第1話:クーデター〈我々はアジア人民解放同盟軍〉
≪こちら大韓民国海軍世宗大王! こちら世宗大王! 乗組員が突如反乱! 救援を乞う、救援を乞う! こちら世宗大王、救援を……≫
≪楊万春! 楊万春! 応答せよ! 貴艦はなぜ本艦にレーダーを照射し主砲を向けている!? 楊万春! 応答せよ!≫
≪こちら国境警備隊! 朝鮮人民軍が越境! 繰り返す! 朝鮮人民軍が越境! 我々は大混乱に陥り組織だった抵抗も不可能、我々は包囲されつつあります! 朝鮮人民軍が越境……≫
≪司令! 一部の将兵が反乱! 早く避難を…がぁああああ!!!≫
≪ちくしょう! なんで同胞と銃を向け合わなきゃいけねーんだ!≫
―――――韓国大統領官邸『青瓦台』
「だ、大統領、大変です! 反乱軍は米軍基地も包囲しはじめています!」
「延坪島への砲撃が始まりましたぁ!」
「国境警備隊との連絡、途絶えました!」
各所から入る報告は全く芳しくない。反乱は一部ではなく予備役も含めた約7割の兵士が参加し、指揮系統も戦線もズタズタであり、正規軍が劣勢と見るやいなやさっさと反乱軍に降伏、寝返る兵士も多くなって事態は悪化するばかりであった。
「海軍艦艇はほぼ全てが消息を絶ちました! 反乱軍側についたものと思われます!」
「状況は最悪………か。ここソウルも包囲されるのは時間の問題だな……
大統領! 世界に向けての声明を! 世界の世論をこちらの味方につけるべきです!」
「いえ、大統領! 今すぐに避難してください! ここは危険です。生きていれば汚名を注ぐ機会もあります!」
大統領補佐官と国防大臣の二人に決断を迫られた大統領、はその青ざめた顔をあげた。その姿にはどこを探しても生気はなく、死人のようだ。
先ほどから次々怒濤のごとく飛び込んでくる絶望的な報告によって精神は極度に疲労し頭では何も考えられず彼女はただ祈ることしかできていなかった。
「声…明……?」
「ええ、このままでは向こうが正当な政府として認められるかもしれません! 原稿はこちらにあります。さ、早く!」
「いいえ大統領! ただちに避難すべきです! 第一声明を出そうにもそれを報道するための報道陣はとっくにここから逃げています。意味がありま…」
「大統領! クーデター軍から声明がでました!」
国防大臣の発言を遮って職員が持ってきたのは先ほどラジオ放送で全土に放送されたものをメモしたものだ。
「声明だと?」
「はい、読み上げます。
《我々はアジア人民解放同盟軍である。我々の目的は自国の利益だけを追求しそのためなら他国を省みない邪智暴虐なる米国によって洗脳支配されている国家の解放、もしくは打倒である! その第一段階として我々は大韓民国の解放をおこなう。
しかし我々としてもむやみに同胞の命を奪いたくはない。そこで我々は韓国政府に対し提案する。これより32時間以内に米国関係者を全員例外なく国外退去させよ。32時間以内に何らかの動きがなかった場合及び我々に対する攻撃があった場合は武力での行政機関及び軍事施設の制圧をおこなう。
なお、一切の交渉には応じない。》………以上です」
場を沈黙が包み込んだ。アメリカという国は何よりもまず自国民を守ることを優先する。まずは彼らの言う通りに邦人の安全確保を優先し軍も含め全員を脱出させるであろう。基地の奪還作戦があるとしても1週間はあとのことになると思われる。体勢の立て直しや兵力の準備でもしかしたらそれよりもあとになる可能性だってある。
