日本における強者と弱者の絶対対立構造
さて、例えば話じゃなくて、これは紛れもない現実の話なのだ。
さてさて、第一に前提として、
強者は、発展途上国のパン一つに必死になる、哀れな惨めで不幸な人たち、
イメージしやすくするなら、涙目、キラキラした瞳、ぽろぽろ涙流してるような、罪なき少女からパンを奪えないのだ。
だけど日本の弱者ってのは、特権的な立場から隙をついて、平気でこういう事をする。
強者だって自分の手を汚さないなら、まあ無難に見て見ぬふりをする、
だって弱者が不幸に成り過ぎれば、強者としての自分の幸福だって危うくなるからなぁあ?
だがしかし、強者は弱者を許さないモノだ、
なぜなら超一流の存在である強者は、中途半端に幸福で不幸な、日本の一流・二流以下の存在よりも、
発展途上国で超一流の不幸に喘ぐ存在の方が、より感情移入できるように人間が出来ているからだ。
超一流の幸福を知る強者は、超一流の不幸を知る真の弱者の味方という訳だ。
だから、日本の弱者に対して、日本の強者は厳しくなるという訳だな。
だがまあ、最初に説明したとおり、強者の周りに弱者が居るので、直接的な事はあまりできないってわけ。
人殺しレベルの人間として、そういう風に見るくらいだな、軽蔑して侮蔑して、死ぬべき存在くらいには思ってるんじゃないのかなぁあ?
そういうのが強者なのだ、強者の愛する存在は真なる弱者だ。
だが強者の愛する真なる弱者は、立場が弱過ぎる、
強者だって直接的には守れないのだ、
だから、日本の弱者に殺されるくらいの目に簡単に合わされるモノだ、それが現実だ。
日本の弱者は、平均的な年収も落ちて、不景気による仕事の質の低下、ブラック企業が当たり前の昨今、
クソ勤務続きで、言うならストレスやうっぷんが溜まっているのだ、
こういう場合、憂さ晴らし、八つ当たり、目の仇、そういう対象が必要になる。
標的とされるのが、真なる弱者だ、
弱者の強権すら扱えない、そういう存在だ。
日本の弱者って奴は、こういう存在を殺して、凌辱の限りを尽くして、なんとか生きていける、生きていられるのが現状だ。
そして、日本の弱者って奴は、超一流の不幸も幸福も知らないので、簡単に真なる弱者を殺す事ができるものだ。
所詮人間は感情移入できない存在を、大切にする事は絶対にできない、価値観に絶対的に縛られ支配されるからだ。
つまり、
日本の強者ができない事を、日本の弱者が肩代わりする訳だ。
弱者が、さらに弱者を甚振り搾取する事ができる、というのは一国の利益を拡大させるならば、
とても良く、
なぜなら、この世界には、酷くバランス良く発展途上国と先進国が存在し、戦争も無く安定しているのだ。
弱者はずっと弱者のままである、強者はずっと強者のままである。
ならば、強者が弱者を助けることよりも、弱者をずっと搾取できた方が、遥かに良いのは説明不要だろう?
これは有りえないほどに効率が良い、ずっと大事にしていくべきだ。
日本はずっと強者であるべきなのだ、それが世界平和にもなる、大いなる不幸を回避する為の必要悪とも言える。
世界の弱小国家は甘んじて、日本に搾取されていれば良いと思う、それが最低限の幸せすら無くなさい唯一のみちだ。
不幸な人生を甘んじて享受して、不幸なままに死ねばいい、それが人の人生だと思って諦めてくださいと、俺からはこれくらいしか言えない。
慰めは不要だ、これが現実だ、奮起しろよ? ゴミ共が。
さて、現状の日本は腐っているが、最高だ、
グローバル的な視点では、強力な国家体制であると言える。
さてここら辺で、吐き気を催した奴に言いたい。
俺は人格者だ、身内を大事にできる奴だ。
二流の存在を平気で殺せる奴は、俺は生きるに値する人格者だと思っているのだ。
そもそもが二流の存在に人権など、俺は個人的には存在しないと思う主義だ。
なぜなら超一流の存在から見れば、二流の奴はお腹の中の子供レベルに、未来が現在存在していないレベル、
まだ第一次成長すら迎えていないレベルの、なんといえば良いのか、赤ん坊以下なのだ。
平気で堕胎する奴を、俺は責めない。
堕胎する事によって、不幸を拡大再生産しない、馬鹿にはできない、英断だと思っているのだ。
人格者というのは、不効率、不合理、理不尽な感情論に惑わされない、賢者が名乗る資格を得る。
それの第一義は、身内を大事にする、だ。
自分の身の回りのモノを、最低限大事にするのが大事なのだ。
所詮は人間だ、自分の全てで、何事も決断し判断するしかない。
人間性を発揮すれば、人間が生み出し得る最高の世界が生まれるのだ。
あえて人間性を排除して物事を考えるから、不効率で理不尽、不条理な、
人間すら生み出せない、神や化け物が生み出すような、最低最悪な世界が生まれる、戦争だって無駄に起こると言う訳だな、分かり易く言えば。
さて閑話休題だ。
日本は散々ぱら、有りえないほどの暴利を貪った。
世界を平気で踏みにじった、世界の安定と、世界の均衡を、
普通ならそんな事はできない。
アホみたいに輸出をして、他国を出し抜くなんて、相手国の大事なモノをかすめ取るような所業だ。
そういう事をすれば、誰かが死ぬ、誰かの最愛のモノを奪う事になる、
競争に打ち勝つとは、相手を存在として殺して、成り変わるようなモノだ、殺人のようなモノなのだ。
所詮は対立と戦争が無くならないからといって、平然とこういう事ができるのは、感情移入が、人間性が介在しない証明だろう。
話が逸れたが、とにかく、
日本の強者と弱者は、構造的に絶対対立する。
強者は愛する真なる弱者を、弱者に殺され、凌辱の限りを尽くされてるのに、黙っている事しかできない。
弱者は弱者で、もっと幸福になれる、価値観を引き上げる為の弊害として、強者を恨んでいる。
そして、強者ですら、弱者が多ければ多いほど、規模の大きい搾取と利用と犠牲で、幸福を追求できる。
強者にとって弱者は、最愛の存在を殺し尽くした大罪人だ、幾ら犠牲にしようと、絶対に感情移入も同情もしないモノだ。
それに弱者が富めば、強者はさらに安泰だ、優遇されるし、安全も確固たるものとなる。
最終的に損をするのは、弱者のスケープゴートで地獄の火炙りのような体験をさせられて、無残に殺される真なる弱者だけだ。
まったくもって、幸福も不幸もピラミッド構造のように、クソみたいに安定しているクソ世界だとは思わないだろうか? ねえ?