2.二人と二匹 2
「アフェル、スープが煮えたよ」
「おー、少し冷ましてからくれ」
「了解」
岩だらけの荒野に小さな煙が上がっていた。キャンプである。
ここだけにょっきり生えた木の根元で、大小二つの人影が一見仲良く腰を下ろしている。神獣のユーガの姿は見えなかった。
凄惨な戦闘の後で、アフェルとモモは休憩を兼ねた昼食中なのだ。
こんもり茂った梢は強い日差しを遮って濃い影を砂の上に落としている。その上に敷いた布の上には、干し肉を挟んだパンや、丸いチーズ、傍らの携帯コンロからは香ばしい黒い液体――コーヒーがスープに替わって火にかけられていた。
昼下がりの、のんびりとしたピクニックの風景だった。
傍らの巨大な獣の死体がなければ。
それは木の根元の反対側にべそりと横たわっている。
「おいモモ、それは俺の肉だ」
アフェルが長い腕を伸ばして、モモが齧り付いている骨付き肉を指した。
「いいじゃないかよぅ」
「よくねぇ、返せ」
言い終らぬ内に、モモの小さな噛み跡を残した肉は、アフェルの胃袋に収まった。
「あ! ケチ! 鬼!」
(食事の時くらい静かにしろ)
太い枝の上から念話が降ってくる。モモが頬を膨らませて上を見上げた。
してみるとユーガは樹の上に姿を隠しているらしい、よく見るとふさふさした尻尾が梢の間で揺れているのが見える。
「だってお肉がとられて~」
「お前、何にでもショーユかけるのやめろよな」
アフェルが指を舐めながら文句を言った。
「るさい! あ~あ、食べちゃった……こっちは育ち盛りなのに~」
「俺だってそうだ」
「これ以上どこを育てるってんだよ、この助平親父!」
「ふん」
アフェルは満足そうに楊子を使いながら、背後の毒々しい死体を眺めた。皮の分厚い極上品である。
こんなものの横でよく食事ができるという光景だが、彼らは気にしない。寧ろ大変満足そうだった。ビジュールの皮や牙は高価な武器や装飾品になる。因みにアフェルやモモの防具やベルトも加工した彼らの皮を用いているのだ。
死骸を放っておくと、そこら辺の獣に貪り喰われたり、もっと悪くてタチの悪いハンターに横取りされてしまう危険がある為、彼らは止む無くキャンプをここに持ってきたのだ。
「あー、お迎えだ、お迎え!」
飲み干したスープのカップを放り出してモモは伸び上った。
遙か向こうの荒野に小さな土煙が見えた。翼竜のルリイに持たせた伝令筒を受け取った村人のトラックだろう。早くからその気配に気がついていたアフェルは素知らぬ顔で食事を続けている。
そして、知らない人間に奇異の目で見られるのを良しとしないユーガも、用心深く梢の奥に身を隠している。
「アフェルってば! 村の人たちが迎えに来たよ」
「あーうるせー! とっくに知ってるって。飯くらいゆっくり食わせろ」
(そう言う訳にもいかんだろうが。見ろ。死肉を求めて、招かれざる客さんたちもお越しだぞ)
ユーガの心話が流れ込む。
「だなぁ。ああ、めんどくさい。昼寝の時間だってのに」
太い木の幹に背中を預け、長い脚をだらしなく投げ出して鶏の骨を噛んでいたアフェルはいかにも大儀そうにゆらりと立ち上がった。低い枝に引っかけたロングコートをばさりと羽織る。
「アフェル?」
モモは目の前に立ちはだかった男を見上げた。アフェルは半分だけ瞼を上げて荒野を見ている。どんどん近づくトラックの音とは別の方向だ。
「トドンだな。十匹くらいか。まだ少ない方だ」
「え?」
「お前は村人たちに知らせてトラックに乗せてもらえ」
そう言うと、アフェルは突然駆けだした。あっという間に広い背中が遠ざかる。その傍らを並走するのはユーガである。姿を現す気になったらしい。
彼らが疾走るさらにその向こうに――
「――あ」
モモの目にも、遥か向こうに土煙が上がるのが分かった。微かに地響きのようなものも聞こえる。明らかにトラックの音とは質が異なっていた。
「あれがトドン?」