まさか自分の任期中にクーデターが、しかもおそらくだが北朝鮮と結び付いて決起するなどとは露にも思っていなかった大統領はすでに現実逃避を始めていた。
やがて閣僚は責任の擦り付けあいを始めた。やれ、誰々の政策が悪いからクーデターが起きただの、内通者がいたんじゃないかだの、軍の規律がダメだったのではないか、と延々と終着点のない不毛な議論という名の責任転嫁が行われていた。このまま政界に留まれるか否かの瀬戸際ということもあるだろう。だが、それはこのクーデターを生き残った先のことということに彼らは気づいていない――いや、気づいていても認めたくなくて一種の現実逃避をしているのかもしれない。
そんななか、首相の李昌徳は自身の秘書二人と共に同じく輪に加わっていなかった人物に話しかけた。
「外務大臣、国会では現在我々抜きでの与野党による政府攻撃が始まっています。すぐにでも要求を呑めと……おまけに人数は定かではありませんがクーデターに寄与したと思われる人物もいます」
「先ほど政府不信任案と在韓アメリカ人に対する特別措置法案が提出されました。すでに不信任案に関しては採決が……」
「始まっている……と。しかしなぜ外務大臣の私にこの話を?」
「この部屋の中で一番まともに話ができそうだったからです。この非常時にろくに建設的な議論もせずに責任の所在だけを問うてばかりの連中など当てにはできません。第一我々がこうしていることに気づくやつはいません」
首相の言葉。それはつまり他は全員使い物にならないということだ。確かにこの危機的状況のなかで責任のなすり合いなど愚の骨頂だ。
「信用できる者だけを連れて脱出しよう…」
「どこへです?」
「日本しか……あるまい。そこで亡命政府を立てよう………受け入れてくれるかどうかはわからないが……中国もロシアも北朝鮮と結び付きが強い。無理だろう」
「わかりました。早急に必要な人員をかき集めます」
外務大臣、首相そしてその秘書らは騒がしいこの場から静かに立ち去った。回答期限まで残り29時間のことである。
――――対馬沖 護衛艦くらま 同、艦橋
「……アジア人民解放同盟軍、ねぇ……アメリカの支配下にある国を解放……ときたか……」
「司令……そうなると次の目標は……」
「うん、十中八九我等が日本だろうね。こいつは困ったことになった。
ああ、艦長。全艦に警戒態勢に移行するように伝えてくれ。まだ開戦と決まった訳じゃないが……やつらにとってアメリカの技術の塊みたいなちょうかい(イージス艦)はアメリカの支配の象徴のように見えるだろう。ないとは思うが、流れ弾だけは勘弁だ……ああ、第二でいいから。寝る時間くらいはやらんと倒れてしまう」
「了解。
全艦に達する。ただいまより本艦隊は警戒態勢に移行する。全艦第二警戒配備。繰り返す全艦第二警戒配備」
対馬沖の護衛艦隊は張り詰めた緊張感のなか、夕暮れを迎えた。
この時点ではまだ世界の大多数はこの騒動は早期に収束するであろうという希望的観測を持っていた。翌日韓国のほぼ全土が占領され大統領以下多数の政府要人が処刑されたというニュースが発信されるまでは。
アジア人民解放同盟軍声名(2)
〈親愛なるアジア人民諸君、私はアジア人民解放同盟軍総司令官 伊 承範 である。
さて、本日12時00分、アメリカの手先となっていた売国奴23人の処刑を行った。これを以て我々は大韓民国の解放独立を宣言する。
同時にアジア全ての人民諸君に告げる。立て!アジア人民よ!そして目覚めよ!アメリカ洗脳支配から脱却するのだ!騙されてはならない。彼の国は世界征服の野望を持つ侵略国家である!
