203話 惹かれ合う
目の前で膝をついたまま静かに涙を流す男と、その男に歩み寄る少女、そしてその様子を見守る女が居た。少女の名前はミン、それを見ているのは先程サクヤと呼ばれた女だった。
サクヤと呼ばれた女は、再会を果たした二人を見ながら考えていた。
◆
お父さんは、『お前達の一番下の弟は日本で生きていた』と言っていた。しかも、何の冗談か『沢山の大切なものが出来ていて笑顔もあった』とも言っていた。
……正直信じられない。
あの子は、殺戮者として"申し子"のような子だったのだ。それこそ、忘れようにも心に残って離れない"あの光景"を今でも覚えている。
――施設に入った子供は、物心付いた頃になると必ず受ける試練がある。それは、小動物をペットとして可愛がり、それを数日後にその子自身に殺させるのだ。
初めは、二ヶ月間育てた後。
次は、一か月可愛がった後。
次は、三週間後。
次は、……
可愛がる事とその真逆を結び付ける事により、命を奪う事への耐性を身に付け、命令を確実にこなすようにと洗脳して行くのだ。
普通、ここで多くの子供らはその適性が無いとして落第する。落第した子供らは、どうやら別の施設へ連れて行かれ"奴隷"として売られていたらしいが……酷い話だ。
そして、肝心の試練を乗り越えた子供らは、戦闘や暗殺に関する専門的な事を学ぶ専門の施設に選り分けられ、そこで生活を送りながら"その時"を待つのだ。
そんな、試練を通過した後に送られる施設に居たのが彼だった。
彼は、施設に来て直ぐ弟として可愛がられていた。
……皆が"弟"として可愛がる存在。
何故皆に可愛がられるのか不思議だったが、実際に接してみて理由が分かった。
少年は、自分達が試練を通して失ってしまった純粋さを残しており、しかもまるで何も辛い事は経験した事が無いかのようだったのだ。
人は"自分に無い事を他人に求め、惹かれる性質がある"と言う。
恐らく、幼いながらに少年に惹かれたのは、これが理由だろうが……今になって思えば、施設の大人達が少年を"出来損ない"と呼んでいた理由が良く分かる。
少年は、人間として当たり前に有る"恐怖"が欠如していたのだ。加えて、周囲と比べてもかなり物覚えが良く、頭の回る子供だったと思う。
それに、当時は彼のような男が"殺戮者"として生粋のエリートに育つのだろう――そう思って、"恐れ"よりも"憧れ"のような物を抱いていた気がする。
何にしても、当時の事を知っている身からすれば、お父さんから聞いた話はどれをとっても信じられなかった。しかも、これ迄生活していた家を捨て、再び日本に――少年が持っているという拠点に行くと言う。
……お父さんは恩人だ。
洗脳されていた自分達を助け出し、根気強く洗脳が解けるように接してくれた。お陰で、今では皆がそれなりに幸せな生活が出来ていると思う。それこそ、仕事で命を落としたり怪我をする事は有るけど、それでも胸を張って『幸せだ』と言える。
……わざわざ変える必要があるのだろうか。
確かに、お父さんやお父さんと付いて来た子供達――テンやハクエンと言ったか――は優秀だし、一度だけその動いているのを見た"マム"と言う名の機械は、目を見張るものがあった。
しかし、それでも――
頭の中で悶々と思いめぐらせていたサクヤだったが、不意に自分の名が呼ばれたのに気が付いた。
名を呼んだのはどうやら、ジロウだったらしい。
笑みを広げ、言ってくる。
「おい、まさか脳筋で有名な"裂き魔のサクヤ"が考え事か?」
……頭にくる顔だ。
「うるさい。そのへにゃへにゃした顔、弟に見られたらきっと嫌われる」
「なっ、お前こそそんな事言って、そんなに愛想無いと話しかけてすらもらえないぞ!」
片腕で口元を隠しながら言うジロウを鼻で笑うと、言った。
「大丈夫、私が一番可愛がってたから。きっと覚えてる」
「ハッ、お前の――」
ジロウが何か言い返そうとした所で、遮る存在が居た。それは、こちらに来てから出来た妹で今では最前線でも戦えるほどとなった少女だった。
「ちょっと、二人ともいい加減にして下さい! ほら、ミンも困ってるでしょ!」
サーシャの言葉を受け目の前の少女へと目を向けると、そこには眉を少し困らせた少女と、すっかり気力を取り戻したらしい男が居た。
「サーシャちゃんごめん。でも、悪いのはジロウ」
「なんだってお前は――」
「だから、止めて下さい! それに、トップ二人がそれだと皆が可哀想です!」
……これ以上やると、本当に嫌われてしまうかも知れない。
真面目な顔をしたサクヤは、少し頭を下げると言った。
「ごめん。手本にならないのは一人だけで良かった」
「このやろ――……いや、悪かったよサーシャ……」
サーシャの鋭い視線に口をつぐんだジロウを横目に、ジロウにだけ分かる様に笑みを見せると、顔を上げて言った。
「問題解決。団長のところ戻る」
