124話 般若の面
『制圧開始』
降下後、殆ど音もなく着地した正巳は、装着した通信機 ――イモリの形をした、通称『イモ吉』―― から、短く指示を出した。
「各自問題無いか?」
すると、順番に返答が返って来る。
……全て、『問題無し』と言う内容だ。
ザイは、隣の建物の屋上に居るはずだ。
サナは、何処かは分からないが敷地内に居るだろう。
デューとバロムは、其々この拠点を取り囲むように位置取っている。
「では、打合せ通り――ザイはB棟の制圧、デューとバロムは警備の排除、サナは自由にで頼む」
「「「了解」」なの!」
前もって打合せしていた通り、3棟ある内のA棟には正巳、B棟にはザイ、C棟は周囲の警護を排除し終えた、デューとバロムが当たる事となっている。
サナには、いつも通り『自由に』と指示を出している。
マムの情報では――
A棟が、組長宅であり、ここを急ぎで制圧する必要がある。
B棟は、幹部が部屋を持っていて、ここも急ぎで制圧の必要がある。
C棟は、住み込みの組員が常駐していて、制圧順位は一番低い。
本当であれば、サナをC棟に向かわせたいのだが、必要があればマムからサナへ直接連絡が行くだろう。
状況が始まった事を確認して、正巳は自分の立っている場所を確認した。
足元はコンクリート、立っているのは地上4階建ての建造物の屋上だ。
視線を下へ向けると、仮面の暗視機能で中庭を徘徊している男達が見える。
……一応、訓練を受けているようだが、少し見ている中でも警備の隙が分かる。
警備している者達の練度は、それほど高くないらしい。この程度であれば、万が一にもサナやデュー達が、後れを取る事は無いだろう。
その様子に満足すると、早速準備を始めた。
――
正巳は、腕に着いている灰色の腕輪――ヤモ吉の頭を撫でた。
すると、一瞬で視界が切り替わる。
正巳の視界には、こちらを覗き込んでくる巨大な仮面が映ってる。
――ヤモ吉とのリンクが出来たのだ。
「やってくれ」
正巳がそう言うと、腕の中に納まっていたヤモ吉の体が、バラバラに分裂し始めた。
ヤモ吉の"偵察・監視モード"だ。
マムによると最大で12体まで分裂出来るらしい。
分裂した一体一体に、監視システムを内蔵しているらしいが、一度に全ての映像が表示されても困るので、マムが状況に応じてピックアップしてくれる。
小指の爪程の大きさになったヤモ吉達が、コンクリートの壁や床を伝って降りて行く。
そして、その5分後――
マムから『システム掌握完了しました』と連絡が入った。
ネットに繋がっていない、ローカルの状態で監視網を形成していた、"伍一会"の監視システムを乗っ取ったのだ。
これは、先程のヤモ吉達の成果だろう。
「よし、映してくれ」
「はい、パパ」
……視界の内に、幾つかのモニターが表示される。
一つが、この建物の見取り図。
一つが、監視カメラによる映像。
……真下が、組長である岩斉の部屋になっているようだ。
監視カメラの映像から、部屋の前に、二人の警備が付いている事が分かる。
……トップの部屋の前だと云うのに、見張りが二人と言うのは少ない気がする。まあ、下から上がって来る事を想定しているのだとしたら、ある意味当然かも知れない。
警備は常に巡回しており、二人一組で行動。
常時30人態勢で警備をしており、交代制だ。
待機中の者達を合わせると、100名は下らないだろう。
ともかく、一通り確認し終えた。
しかし、肝心の"組長の部屋内の映像"が無い。
「マム、組長の部屋を出してくれ」
そう言うと、一拍おいて『……はい』と返事が有った。
何やら、乗り気では無いらしい。
少し(変だな)と思ったが、映像に集中する事にした。
――視界が変わる。
何か、巨大な空間にいるように錯覚するが、これはヤモ吉の視界なのだろう。
……果てなく広がって見えるコンクリートの床に、そびえたつ巨木……いや、これはソファの足だ。その横には、何やら大きな人形が転がっている。
その人形は、禄に手入れされていないのか、髪がぼさぼさだ。
それに、どんな趣味なのか……わざとなのか、服を着せていない。
まあ、人其々だとは思うが、まさか"伍一会"の組長にお人形趣味があるとは思わなかった。
……ふと、視界の端に動く様子が映っていた。
「マム、動いている方に視点を合わせてくれ」
「はい、パパ……」
マムの返事があった後に、段々とその全貌が映し出される。
そこには、一人のでっぷりとした男が、必死に腕を振るっている姿があった。
……あの動きは――
「鞭か……」
