表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

夏のホラー企画

鏡の向こうに君はいる

作者: 円坂 成巳

-序-


 少年は、遊園地のミラーハウスの中で、その特別な鏡を見つけてしまった。近代的な金属を蒸着した鏡ではない、金属を磨いた虹色に蠢く鏡面に少年は惹きつけられる。古代の魔術師が異界との交信のために作り出した魔道具が、巡り巡って、古美術品として遊園地に売られ、アトラクションであるミラーハウスの一部に使われていたことなど、少年には知る由もない。

 少年が魔術師と関係のある血筋だったのか、ただの偶然だったのか、それとも少年が強く別の世界を望んでいたためなのか、理由は定かではないが、少年は鏡と出会ってしまった。その鏡面の向こう側に少年は確かに、別の自分の可能性を見てしまった。

 そして、少年は、鏡の主となった。


-1-


 はっと眼が覚めると、隣でナツコがおれの顔を覗き込んでいた。右目の泣きぼくろがチャーミングなおれの彼女。


「今うとうとしてたでしょ。よくこんなとこで寝れるね」


 あきれた口調のナツコを尻目に、おれはううんと背伸びをする。おれが座っていたのは、閉鎖された遊園地のベンチだ。大学の友人らの間で変わったデートスポットとして話題になっていた閉鎖された遊園地、裏野ドリームランドに勝手に侵入させてもらっているところだ。

 かつては県内唯一の遊園地として賑わいを見せたこの場所も、今は荒れて寒々しい様子であり廃墟としか言いようがない。砂埃が舞って、鼻がむずむずする。

 町から離れた山の中腹にあるために、周辺にも人影はなく、まるで、世界でたった二人だけになった気分だ。

 ナツコから行ってみようと誘われ、最近は新しいデートの行き先にも迷っていたから、いつもと違う雰囲気のデートを楽しむつもりで来てみたが、特に面白いものがあるわけではない。怖くないようにと日中に訪れた廃遊園地は、雰囲気がロマンチックなわけでもなく、生えっぱなしの雑草が目立っている。

 石畳の広場のベンチにビニールシートを敷いて座り、お弁当を食べていたら、どうやら満腹になり眠くなってしまったようだ。

 おれが早速飽きてきたことに気づいたのだろう、ナツコはどこかで仕入れた変な噂でおれを怖がらせようとする。


「ねえ知ってる?ドリームキャッスルの下には拷問部屋があるって噂。そこで人が死んでたのが廃園の原因だって」


「ただの噂だろ。そんな話があったら大ニュースだっての」


「そうかなあ。それに、ほら、ミラーハウスの事件は本物じゃなかったっけ」


「事件?」


「なんか、子供が消えたって話。あなた地元なんだから詳しいんじゃないの?」


「そんな事件あったかな。だいたいそういうのって尾ひれがついて広がるだろ」


「失踪はほんとにあった事件だって聞いたけどなあ」


 ナツコの希望に従って、次は話にあがったばかりのドリームキャッスルに向かう。

 尖った屋根に旗がたなびく西洋の城をイメージした建物。子供の頃に見たときは、パステルのピンクが映えるかわいらしい城だったと記憶しているが、今は、塗装が所々剥げて灰色の下地がみすぼらしい。旗もぼろぼろで変色している。

