262話 焼きトウモロコシ
ザイの報告は、大枠では予想通りの内容だった。
「現在対象を追跡中ですが、対応にはドレイク、ハクエン、ジロウの三名が当たっています。対象逃走時、一部不審な動きをした者達も居りましたが、対象との接触が確認できれば"確保・拘束"を前提に動くよう指示しております」
有事の状況下における対処は、予め各部隊のリーダーに任せていた。それを、事に対処するにあたって指揮系統の統一をしたらしい。
報告が上がり次第伝えると言うザイに、頷くと言った。
「くれぐれもやり過ぎないようにな」
一瞬驚いた表情を浮かべたザイだったが、正巳の顔を見て安堵したらしい。
「承知しました」
何となくザイの考えている事が分かって、苦笑した。
恐らく、テロ行為を計画したかも知れない"敵"に温情をかけたのか――と、そう思ったのだろう。正巳の顔を見て、思い違いだと気づいたようだが……。
苦笑しながら、少しおどけて見せる。
「大丈夫だ、生憎そんなに優しくは無い」
「……失礼しました」
ブラックジョークだと気付いたからだろう。
言葉では謝罪しながらも、その口元は微笑んでいた。
"やり過ぎないように"と言った正巳だったが、これにはとても単純で分かりやすい理由があった。と言うのも、今回潜入している工作員らには、もれなく"追跡装置"を仕込み済みなのだ。
その方法は、飲食物を始めとした"体内接種"や接触時に埋め込む"外皮挿入"だったりするが……いずれにせよ共通しているのは、装着した本人が生きている限り機能する点だろう。
今回情報を引き出せなくとも、後々役立つ情報源になり得るのだ。折角、通常表に出てこない"諜報・工作員"が集まったのだから、これを生かさない手はない。
(工作員の位置が正確に把握できれば、各国の動きや動向もより具体化するからな)
下がるザイを見送った後で、隣に来たマムに確認した。
「実行犯の正体について、教えてくれ」
調査済みである事を前提にしていたが、問題なかったようだ。
「スー・ピンズ少尉――ガムルス元正規兵の三十四歳で、身長一メートル七十センチ、体重六十キロ猫背、慎重な性格ながら状況判断能力は高く勤勉な性格の様です」
会場でテロ行為を行ったのは、どうやらガムルスの元兵士で"少尉"だったらしい。
ガムルスと言えば、今日ミン、テン、カイルによって政治犯の引き渡し及び、新政府の設立宣言があった筈だ。これに対しての"報復行為"と言えなくもないが……。
「後ろ盾があるのか?」
既に、指示を出すような支配層――膿である上官らは排除している。
現状で考えられるのは、支配層により予め支配体制崩壊後の指示をされていたか、外部から来た工作員が宙に浮いた状態の準支配層へ支援したか、の何方かだろう。
ザイの報告では、爆破未遂後に怪しい動きをした工作員も居たらしい。場合によっては、それら工作員の"本国"もしくは"雇い主"が後ろ盾として支援した可能性も十分あり得る。
正巳の問いに、頷かなかったものの答えがあった。
「背後関係はやや複雑なようですが、じきに最終的な"結論"が出るかと思います。それと、事件直後に"動き"のあった者達の情報もありますが……確認しますか?」
そう言って、いわば"容疑者"とも言える名を挙げようとしたマムに、不要だと首を振った。
「最終的な"結論"を聞ければそれで良い。無駄な労力を使いたくないからな」
あたかも、面倒だからという素振りだったが、その脳裏には全く別の事があった。
それは、イベントの前見せられた"諜報員・工作員リスト"に関する事だったが、目に焼き付いていたのはその中でも下段――下の方に載っていたある国の名だった。
触れずに済むなら良かったが、そうも行かないだろう。
「せめてもの救いは、アイツとオレの仲だった事くらいか」
「パパ?」
呟いた正巳は、その内本人に直接聞く事に決めると言った。
「いや、何でもないさ」
そう答えた瞳には、こちらを伺うサクヤとその横でサナを肩車するアキラ、ようやく緊張が解けて来たらしい護衛部の子供たちが映っていた。
視線が合った子供たちに、調子はどうかと聞こうとした処でサナが言った。
「あ、終わったみたいなの!」
どうやら、すっかり"せん滅"やら何やらは忘れてくれたらしい。アキラの肩の上に乗り、モニターを指さすサナに頷いた。
「みたいだな、それじゃあ迎えに行くか!」
「なのー!」
手を上げたサナが、その手をアキラの頭に乗せると、それを支えに肩に足を乗せ跳んだ。