私はここに予告する。次なる解放の目標は前の大戦よりアメリカの完全な支配下にある日本だ。5日間待つ。その間にアメリカの支配から逃れよ!さもなければ武力を以て日本を解放することとなる。5日の間に何の反応もないのであればこれをもって宣戦布告とする。日本国政府の賢明な判断を期待する。よく考えたまえ。以上だ。〉
――――日本国国会議事堂、同衆議院本会場
アジア人民解放同盟軍の存在が明らかになったその日の午後から会期末で大詰めを迎えていた国会は荒れに荒れていた。
革新派対保守派といういつもの構図だけでなく革新派の内部分裂や保守派ないでも議論の対立があり派閥で意見がくっきりと別れる政党もあった。
さすがにこの期に及んで居眠りなどをする議員はなく(というよりもあまりに議論が白熱しているためそれどころではなかったというべきか)いつの間にかほぼ全ての議員が立ちあがり議長に幾度も注意されるほどであった。
ただし、本来はこの場は予算案などを議論する場であったのだが。
「総理! 自衛隊に防衛出動は命令したのか!?」
「内閣総理大臣、大神 武生君」
「現在は海上自衛隊に対しまして、海上警備行動を発令しております」
騒がしかった議場がさらに騒がしくなる。最早マイクを使っても声が聞こえないほどだ。
「総理、それははやく解除すべきだ! 戦争になるぞ!」
「バカなことを言うな! こんな状況でも平然とそんなことが言えるのか!?」
「こんな状況だからこそだ!」
『そうだ!そうだ!』
「静粛に!」
あちこちで発言が起こる度に「そうだそうだ!」と様々な陣営から拍手が起き、反対の陣営からは野次が飛ぶ。
議長の制止で幾ばくかクールダウンしたものの一部では今にも殴り合いが始まりそうなほどに火種が燻っている。
「そもそもですね! 向こうはアメリカ人が一人残らず退去しなければ戦争を始めると言っているんだ!
こちらに開戦の意思がなくても向こうは攻めこんでくるんです!」
『そうだその通りだ! せめて防衛出動待機命令は出せ!!』
「もうこの際アメリカ軍を全面撤退させてはどうだ? そうすれば基地問題もなくなる。民間人に関してはあとから戻ってもらうかたちで…」
『そうだ!それがいい!!』
「そんなことをしてみろ!すぐに経済ががったがたになって崩壊するぞ!」
『寝言は寝て言え!』
「静粛に、静粛に!!」
国会内には党派、会派を越えての3つの勢力が出来上がっていた。
党の方針的には要求全面受諾派の日本社会主義クラブ、及び社会民主主義研究会、交渉派が中道党、公民党である。最後に要求拒否派の保守党、保守真党、日本改革党だ。これに加え各勢力に無所属議員と党と方針を違えた多数の議員が加わり比率的には1:2:2.5といったところである。
今朝早くから始まった議論は揉めに揉め、意見がまとまらないままヒートアップし、野次暴言罵倒に怒声、内閣不信任決議案及び議長不信任動議の提出の動きから、伝家の宝刀とも言われる衆議院解散総選挙のちらつかせに謝罪要求、発言取り消し、乱闘などが矢継ぎ早に何度も起きるなど異様な雰囲気であった。
また、政治家だけでなく主権者たる一般市民もまた、当たり前ではあるものの大注目し、電気屋のテレビには人の集まりができ、各局の視聴率やネットニュースの閲覧数も過去最大級のものとなっていた。
国会の一般傍聴券も早朝から長蛇の列ができ、用意された券の10倍以上もの人が並んだ。また議員紹介券も多数の交付があり国民の関心度の高さをうかがわせた。
そして一番の異例の出来事が、1936年の議事堂竣工以来使用されてこなかった衆議院奥の議長席の上、天皇が議論を傍聴するための専用の御傍聴席が使用されたことである。
これは国会議事堂竣工以来、初の出来事でありそれだけ日本中の注目を集めた証左だ。
また世界もこの問題に注目していた。
〈次のニュースです。日本において…〉
〈アジア人民解放同盟軍を名乗る組織からの要求を…〉
〈これに対し上院議員のジョン・エドワーズ氏は…〉
特にアメリカは自国が標的と言うこともあり、政財界など各界からの声明やデモなどが多く起こった。
―――――――アメリカ 日本大使館
『日本は要求を拒否しろー!』
『日本政府はアメリカ人を守れー!』
『アメリカ人の生活を壊させるなー!』
窓の外に広がる街宣車を動員した大規模なデモ隊を掻き分け日本大使館に入ったアメリカ外務次官ウィリアム・V・オルセンは在アメリカ大使、公使、防衛駐在官を前にしてこう切り出した。