「やっぱ開かないわよね。拷問部屋探せないね」言いながら、ナツコは扉をがちゃがちゃといじっていた。

 その右手には、もう少しシンプルな丸みを帯びた小さめの建物、ミラーハウスがあった。

 ミラーハウスは、通路にたくさんの鏡が設置された建物で、何重にも反射する無数の像や、歪んだり膨らんだりした姿を楽しみながら歩くアトラクションである。

「ん?」何気なくミラーハウスを見眺めていると、あることに気づいた。

 扉がゆっくりと開いている。

 ぞぞっと二の腕の毛が逆立つ。

 扉の隙間に、何かが見えた。窓、じゃない。鏡だろうか。鏡の中に人が映りこちらを覗いている。背は小さくて子供かと思える。その何者かと、目が合ってしまう。

 その途端、ざわざわとした締めつけるような感情が、身体の内から溢れ出した。危機感と焦燥が合わさった感情とでも言えばいいだろうか。

 見てはいけないと思いながらも、吸い込まれるように、おれはふらふらとミラーハウスに向かって歩を進めていた。


「ねえ、どうしたの」


 ナツコの声におれは自分を取り戻し、立ち止まる。ミラーハウスの扉はすでに固く閉ざされていた。


「ねえ、顔真っ青だよ。どうかしたの」


「今、ミラーハウスの扉から誰か見ていたんだ」


 ナツコがミラーハウスの扉を見る。


「誰もいないよ。見間違いでしょ」


 たしかに誰もいない。二人で近づいてみたがミラーハウスの扉は固く閉ざされており、人がいる気配もなかった。見間違いだったのだと自分を納得させて、その日はそれだけで帰宅した。


-2-


 一人暮らしのアパートに帰宅後、妙に落ち着かず、原因不明の焦燥感に駆られながら、何を探すともなく押入れの中をあさった。見つけたのは、物置の奥にしまっていたダンボール箱。中には、鍵が紐でくくりつけられた青い表紙の大判のスケッチブックが入っていた。

 スケッチブックを開き、中身を眺めると、それが誰のものだったのか、唐突に思い出されてきた。


「タクミ」


 これは、タクミの遺品だ。いや正確には遺品というのはおかしい。タクミが生きているのか死んでいるのかはわかっていないんだ。裏野ドリームランドで消えた俺の従兄弟、タクミ。なぜ忘れていたんだろう。すっかり頭から消え去っていた。ナツコが話していたミラーハウス内で消えた子供とは、おれの従兄弟のことだ。

 そうだ、覚えている。タクミは、おれの目の前でいなくなったのだから。


 あれは、おれが小学五年生の夏のことだ。タクミはまだ三年生だったはず。あの日、タクミの家族とおれの家族がいっしょに裏野ドリームランドに遊びにいった。母同士が仲がいい姉妹で、家族どうしの付き合いもあったから、互いに子供を預けたり、遊びに行ったりということはよくあった。

 タクミは体が弱くてあまり遠出できなかったのだが、ときどき裏野ドリームランドに連れてもらうことをとても楽しみにしていた。絵が好きで、色鉛筆を駆使してスケッチブックにアトラクションの絵を描き、熱心に説明してくれたことを思い出す。

 その日は、ドリームランドでたくさん遊んで夕方が近づき、タクミは最後にもう一度ミラーハウスに入りたいと言い出した。

 タクミはドリームランドのアトラクションの中でも、ミラーハウスが好きで、その日はすでに三回目だった。

 おれは、ミラーハウスは暗いし少し怖くていやだったのだが、タクミの手前そんなことは言えず、怖いそぶりなど見せずに、いっしょに入ることとした。

 タクミがいなくなったのは、その直後だった。

 ミラーハウスの真ん中にある、鏡がたくさんある大部屋で、鏡に紛れるかのようにタクミは消えたのだ。テレビや新聞でも取り上げられ、現代の神隠しと騒がれたが、結局、タクミは見つからなかった。


 なぜ、タクミのことを忘れていたのか。タクミの両親とは今でも親戚づきあいがあるが、毎年、タクミのお参りすらしていなかったし、向こうからも何も言われなかったのも不思議だ。


 なんだか罪悪感で胸がいっぱいになる。


 中身をぱらぱらとめくってみる。タクミの絵は色使いが独特で子供の頃は面白いと思っていたが、いま大人になって見てみると、頭に刃物が刺さった人や、目がたくさんある紫色の細長い人物、全身から血を吹き出した小人など、随分とブラックで奇妙というか不気味な絵が多い。

 さらにスケッチブックをめくると、裏野ドリームランドで遊ぶタクミの家族の絵が描いてある。こちらは普通に楽しそうな絵で、子供の頃に見た記憶もあった。その中に、気になる絵が出てくる。ドリームランドのミラーハウスと思われる絵だ。

