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『インパルス』~宝くじで900億円当たったから、理想の国を作ることにした~  作者: 時雲仁


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158話 窓際の手鏡

閑話になります。

 とある研究所の一室に、一人の男が居た。


 男は柔らかい表情を浮かべながら、窓際から見える公園を眺めていた。眺める先には、一本の大きな木が植わっていて、遅咲きの桜が薄いピンク色の花を咲かせていた。


「歳かな……」


 誰ともなく呟いたのだが、ふと近くにあった鏡を見て、少し恥ずかし気に頭を掻いた。


 そこに居たのは、紛れもない老人だった。


 ……老人と言うにはまだまだ若い筈なのだが、実年齢より十年は老けて見える。


 いや、理由は分かっている。


 十年以上前になるが、数年間の出来事が影響しているのだ。


 立ててあった鏡を手に取ると、昔の事を思い出していた。



 ――

 ――――


 助教授から教授になった年、一人の少年に出会った。


 周囲に誰も居ない公園、その桜の樹の下――


 一人でいた少年に声を掛けた。


 少年は、何処か不思議な瞳をしていた。


 澄んだ瞳でいて、何も映していないかの様だった。


 少年と話していて、その頭脳に驚いた。


 数分の間であったにもかかわらず、打てば響く少年に夢中になっていた。


 少年と話しながら、(親御さんがもし夕方まで現れなければ、警察署に連れて行こう)と思った。結局、その後日が暮れた後も暫く話していたが、親らしき人影は現れなかった。


 少年の質問が止まらないので、その日は取り敢えず保護する事にした。


 その日は、少年が眠るまで質問に答えた。


 次の日、少年からの質問は無かった。


 少しだけ不思議に感じたが、子供はそんなものだろうと思い直した。


 その日は、一日授業の講義をしなければいけなかったので、『ご飯は置いておくから好きに食べるように』と言って、放っておいた。


 その夜部屋に戻ると、少年は何やら本を読んでいた。


 その本は、『精神状態と瞳孔の動きを数式で表す』と言う内容の本だった。


 私が帰ったのを見るや駆け寄ると、色々質問して来た。


 その殆どは、漢字の読み方と意味についてだった。


 質問に答えると、満足したのか再び続きを読み始めた。


 そんな日が一週間以上続いた。


 一週間余り続いた少年との生活の中で、少年について分かったことが有った。それは、少年に一般常識――凡そ同じ位の子供が持つはずの常識が存在しない、という事だった。


 色々考えたが、研究しかしてこなかった男に、答えを出す事は出来なかった。


 そこで、助手だった女性に相談すると、代わりに色々少年に質問してくれた。


 少年には、名前が無かった。


 それだけでは無い、何をしていたか聞いてもその内容が余りにも端的過ぎて、何を言っているのか分からなかった。少年は、『必要ないものを片付けたり、旅行に行った』と話していた。