「ミスター浅井。私がここを訪れた理由は薄々わかっておられるとおもぃすので手短に言わせていただきます。
」
「それは…やはり……」
「えぇ、率直に言わしていただきましょう。我々合衆国政府としては貴国に対して彼の組織の要求を拒否することを要望しています」
わかりきっていたことだがウィリアムは当然とばかりに要求の拒絶を要望した。
「貴国には多くの我が国民が居留・滞在しています。あれデモ隊はその家族、親族を中心に組織されているとのことです」
「えぇ…すごい人数ですな…いつかの自動車デモを思い出す……」
「それほどの事案だと言うことです。さて、今回の要求が通れば我が国及びその国民の莫大な財産が失われます。これは明白な事実です。我々としてはそれを看過することはできません。また補償の請求先は無論のこと、貴国でしょうな。どちらも多大な損失を被ることは免れません。その事をお忘れなく」
日本には134の米軍基地(自衛隊や民間との共用施設含む)があり、約五万の米兵と軍属、そしてそれらの家族に移住者、留学生、労働者…要求を飲むのならそのすべてのアメリカ人を期限内に国外退去させなければならなくなり、それはかなりの人数となり、彼らの生活を根こそぎ奪い、アメリカ全体が受ける損害は数えきれないものとなるだろう。
そして損害賠償請求が日本に来ればどうなるか。
アメリカ人が全員退去すれば国際社会からの信用を失うことで経済が半ば崩壊するであろう日本にとっては泣きっ面に蜂である。財政破綻しかねないのが目に見えている。
そうとなれば例え戦争を回避したとしても生活に困窮したものが支援を受けられず餓死者も出るであろうし、治安も悪化しさらに死者は増える。
そしてどう考えてもアジア人民解放同盟軍が日本を支援するとは思えない。支援する気があったとしてもそれだけの資金力があるとは思えないのである。例えバックに大国がついていたとしても大抵が軍事費に消えるだろう。戦争にはカネがかかるのだ。
しかし、戦争にアレルギーを抱えている日本である。要求を蹴るのは容易ではなかろう。
故に浅井は困った。
「えぇ、重々承知いたしております。しかし……我々の微妙な立場もご存知でしょう。
大きなメリットがなければ恐らく我が国の世論は動きません。
何の対価もなしには我々としてもはい、そうですかと応じるわけにはいきません。榊陸将補?」
話を振られた榊は日本の現状を説く。
「はい、我々には専守防衛の枷があります。向こうは銃を構えていつでも撃てる状態ですが我々の対応は否応もなく後手にまわります。受動的な対応となる我々には通常よりも大きな損害が出ます」
「このようにどちらにせよ我々は大きな被害を受けるのは確定なのです。アメリカは……どのような対価を提示できるのでしょうか」
ウィリアムは少し考え込んだあと、立ち上がった。
「至急ホワイトハウスに戻り議論いたします。では、これで失礼します」
急ぎ足でウィリアムが去っていったあと執務机に戻った浅井は自らのデスクに深く腰かけるとこれまたかなり深いため息を吐いた。
何せ浅井利政52歳身長159センチという典型的な日本人体形である。対してウィリアムは身長197センチ。
そんな2メートルに届きそうなウィリアムと浅井である。浅井が受けるプレッシャーは大きなものだ。
ただでさえ大国の大使ということでプレッシャーを感じているのに身長のせいで何倍にもなる。
つくづく毛根に悪い相手だと思った。
「はぁ〰〰〰……ここ最近書類も昭和の紙爆弾かってくらい多いし嫌になるよ……おまけにこんな案件も起きるし……こんなところ(外務省)なんて今すぐにでも辞めたいわ…
ああ、君、水でもお茶でもなんでもいいから冷たいものを持ってきてくれないかな…喉が乾いた」
「あ、はい。こいつをシュレッダーにかけたら持ってきますね」
「頼む。はぁ…つくづく外務省なんかにゃ入るんじゃなかったと思うね……給料はかなりいい方だけどさ……」
日頃のストレスからか秘書も出ていき一人なった執務室で浅井ぼやきまくった。「外務省なんかに入るんじゃなかった」とは彼が24歳で入省して以来52歳の今日に至るまでの口癖と化している。ちなみに最近胃に穴が開いたと医師に診断された。ストレス性の胃潰瘍だということだ。
「麦茶をお持ちしました。どうぞ」
「ああ、ありがとう……それと本省に電話を。この一件は我々には荷が重すぎる」
「わかりました」
二時間半後、羽田に手配された政府専用機がアメリカへ向けてハワイへと向けて飛び立った。