 絵の中心にあるのは金色の鏡だろうか。鏡面が虹色に塗られている。その鏡の左右に向かいあって、二人の人物が描かれている。どうも両方ともタクミ自身の姿ではないかと思われた。片方は泣いていて片方は笑っているようで、鏡面に手を突き出し、手のひらを互いに合わせている。その周囲にも、鏡と思われる丸や四角形や六角形が並び、その中には、同じ人物の絵が一つ一つ丁寧に描かれていた。

 前にはこんな絵は見たことがなかった気がする。そこから先のページをめくると、また見た覚えのない絵が描いてある。これはドリームキャッスルだろうか。その地下に部屋があり、大人と思われる男女が火の中にいる。ドリームキャッスルに拷問部屋があるという噂を昼に聞いたばかりだが、そういう噂にタクミが影響を受けたのかもしれない。

 次のページは、アクアツアーの絵だ。アクアツアーの池には、巨大ワニが棲むという噂がおれの子供時代にもあったのだが、どうもその絵であるらしい。巨大なワニを連想させる怪物が、人間を丸呑みにしていた。

 共通するのは、火あぶりや怪物による惨劇を離れた場所から笑って見ている人物の絵だ。これはタクミなのだろう。


「なんなんだ、これ?」


 タクミがこんな絵を描いていたのは見た記憶がないが、タクミが消えたこととなにか関係しているような気がして仕方なかった。

 もしかすると、ミラーハウスから覗いていた子供は、見間違いではなくタクミだったのではないだろうかなどと想像してしまう。

 もちろん、そんなはずはない。タクミが生きていたら、もう高校生の歳になっているはずだ。


 だんだんと思い出してきたが、まだ記憶が曖昧なところがある。タクミの両親は、タクミは死んだものとして扱いタクミの部屋のものは処分したはずだったと思うがが、スケッチブックはおれが引き取ったのだったろうか。

 スケッチブックを閉じ、当時のタクミのことをもっとよく思い出そうとする。

 タクミは生まれつき身体が弱かった。なんだか難しい病名で、いつも病院に通っていた。頭がよくて、少し夢見がちで、絵や工作が得意だった。おれに懐いていて、おれのことを兄さんと呼んでいた。どちらかというとやんちゃな餓鬼だったおれだが、タクミには随分優しくしていたと思う。

 タクミの両親は、いつもきちんとした身なりをしていて、かっこよかった。タクミのマンションの部屋に遊びに行くと、いつもケーキが出されたので、それも楽しみだった。


「おれ、兄さんのほんとうの弟だったらよかったのに」


 あるとき、タクミは言った。


「そうだな。おれがお前の兄ちゃんだったらなあ。伯父さんたちは金持ちだし、こっちの家の子だったらなあ」


 おれが答えると、タクミは「そういうことじゃないんだけど、ま、いいや」などと返すのだった。


 タクミは、どうして消えたんだろう。このスケッチブックはタクミからのメッセージであると漠然とそんな気がするのに、その中身はわからない。


-3-


「つまり、あなたがミラーハウスで見たのはタクミくんの幽霊じゃないかって疑っているわけね?」


 おれのアパートを訪れたナツコは、途中で買ってきたアイスクリームを食べながら、おれの話を聞いてくれた。


「いや、幽霊なんて信じてるわけじゃないんだよ。ただ、ミラーハウスで子供を見たのと、このスケッチブックが出てくるのと、タイミングが重なったのが無関係と思えなくてさ。何か関係するのかなって思って」


「偶然にドリームランドに行ったことで頭の奥にあった記憶が刺激されたんじゃないのかな。だから無意識に、閉まってたスケッチブックのことを思い出したってことだと思うけどね」


