安が大きく、記事の与える刺激が強かったのだろう。
「そうだね、きっと明日は我が身と思ったんだろうね。僕たちは、余りにも非日常に慣れ過ぎていて、いつの間にか感覚が麻痺してしまっていたみたいだ」
今井の言葉に頷いた正巳だったが、正巳からしてみれば非日常が日常ようなモノなのだ。日常について考えれば考えるほど"沼"にはまりそうだった。
頭を振って考えるのを止めると、今後の対応を話し合う事にした。
◇◆◇◆
都内の高層ビルの一室に男はいた。
「ですから、この記事を撤回して下さいと言っているんです!」
そう言って、手に持っていた雑誌を広げる。
それは、一週間前ほど前に発売された雑誌だったが……刊行以来の最高部数を刷った上で完売。ネット上では、既にプレミア値が付くほど話題になっている記事だった。
正面には担当者である男が座っていたが、この男は信用ならない。
一瞬その記事に目を向けるも、直ぐにヘラヘラと答えて来る。
「ですからぁ、それは出来ませんよ~それに、"同意書"だって書いてもらったじゃないですか~」
その言葉を聞いた瞬間、思わず力が入った。
「あれは、そのままを書くと言う約束であって、あんな捏造記事に加担する為じゃない! そもそも、息子には質問すらしていなかったじゃないか! そんなんで――」
語気を強めるも、仕切りの端から出て来た男によって、遮られる事になった。その男は、先日抗議に来た際に"編集長"だと名乗った男だった。
「ええそうです。我々が我々なりにきちんと取材をして、その上で記事にまとめるわけですから。それに、あの同意書には"守秘義務"に関する項目もあった筈です。まさか、他で話したりは……」
「くっ、話にならん!」
まるで相手にするつもりのない問答に、雑誌を机に叩きつけた。
「父ちゃん!」
少し離れた場所で待っていた息子が、立ち上がって心配そうに見ている。その心配そうな顔を見ると、自分の不甲斐なさに怒りがこみ上げるのを感じた。
自分自身、記者の端くれである為、記事を書く際に売上を意識して書く重要性は理解している。
しかし、今回の事で言えば"少し大げさな表現"とか、"誤解され兼ねない言葉"とか、そう言うレベルの話ではない。丸々、"話してもいない会話"だった。
それに、通常取材してから記事になるまでには数日かかるが、取材した二日後には刷り始めたと聞いている。きっと、あの取材自体が記事に乗せる"写真撮影"に過ぎなかったのだろう。
「帰るぞ!」
少し強めに言うと、ビクッとして息子が立ち上がった。
「お帰りですね~」
ヘラヘラした顔に頭に来たものの、ここで反応を返しては思うつぼだろう。
何も言わずに出るとエレベーターを呼んだ。
その後、エレベーターが下降するに従って落ち着いて来ると、ため息を吐いた。
「すまないな」
幾つもの思いを含んだ短い言葉だったが、きっとそのどれかが届いたのだろう。
「父ちゃんは悪くない」
その言葉にグッと奥歯を噛みしめた。
そもそも、取材になど応じなければ良かったのだ。
いくら息子に「父ちゃんの仕事が知れるかも」と言われたからといって、大手から「最新技術を目にした体験を記事にしませんか、思い出にもなりますよ」と申し込まれたからと言って……。
きっと、普段から構ってやれていなかったつけが、回って来たのだろう。
「あの人は、俺とは違うんだろうなぁ……」
ふと浮かんだのは、イベント会場で出会った男の姿だった。
男には"チケット"を貰ったが、それ自体が親としての"余裕"の違いなのだろう。普段からきちんと時間を取れていれば、特別無理をしなくとも良いはずなのだ。
何が大切なのかを考え始めた処で、エレベーターが止まった。開いたドアから飛び出した息子と、その背を目で追ったものの、やがて角を折れて見えなくなった。
「なさけねえなぁ」
外に出ると、晴れているにもかかわらず雨が降っていた。
「おい、傘は……」
傘もささずに飛び出した息子は、数歩進んだところで振り返ると、言った。
