プロローグ
僕には悩みがある。自分の身体に関することだが、別に障害や持病があるわけでも、運動神経や容姿が悪いわけでもない。むしろ運動神経なんかは良い方だと思う。
僕の悩みというのは、自分の身体への違和感だ。普段生活しているときは意識しないように気をつけているが、ふとした瞬間や今のように落ち着いて考える時間があると耐えがたい違和感を感じてしまうのだ。
違和感の正体はわからない。物心つく前から僕はこの違和感を感じているが、最初の頃はこれほどひどくはなかったと思う。
しかし、年を重ねるごとにその違和感はどんどんとひどくなっていき、次第に自身の身体に対しておぞましさすら感じるようになっていった。最近では、漠然とした死の恐怖すら感じてしまっている。
さすがに怖くなり、友人に協力してもらってこの違和感について調べてみた。すると、意外にも似たような悩みを抱える人はたくさんいることがわかった。だが、その人たちを参考にして色々な方法を試してみたものの、本質的に僕とその人達の悩みは違うものだということが分かっただけだった。
十五歳の誕生日が近付いてきた頃、僕の脳裏にはある妄想がよぎるようになっていた。妄想の中の僕は卵の殻だ。僕の中には正体不明の中身が入っていて、その中身はどんどんと成長していく。
その成長は殻である僕の大きさを考慮してはくれない。殻が軋みをあげ、ヒビが入ろうと、それを無視してひたすら中身は成長していく。
それは当然のことだ。生まれ出る中身にとって、殻は壊さなければならないものなのだから。
そして、そろそろ殻に限界が訪れるという予感がある。そのとき、僕はどうなってしまうのだろうか？
そんな不安を感じながら生活していたとき、僕は夢の中で彼女と出逢った。
そこは白い部屋だった。僕の意識は曖昧にぼやけていて、わかるのはそこに黒い誰かがいるということだけだ。その誰かは僕に語りかけてきた。言葉遣いと声からそれが女の子であるとわかった。
彼女は僕に頼みたいことがあり、その代わりに僕の願いを叶えてくれるという。いかにも怪しい言葉だが、このときの僕は彼女の言葉を全く疑わなかった。
僕の願いはこの違和感を消すことだ。原因も対処法も何一つわからず、ただ受け入れるしかないと諦めていたこの違和感から解放されることが僕の望みだ。
彼女の周囲は黒い靄で覆われていて、声を聞かなければ性別すら分からない。言葉も、姿も怪しい彼女を何故か僕は信じることができた。理由もなく、彼女に対して全幅の信頼を寄せることができたのだ。
この耐えがたい違和感を彼女がどうにかしてくれるというのなら、僕にできることは何だってしよう。そう思い、僕は彼女の提案を受け入れた。
こうして、僕と彼女は「契約」を交わした。
僕がその世界で最初に見たものは女の巨人だった。まあ、実際には巨人じゃなかったのんだけど、そのときの僕にはその人が巨人だとしか思えなかった。
何故なら、その巨人は僕を胸に抱いて立っていたからだ。これがお姫様だっこなら一応問題はない。しかし、僕はその人物の腕の中に全身を包まれていた。
確かに僕は小柄なほうだけど、さすがに抱きかかえられれば足がはみ出すはずだ。一瞬、自分の足がなくなってしまったんじゃないかと不安になるが、短い手足が付いているのを見て安心する。
……いや、まったく安心できない。僕の手足はもっと長いはずだ。友人からもリオは小柄な割に手足が長くてずるいと評判だった。
僕が混乱していると、今度は男の巨人の姿が目に入った。
「＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊？」
男の巨人が女の巨人に聞きなれない言語で何かを話している。何を言っているのかは全く理解できない。
「＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊」
それに対して女の巨人が何事か言い返し、僕を持ち上げて男の巨人に渡した。不思議と拒絶する気持ちはなく、僕は大人しく男の巨人に抱かれる。