 助手が捜索願が出ているか調べると言うので、頼む事にした。


 ある日、公園に子犬が捨てられているのを見つけた。


 可愛そうに思ったのと、少年が喜ぶと思ったので、部屋に連れて帰った。


 予想通り、少年は子犬に興味を示していた。


 その日の夜、少年は子犬と寝ていた。


 しかし、次の日の朝の事だった。


 朝起きて、少年と子犬の様子を見に行くと、少年はこちらに気が付いた。


 そして、子犬を抱えて連れて来ると、眠そうにしている子犬の首をキュッと絞めた。


 少年は、少しだけ残念そうな顔をしていた。


 突然の事に、反応出来なかった。


 少年が差し出した"子犬だったモノ"を受け取ると、まだほんのりと温かかった。


 数分、いや、十数分立ち尽くしていると、少年が心配そうに言って来た。


「いつも通りやったよ?」


 その言葉を聞いて、肌が泡立つのを感じた。


 恐る恐る聞いた。


「"いつも"かい?」


 すると、少年は不思議そうに言った。


「うん。一緒に遊んで、一緒に寝たら、殺すんでしょ?」


 その顔には、純粋な疑問しかなかった。


 先程浮かんでいた"残念"と言う様子も消えていた。


 少年にそのままでいる様にと言うと、子犬をタオルに包んだ。


 そして、少年の手を引くと公園まで歩いて行った。


 公園に着くと、桜の木の下に穴を掘った。


 土が踏み固められていた為か、用意が出来た頃には指先が傷だらけになっていた。感情が激しく振れていた為だろう、痛みは無かった。


 穴に子犬を入れると土を被せた。


 ……少年は、最初から最後まで隣に立っていた。


 子犬を埋葬し終えた後で少年の様子を伺ったが、その様子に変化は見られなかった。


 ……全く、少しも、欠片も、変化が無かった。


 最初は、精神的な病かと思っていた。


 幼少期に過度の虐待や精神的苦痛を受けると、生じる精神病が有るのだ。


 しかし、少年の様子からは、そう言った場合に見られる兆候が一切なかった。


 思ったよりも単純な問題では無さそうであり、且つ自分の専門分野だったので、簡易的な精神鑑定を行う事にした。


 ――

 質問をする間、少年の表情は常に安定していた。


 少年に昼食を取らせている間、精神鑑定の結果を出した。


 少年の精神状態は"正常"だった。


 問題だったのは、精神構造だ。


「生命を尊ぶ感情の欠落か……」


 少年には、凡そ生命を大切にするという感情意識が、存在しなかった。


 この、存在しない(・・・・・)と言うのは、そのままの意味だ。


 生命に対して持つ感情が、他の物――例えば"鉛筆"や"消しゴム"と同じ感情であるという事だ。だからこそ、それを『勿体ない』とは思っても、それ以上の感情が無かったのだ。


 少年が、子犬を躊躇なく殺した理由が分かった。


 しかし、これ単体は大した問題では無い。


 それこそ、この国で普通に暮らしていれば、問題になる事も少ないだろう。


 問題なのは、少年が実際にした行動だ。


 大人しくそこに居た少年に、質問をした。


「僕がまた子犬を連れて来たらどうする?」

「一緒に遊んで、寝て、殺すよ?」


 その答えは、前回と同じだった。


 その様子を見ながら、していなかった質問をする事にした。


「それは、誰から教えられたんだい?」

「……?」


 珍しく考え込んだ後に言った。


「……えっと、決まりなんだよ?」


 その様子を見て、ある可能性を見出した。


「それは、誰が決めたんだい?」

「……」


 再び考え込んでいた。

 そして――


「決める人が決めたの」

「そうか……それじゃあ、決める人って誰だい?」


 そう聞くと、少し間を置いて答えが有った。


「……決まりを決める人だよ?」


 その後も、根を掘る様に質問を繰り返した。

 しかし、予想通り同じ事を繰り返すだけだった。


 ――同じ少年とは思えない。


 これは、ある精神状態にある人に見られる現象だ。


「長期間且つ徹底した洗脳(・・)……」


 そう、少年は洗脳されていた。


 その事実に驚きながら、その洗脳内容を確認して行った。


 判断するのは簡単だった。


 洗脳された内容の場合、端的な答えがあった。


「もし殴られたらどうする?」

「にげる」


「非常時は?」

「たいしょ」


 ……幾つも質問したが、大体状況が分かって来た所で、決定的な質問をする事にした。


「攻撃命令が有ったら?」

「すぐやる」


「やる、と言うのは、殺すのか?」

「すぐやる」


 ……これではっきりした。


 少年は兵隊として洗脳されていた。


 しかも、いざと言う時は使い捨ての駒として。


 質問した中で、単体では意味のない内容が有った。


 少年に最初に質問した、『子犬を連れて来たら?』もその一つだ。


 これだけでは、何のためにこのような事を洗脳としてさせたのか分からなかっただろう。しかし、他の質問をした後――状況が把握できた今だからこそ、その理由が良く分かった。


「精神の崩壊と、それによる洗脳内容の占有か……」


 間違いないだろう。


 恐らく、子供達の精神が壊れて行くような行動を、自らさせているのだ。


 そうして壊れた心に、洗脳したい内容を刷り込む。


 洗脳と同時に、感情と言う余計な雑音を無くし、より洗脳行動の精度を上げる。非常に危険で、失敗すると廃人になる洗脳方法だが、その分成功すれば強力な兵隊となるのだろう……