「まあ、普通、そう考えるよね」


 おれは冷えた麦茶をぐいっと飲み干す。ナツコは、アイスクリームを食べおえて、スケッチブックに目を通す。


「タクミくんってさ、いじめられてたりしたのかな」


「え、そんなことはないと思うけど」


「でも、この絵って何か闇を抱えてるよね。素人目にもそう思う」


「確かにな。暗いというか偏執的というか。思い出してみると、タクミの親はタクミが絵を描くのは嫌がってたんだよな。今思うとそれも当然かと感じるよ」


「それなんだけど、タクミくんの両親って、タクミくんとどうだったの」


「どうだったって?」


「飛躍しすぎてるしあんまり言いたくないけど、虐待とかさ」


「いや、そんなことは。二人とも優しかったし」


「それは、あなたの前ではでしょ。見てみなよ」


 スケッチブックを示される。このページは、ドリームキャッスルの地下で、二人の人間が火あぶりになっているページ。


「これがどうした?」


「ほかのページで、家族の絵が書いてあるけれど、絵の特徴がそっくりなのよね。この絵って、タクミくんのお父さんとお母さんを描いてるんじゃないの」


 無言でスケッチブックを受け取り、前後のページを確認する。ナツコの言う通りだ。小学生の絵とはいえ、はっきりわかる。家族そろった絵と比べると、髪型も服の色も特徴が一致している。

 ちなみに、アクアランドで怪物に飲み込まれている人の靴の形は、タクミの父ではないかと思われた。

 これは、つまり両親に対するタクミの感情が反映されているということなのだろうか。なんだか変な汗が出てきた。

 


「それから、その鍵ってなんなの?」とナツコは、さらに疑問を追加してくる。


「わからない。おれのものじゃないし、タクミのでもないと思うんだけど」


「それってミラーハウスの鍵なんじゃないかな」


 言いながらナツコは再びスケッチブックをめくる。


「ほら」


 指差したのは、子供が鏡の部屋で向かい合わせになっているあのページ。ミラーハウスらしき建物の外側には扉が描いてある。そこに一緒に描かれているのは、鍵だ。


「これって」


「ね、この鍵っぽいでしょ」


「でも、なんで」


「さあ、わからないよ。でも、あなたはもう一回ミラーハウスに行った方がいいんじゃないかなって、そう思う。だってあなた、ずっと死んだような表情してる。ちゃんと気持ちにけりつけた方がいいんじゃないかな。何もなければそれでよし。付き合うからさ」


 その言葉に、おれは、意を決する。どうせ一人でもそのつもりではあったのだが、改めて、積極的に立ち向かわねばという気持ちになった。


「明日、付き合ってもらえるか。明日が、タクミがいなくなった日なんだ」


-4-


 立ち入り禁止の掲示を無視して、無人の受付ゲートを潜る。ドリームランドの園内は、今日も当然ながら人影は全くない。

 今日は、タクミのいなくなった日だ。今日こそ何かが起こるんじゃないかと思った。


 ナツコと一緒に、緊張してミラーハウスの前に立つ。

 扉の鍵穴に鍵を差し込み回す。がちゃりと音が鳴り、鍵が開いた感触を確かに感じた。

 扉を開けると、異様な冷気が流れてくる。電気は通じていないので中が真っ暗なのは予想できたから懐中電灯を準備してきた。

 入り口で少し考える。俺たちがここにきていることを知っているのは俺たちだけだ。もし閉じ込められでもしたら、餓死するまでだれも助けに来てはくれないだろう。

 ナツコには扉を開けたままで、外で待っていてもらうことにした。


「何もないと思うけど、一周したら戻ってくるから」


「気をつけてね」


 ミラーハウスに足を踏み入れると、順路を示す矢印のとおり左に曲がる。このまま、ぐねぐねとした通路を歩き、建物内を一周すると入り口に戻ってくるはずだ。懐中電灯を片手に通路を進み始めると、思った以上に歩きにくい。たくさんの鏡のせいで右も左もわからなくなるし、ゆがんだり大きさが変わった自分の姿があちらこちらに映り気を逸らす。