「ぐあっ、もう少し静かに降りろよ~!」
「アキラ、任務中……」
文句を口にしたアキラだったが、それを止めたのはサクヤだった。
「はぁ?」
「報告終わった、今任務中」
流石サクヤだ。恐らく傭兵としての常識が染みついているのだろう。
「仕方ないか、言ってる事は間違っちゃないしな……」
「それで良い」
頭を掻いたアキラは、振り返ると警戒任務に戻るよう指示し始めた。その様子に成長を感じた正巳だったが、自分は戻らず近寄って来たサクヤに苦笑した。
「どうしたんだ、サクヤも戻らないのか?」
「お父さんにも、報告ある」
一瞬、"お父さん"と言う言葉に反応しそうになった。が、飛びついて来たサナを受け止めながら、それが自分でなくて"サクヤの父"――つまりハク爺の事だと気付いた。
ハク爺は、現在も会場の警備をしているが、そこに報告に戻ると言う事らしい。
「あ、あぁそうか、そうだよな……」
危なく、"お父さん"として反応するところだった。子供なんぞ作った事もないのに。ため息を吐いた正巳だったが、それに首を傾げたサクヤが首を傾げた。
「もしかして、弟も"お父さん"って呼ばれたい――」
「さーて、それじゃ行こうか!」
サクヤが余計な事を言う前に、さっさと向かった方が良いだろう。
アキラと視線でコンタクトを取ると、歩き始めた。
「……そうだったんだ。弟じゃなくて、お父さんになりたかったんだ。それなら……」
背後から若干、不穏な呟きが聞こえて来たが……とても小さな声だった。話しかけて来た訳では無さそうだったので、取り敢えずは気付かない振りをしておいた。
しかし、それから少しして不都合が出て来た。と言うのも、マムとつないだ手から伝わって来る"痛みの信号"――つまり"激痛"が、脳を震わせ、脂汗の出る原因となっていたからだ。
どうやら、正巳以上に地獄耳であるマムは聞き流せなかったらしい。どうすれば、マムが我に返るかと頭をフル回転させた正巳は、ひねり出した言葉を口にした。
「言わせてもらうがな、サクヤ。俺の方が年下なんだ。どうやっても、俺がお前の父親になれる訳ないだろう。そもそも、お前は俺の"お姉ちゃん"だったんじゃないのか?」
正巳の言葉に、サクヤが首を傾げて見せる。
「お姉ちゃんのほうが良い?」
「……ああ」
究極の質問だったが、これで頷かなくてはマムとつないだ手がスプラッターになってしまう。しぶしぶ頷いた正巳に、ジッと視線を合わせたサクヤが言った。
「それが良いなら、それで良い」
どうやら、スプラッターな状況は回避出来たらしい。
締め付ける力が緩んだ事に安堵する。そんな正巳の苦労を知ってか知らずか、先ほどから、屋台から屋台へと目移りさせていたサナが首を傾げていた。
見ると、口の端からよだれが垂れている。
「何か美味しそうなものあったか?」
「あったなの、あの"バンバンやき"と"モロコシやき"なの!」
どうやら、ボリューミーな焼きそばと焼きトウモロコシが気になったらしい。
「今日は、あと二時間もしたら撤収だからな。買って来ても良いぞ?」
「ん~とね、あったかいのが良いなの」
「今買えば温かいぞ?」
「違うなの、持って帰るなの」
「持って帰るって、お土産って事か?」
「なの。リルとミューと……あとファナフィナにもあげたいなの」
てっきり、持って帰って自分で食べるのかと思ったが、どうやら友達へのお土産と言う事らしい。
防衛のロジックを担うリルは、人見知りなのもあって籠りっきりなので分かる。だが、ミューは給仕長として試食をしていたはずだ。
「なぁ、リルはまだしも――」
「なの?」
「……いや、何でもない」
思わず、ミューには不要じゃないかと言いそうになった。
しかし、お土産と言うのは、貰う事自体に意味があるのだ。無粋な事をしそうになった自分に嫌になりながら、挽回の気持ちも込めて気持ち多めに渡した。
「これで足りるだろう、帰りにでも買っておくと良い。少し多めにあるから、残ったらそれも使って良いからな」
ブンブンと首を振って頷くサナに苦笑すると、ふと気になった事を聞いた。
「ところで、ファナフィナって子とも仲良いのか?」
何でもない疑問だったが、それを聞いたサナが首を傾げた。
「なの、お兄ちゃんもなかよしなはずなの」
「うん? それってどういう……」
聞き覚えの無い名前に、首を傾げた正巳だったが――
「おーい! 見ていてくれたかーい!」
