107話 出発 [見送]
『虫の知らせ』というものを、経験した事はありますでしょうか?
その後、静かに出発した車は、空港に向かっていた。
車の中には、正巳、サナ、ボス吉、デウ、佐藤、そして佐藤の班員の女、の全部で5名と一匹が乗っている。運転席には佐藤が乗り、助手席には女が乗っている。
佐藤の班員の女は、確か名前を"倉持"と言った気がする。黒髪を短く切りそろえていて、ボーイッシュな印象を受ける。
……昨日の宴会で自己紹介を受けたのだが、何となく自信が無い。
ただ、名前を忘れられるというのは、ショックを受ける出来事だろう。
……何か、悲しませずに名前を聞き出す方法は……
……『忘れられて悲しい』と傷つけない為には『忘れていたわけでは無い』と思わせる必要があるな。それなら……
「なぁ、名前を聞いても良いか?」
そう声を掛けると、一瞬『えっ?』と言う表情を浮かべたのが分かったが、何も言わずに自己紹介して来た。
「ハッ! 鈴木と言います。佐藤と共にお世話させて頂きます!」
そう言って、若干首を捻って頭を下げて来た。
……そうか、鈴木だったか。
どうやら、一度に沢山の名前を聞いたせいで、ちゃんと把握し切れていなかったようだ。
「いや、下の名前を知りたかったんだがなっ! まあ、良い。よろしく頼むぞ!」
正巳が、少しおどけるようにして言うと、鈴木と名乗った女性は、少し笑顔を浮かべて言った。
「いえ、気が利かず申し訳ありません。下の名前は"海"と言います! この名前は、私の兄が付けてくれた名前で……」
その後、鈴木の"下の名前"の話を聞く事になった。
どうやら、この女も物心ついた頃二は親が既に居なかったらしい。それに、『兄』と言うのはザイの事を言っているという事が、文脈から読み取れた。
しばらく鈴木が話していたのだが、一向に終わる気配のない話に、佐藤が『おい、もう良い。それよりも周囲の警戒を怠るな』と言った。
何やら、"下の名前"を聞いてくれた事が余程嬉しかったらしい。このまま放って置いたら幾らでも話していそうだった……正直助かった。
少し前から、暇そうにしていたサナが『お兄ちゃん、サナとお話しする?』と言って来ていたのだ。あまり長い間、サナを我慢させていくのも可哀想だと思っていた。
それに、鈴木の話に興味が無かったわけでは無いのだが、正直数十分単位で一方的に話を聞いているのは苦痛以外の何ものでも無くなって来ていた。
この、"鈴木海"と言う女は、放っておくと幾らでも一人で話していそうだ。……ある意味才能だろう。
何と言うか、"24時間ラジオ!"とか任せたら、その真価を発揮しそうだ。
俺の様子を伺っていた佐藤が、『すみません、こいつに話させると止まらなくて』と謝って来た。そんな佐藤に対して『いや、一人でもそう言った奴がいると、賑やかで良いんじゃないか?』と返しておいた。
申し訳無さそうな佐藤と対照的に、鈴木は何やら楽しそうにしている。
そんな二人を見ながら、(まあ、暗いよりは良いか)と考えて、隣に座ったサナと話をする事にした。……サナが話したかったのは、どうやら『ボス吉の抱き心地』についてだったらしい。
その後、サナと二人で"モフモフ談議"をしていたら、いつの間にか空港に着いたようだった。
――
空港に着いた車は、前回と同じ経路を走っている様だったが、後部席にはシャッターが下ろされていた。現状で、外がどうなっているかを伺う事は出来ない。
……これは事前にザイから説明を受けていて、『神楽様は問題ないのですが、その他の方に内部を見せる事は出来ないので……』と言う事だった。
どうやら、デウの経歴が引っ掛かったようだった。
その為、前の席と後ろの席の間にも、仕切りが降りている。
……実質、後部席は"個室"の様になっている。
と、サナが服の袖を掴んで来た。
……心なしか、俯いた瞳が潤んでいる気がする。
「ほら、おいで……」
そう言うと、サナがもたれ掛かって来たので、落ち着くまで頭を撫でていた。
どうやら、閉鎖空間に居ると、精神が不安定になるようだ。
