109話 ユミル [少女]
約半年後。
ある町の郊外を一台の車が疾走していた。その車の後部には、短髪でブロンド髪の女と、その女を心配するように寄り添った長い黒髪の女が居る。
……いや、黒髪の少女と言った方が適切だろうか。
大人びた雰囲気から間違えそうになるが、身に着けているのは、近くの高校の制服だ。
少女が寄り添っている女は、足に傷を負っていた。
「ユミ大丈夫?!」
端正な顔立ちが不安の色で染まっている。
それに対してユミと呼ばれた女は、厳しい表情を浮かべながらも答えた。
「大丈夫です。それより後ろを見て下さい、追手は?」
その言葉にハッとした少女は、慌てて後ろを確認する。
一見変わった後部窓には、小さくなって行く数台の車両が見えた。
「引き離しています。……それにしても、本当にこの"車"は優秀ですね」
そう言った少女に対して頷いて女が言う。
「ええ、この車はあの方の仲間――いえ、力ですから」
それに不思議そうにしていた少女だったが、やがて『そうね、これだけ優秀な自動操縦システムが実在するなんて知らなかったわ』と言うと、再びユミの足に目を向けた。
その様子を確認して言う。
「不味いわね、血管を大きく傷つけているわ」
細く抉られた傷口からは、血が流れ出していた。
「お嬢様、そこの床を空けて下さい」
そう言って床の一部を指差す。
「これかしら?」
お嬢様と呼ばれた少女が床の一部を引き上げると、そこには治療に必要なものが揃っていた。
「その中にある、包帯と凝血剤を取って下さい」
少女は言われた通り、包帯一巻きと粉の入った小袋を渡すと、それを受け取ったユミは粉を傷口表面に振り掛け始めた。
少し経つと、足の傷口表面にエナメル質の膜が出来ていたが、それを確認したユミは、包帯を巻き始めた。
「さっきの粉は何だったの?」
どうやら、初めて見る物に興味津々らしい。
「先程の粉は、血液を利用して作る絆創膏の様なものです。それ程数が無いのと、強度も無いのでこうして補強するんです」
手際よく包帯を巻いて行くとその様子を見ながら、少女が呟いた。
「本当に何者なのよ」
それは、これ迄幾度となく呟かれたものだったが、この呟きに対する答えは決まっていた。
「まあ、それほど悪いものではありませんよ」
それに対して「答えになっていないわよ」と返した少女は、車の側面に寄りかかった。
――その5分後、静かな呼吸音が聞こえていた。恐らく、注射されたのであろう睡眠剤が効き始めたのだろう。横の少女に目を向けながら、ユミもといユミルは、これ迄の事を振り返っていた。
「もう半年ですか、慌ただしかったですね……」
◇◆◇◆
半年前、ホテルを退職した時の事。
その後、空港で正巳達を見送った時の事。
途中までは、ナビゲートのお陰で難なく処理していた事。
危険分子の排除と、仲間の仇討ちは予定の半数――18名の排除を既に済ませていた。
この時点で四ヶ月が過ぎていたが……全ては、当初の予定通り事が進んでいた。
それらの予定が狂ったのは、一人の少女を助けた後だった。
ある時、"ターゲットの一人"を始末しに入った事務所で、それは起こった。
ナビゲートと言うのは、正巳の所有するシステムらしい。『ナビゲート』ナビ自身がそう話していた。ナビは優秀なシステムで、車の液晶から、あらゆる場所の映像を確認する事が出来た。
ナビを通して手に入れていた情報に従って、事務所にターゲットが戻るのを、車の中で待ち構えていた。ターゲットとなる人物が油断する時を狙っていたのだ。
しかし、予定が狂った。
本来一人で戻ってくるはずが、もう一人少女を連れていたのだ。
そのまま暫く様子を見ていた。
ターゲットの男は少女を、事務所内の男数人に渡すと、一言二言話して、事務所の奥に入ってしまった。少女の方は最初こそ、気丈に抵抗していたが、やがて乱暴されそうになった。
すかさず、車を出ようとしたのだが……車のドアが開かなかった。
こんな事が出来るのはナビしかいない。
そこで、ナビに『出ます』と言った。対してナビは『今介入すると、ターゲットに逃げられます。それに、生きて逃げられると情報が洩れる事になります。許可できません』と答えた。
しかし、それだと少女は……
『行かせてほしい』と言った。しかし、それに対してナビの答えは『もし行くのであれば、これ以降の協力は出来ません』だった。
一瞬考えたが、答えは同じだった。
『分かりました、ただ、車の運転だけは……』と言うと、ナビは一瞬間が有って答えた。『その傷は、パパを――いえ、分かりました。車の操作はしましょう』
その言葉を最後に、ナビの支援が無くなった。
いや、車が自動で操作されていると云うのだけでも、大変助かるのだが……そうは言っても、これ迄の様に情報が手に入らない事は、想像以上に厳しかった。
何はともあれ、車を出たユミルは、そのまま事務所に突入した。
男が二人、見張りで付いていたが、問題では無かった。
その後、部屋にたどり着くまでに、もう三人倒した。
部屋内に入ると、一人がビデオカメラを回し、一人が拘束、残りの一人が少女の服を引き裂いた所だった。手前にはカメラの男、次に跨った男、その向こうに少女の手を押さえつけている男の順だ。
……少女は、瞳を潤ませてはいたが、唇を噛みしめて、声を上げていなかった。
その様子を見たユミルは早かった。
先ず、カメラを持った男に当て身をして怯ませ、落ちたカメラを拾い上げた。それを見て、慌てて立ち上がった、少女に跨っていた男の股間を蹴り上げる。
最後に残った男は、少女を盾にしようとしたが……
下半身が自由になった少女に、蹴り飛ばされていた。
立ち上がった少女に声を掛けようとしたのだが、不意に感じた気配に、横に避けた。
……さっき迄いた場所を、ナイフにしては大きなモノが空を切る。
それが何かを確認する前に、右手に持っていたビデオカメラで殴りつけた。
……頭部にめり込んだビデオカメラと一緒に、男の体が落ちた。
――これが、少女とユミルの出会いだった。
その後、足が付きそうなものを回収して少女と脱出した。
その時ユミルは、車があった事に心の底から安心した。
正直、車が居なくなっていても可笑しくないと思っていたのだ。
が、全てが今まで通りでは無かった。
ナビからの問いかけと、返事、必要な情報の提供が無くなっていた。
――相変わらず、行先を話すと、向かってくれはするが。
その後、ユミルは少女に状況を聞いてから、どうするかを決める事にした。
「あなたは、あの人たちを知っていますね?」
ユミルは、確信を持って聞いていた。
ナビからの情報は途絶えていた為、これは状況から導き出した結果だ。
……少女は、連れられて来た時点では、何やら話をしに来たようだった。普通、ヤクザの事務所に、落ち着いた態度で来る少女などいないだろう。
そんなユミルに対しての少女の答えは、ある意味頭を抱える内容だった。
「私は、弘瀬綾香……弘瀬組の娘です」
少女は、ユミルが始末している伍一会の関係者だったのだ。




