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第二十一話 アンの暴走

 アンの触手がトーニャに迫り、それを見た人たちから悲鳴が上がる。だが、アンの触手がトーニャに届くことはなかった。

 トーニャに襲いかかったアンの触手は横にいたエレナの剣で止められていた。いつも彼女が背負っている、あのバカでかい剣によって。

 エレナは普段見せない真剣な表情でアンの触手を受け止めていた。


「トーニャ様、エレナに任せてお下がりください。今のアンは暴走しています」


 驚いているトーニャの手を引いて、ノアが後ろに下がる。こんな状況でも、ノアはいつもと同じように落ち着いていた。

 エレナはまるで重さを感じさせない動きで大剣を操り、アンの触手を切り捨てると二人を庇うように前に出た。

 そして、いつの間にかステージへと上がっていた父がアンを牽制しながら叫んだ。


「騎士団は会場の人々を守れ! スライムは私が倒す!」


 父の声に従い、会場の警備をしていた騎士団が観衆を庇ってステージとの間に立つ。未だに観衆達はざわめいているものの、幸いなことにパニックを起こす者等はいない。それどころか、父の魔法を間近で見れることを喜んでいる者すらいる。

 父はアンに向かって右手を掲げる。アンを止めるために魔術を使うつもりだ。


「……アン、悪いが君を倒す。こうするしかない僕を恨んでくれていい……」


 父は辛そうに顔を歪めながらアンに魔術を放とうとし、すぐにそれをやめた。


「リオ!? 危ないから離れなさい!」


 無防備にアンに近づく僕に気が付いたからだ。


「アンは召喚の失敗によって正気を失っている! もう召喚者の命令は受け付けない! 君に制御できない以上、倒すしかないんだ!」


 だが、僕は父の言葉を聞かなかった。


「ごめんなさい」


 僕は父様へ向かってそう言うと、こちらの様子を覗いながら触手を掲げるアンに近づいた。




 トーニャに向かってアンが襲いかかったとき、僕の頭はある一つの感情に占められていた。それは怒りだ。エレナがいなければトーニャがどうなっていたかわからない。

 成長したアンの体は一年前よりも遥かに重く、硬くなっている。トーニャに攻撃が当たれば、死んでいた可能性もある。

 僕のせいだ。

 不用意にこの状況を招いた自分に対する怒りが込み上げてくる。

 エレナとノアがトーニャを庇い、騎士団が観衆を守っている今、人的被害が出ることは恐らくないだろう。父が相手をする以上、アンに勝ち目はない。スライムであるアンが上級属性魔術師の父を倒すことは不可能だ。

 そして、その結果アンは討伐されるだろう。僕の都合で連れて来られたアンは、僕の失敗で暴走し、僕のせいで殺されるのだ。


――――――召喚魔術師が最もやってはいけないことは、自身の身に余る魔獣を召喚し、暴走させること。


 ふいに、そんな言葉が浮かんできた。こんなことを言われた記憶はないが、本当にその通りだと思う。だけど、僕は既にそれをしてしまった。もう取り返しはつかない。


――――――暴走してしまった魔獣は討伐しなければならない。


 このままアンを放置すれば人を襲うはずだ。既にトーニャに襲いかかった以上、元の場所に返すことも認められないだろう。危険な魔獣は殺さなければならない。


――――――しかし、それを避ける方法がある。


 そうだ、何かあったはずだ。召喚に失敗して暴走した魔獣を元に戻す方法が。……そんなこと、ノアにも聞いたことはないが、何故か知っている気がする。

 その方法は――――――


――――――もう一度、正しく喚べばいい。

 

 僕がもう一度、喚べばいいんだ。

 

 そう思い至った瞬間、僕は制止する試験官を振り払い、アンの下へと向かった。




「リオ!? 危ないから離れなさい!」


 不用意にアンに近づく僕に、父が焦った声を出す。

 危険なことはわかっているが、対象との距離が近い方が召喚魔術は使いやすい。僕とアンは正規の契約を行っていないので詠唱による召喚の補助はできない。まともに召喚魔術を使ったことのない僕が確実に成功させるには、アンにできるだけ近寄る必要がある。

 アンに近づくことを辞めない僕を止めようと父が叫ぶが、それに従うことはできない。僕は一言だけ父に謝り、そのままアンに近寄った。アンは近寄る僕を威嚇するように触手を掲げる。

 それを見ていた観衆から悲鳴が上がる。だが、アンの触手が僕を攻撃することはなかった。

 突如、アンの触手が凍りついたのだ。触手だけではなく、アンの体の半分ほどが凍りついている。以前、ノアが話してくれたようにブラックスライムの体は液体金属でできている。他のスライムと同様に液体の体を魔力によって動かしているのだ。

 だから、温度を下げて普通の金属の様に固めてしまえば動くことはできない。

 アンの凍っている部分から魔力の残滓を感じた。僕にはこれが誰の魔術なのかすぐにわかった。僕にとって、最も身近な魔力を感じたからだ。

 これはノアの魔術だ。

 ノアならアンの全身を凍りづけにすることもできた筈だ。彼女は父以上の魔術師なのだから、スライムなど敵ではないだろう。

 だが、彼女はそれをせずにアンの半身のみを凍らせた。恐らく僕のしようとしていることを察して、安全に近付けるように守ってくれているのだろう。

 ノアに感謝しつつ、僕はさらに近づいた。アンは僕が近づく度にまだ凍っていない部分から触手を出そうとするが、その度にノアの魔術によって凍らされている。

 地面に接している部分が既に凍らされているため、距離をとることもこの場から逃走することもできない。

 そして、僕は遂にアンに直接触れる程に近付けた。僕がここに至るまでの間に、アンの身体はノアの魔術によってその大部分が凍らされている。

 アンに対する申し訳ないという気持ちが込み上げてくる。悪いのはアンを暴走させてしまった僕だ。絶対に殺させてはいけない。

 僕はアンに向かって掌を突き出した。そして、自身の身体の中にあるアンの魔力に意識を集中させる。さっきはこの状態で不用意にアンの名前を呟いてしまったせいで無意識に召喚し、アンを暴走させてしまった。

 だから、今度は自身の魔力でアンの魔力を覆うようイメージした。アンの暴走は召喚時の反動が原因だ。


――――――召喚者の魔力で召喚対象の身体を守れば、召喚時の反動を防ぐことができる。


 誰にも教えられてない筈の知識が頭を過ぎるが、今の僕にとっては好都合だ。この謎の知識がなければ、アンを止める方法はわからなかった。

 父やノア、会場の人たちが見守る中、僕は初めて自分の意思で召喚魔術を使った。


「……おいで、アン」


 僕がそう言った瞬間、アンの周囲に魔方陣が出現した。

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