暗器使いのミトラ
それは突然の出来事だった。
小梅をかばって車道に飛び出し、トラックに轢かれたのだと思う。
小梅はその後、どうなった?
俺はその後、どうなった?
ーーそして何よりも今、最重要で、考えなくてはならない事がある。
嫌気がするほど、何処までも澄み切った青い空。
雲は流れて、何処かへ向かう。
アスファルトの黒で舗装されていない、黄土色の土道。
人の手が加えられてないような、田舎の畦道のようだ。
周りには高い建物も無く、見渡す限りの大自然。
ギリギリ視認出来る距離に、街のような建物が見える。
ーーここは一体何処だろうか。
人混みで溢れかえるスクランブル交差点にいたはずなんだ。
ちゃんと記憶もある。力の限り放り投げた小梅の表情だって鮮明に思い出せる。
「街までもう少しだで、気をつけて行きぃよぉー」
不意に声をかけられた方向へ身体を向けると、そこには荷馬車のような乗り物があった。
しかし、荷車を引く動物は馬ではない。二足歩行で歩いてゆくトカゲのようだ。
トカゲに括り付けられた手綱を握るおじさん。少し肥満気味で、穏やかな表情をしている。
「ちょ、ちょ、ちょ、おじさん! 待って!」
「んぁ? どうすたぁ?」
「ここは何処? 俺はやっぱり死んだの?」
「おかすな兄ちゃんだなぁ〜! 兄ちゃんは生きてるでねぇか! ここらはモノヒースだで。知っでるだろぉ?」
「あ、ああ! ありがとう。おじさん! そうだよな! ありがとう! 引きとめてごめんね!」
モノヒース。何故か言葉は通じる。しかし日本じゃない事は確かだ。
おじさんに別れを告げると、俺は辺りを見回した。
「わけわからんけど、とりあえず、あそこにある街みたいな所に行ってみますかね」
少しの困惑、足取りも軽いわけではないが、俺は街に向かい、一歩一歩土道を踏みしめた。
足もある、風が頬を撫でる感覚もあるし、喉の渇きだってある。
ーー俺、本当に死んでる?
自分の思い描いていた死後の世界とは、違う。違和感しか感じられない。
歩きながらそんな事を考えていると、土道脇の草原に見たことのない生物が見える。
ピンク色で体長50㎝ほどだろうか。猫ほどの大きさのイノシシ、いや、うりぼう? 非常に可愛く、思わず愛でてしまいそうな生物がいる。
「ちっちっ、こっちこいー」
その場でしゃがみ込み、手を差し出してうりぼうを呼び寄せる。
それに気づいたうりぼうは、トテトテと、なんとも愛嬌のある歩き方で近づいてきた。なんだ、人懐っこい生き物じゃないか。
「はっはっは、可愛いやつめー」
ーーナデナデ。
ピンクうりぼうの頭を撫でる。フサフサと柔らかな毛質で、触っていると癒される。
ーーナデナデ。
ふふ、自然とコイツも、心地よさそうに見えるぞ。
ーーガブッ。
そうかぁ、ガブッかぁ。変わった鳴き声で鳴くのだなぁー。ガブッねぇ……。
…………ガブッ?
「いってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ‼︎」
ピンクうりぼうは、俺の左手に思いきり噛みついていた。
何これ、痛い‼︎ 痛い‼︎ 狂犬病になっちゃう! 破傷風になっちゃう!
ーーブンブンブンブン‼︎
取れない。左手に噛みついたピンクうりぼうは、腕を振り回しても取れる気配がしない。
「どりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼︎」
ーーゴスッ‼︎
となれば、殴るしかない。
動物愛護団体に訴えられる?
生類憐みの令により処刑?
知ったことか。保身第一、先に手を出された、もとい噛みつかれた以上、これは立派な正当防衛じゃい。
九重 ソウタ 22歳 童貞。
可愛い動物がいたとしても、一番可愛いのは自分であり、自分に火の粉が降りかかれば、全力でそれを払うのだ。
「フギッ‼︎ …………ふしゅぅ……」
ーーシュゥゥゥ…………コトッ。
「……えっ?」
俺が殴ったピンクうりぼうは、煙を出して消滅してしまった。そして、消滅した場所をよく見ると、不思議な輝きを放つ石が落ちている。
ーー死んだ? いや、殺すつもりは……。
ピンクうりぼうを殴ったら、石を残して消滅。なんて後味が悪いんだ。ただ、少し殴って離れてもらおうとしただけなのに。
俺は、煮え切らない気持ちのまま、ピンクうりぼうが残した石を拾い上げると、それを手の上で遊ばせながら、また街への道を歩き出した。
しばらく歩くと、大きな街にたどり着いた。おじさんいわく、ここがモノヒースの街なのだろう。
石レンガで建てられた民家の数々、オレンジや赤の屋根が美しい。この街には、日本で見たこともない格好をした人達ばかりだ。
そうだな、北欧の人達が着るような服のイメージが近いかもしれない。
しばらくはこの街を散策し、情報を集めることにしよう。
「ああ、そこのあなた! 助けてください!」
……?
