272話 ガムルスの民 [帰還]
目を閉じた正巳は、頭の中で一つの事を考えていた。
きっと今後も、世界の何処かでは、同じような事が起こり続けるのだろう。これを無くそうとするのは間違いなく、戦争を無くすのより難しい筈だ。
「出来るとすれば、抑止力による支配か……」
世界どこに居ても関係なく、国や文化の違いも性別も関係なく届く力。そんな夢物語のような内容であっても、方法は存在する。それは、ナノマシンによる全世界の監視と脅迫。
飽くまで一つの選択肢に過ぎないが、選択肢には乗るだろう。
「助けを求めた弱者、それが何処に居る誰だったとしても、反応して助ける仕組み。名付けるなら"裁定者"かな。重要なのは、きちんと手順を踏んで状況を判断する事だけど……」
その実際の手順を考えていた正巳だったが、ふとその内容が、ついさっき今井に対して注意した内容に限りなく近い事を知って苦笑した。
「これじゃあ、今井さんに呆れられちゃうな」
それは、正に"部外者からの介入"であって、知りもしない第三者からの絶対的な支配にも近かった。方法としては、とてもではないが最善手と言えないだろう。
一般的に、秩序を保つ方法は、その国に敷かれている"法律"だ。国がその影響下にある国民に、法律の下にある自由を認めているのだ。
国によって違う法律は、その国の色を現す。
王政を敷いている国や、社会平等の名のもとにある国、国民が主権者である国……様々な国があるが、それらは全てある一種の支配の下にあるのだ。
傍らで興味深そうに聞いていたマムに苦笑すると、ため息を付いて言った。
「今の話は忘れてくれ。間違いなく、より大きな問題が起きて来るだろうからな」
それこそ、何様だと言う話だ。
「マムは、パパのアイデアは素晴らしいと思いますよ?」
その言葉に苦笑する。
「いや、それは違う。何せ"神"にでもなろうと言ってるんだからな。仮に神が居たとして、その神でさえ"死後の裁判"によって、どうこうしようと言っているのに。……何様だって話だよ」
から笑いする正巳に、首を傾げたマムが言う。
「神ですか。なるほど、私にとっての"神"、"創造主"、"絶対者"はパパとマスターですね!」
ネット上で検索でもしたのだろう。
マムの唐突な言葉に、どう返したものかと思ったが……少し考えた後で言った。
「まぁ、子供が子供である間は、親が神だと言うからな」
いつか父の書斎で読んだ記憶だったが、その言葉を口にすると、不思議と責任があるなと感じた。きっと、これが親としての子に対する感情なのだろう。
肯定した正巳に、大きく頷いたマムが言った。
「マムはずっとパパの子供です!」
その言葉に頬を緩ませた正巳は、少しの間マムと話をした。その話題は些細な事柄から、半ば妄想にも近い夢の話まで様々だった。
特に、マムが興味を持った"どちらの足から始めるか問題"には苦笑した。どうやらマムは、正巳がどちらの足から始めるかが気になっていたらしい。
例えば、直立状態から初めに出すのはどちらの足かとか、朝目が覚めた時初めにどちらの足で歩き始めるかとか、転びそうになった時咄嗟に出すのはどちらの足かとか……。
些細と言うには細かすぎる話だったが、そんな一種どうでも良い話を楽しそうに聞くマムの姿に、いつの間にか時間が過ぎている事に気が付いた。
話題が人口増加と食糧問題、地球環境の変化と人類との関連性に及んだ処だったが、これ以上は切りが無さそうだったので、一先ず今日はこの位にしておいてまた時間を取る事にした。
寝室に入ると、ミューの手を取って寝る今井が確認できた。
その頬には薄っすらと涙の跡があった。
目尻には少しの雫が溜まっていたが、それを拭うと呟いた。
「俺には、抱えた分を守るだけで精いっぱいですよ」
再び胸に込み上げて来るモノがあったが、じっと寝顔を見る事で抑えていた。
やがて、深く息を吐いた正巳にマムが言った。
「息抜きも必要ですよ、パパ」
「……あぁ、そうだな」
マムの提案に頷くと、早速歩き始めた。
向かったのは別の階――特殊施設である"訓練特化区画"だったが……正巳としては珍しく、思いっきり体を動かしたい気分だった。
◆
翌朝、早い時間に訓練に来た人々は、その破壊された設備と聞こえて来る破壊音に驚く事になった。てっきり非常事態かと思って構えた者も居たが……。
スッキリした顔で出て来る正巳を目にすると、ただ黙って見送る事しかできなかった。
その原因を知っているのは、本人を除けば一人しかいなかったが……その一人は、決して情報を漏らさないマムだった。
そんなアレコレがあって、数日の間人々の間にあらぬ噂が立っていた。
――正巳が不機嫌なのは誰かの失敗が原因。
誤解からの噂ではあったが、一部正しい情報も混じっていた為だろう。
緊張が浸透するには、十分すぎる状況だった。
最終的にはそれも、勇気を振り絞った少年によって解かれる事になったが、その時の反省と言ったらなかった。聞いて来たのはハクエンだったが、気を使った様子がありありと分かって、直ぐにやってしまったと理解した。
結局、誤解を解く為に一日ニコニコとして過ごす羽目になっていたが、そんな正巳に満面の笑みで近づいて来た者達が居た。