(今後気を付ける必要があるな)
そんな風に考えていたら、程なくして車が停車した。
車が止まってから、それほど経たずに、車のシャッターが上がり始める……どうやら、到着したのは大きな格納庫らしかった。格納庫の扉は閉められていて、外の様子を伺う事は出来なかった。
その後、ドアを開けた鈴木が『こちらへどうぞ』と言って来たので、言われるままに車から降りた。……どうやら、鈴木は"仕事"の最中は真面目らしい。先ほどの"おしゃべり"な気配は、微塵も無かった。
そんな鈴木に促されて、改めて周囲を見渡す。
そこには一機、飛行機が止まっている。その機体は"艶のない黒"で塗装がされている。形も特徴的で、搭乗用のタラップなどは無く、何となくぼてっとした印象を受けるフォルムだ。
搭乗用の出入り口が開いているが、それらは機体の後部が上下に昇降する形になっている。……恐らく、大型の車両も、ここから乗り降りできる形になっているのだろう。
この飛行機には見覚えがあった。
「軍用機か?」
「一般的な用途としては、そうですね」
佐藤が、そう言いながら歩いて来た。
どうやら、必要な手続きをしていたらしい。
隣に、この空港の職員らしき人を連れている。
「これは、軍用で無いのか?」
「はい、基本的に、"輸送機"として使用しています」
……『基本的に』ね、基本以外にどんな使い方をしているのか聞きたい。が、そう言う訳にも行かないだろう。周囲を見ると、整備員達が慌ただしく動き始めていた。恐らく、出発前の準備に取り掛かったのだろう。
佐藤には、『そうだよな……』と返すのに留めた。
その後、佐藤の案内に従って付いて行った。
……微かに、整備員から『おい、あの機体は上級職員の戦闘科が使うんじゃないのか?』『ああ、そう通達が有ったと思うが……』『それじゃあ、あの子供は?』『俺が知るわけないだろ……いや、知らない方が良いだろ』等と話しているのが聞こえた。
かなり小さな声での秘密話だったが、俺には、はっきりと聞こえていた。
……以前に比べて随分と耳が良くなった気がする。それに、以前は眼鏡を付けないと、殆ど見えなかった。それが今では、意識すればかなり小さな物でも、見えるようになっていた。
何となく、自分の体に起きた事は"ただ事ではない"と認識はしていたが、だからと言ってどうする訳でもなかった。……時々、力を入れ過ぎないように気を遣う事はあったが。
その後、佐藤の案内の元、正巳達一同は機体に乗り込んでいた。
隣にはサナが座っている。
……どうやら落ち着いたらしい。
前にはデウと佐藤が乗っている。
……デウは始終緊張していて、朝から口数が少ない。
鈴木はどうやら操縦士でもあるらしく、操縦室にいるとの事だった。
……今この機体には、俺達の他に"整備士"であると言う男二人と、補佐操縦士である男がもう一人乗っていた。
人は増えたが、乗っているモノがモノなので、広い空間の中で少し寂しく感じる。
やがて、鈴木のアナウンスの声が聞こえて来た。
「これより出発致します。ベルトを装着し、着席してお待ち下さい」
席に付いた後、シートベルトを付けた俺達は、窓から外を眺めていた。
窓からは、ゆっくりと左右に開く扉が見えていた。
……どうやら、ここは通常使用される滑走路の横にある、予備走路の様だった。
外は相変わらず晴れていて、格納庫に光が射し込んできていた。
外を眺めていたら、サナも横から顔を出して来た。
「サナは飛行機恐くないのか?」
ハク爺の事を思い出しながら、そんな事を聞くと、サナは『お兄ちゃんといっしょだから、大丈夫なの!』と言って来た。
……ハク爺に聞かせてやりたい。
昔ハク爺と乗った機体も、これと同じような飛行機だった。
……ハク爺は、瞑想状態に籠ってしまったけれど。
「……ボス吉、戻ってこないな」
時間が経てば、自力で戻って来ると思ったのだが、どうやら考えが甘かったらしい。
「そうなの」
サナが、少し寂しそうに『どうやったら戻るなの?』と聞いて来たので、『そうだなぁ……』と考えてから、一つ答えた。