「あなたですよ! あなた!」
「俺?」
見るからにヤバそうな連中に囲まれた男が一人、こちらを見て叫んでいる。
どうしよう。俺の全身全霊をかけて関わりたくない。
完璧に厄介ごとに巻き込まれるやつじゃないか。
街に来て早々、なんという仕打ちだ。
「そうです! あなた! お願いします! どうか、助けてください!」
「具体的には、何を……?」
「この状況を打開していただきたい……!」
……うむ。
つまりあれだ。端的に言えば、このヤバそうな連中を何とかしてくれ。という事だ。
ならば、俺から返す答えは一つだけ。
「勘弁していただきたい……!」
「うぉぉぉぉぉぉぉい! この、ひとでなし! 鬼! 悪魔! 鬼畜将軍!」
キメ顔で、拒否する意を示したのだが、泣きつかれて有る事無い事を叫ばれてしまった。
経験則と、本能がつげる。これ多分、物凄く面倒くさい人であると。関わってはいけないタイプの人間であると。
「ハァ…………。やればいいんでしょう、やれば……」
俺はしぶしぶと、ヤバそうな連中に対し、拳を上げて構えた。それは、あなた達と戦う意思があるという意思表示でもある。
ニートでネトゲ生活な日々を過ごしていた俺に、彼らと戦う術があるのかと問われれば、残念ながらあると答える。
ヤバそうな連中の四人程度であれば何とかなりそうだ。
その昔、俺には祖父がいた。祖父である彼は、物心つかない俺に過酷な、近接格闘、体術の特訓をさせた。
何のための特訓か、などは一切わからなかったし、物心つく前から行っていた日常的な特訓に疑問など、一切感じなかった。
今となっては、このような状況に陥っても、冷静でいられる。亡き祖父に感謝してるくらいだ。
「お前、珍しい服を着てるな。お前も金目のものを置いていってもらおうか!」
いかにもなセリフを吐き捨てると、チンピラはこちらに向かって近づいてきた。
数で勝っている、という油断や慢心の表れか、彼らの態度はかなり大きい。
こういった場合、先手必勝が常套手段である。
チンピラAの喉に手刀、怯んだところで壁に叩きつけてまず一人。
目の前のカモが、噛みついてきた事に驚き、躊躇したチンピラBに顎先をかすめる左ジャブ一閃。脳震盪を起こして倒れるチンピラB。これで二人目。
次々と倒れる仲間を前にし、事の重大さを初めて理解する。しかし、理解出来た時にはもう遅い。顔面へ向けての飛び膝蹴り。そして倒れるチンピラC。
そして最後の一人、チンピラDにドヤ顔でこう言うのだ。
「後はアナタだけだけど、まだやるかい?」
「い、いや、もういい!」
仲間を置いて、逃げ出すチンピラD。彼の背中を見つめながら最後に一言。
「やれやれ……」
ーー以上、妄想終了。
よし、完璧な筋書きだ。かっこいい。かっこいいぞ、俺。
「お前、珍しい服を着てるな。お前も金目のものを置いていってもらおうか!」
よしきた。かますぜぇ、チンピラAの喉に痛烈な手刀を。
「よし、殺さない程度に撃て!」
……………………は?
ーーバチィッ‼︎
電流のような音が聞こえ、俺の背後にある壁が焼け焦げている。
……もしかして、銃火器を持っていらっしゃる?
「ちょ、タイム! タイム! タイム‼︎ その飛び道具なんなの‼︎ 当たれば痛いじゃ済まないでしょうが!」
「あぁ? んなもん雷のマギアに決まってるだろうが! 構わねぇ! やっちまえ‼︎」
「ちょっ、あぶっ‼︎ 死後の世界、ろくなとこじゃねぇぇぇ‼︎」
手をかざし、不思議な力で何かを撃ちまくるチンピラ達。銃火器ではなく、とにかく不思議な力としか表現する事が出来ない。
辺りに雷のマギアとやらのけたたましい音が、何度も何度も響き渡る。
相手の視線や、手をかざした角度を注視しては、紙一重で躱すものの、さすがにチンピラ四人からの一斉掃射はキツい。
よく見たら最初に助けを求めてきた男まで、奴らに加わり、雷のマギアを撃ってきているではないか。
最初からグルで、俺みたいなカモを引っ掛けるための芝居だったというわけだ。
しかし、このままではジリ貧。……となれば、早めに俺の奥義を繰り出すしかない。
肺だ。肺に目一杯空気を溜め込み、それを空に向かって、ぶっ放すのだ。
「だぁぁぁぁぁぁれかぁぁぁぁぁぁぁぁ! たぁぁぁぁぁすけてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ‼︎」
プライドも、世間体もとりあえず忘れて、叫ぶ。羞恥心なんて一切捨てて、心の底から声を張り上げた。
…………。
……誰も来ない。
「おいおい、何だこいつ」
チンピラ達も、おかしな見世物を見るように、呆れて笑っている。
しかし、しかしだ。絶体絶命な俺にも一筋の光明が見えた。
この気持ちも滅入るような、仄暗い路地。チンピラ達の背後から誰かが近づいてくるではないか。
「もし、あなたぁん、助けは必要かしらぁん?」
女性の声、しかもロリータファッションのようなヒラヒラやテラテラが、着ている黒い衣服全てについている。
身体のラインは極めて細いので、ぷくっと膨らんだスカート部分が、より強調されていた。
非力な女性に見えるんだが……。
大丈夫なのだろうか……。
「助けてください。お願いします」
「わかったわぁん、下がっていなさぁい」
彼女は両手でスカートの中腹部分を掴むと、少しだけ笑い、そのままペコリと頭を下げた。
「なんだ、てめぇは! こいつの代わりに、お嬢ちゃんが遊んでくれるのかい⁉︎」
チンピラ達は、ニタニタといやらしい笑みを浮かべ、ロリータ女性に向けて、手をかざす。
ロリータ女性もニヤリと笑い、口を開いた。
「白銀亭が主、暗器使いのミトラ。参るわぁん」