 何度目かの曲がり角では頭を鏡面に打ち付けてしまい、より慎重に歩を進める。

 

 曲がり角のたびに鏡の配置や枚数は変わり、違った見え方をするのだが、子供のときはこれが怖かった。今でも、楽しめる感じはしない。できれば二度と入りたくないと思う。

 歩きながら、このままミラーハウスから出られないのではという不安が頭をよぎった。

 足音の反響も、不安に拍車をかける。狭い空間の中で、反響する自分の足音に別な音が混ざっているのではないかと不安になり、わざと足を止めてみたりもする。

 もう何度目の曲がり角だろう。とっくに中央の大部屋に着いてもおかしくないと思うのだが着かない、延々と通路が続いている。闇が深くなり、なにか別の世界に迷い込んでしまったかのような不安が募っていく。


 なぜ、おれはこんなところに来ているのだろうと自問する。タクミを助けるためか?タクミを見つけるためか?今更、こんなところに来ても何にもならないのに。

 タクミにいったい何があったというのだろう。


 あの日のことをもう一度思い出してみよう。


 タクミが、おれと二人でミラーハウスを冒険したいというので、タクミの両親が先に入って、その後に時間を置いてからタクミとおれが二人でミラーハウスに入った。おれの両親は外で待っていたはずだ。途中、大部屋でタクミは、鏡の群れに紛れるように消えてしまい、おれはタクミが先に進んでしまったのだと思った。おれは急いで出口まで一周してきたが、タクミはいなかった。タクミの両親もタクミが出てくるのを見ていなかった。

 一つにはミラーハウスから皆の目に触れずに脱出したかあるいは連れ出された可能性が考えられる。しかし、出入り口は一箇所のみというこの建物でそんなことが可能なのだろうか。ミラーハウスに隠し部屋や隠し通路があるという可能性もある。そこに一旦隠れてから外に出たとか。あのとき、タクミが消えてから、すぐに職員や警察も捜索に入っていた。隠し部屋があったとしても、警察の捜索で見つからないなどということがあるのだろうか。

 あるいは、だれも知らない隠し部屋にタクミが迷い込んでしまい今もそこにいるのではないかと想像を巡らす。

 いやまて、タクミが先に進んでいたとして、一番初めにタクミと会う可能性があったのは、タクミの両親ではないだろうか。

 出口付近でタクミを待ち構えてどうにかしてしまい荷物にでも隠してしまえば、タクミが消えたように見せかけられるのではないだろうか。

 その場合、おれが一緒に歩いていれば、いっしょに消されていたかもしれない。しかし、そもそもタクミの両親は大きな荷物など持っていただろうか。タクミの父は遊園地から帰ったらすぐに出張の予定で、車に大きな荷物を積んでいたが、車に積みっぱなしだった気がするからやはり無理か。

 だが、先行してミラーハウスに入ったタクミの両親ならば、何らかの方法でタクミが消えたように見せかけることができたのではないだろうか。

 子供を失った親を犯人のように扱うのは自分でも最低だと思ったが、疑念を拭うことができない。

 なぜなら、タクミの両親は、決してタクミを愛していたとは思えない理由があったからだ。


 そうして頭を悩ませながら先に進んでいるうち、突然、目の前に人が現れた。心臓が跳ね、身体がこわばる。

 目の前にいるのは、おれだった。鏡に映った自分の姿に驚いただけだった。

 ほっとして、息を大きく吐く。

 そして気がついた。目の前のおれは、両手を大きく広げて、笑みを浮かべている。おれはそんな格好はしていない。自分でもわかるが表情はこわばって決して笑みなど浮かべていない。