聞こえて来た元気な声に、一瞬いつも通りに応えそうになった。が、慌ててそれを抑えると、怒っていると伝わるような、怖い顔になるように意識した。
しかし、正巳渾身の"怒り顔"を見た今井の第一声は、まるで斜め下からのボディーブローのようだった。若干心配そうなのがまた、ダメージを強める。
「うん? なに変な顔してるんだい正巳君」
「くはっ……」
完全に膝を付いた正巳だったが、どうにか立ち上がると言った。
「俺は怒ってるんですよ!」
正巳の言葉に驚いたのだろう。まるで、豆鉄砲を喰らった鳩のような顔をしている。出鼻をくじかれた形になったが、注目を集めるわけにも行かない。
「ここじゃ何ですし、拠点に戻って話しましょう」
サナはサクヤに任せる事にして、話は拠点に戻ってする事にした。
◇◆
歩き始めると、半ば伺うように冗談交じりで話しかけて来た。しかし、それに対してそっけない対応をしていた事で、本気で怒っていると伝わったのだろう。
部屋に戻る頃には、すっかり大人しくなっていた。
ほんの少し可哀そうな気もしたが、何か起こってからでは全てが遅いのだ。失う前に、線引きはきちんとしておくべきだろう。向き合った今井に言った。
「……約束してください」
「ええと、何をかな?」
恐る恐る聞いて来る顔には、不安の色があった。
きっと、その裏では見当はずれな事を考えているのだろう。
その眼を見つめると、真っ直ぐに言った。
「もう二度と、今日みたいな事はしないで下さい」
不安の色を滲ませていた今井だったが、正巳の言葉の理解には数秒掛かったらしい。視線を斜め上に滑らせると頭を傾け、今度は逆に動かすとぐるりと回し、そこでようやく顔上げた。
「つまり、僕に研究を止めろって言うんじゃないんだね?」
その混じりけの無い澄んだ瞳に、思わず本題を忘れそうになる。
「勿論――って、そうじゃないでしょう……まったく。そもそも、研究をしないなんて今井さんには不可能でしょう? 元からそんな事言う気はありませんよ……」
ため息多めで答えると、ほっとした様子で言った。
「良かった~『研究を止めろ』って言われるんじゃないかと思ったよ」
「無理ですよね?」
思わず突っ込みを入れた正巳に、今井が立ち上がる。
「そんな事はないよ!」
「それじゃあ、一年我慢しろって言ったら我慢できます?」
「……」
「それじゃあ、一か月は?」
「……もう一息」
「もう一息って、値引きじゃないんですから」
だから言ったでしょと言う顔をした正巳に、どうやら向きになったらしい。
「いや、僕だって一か月――は無理だけど」
再び突っ込みを入れそうになるが、黙っていると、どんどん"我慢できる日"が更新されていった。その様子は、まるで子供が駄々をこねる時のようで、悪いとは思いつつ頬が緩むのを感じた。
「一週間……いや、三日、二日……いや、一日、半日なら我慢できるよ! 絶対に我慢できる! ……正巳君、きみなんで笑ってるんだい?」
むくれる今井に、我慢していたのが一気に溢れて来た。
「ブッ――ハハハハハ!」
「ちょっと、酷いじゃないか!」
「だって、半日って……フハハハ!」
「酷いぞ、そんなに笑うなんて。これでも頑張ってだね……ふふ、」
途中から釣られ笑いした今井も一緒に、笑い転げていた。最後の方は、そもそも何に笑っていたのか忘れるほどだったが、笑う事でどこかスッキリした感覚があった。
「は~あ、沢山笑ったね」
「ふぅ、そうですね。こんなに笑ったのは、久しぶりな気がします」
笑い疲れた正巳だったが、目の前まで移動して来た今井が言った。
「それでね、……約束するよ」
「と言うと?」
「もう二度と、回避できる危険に飛び込む事はしないし、呼び込む事もしない」
直ぐに反応できなかったのは、別に忘れていたからではない。
「信じますよ」
――込み上げて来た物を、抑えておく為だった。
それ以上言葉を続ける事は出来なかったが、そっと隣に座った今井に感じたのは言葉以上の何かだった。しばらくそのままでいた二人だったが、やがて香ばしい匂いと共に珈琲が運ばれて来た。
タイミングを見ていたのだろう。
礼を言うと、深みとコクを感じる珈琲を味わった。
交換してみないかと言うので、今井さんが飲んでいたコップに口を付けると、ストレートな酸味と共に若干フルーティーな飲み口だった。どうやら、豆が違うらしい。
「たまには良いかもな……」
そう呟いた正巳に、今井が頷いた。
「僕も、好きかも知れないね」
部屋を包んでいたのは、香ばしい香りだった。