 ……しかし、目の前の少年はどうだろう。


 全く、精神が崩壊する兆しが無い。


 先程の検査でも、精神状態は良好だった。


 少しばかり考えていたが、少年が子犬に対して取っていた態度から、その理由が分かった。


「そうか、元から無ければ(・・・・)傷付きようもないし、壊れようがない……」


 少年には、命を尊ぶ感情が存在しない。と言う事は、大切な存在を失っても――例えそれが自分で奪ったとしても、その行動と結果から精神に異常を来す事は、あり得ないのだ。


 しかし、受けている洗脳によって、何時どの様な事件を犯しても可笑しくはない。


 手遊びし始めた少年を眺めながら、どうしたら良いのかを考え始めた。



 ――数時間後。


 少年を前にして、一つの事を決めていた。


 それは――


「よし、今日からお前は俺の息子だ!」


 少年の洗脳を解く事は難しいだろう。だから、解く(・・)のではなくすり替える(・・・・・)事にした。


 しかし、洗脳は解く事が出来ても、生まれ持った特性は変えられない。だからこそ、他の部分で心を(はぐく)まなくてはいけないのだ。


 心を(はぐく)む事で、判断基準に様々な感情が加わるだろう。


 命を尊ぶという事は無くとも、大切な者を尊ぶ事は出来るようになる筈だ。


 強い決心をした所で、少年が聞いて来た。


「"息子"は、何時から?」


 そう言った少年に対して言った。


「正()、今からだ!」


 思い切って言った矢先に噛んでしまった。

 それを聞いた少年は、不思議そうにして言った。


「今から、まさみ?」


 少年の顔を見ながら、少年に名前が無かった事を思い出した。


「ああ、そうだな……まさみ、良い名前じゃないか」


 違うとも言えず肯定すると、少年が言った。


「うん、お父さん」


 幼さが残るまさみの顔を見た瞬間、心の中にある感情が芽生えていた。


 ――これが"愛する"という事か。


 全てを学術に捧げて来た男。その人生に大きな変化をもたらしたのは、かつて『欠陥品』と呼ばれた少年だった。


 ――

 ――――

 その後、数年を掛けて洗脳のすり替えをしたのだが、正巳の記憶は封印する事にした。理由は幾つかあるが、新しい人生を歩き始めた正巳には、過去の記憶は必要ないと思ったのだ。


 余程の事が無い限りは、思い出す事は無いだろう。


 普通であれば、命の危機を感じれば解ける事もあるだろう。しかし、正巳にはその命に対しての考え方が通常とは異なるのだ。


 もし記憶が戻るとすれば、疑似体験による記憶の掘り起こしがされた時ぐらいだろう。


 ……何となく嫌な予感がしたので、途中から保険を加えておいた。


 保険と言うのは、記憶が完全に解けない様に掛けた二段階の封印だ。


 何をカギにしようか迷ったが、正巳が最近勉強するようになって来て、目が悪くなっていたので眼鏡をカギにする事にした。


 念の為、『眼鏡を身に着けなければならない』と云う暗示を掛けておいた。


 正巳に眼鏡をプレゼントして数か月後、高校へと進学した正巳から、あるプレゼントを貰った。アルバイトで貯めたお金で買ったであろうそれ(・・)は、最近正巳が執心し始めていたある生き物のマスコットだった。


 ニコニコとしている正巳から、オオサンショウウオの人形を受けとった日『自立して頑張りたいから』という申し出があった。


 次の月から、正巳はアルバイトをしながら一人暮らしを始めた。


 どうやら、こちらの体調を気遣っている様だった。


 正巳が居なくなった日、助手だった妻と思い出を語りながら晩酌した。


 妻には、『貴方、髪白くなったわねぇ』と言われた。


 どうやら、正巳に全神経を傾けて来た5年の内に、随分と老け込んでいたらしい。


 苦笑しながら、妻の傍らでその日は一日夜を過ごした。


 ――――

 ――


 懐かしい記憶を思い起こしながら、妻の使っていた鏡を窓際に戻した。


 鏡を同じ位置に戻すと、小さく呟いた。


「たまには帰って来いよ……」


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