110話 ユミル [運命]
ユミルは、少女が『ヒロセアヤカ』と名乗った事に、内心驚いていたが、それと同時にナビが『もし行くのであれば、協力は出来ません』と言った理由が分かった。
それまでの間で、ナビが正巳にとって危険な物を排除しようとしている事に気が付いていた。そもそも、最初の時点で情報を提供して来たのも、これが理由だろう。
確か伍一会は、弘瀬組から枝分かれした組織だ。
元々、弘瀬組は『市民寄り』と言われていた。まだ若頭だった頃の弘瀬龍児が、『一般女性の為に単身で敵対組織に乗り込んだ』という過去がある事も、その一因となっているのだろう。
その弘瀬組の方針に異を唱え、利益の追求を始めたのが"伍一会"幹部だ。
ただ、暫くの間、分裂しないで均衡を保っていたのは、組織の規模が大きい為だったらしい。下手に分裂をすれば、血で血を洗う抗争が起きる事は、火を見るよりも明らかだった。
その為、弘瀬組の組長が腹の内に全てのみ込んでいたらしい。
今回対立する事になったのは、『我慢の限界が来た』という事だろう。その証拠に、ニュース等で大々的に『伍一会は弘瀬組と対立する形で独立した』と報道されている。
ただし、飽くまでもそれは一般的な見られ方である。
この報道を、そのままうのみにする事は出来ない。
表向きには、対立しているように見せかけて、裏では繋がっているというのは、様々な分野でよく使われる手だ。
だからこそ、弘瀬組と伍一会が分裂したという事を、簡単に信じる訳には行かない。
……丁度良く、綾香は弘瀬組組長の娘らしい。
ナビは、綾香の素性だけは教えてくれた。
綾香であれば、内側の情報を持っているかも知れない。内部の情報を得る事が出来れば、状況を判断する為の材料が増える。
そんな事を考えながら、一先ず少女を自宅に送る事にした。
少女を送る途中で、幾つかの質問を会話に織り交ぜながらした。
その会話の中で分かった事だが――
どうやら少女は、ユミルを新しい"ボディーガード"と思っていたらしい。少女に対して、その場で『ボディーガードではない』と、否定する事はしなかった。
もし、その場で否定などしていたら、少女を混乱させる事になっていただろう。
その他にも、疑問を含ませた会話をしたが、どうやら本当に"方針の違い"による分裂だったようだ。……綾香が嘘を付くのがよっぽど上手でなければ、間違いない。
一先ず、心配していたような事態では無かった事に、安心した。
◇◆
その後も、綾香と会話をしていたら、少女の家に到着した。
到着すると、少女は『運転手にお礼を言いたい』と言って来た。が、運転手などいない為、頷く事が出来なかった。――運転席と後部席の間には、間を遮断する仕切りが下りていた。
少し残念そうにしていた少女だったが、特に食い下がる訳でもなく、そのまま帰って行った。どうやら少女にとってのボディーガードは、家の外でその身を守る存在らしい。
海外では、家の中でもボディーガードは必須なのだが……家の中で、ボディーガードが付く必要が無いというのは、良い事なのだろう。
とにかく、こうして少女との初対面が終わった。
その後、その場に留まる訳もなく、次のターゲットの場所までの案内をナビに頼んだ。――どうやら、ターゲットの近くまでは運んでくれるようだった。
ユミルはこれ迄に、放火犯の主要メンバー13人と、正巳を狙っていた刺客を4人始末している。放火犯は、まだまだ下っ端が残っているらしい。しかし、刺客の方は残り4人となっていた。
ナビは、会話によるサポートはしてくれなくなった。
しかし、『ターゲットは?』と聞くと、パネルに地図を表示して、その地図上に点を表示してくれるのだ。点には色が付いていて、薄い赤から濃い赤まで3段階に分かれていた。
どうやら、この点の色が濃いほど、優先順位度が高いようだ。
色の付いた点の外にも、幾つかの点が有ったが、それらは伍一会の構成員らしかった。かなりの数存在したが、地図上にリアルタイムで表示されているので、危険な場面は無かった。
それから一週間ほど経った頃、ターゲットの一人である伍一会の構成員を待ち伏せしていた。と言うのも、ナビから情報を得られなくなっていた為、長時間出待ちをする必要が有ったのだ。
いつも通り見張っていたのだが、見覚えのある姿が視界に入って来た。
そこには、男二人に引っ張られて行く、少女の姿が有った。
「……」
正直、訳が分からなかった。
弘瀬組の娘であれば、直ぐに新たなボディーガードが付けられただろう。
しかし、少女は一人だった。
少女を助けるために、ナビのサポートの大半を失う事になったユミルにとって、見過ごす事の出来ない事態だった。
――5分後。
少女とユミルは、車に乗り込んでいた。
目の前の少女に目を向ける。
