はじまり
前日の夜から完徹でオンラインゲームをしていた。
適正レベルの狩場でひたすら八時間レベリング作業だ。
昨今のオンラインゲームはレベル1つ上げるだけでも時間がかかり過ぎる。
八時間モンスターを狩り続けてレベルが3アップ。レア武器、レア防具のドロップが4つ。店売りすれば、それなりの売値になる。
狩りに使った分の薬代を差し引いても、やや、黒字といったところだ。
九重 ソウタ、長くに渡るニートでネトゲ生活。
曜日感覚は既に失われ、主食はカップラーメン、常時スウェット、髪はボサボサ。右手で髪の毛を掻きむしれば、魔法のようにフケという名の粉雪を降らせることが出来る。
俺の人生こんなんでいいのかなー? とは思うものの、楽な方へ流されやすいこの性格のせいで社会復帰は出来ていない。
高校卒業後から格安アパートに暮らし、大手企業の社畜となっていた事もあり、当時の貯蓄でダラダラと過ごし、今に至る。
「ふぁああ…………。そろそろ飯にすっかぁ」
欠伸を天井に向かって放ち、PCデスクから席を立とうとしたときだった。
ーーピコーン。
オンラインゲームの画面から電子音が鳴る。
誰かから、自分宛にメッセージチャットが届いた際の通知音である。オンラインゲームの種類によって呼び方も違うが、内緒チャット、ささやきチャットとも呼ばれているようだ。
「む、小梅か……」
ゲーム画面、左下のチャット表示欄にメッセージが書き込まれていた。
『すもぷら:ソウタ、また徹夜か?』
《すもぷら》というキャラクター名は、俺の住むアパート、その隣部屋に暮らす、幼馴染の小梅だ。
小梅 → スモールプラム → すもぷら それがキャラクター名の由来だと言っていた。
ちなみに俺のキャラクター名は、《ぽんず零式》である。由来などは特には無く、パッと頭に浮かんだ名前がそれだったためだ。
『ぽんず零式:そうだぜ、今から飯放置しようと考えてたとこ』
『すもぷら:お、ちょうど良かった。オレと街いこうよ。買いたいものがあるんだ。付き合ってくれ』
『ぽんず零式:いや、ちょうど良くないよw 飯食べるって言ってるじゃんw』
『すもぷら:だから、街で飯おごるってw だから、オレの買い物も付き合ってくれよってこと』
『ぽんず零式:そういう事ね。理解した。ならばOK』
『すもぷら:じゃあ、10分後に』
『ぽんず零式:へいへい』
久しぶりに街へ出るという事で、急ぎ身だしなみを整える。
相手は小梅だ。変に気負わなくていい。そういった意味では一緒にいて楽な存在である。
しばらくすると呼び鈴を鳴らすより先に、トタトタと足音が聞こえ、小梅が勝手に上がり込んできた。
「おーい、ソウタ。オレ様が迎えにきたぜ」
俺の胸までしかない身長、黒髪のショートカット、パーカーのフードを深々とかぶり、黒縁眼鏡とヘッドフォンのアクセント。
黙っていればかなり可愛い女性だと思うが、腐れ縁の小梅に、今更、恋愛感情など抱けない。
いつもの事ながら、俺に対するデリカシーは無いのだろうか。
呼び鈴を鳴らすぐらいの事はできるだろうに。
「おー、今支度出来たところ。行こうか」
履き慣れた靴で、久しぶりに外の世界へと踏み出した。
眩しい。日光が容赦なく降り注いでいる。
「本当、ソウタはオンラインゲームに夢中だよな。よく飽きずにやっていられるよ」
「まあな。それくらいしかこの世界には面白い事がないからな」
「まあ、確かに、オレ達みたいな社会不適合者には生き辛い世の中だよな。趣味も無ければ友達も少ない。周りにうまく溶け込めない」
「ちょっと、小梅さん、一緒にしないでもらえます?」
「おいおい、現実から目を背けるなよソウタ……」
「アー! 何も聞こえないー!」
たわいない会話をしながら俺達は歩き、街に着く頃、時計は10時をまわっていた。
時間帯のカテゴリーに分類されれば10時というのは昼だろうか? しかし、このようにヒキコモリ、ネトゲ生活をしていると、10時は朝で、朝飯を食べる時間である。
そして徹夜明けで、胃にも負担がかかる。軽めの食事が好ましい。
そうだ、パンとコーヒーがいい。
小麦の芳醇な香りを堪能しながら、じっくり焙煎された奥深い味わいのローストコーヒーが飲みたい。
「小梅、パンとコーヒーが食べたい。朝からハッピーになれる感じのやつな」
「パンとコーヒー? ……ああ、わかったよ」
10分後、俺と小梅の向かい合うテーブル席の上には、分厚いビーフパティとサウザンドレッシング、トマト、レタスがこれでもかと挟まれた、がっつり高カロリーバーガーと、紙コップに入ったいかにも安価で、大量生産されたであろう焙煎も深煎りもクソもない、よくあるコーヒーが置かれていた。
よくあるチェーン店のバーガーショップだ。
パンとコーヒー。……いや、間違ってはいないけども……。
「で、小梅は今日、何を買いに来たんだ?」
「ああ、今日は生理用品とかだな」
ーーブバッ‼︎
不意打ち気味の左ジャブに、口に含んでいたコーヒーを思わず吹き出してしまう。
たまにおかしな事を呟くので、小梅が女である事を不意に思い出してしまう。
「ししし、なに動揺してるのさ。オレだって女だぞ」
「またまた。お前が女なら、俺はとっくに惚れていたぜ」
「…………」
小梅は、ふいっと窓の方へと視線を逃し、そのまま黙り込んでしまった。
小さく何かを呟いた気もしたけれど、聞き取る事は出来なかった。
少しばかり、場の空気に違和感を覚え、残っていたハンバーガーを、急ぎ口の中へと詰め込む。
「そろそろ行くか。小梅。お前の買い物に」
「……ああ。そうだな」
俺達は配膳用のトレーを返却場所へ返すと、店を出て、目の前のスクランブル交差点へと歩き出した。
休日の街中、という事もあり、何処かへ向かう人の波で溢れかえっている。
小梅はというと、何やら俯き、ボケーっと歩いている。
先程から様子がおかしい。女の子の日、というやつだろうか。
スクランブル交差点で停滞した人々は、信号の青を待ちわびている。
今日もこの街は、程よくごちゃついていて、程よく不安になり、程よく平和だ。
この平和はきっとこの先も続き、俺が心配する必要もなく、日常を過ごしてゆくのだろう。
この時まで、俺はそう思っていたんだ。
留まる群衆の群れを抜け出て、車道を歩き出した小梅を見るまでは……。
「おい! 小梅‼︎」
「……えっ? あっ……」
目の前には、物凄い勢いで突進してくる中型トラック。
言葉よりも先に、体が動いていた。
小梅の前に飛び出し、彼女の肩に手をやると、思いきり歩道へと投げ飛ばした。
一瞬だけ、激しいクラクションの音が聞こえた。
そこから先は覚えていない。
そして、俺の平和な日常は、その日突然終わりを迎えたんだ。