そう言うと歩き始めたサクヤだったが、後ろで聞こえる声を耳にしてホッとしていた。
「お前……ええっと、カイルだったか? お前がやったアレ気にするなよ。オヤジにとって、あんなもの攻撃の内に入らないからな。それに、重要なのはこれからだろ?」
「すみませんでした。その、慌てて……敵かと思って」
「だから、もう忘れるんだ。それにほら、ミンは大切な存在なんだろう? しっかりと、安全な場所に行くまで守ってやれよ!」
そう言ったジロウに対して、それでも何か言いたげではあったが、頭を下げるとミンと手を繋いでいた。ミンは既に15、16歳になるだろう。少し恥ずかしそうにしていたがそれでも、カイルの心境を察してか黙っている事にしたみたいだった。
数歩行った処で待っていたサクヤは、ジロウに合流すると聞こえない位の声で呟いた。
「ありがと」
サクヤ自身は知らない人と意思疎通を取るのが苦手なのだが、それを補うのがジロウなのだ。二人で話していると話がそれがちだが、それを調整するるのがサーシャな訳で、何だかんだとバランスが取れていた。
サクヤの呟きをしっかりと拾っていたジロウだったが、直接は反応せず、目が合ったサーシャに目で合図するに留めていた。ただ、合図されたサーシャからしたら、突然振り向いてウィンクして来たジロウに対して、戸惑いと同時に頬が紅潮するのを感じていた。
「ジロウ兄さんはスケベです」
あらぬ誤解をされていたジロウだったが、直ぐに気配の感知へと意識を集中していた為、サーシャの呟きと動揺に気が付く事は無かった。
――その後、一度分散していた一同は再び合流したのだが……何処に隠れていたのか、カイルの他にも二十名弱の保護された人々が居た。そこから三十分程移動した一同は、緊張感のある中目的地に着いたのだが……そこには一機の機体が止まっていた。
機体に辿り着いた一同に対して、その前で待って居た男は言った。
「ようこそ、私はこの"ブラック"を任されている"テン"と言う。他にも保護した人々はいるが、その人達には別の機に乗って貰っている。知り合いが居るか気になるだろうが、全ては戻ってからにして貰う。さあ、中には食料を積んでいるからゆっくりと栄養を摂ってくれ!」
そう言い終えたテンは、早速手前に居た人々が中に入るのを手伝い始めていた。
「彼がリーダーなのかい?」
そう言ったカイルに対して、ミンが答えた。
「いいえ、彼は『任されただけ』と言っていました。それに、私達のリーダーはもっとこう――人間離れして凄くて優しいんです。何よりマサミ様には、私も救われましたから……」
その表情を見ながら、テンと名乗った少年に対してのやわらかい視線と、マサミという人物に対しての尊敬と感謝の念を感じたカイルは、興味と同時に自分の想いをぶつけるべき存在かも知れないと考え始めていた。
その後、しばらく考え込んでいたカイルだったが、考えた処で決して出る事のない"答え"について、考えるのは止める事にしたのだった。
自分が乗り込む最後となった機体を見上げ、呟いた。
「まあ、全翼機を動かせて、既に俺の目的を一つ叶えてくれた人物なんだ。もし残りの目的に手を貸して貰えるなら、差し出せるものは何であっても差し出す事にしよう――命であっても」
そう呟いたカイルだったが、その言葉をしっかりと記録している存在が居る等とは知る由もなかった。その後、情報を得たソレは、機体が離陸準備を始めたタイミングで定位置へと戻っていた。
――情報を持って。
その後飛び立ったブラックだったが、その機体には新たに内蔵された機能が存在していた。
それは、サイズ僅か二十cm程の"格納設備"であったが、その中には僅か三ミリほどの小さな機器が数千と詰め込まれており、ソレは通称"吸血飛行虫"と言う"情報収集"を目的とした微細機器だった。
◆◇◆◇◆◇
――情報を受け取ったマムは、その後の計画をより明確に組み上げて行く事になるのだが、まさかその方向性がこの情報によって決まった等とは、マム以外誰も知らなかった。
『……なるほど、このカイルという人間は文官――それも、国際法に精通して対外折衝についても定評があったんですね』
その経歴を知り、呟く。
『この人間を組み込めば上原さんの負担も減り、パパとの時間も増えて更にパパの疲れを分散できるかもしれないですね。それでパパがもっと構ってくれる様になったら……ふふっ。そうと決まれば、早速首相と国連加盟国の代表について調べて弱みを――……』
既に片手間で進めてはいた事だったが、新たな計画を持って本腰を入れる事にしたマムは、早速世界各国の通信網やネットワークを駆使して暗躍し始めた。
数日後、目的の情報を収集し終える事になるのだが……その内容を一部でも見たら、それだけで覗き見した当人が"身の安全"を心配しなくてはいけないような、世界各国上層部の機密情報が山のように集まっていた。