……瞳をキラキラとさせている。
思わずため息が出そうになったが、それを抑え込んで、問いかける。
「それで、お嬢様は何故あんな所に?」
そう聞くと、嬉しそうにして答えた。
「あなたに会うためです! 折角、次の日にまたあなたに会えるかと思ったら、居なくて驚いたのですよ?」
どうやら、本当にボディーガードだと思っていたまま、だったらしい。
「それに、お父様に聞いたら、ボディーガードを呼び出して……裏切り者だったのです」
途中で言葉を途切らせ、結論を言った。
恐らく、間には『拷問した』とか『吐かせた』とか言った言葉が入るのだろう。
しかし、どうやら本当に危ない所だったらしい。ボディーガードだった男が裏切り、敵対している伍一会の事務所で、一人娘である少女を辱める計画だったらしい。
少女は、父親である弘瀬組組長から溺愛されているらしく、そのボディーガードだった男は、そのまま奥に引きずられて行ったようだ。
『戻って来た父親の服が変わっていて、何処かスッキリした様子だった』と言うのは、つまりそういう事なのだろう。
そして、その父親から『助け出してくれた恩人は、何処に居る?』と話が有ったと。
『朝に外で待っている筈です』と、答えたと。それで、勿論朝にいる訳もなく――ある計画を考えた――その計画は、とんでもなくしょうもないモノだった。
「題して、"王子様作戦!"」
一応話を聞いてみると、"再び同じ状況をつくり出し、ユミルを誘き出す"という計画だったらしい。最初は『善意につけ込むようなやり方で良心が傷んだ』との事だったが、曰く『仕方なかった』らしかった。
事務所は、実際に弘瀬組で使用されている事務所を使ったようだが、当然弘瀬組の事務所がユミルのターゲットになる事は無い為、会う筈も無い。
『そうこうしている内に二週間が経過していた』と。
それで、今日も同じ事をしようとしていたら、帰宅途中に見知った顔――『分離して伍一会に入った男を見つけた』みたいだった。
何を血迷ったのか『私は弘瀬組の組長の娘です』と声を掛けたようだが、男達も面食らった後に、少女の顔を知っていた男が『確かに、組長の娘です!』と言い、連れ去る事にしたらしい。
その時の少女は、とにかく『王子様に合いたい』の一点しかなかったらしいがとんでもないお転婆だ。『本当に連れ去られれば、また会えるかと思った』なんて言うのは、狂ってるとしか思えない。
ナビが指示した事務所と被ったのは"偶然"だろうが、もしユミルが居なかったら、酷い事になっていたに違いないだろう。
「アヤカさん、こんな……」
危険な事をしてはいけませんよ――と続けようとしたのだが、『はい! 何でしょうか!』と、子犬のような反応に思わず、怒るに怒れなくなった。
目に見えて尻尾を振っているような綾香に、仕方なく『……取り敢えず、自宅に送ります』と返したユミルだったが、その後、腕にしがみ付いて来る少女を見ながら(これは、送るだけでは済まなそうだな)と、肩を落としていた。
◆
ユミルの様子を見ていたナビの本体――遠く離れたホテルの地下で、作業着を着た女性と一緒に居た白髪の少女は小さく呟いていた。
「だから言ったのに。これで少し遅れますね」
そう呟いたマムに対して、近くに居た女性が言った。
「最終確認は済んだかいマム?」
親愛なる主人の問いかけに、気を取り直して答えた。
「はいマスター! 第一棟から第六棟まで、全て正常稼働を確認しました!」
その言葉を聞いた女性は、満足気に頷いていた。
「よし、これで後はコロニーを生産すれば、準備は終わりかな?」
「はい、現在30コロニーまで用意できています」
「うん、残りは170だね! 他が済んだら、コロニーの生成に力を入れてくれ!」
「はい、マスター! これで、パパをビックリさせられますね!」
そう言ったマムに対して、マスターもとい今井は笑顔を浮かべた。
ここ半年間忙しくしていた今井にとって、"その瞬間"が待ち遠しいのだ。
「早く帰ってこないかなぁ、みんな」
そう呟いた今井の頭には、あと三、四日で帰還する筈である、皆の顔が浮かんでいた。そして、その中には、半年間顔を見ていないユミルも含まれていた。
「ユミルくんどこに行ったんだろうね。正巳君と一緒なら良いんだけど」
誰にともなく呟いた言葉だったが、その言葉を聞いていたマムは、急速に"計画"を立て直し始めていた。大切な唯二人の存在の内の一人、今井の"願い"を叶える為に。
「使い捨てる訳には行かなくなりましたね……」
そう呟いたマムの言葉が、今井の耳に入る事は無かった。しかし、この時この瞬間確かにユミルの、そして一緒に行動を共にした少女の運命が変わったのであった。
些細な事で、運命が変わる事もあるかも知れませんね。