一人は、寝て起きたらいつも通りに戻った今井で、もう一人は、先日交渉先から戻った上原先輩だった。どうやら時間が来たらしい。
因みにではあるが、祭りの際に来ていた客人に触れておくと……
"ホテル"から来たザイとドレイクは、一泊して翌日帰っていた。首相は泊まらずに帰ったらしかったが、見送りが出来なかった事を謝罪すると、気にしないでくれと言って苦笑していた。
どうやら、見送りはサナ達でしたらしかったが、首相専属の警護員とは腕相撲を通して随分と仲良くなっていたらしい。肉体言語で語り合うとは、さすが"体育会系"といった処だ。
イベントがあった次の日には、約束通り拠点内でも屋台を開いたが、その最後に拠点内の全員を対象にアンケートをした。
アンケートの内容はごくシンプルで、"残るか"、"行くか"だった。今回は特例として、ミンにはガムルスの国民になりたい人の受け入れを頼んでいたのだ。
アンケートに先立って、正巳からは"今後予想されるであろう事"を話していた。具体的な内容については控えたが、困難な立場に置かれると言う事は、しっかりと伝えておいた。
回答の期限は三日としていたが、今日がその三日目だった。
「それで、結果はどうだったんだい?」
笑みを浮かべたまま聞いて来る今井に、液晶端末を渡しながら答える。
「見ての通りです」
「なるほど、予想通り……いや、少し少ないといった処かな?」
頷きながら言う今井に、上原が首を傾げる。
「少ないですか?」
その疑問も当然だろう。
何せ目の前には、埋め尽くさんばかりの人で溢れているのだ。
不思議そうな上原に今井が答える。
「避難して来たガムルスの人達はともかく。子供達と仲良くなって、半ば親子関係のようになっていた子達も居たからね。もっと減ると思ってたのさ」
そう、子供たちの中には一定数親の記憶がある子もいた。
正巳自身、子供たちの親のつもりでは居るが、どうしても一人一人に十分な時間を取れる訳では無いのだ。この機会に親として愛情を注いでくれる人が見つかったら、それはそれで歓迎するつもりだった。
少し寂しくはあるが、その思惑通り一定数新しい親を見つけた子供もいた。そんな子供達からは、アンケートを実施して以降新しい親と共に挨拶があった。
正直寂しさはあったが、それでも笑っている事が出来たと思う。
改めて、集まった人々を見回すと言った。
「それじゃあ、ガムルス行き第一弾の皆は移動してくれ!」
正巳の言葉に、あちこちで別れの言葉が聞こえる。
結果的に、元からいた子供の内三分の一程が、今回ガムルスに向かう事となった。寂しいのはあったが、元から"選択は自由だ"と言っていたのだ。納得して送り出さなければならない。
出て行く子供達も居たが、その反対の事も起こっていた。
元がガムルスの民で、今回を機にハゴロモに属させてほしいと言う人々だった。
いばらの道になるだろう事は確実だったので、その事を改めて伝えはしたが、決意は固いらしく結局は受け入れる事になった。
今回ガムルスに向かうのが約三千五百名、残るのが約二千名ほど。
結果から言えば、元より大分増えていた。
手を振って出て行く人々を見送りながら、その先へと視線を向けた。
視線の先――拠点の外には、人員輸送用の機体が停められていた。
機体は一機のみだが、この後何度か往復して人々を運ぶ事になるだろう。一度に複数機飛ばす事も出来たが、敢えて往復させると言う方法を選んでいた。
乗り込んで行く中にはミンの姿もあった。
視線が合った正巳は、その手を胸元にあてたのを見て頷くと、小さく応えて呟いた。
「心はいつも共に」
その後テンも見えたが、その背は初めて出会った時に比べ、随分と頼もしくなったと思う。今のテンにであれば、ミンを任せても大丈夫だろう。
最後の一人が乗り込むのを見送った正巳は、いつの間にか隣に来ていたサナに聞いた。
「寂しいか?」
すると、それに首を振って応えて言った。
「大丈夫。さよならは言わないって約束したなの」
「そうか……」
大人になったと思った正巳だったが、その腕に抱かれた白くてフワフワした猫が、不意に手足をパタパタとさせ始めたのを見て言った。
「サナ、ボス吉が苦しそうだぞ」
「ぐずっ……さよならは言わないなの……」
どうやらボス吉も、サナから逃れようと必死らしい。
精いっぱいに体を伸ばしている。
その様子に冷や冷やしながら言った。
「あぁそうだな。ほら、来るか?」
そう言って手を広げた正巳に飛びついたサナは、しばらくの間離れる事は無かった。
きっと、正巳以外であれば、背中がおかしな向きに曲がっていただろう。体に力を入れつつも苦笑した正巳は、やがて泣き疲れて眠るまでそうしていたのだった。
足元に戻って来たボス吉が見上げて来たので、屈んでやるとサナを鼻でついて擦っていた。何だかんだ言って、サナに懐いているらい。
既に小さくなった機影に目を細めると、瞳に残った景色が消えてしまわない内に目を閉じた。その瞼に残ったのは一瞬だったが、同時にそれは永遠でもあった。
こうしてガムルスの民は、本来居るべき場所へと戻って行った。