その、腕を引いて振り出す動きは、鞭の動きに違いなかった。
今度は、マムに言わなくても、焦点が移された。
……鞭の振るわれている先へ。
「……?」
そこには、Xの形にクロスされた木があった。
よく見ると、木には一体……いや、一人の女性が拘束されている。
その少女は、体の彼方此方から血を流して見える。
もしかして、と女性の顔を確認したが、その女性はユミルでは無かった。
それに、女性と言うには少し若い。大人の 女性に足を踏み入れたばかりの、少女に見える……
「……この娘が綾香か?」
「はい、そうです」
綾香……ユミルが事の成り行きで、護衛する事になった少女、だったと思う。
それにしても、あのユミルが護衛を失敗するとは……
――予め、ユミルの身にあった事は共有されていた。しかし、ユミルが足を怪我した事や、ユミルを攫う様に、誘導した存在が居た事は知らなかった。
――その後、マムから送られてくる映像を確認した。
何度か頭に血が上りかけたが、いつも通り深呼吸をして、興奮を落ち着かせた。
落ち着いた正巳は再度、組長の部屋内を確認していた。
しかし――
「パパ?」
マムは、その変化に気が付くのが早かった。
正巳の心拍数が一瞬止まったのだ。
そして、次の瞬間――
心拍数が、倍以上に跳ね上がっていた。
「……入る」
一言だけ呟いた正巳は、屋上の縁に手を掛けると、反動をつけて下の階の窓を蹴破った。
『"ガシャンッ!"』と音がして、窓が割れる。
――正巳が入ったのは、廊下側だ。
部屋に押し入って、中の人に怪我をさせても面白くない。
それに、組長の部屋は全ての窓が、防弾仕様だった筈だ。
廊下には警備員が二人いて、その内の一人は窓側に背を向けている。その為――
「ぐぅあぁ!」
窓側に立っていた見張りの男は、正巳に後ろから蹴り飛ばされた。
……割れたガラスの破片が腕に刺さっている。
見張りはもう一人――
「シッ!」
二人いた内のもう一人が、刃物で切りつけて来た。
正巳は、感心するように呟く。
「3点」
部屋の前に立っていた見張りとその対応を評価する。通常、パニックになると余計な事を口走ったりするモノだが、問答無用で殺しに来たのは中々だ。
評価点が低いのは仕方ない。
捻りも無ければ鋭さも無い。
切りつけて来た刃を受け止め、そのまま返す。
「グゥッ……」
"刃返し"と言う、相手の力を利用する技だ。
男が床に倒れるより早く、突入の際踏みつけた男に近づく。
すると、男は懐から出したモノを正巳に向けた。
「死ねぇえええ!!」
しかし――
ステップを踏んで近づくと、腕を男の体に向けて蹴り上げた。
『"ゴキャッ"』
感触から、複雑骨折と言った処だろう。
「グぁぁ――」
叫び声を上げようとする男の、気管を潰す。
『"ゴリョッ"』
……これで叫ぶ事は出来ない。
マムから共有された情報には、組員による暴行の限りが報告されていた。
随分と悪知恵が働く屑どもが多いようだったが……(中には、組内に連れて来られた子供達が無くなった後で、その体の臓器を売り捌いている者も居た)これでそれも終わりだ。
それに、これで十分とは思えないが、少しは痛みを知れた事だろう。
瀕死状態の男を横に、蹴り飛ばした際男が手放したモノを拾い上げた。
「拳銃か」
確か、中東のテロリストが好んで使っていたモデルだ。
同じ物をこれまで何度も見て来た。
しかしここは日本。これは重要な証拠になるだろう。
安全装置をかけ懐に仕舞うと、部屋の扉に向き直った。
……確か、この部屋の扉は指紋認証のオートロック、完全防音だった筈だ。
意図して開けておかない限りは、鍵が自動的に閉まる。
開けられるのは、認証キーを持つ者のみ。
この場合、部屋の主である伍一会組長という事になる。
しかし、全システムを掌握した今、そんなものは意味を為さない。
「……我慢だ」
言い聞かせるように呟くと、扉に手を掛けた。
扉を開け始めた正巳の脳裏には、先ほど見た光景――
床に転がった人形、木の柱に拘束されて鞭打たれている少女。
そして、部屋の端にもたれ掛かっている少年の姿。
――が思い出されていた。
正巳は、開いた扉の向こうを見た。
先ほど迄は微かに黒に交じる程度であった紅色が、その色を強くしていた。
紅色に染まり行く髪、般若の相へ成る仮面。
月の光に照らし出された男は、さながら"悪夢から出て来た鬼"の様であった。いや、その視線を向けられた者にとっては、"悪夢"そのものだったかも知れない。
開き切った扉から足を踏み入れた。