「ははっ」と、耳元で乾いた笑い声が聞こえた。


 駆け出した。何度も壁にぶつかりながら、構わず、走り続けた。たぶん大声もあげていただろう。早く出口にたどり着かないとおかしくなってしまいそうだった。

 そうしてたどり着いたのは、出口ではなく、ミラーハウスの中心にあるはずの大部屋だった。


 大部屋の中心の柱に丸い金色の鏡が掛けられている。そこには、おれの姿が映っていない。代わりにそこにいたのは、タクミだ。

 あのころの、小学三年生のままのタクミがそこにいた。痩せていて頰がくぼみ、目が大きいタクミ。


「タクミ、お前、ここにいたのか」


 鏡に駆け寄るが、鏡の向こうのタクミに触れることはできない。


「やっと来てくれたんだね。兄さん」


「やっぱりお前が呼んだのか。スケッチブックも鍵もお前が」


「そうだよ。でも、もともと兄さんを呼ぶつもりはなかった。ただ、兄さんにだけはぼくがどこに行ったのかを教えておこうと思ってあれを残したんだ。気づいてくれなかったみたいだけどね」


「ああ、随分時間がかかっちまったよ。タクミ、ごめんな」


「謝ることないよ。結局気づいてくれたじゃないか」


「いや、謝らないと。おれ、わかってたんだ。タクミが何か悩んでるって。タクミの親が何かしてるんじゃないかって。虐待って言葉は当時はわからなかったけど、それらしきことがあるってわかってたんだよ!」


「兄さん、いいんだよ。もうそれは」


「お前、自分がどうなったか知ってほしかったじゃないのか。お前の親が、お前をここで、殺したんじゃないのか」


 なぜ気づかなかったのだろう。今ならわかる。タクミは虐待を受けていた。でも、おれは何もしなかった。そして、タクミが消えた。

 おれは、自分の罪悪感に立ち向かえなくて、記憶を封印していたんだと思う。


「兄さん、ありがとう。ぼくのこと考えてくれて。でも少し違うんだ。ぼく自分でいなくなったんだよ。パパもママもぼくをいらないってわかったから。ぼくはドリームランドが好きだった。パパとママは、いつもここにいるときは優しくしてくれた。そしてミラーハウスでこの鏡を見つけたんだ。この鏡はすごいんだ。たくさんの世界に繋がっていて、無数の自分がいて、いろんな世界で、いろんな体験をしている。そして見つけたんだ。理想の世界。兄さんにも来てほしい」


 タクミが手を伸ばす。一斉に周囲の鏡の中のタクミもおれに手を伸ばす。


「タクミ、お前はもう死んでるんだよ。成仏したほうがいいんだよ。おれが仇を取るから。ちゃんと警察に言うから」


「そんなことはどうでもいいんだ。兄さんがこっちに来てくれないと完成しないんだよ」


 話がかみ合っていないと感じる。タクミは、死んでいて何かを伝えたいんじゃないのか。

 ぬっと鏡の中から手が伸びた。周りの鏡からもおれの体に向かって手が伸びてくる。鏡が振動して、流れるように動き出し目が眩む。

 無数の鏡から伸びる手が、おれの服を髪を掴む。


「パパとママが死んじゃってぼくが兄さんの家族になる世界があったんだよ。スケッチブックに描いたドリームキャッスルの火事さ。なのに、あっち側の兄さんはぼくのことを好きじゃないみたいなんだ。だから、本当の兄さんを連れて行かなきゃと思ってずっと待ってたんだ」


 やっと理解した。タクミはおれを待っていたのは事実だが、それは真相解明してほしいとか、死体を見つけてほしいとかそういうことじゃない。おれを、連れて行くつもりなんだ。


「やめろタクミ!おれはまだこっちでやることがあるんだよ」


「心配しなくても大丈夫。向こうの兄さんがこっちに来ることになるから。今ちょうど向こうから鏡を見ているところさ。もう捕まえた。入れ替わりは一回きりだし、あいつだって僕がいないこっちの方がいいんじゃないかな」