「サナは、ハンバーガーが好きだよな?」
俺の言葉に、サナが答えるよりも早く、サナの"お腹が鳴った"……どうやら言わずもがなだったようだ。少し恥ずかしそうに『すきなの』と答えて来たサナに、笑いながら答えた。
「ははは、そうだよな。それじゃあ、ボス吉を"ハンバーガー"だと思って、『食べたい』と言って見てくれ」
昨日、ザイの試験の際に、あれだけの"素質"を見せたのだ。
恐らく、大丈夫だろう。
そんな風に思っていたら、マムが『えっと、にゃんにゃんは、はんばーがー……じゅわっとしてて
、モグモグすると美味しくて……』と、呟いていた。
……簡単な自己暗示をしているようだ。
そして、『ハンバーガーなの!』とサナが言った。
サナの言葉の直後、直接向けられた訳では無い、その"殺気"に思わず衝動的に離れていた。
その結果、『"ブヂン!"』と音を立てて、正巳の付けていたシートベルトが壊れた。
そして、サナの腕の中に居たボス吉は……
「あぁ……漏らしちゃったようだな……」
ボス吉は、サナの腕の中で漏らしていた。
そんなボス吉を、サナの腕から持ち上げ、何事かと駆け付けた整備士の二人に、サナの着替えを頼んだ。
……サナは、少しだけ嫌そうな顔をしていたが、その原因が自分にある事は理解していた様で、心配そうな表情をボス吉に向けていた。
そんなサナに、『着替えて戻って来たら、ボス吉と話をすれば良いさ』と言っておいた。
何はともあれ、ボス吉は"瞑想"から戻って来れたようだった。
……整備士から受け取ったタオルで、ボス吉の体を拭きながら、今も微妙に体を震わせているボス吉を安心させる事にした。
「大丈夫だ、サナはボス吉を助けようとしたんだぞ?」
そう言って、ふと自分の傍らにある仮面の存在を思い出した。
そして、仮面を装着すると――
「『怖かった……食べられるかと思った……』」
……ボス吉の言葉が聞こえて来た。
始めて聞くボス吉の言葉に、思わず感動して、ガッツポーズを取りそうになった。しかし、ボス吉を抱えている事を思い出して、抑えた。
そんな風に感動していると、ふと、耳元にマムの声が聞こえて来た。
「『パパ、如何ですか?』」
「ああ、この仮面は最高だな!」
「『良かったです。一応、パパに渡した二匹も、通信の手段になっているので、充電が完了したら使ってみて下さい!』」
と言って来た。
どうやら、渡された機器は全て、マムと連絡が付くようになっているらしかった。
嬉しそうなマムに、『ありがとうな』と言うと、『これで、パパを見失う事はありません!』と言っていた。
どうやら、俺を孤児院で見失った事を後悔していたらしい。
――
そうこうしていたら、少し前から始動し始めていた飛行機のエンジンが、機体を動かし始めた。
着替えて来たサナが、仲直りしたボス吉を抱えて座席に座っていた。
俺は、最初に座っていた座席が壊れてしまったので、席を移動していた。
……ボス吉とサナは問題なさそうだ。
気のせいかサナは、ボス吉を抱える手に力を入れ過ぎないようにしている様に見える。対して、ボス吉も、若干サナに身を任せている気がする。
雨降って、地固まった。みたいだ。
――別に二人が揉めていたわけでは無いが。
サナとボス吉を見ていたら、いつの間にか機体が加速していた。
――離陸する前の加速だ。
ふと、加速している機体の"窓"から、外を見た。
それは、何でもない、"なんとなく"だった。
しかし、同時に、"確認しなくてはいけない"気がした。
――――
そして、その理由が分かった。
「ユミル……」
滑走路の脇、通常人が入り込めない筈の場所に、その姿が有った。
慌てて確認したが、1秒もその余裕はなかった。
――確認した人影は、浮き上がった機体の遥か後ろへと過ぎて行った。
しかし……
「寂しそうな顔してたな……」
正巳の目には、はっきりとその表情が映っていた。
アンケートにご回答いただいた方、ありがとうございました。
参考にした上で、次話以降反映させて頂きます。