「ねえ父ちゃん、あいつ等もこの雨浴びてるかな?」
それは、きっとあの日出会った親子の事を言っているのだろう。経験豊富と言えないまでも、これでも父なのだ。息子の些細な変化くらいは分かる。
このままでは苦い思い出になってしまうだろうが、その責任は自分にある。
グッと奥歯を噛みしめた後で答えた。
「あぁ、きっとな」
肌を伝う雨水の感覚に、静かに熱が引いて行くのを感じた。同時に、電話の呼び出しが掛かっているのも感じるが、きっと朝警告された件に関してだろう。
「……ふぅ、大人なんてクソだな」
このまま出ないでいようかとそんな考えが一瞬浮かんだが、それで影響を受けるのは自分だけではない。ため息を吐きながらも、呼び出し音が続く電話に出た。
「はい、佐嘉下です。申し訳ありませんでした社長、明日から会社に戻りますので――」
きっと、連絡が行ったのだろう。
相手は国内トップクラスの大手で、こちらは社員十数人足らずの下請け会社だ。大手に干されれば、うちの会社など一息で掻き消えてしまう。
てっきり、社長からの怒りの電話かと思ったが、返って来た声に上手く反応が出来なかった。
「こんにちは、心配しなくても大丈夫ですよ。それに、そうですね……私は社長ではありませんが、今回あなたに"報酬"を用意しました」
その声は、予想していただみ声とはかけ離れた、透き通った声をしていた。まるで声変わりの時期を経験しなかった、そんな綺麗なソプラノの声だった。
「……へ?」
声に驚いた後、その内容を理解してもう一度驚いた。
「ええと、それはどういう?」
報酬と言われても、何に対する物なのかさっぱり見当がつかない。
いくら考えても答えは出なかったが、その困惑がひと段落するのを待っていたかのように、絶妙なタイミングで答えがあった。
「大丈夫です。約束した事を破るような事も、裏切るような事もしませんので」
その言葉に浮かんだのは、先程の出版社でのやり取りだった。
「あの、それってどういう……」
再び聞き返すも、返って来た言葉に謎が増す一方だった。
「そうですね。まず一つ目ですが、四日後の十三時頃空いていますか? 空いていればそのまま、空いていなければ予定を空けて下さい。それで、指定する場所まで――」
こちらの話を聞いているようで、全く聞いていない受け答えに心配になった。が、その後も話は止まらず、途中で遮る事も出来ないので結局、最後まで聞いていた。
内容は突っ込み処しかないような話だったが……
聞いている内に、もう一度だけやって来たチャンスのように思えていた。この電話はいたずら電話かも知れないが、話に乗ってみても良いかも知れない。
既に盛大に騙された後なのだ、一度も二度も大して変わらない。
「――と言う事で、車と必要な物はご用意いたします」
話し終えた後、ふと気になった事を聞いた。
「あの、私の事をご存じかのようですが、お会いした事が?」
それは、話の節々に見えた、まるでこちらの事情を知っているかの様な"口調"に対しての疑問だった。質問のあとで、数秒間があって答えがあった。
「ええ、一度お会いしていますので」
「それってどういう……?」
聞き返した処で、既に電話は切られた後だった。
その後、呆けていると電話が再びかかって来たが、今度こそ社長からの電話だった。
電話越しに頭を下げ終えると、複雑な顔をした息子の視線があった。
何と言って取り繕うかと思ったが、深呼吸すると言った。
「俺はこの仕事に誇りを持っているんだ。だから、頭を下げてでも仕事は続けるし、それは今までもこれからも変わらない。ただ、一番大切なのはお前で、それは今までもこれからもずっと変わらない事実だからな」
少し恥ずかしかったが、言葉にすると不思議と心地よかった。
小さく頷いた息子が飛びついて来るのを受け止めると、苦笑して言った。
「お前濡れてるなぁ……ほら、しっかり拭かないと風邪ひくぞ」
久しぶりに感じる重さを抱きしめた。