男の巨人は僕を慎重に受け取ると、まるで今が幸せの絶頂であるかのような顔で泣き出してしまった。驚いた僕は何か言おうとしたが、舌が上手く動かない。
喋ることすらできない事実に混乱していると目の前がぼやけてきた。そして、すぐにすさまじい眠気が押し寄せてくる。なんとかそれに抵抗を試みるも、僕の意識はすぐに闇の中へと落ちて行った。
最後に黒い少女の姿が頭を過ぎり、そこで僕の意識は途絶えた。
初めて僕が巨人を見たあの日から約三カ月が経った。その間にいろいろと分かったことがある。
まず、僕は男の子の赤ちゃんになってしまったらしい……。何だかいきなりおかしいけど、事実だから仕方ない。記憶が確かなら僕はあとちょっとで十五歳だったはずだ。
以前の僕はどうなってしまったのだろうか？ もしかして、僕は死んでしまい、転生したということなんだろうか？
だとしたら、一刻も早く両親と友人に会わなければならない。僕が死んだのなら、彼らはそのことを悲しんでくれているはずだから。
実は、僕自身には今の状況について文句はない。しかし、両親や友人はこの状況を知らないはずだ。
人間が生まれ変わるのにどれほどの時が必要なのかはわからないけど、一刻も早く彼らに会って悲しむ必要がないことを伝えたい。
でも、僕が赤ちゃんである以上、すぐには叶わないだろう。ここがどこだかわからないという問題もあるし。
そう、ここは恐らく日本じゃない。あの巨人たちの見た目やこの家の様子からは、ここが日本だとはとても思えない。
……ああ、巨人じゃなかった。あれは赤ちゃんになった僕の両親らしい。知らない間に赤ちゃんになってたから、勘違いしてしまったんだ。
母親は長い銀髪に赤い目の小柄の優しそうな女性で、父親は金髪に青い眼をした真面目そうな男性だ。どちらも二十歳前後に見える。ちなみに二人とも美形だ。
あの両親から生まれたとうのなら、僕自身もそれなりにカッコ良くなるんじゃないだろうか？ まあ、生まれ変わったばかりなので女の子にモテても大して嬉しいとは思わないのだけど。
あと、この家はかなり裕福らしい。なぜならメイドがいるのだ。何人かいるようなのだが、主に僕の世話をしてくれているのは群青色の髪を二本の三つ編みにしている小柄な女の子だ。
この姿になる以前の僕よりも少し下くらいの年齢だろうか。まだ小さいのに偉いと思う。日本の漫画やアニメでよく見るミニスカのものとは違う、ロングスカートのメイド服を着ている。
とても無口な子のようで基本は無表情だ。けど、こちらが見ていると向こうもジッと見つめ返してくるので、よく二人で見つめあうことになる。そうしてしばらくすると顔をそらして悶えだしてしまう。けっこう面白い子だ。
そして、最後に一つ重要なことがある。どうやらあの黒い少女は僕の願いを叶えてくれたみたいなのだ。この体は、何というかとてもしっくりくる。以前感じていた違和感を全く感じない。
どうやって僕を赤ん坊にしたのか、以前の僕がどうなったのか等の疑問はある。でも、彼女が僕の願いを叶えてくれたことに違いはない。
両親や友人のことなど心配事はある。だけど、あのまま生きていても限界は近かったように思う。あの少女に対しては感謝しかない。
だから、次は僕の番だ。この体を与えてくれた彼女がどんな存在なのかはわからない。でも、彼女は既に「契約」を果たした。今度は僕が彼女との「契約」を果たさなければならない。
ただ、それには問題もある。彼女の願いがわからないのだ。あの白い部屋で話した時、彼女は自身の望みを口にしなかった。ただ一つだけ、僕が十五歳になった時に望みを言うと彼女は言った。
以前の僕ならその時まであとわずかだったんだけど、今の僕は赤ちゃんだ。その日まで、まるまる十五年の時間がある。
僕は自分にできることなら何でもすると彼女に誓った。だが、今の僕にできることはあまりにも少ない。
それなら、まずは僕にできることを増やそう。そして、できないことを可能な限り減らすのだ。そうすれば、彼女が願いを教えてくれたとき、きっとそれを叶えることができる筈だから。