 タクミの説明を聞いている余裕はなかった。おれは手を振り払って逃げようとする。無我夢中で駆け出すが、鏡に囲まれて、もうどちらが出口なのかも全くわからない。


「タクミ、こっちだよ」


 ナツコの声が聞こえた。おれを追って来たのか。ナツコは右手に懐中電灯を持って、左手をこちらに伸ばしている。おれはナツコに向かって走る。

 タクミの手が周囲から追いかけて来て、視界を埋め尽くした。それを払いのけながら、ナツコを探す。

 たくさんの腕の中で、おれがプレゼントした腕時計をつけたナツコの左手が見えた。おれはそれだけを目印に、全力で走った。

 足を、腕を、髪を、頭を掴むタクミの手に飲み込まれながら、足を動かし手を伸ばすも、ナツコの手に届くか届かないかというところでおれの意識は遠のいていった。


-終-


 鳥の鳴き声に反応して眼が覚める。おれはドリームランドの真ん中の広場で、ベンチに寝転がっていた。


「助かった、のか?」


「ねえ」


 きつい声で呼びかけてきたのは、ナツコだった。おれの顔を見下ろし、にらみつけている。左目の泣きぼくろが、ずいぶん威圧的に感じる。


「あなたミラーハウスで倒れたのよ。男のくせに鏡にびびって倒れるとかまじひく。ありえないでしょ」


「え、ええ?」


 ナツコとは思えないようなきつい口調に驚く。


「今日はやっと家族に紹介してくれるんだから、しっかりくれないと困るし」


 それを聞いて、おれは一瞬何を言っているのかわからなかった。たぶん相当にぽかんとした表情を浮かべていたろう。


「ほんとあたま大丈夫?まあもともとおかしいか。これからあんたのお父さんお母さんと弟さんと待ち合わせでしょ」


「え、おれに弟なんて」


「何言ってんの。タクミくんのことよ。従兄弟だけど、両親が亡くなって、あなたの親が養子に引き取ったんでしょ」


「あ、え」


「今日はタクミくんの両親が事故で亡くなった命日だから、わざわざここに来たんでしょ。私は紹介してもらうときはちゃんとしたレストランがいいって言ったのにさ。みんなでお線香あげるってほんと面倒よね。たしか放火だっけ、ドリームキャッスルの地下で何人も閉じ込められてほんと悲惨ね。でもそんな事件あってよく復活できたよね、この遊園地」


 がやがやと人の声がするので、周りを見渡すと家族連れやカップルが楽しそうに、園内を歩いている。

 楽しげな音楽が聞こえ、どう見てもここは廃園ではない賑わった遊園地である。


「なんかおれ気分が」


「そろそろ待ち合わせの時間じゃない。ドリームキャッスルはどっち?もたもたしないで案内しなよ。ほんとあなたとろいから心配だわ」


 あれ、なんだこれ。

 違和感で気持ちが悪い。頭がくらくらする。

 ナツコの腕時計が右手にある。いつも左手につけていたはずなのに。そういえば、泣きぼくろの位置もおかしくないか。

 何が起こったんだ。助かったんじゃないのか。目の前のミラーハウスの右手にドリームキャッスルがある。たしか位置関係が逆だったような。つまりおれはタクミから逃げられなかったということなのか。


「やあ、兄さん。ようこそ」


 振り向くと、タクミの面影のある高校生くらいの青年が、こちらに向かって歩いてきた。おれの親父とお袋も一緒だった。ナツコも両親も見慣れたはずなのにどこか違う。

 気がつくと、おれは大声で笑っていた。

ミラーハウスの入れ替わりネタは構成の被りがあるだろうなとは思っていましたが、ぱっと企画参加作品を眺めた感じでは、似たような構成の話はけっこうありそうですね。その中でみんなどんなところでオリジナリティが出るのかを読むのは少し楽しみです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] タクミの絵やミラーハウスの不気味さが、リアリティに溢れていました。空の孔に出てくるおかしな者達も、丁寧に描かれているから、側にいそうで怖いです。 [一言] どの場面も頭に浮かぶので、いつも…
[一言] ∀・)凄いですね。凄くよく創られた作品だなと感動をしました。そして結末が半端なく怖い。なんということか。 ∀・)ミラーハウス系の作品は確かに数多く投稿されていますが、この作品のような作品は…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