トドンと言うのは、ネズミを子牛くらい巨大にしたような哺乳類型の獣である。体毛はなく、皺の寄った肌色の表皮で全身を覆われていて、普段は湿気の多い森や沼地に棲息している、木の実から肉まで食べる雑食性の生物だ。時には数十匹の一群になるのが厄介だが、準備さえ整えれば人間でも倒せない相手ではない。
モモはアフェルについては何の心配もしないで、こちらに向かってきた大型のトラックに向き直った。無論一人トラックに逃げ込むつもりはなかったが、とりあえず伝達だけはしておこうと思ったのだ。
「ハンターの一人だな!?」
モモの前方で停まったトラックの運転席から、拡声器ががなり立てる。黒いガラスの向こうの運転席から複数の男の気配。
「おい窓を開けるなよ。危ねぇぞ」
「うるせぇ! どんだけ俺たちゃ臆病ものなんだよ! 恥さらしも大概にしろ!」
運転席側の窓が開いて赤毛の男がこちらを向いた。奥にまだ二人ほどいるようだ。
「おい、あんた一人か? あの背の高い男は? ビジュールはどうした?」
「ビジュールはそこで死んでるよ。見えっだろ? あの木の向こう。アフェルは、死体の匂いを嗅ぎつけたトドンを迎え撃ってる」
「トドンだって? こんな荒れ地に?」
男は助手席側を振り返った。
「トドンだってよ。お前見たことあるか?」
「知らねぇ」
「こんな荒れ地にトドンが出るなんざ、聞いたことがねぇぞ」
苛立ったモモは、声を張り上げた。
「聞いたことなくても、来たんだよ! 信じなくてもいいからあんたらはそこで待ってなよ。俺は伝令をしただけだ! 今から俺も行って、ちょちょいと片付けてくっからよ!」
口汚く叫ぶが早いか、モモはアフェルの方へ駆けだした。モモだってめんどくさい村人の相手をしているよりかは、アフェルのアシストをしている方が何倍も愉快なのだ。
「アフェル! 俺の分も残しといてよ!」
ドルルルル!
駆けだしたアフェルのすぐそばにトラックの唸り。運転席の窓から身を乗り出した男が叫ぶ。先ほどの赤い髪の青年だ。まだかなり若い。
「お嬢ちゃん、乗れよ! 危ねぇぞ」
「ビジュールより危ねぇトドンがいるかよ! それに俺はお嬢ちゃんじゃねぇ! モモだ!」
「分かった! モモ! 荷台に飛び乗れるか? 俺が連れて行ってやる」
「おい、ケンタ止せよ!」
「ハンターに任しときゃいいじゃねぇか! 狩りはこいつらの仕事だ」
「うるさい! 大の男が三人もいるのに、てめえらは車に乗ってこんな小さい娘っ子を放りっぱなしか?」
「娘っ子じゃねぇ! モモだ! そう言ってんだろ! で、さっそく仲間割れかい? 俺に気を遣うこたねぇよ。てめえの足で走ってくっからよ!」
モモはびろうどのような黒い目に軽蔑をたっぷり含ませて言い返した。
ここは平地なので、ワイヤーを打ち込む場所がない。モモの足では少々大変だが、走る事には慣れている。トドンが上げているのだろう、土煙はますます濃い。あの中にアフェルが、ユーガがいる。
「乗れよ! モモ」
二人の視線ががっちりと合う。ケンタと呼ばれた男が顎をしゃくった。荷台に乗れということだろう。村人たちの中では強気な方らしい。モモは返事もせずに高い運転席の屋根に飛び乗った。エンジンが唸りを上げる。
モモを乗せたトラックは荒野の奥を目指して走ってゆく。
うわぁ……
モモは自分が参戦するのも忘れて、足下の戦いに魅入った。
男が舞っている。
片手にビームガン、片手にナイフを持ち、アフェルは優雅に戦っていた。大きいくせに獲物に飛び掛かる習性のある獣が跳ねるたび、ビームで眉間を貫く。空中の方が仕留めやすいのだ。そして後ろから掛かってくる奴を、体を捻って躱しざま、ナイフで喉を切り裂く。トドンのような下等な獣相手では、余裕さえ感じられるその動きにモモは目を奪われた。
彼の周りには胸の悪くなるような顔つきのトドンが十数匹。うち何頭かは、既にこと切れて血と砂に塗れていた。
(モモ、待っているように言われたはずだが)
とん、と隣に降り立ったのは、ユーガである。
彼も既に何匹かを屠ったのだろう、美しい毛並みが血で汚れていた。
「あ……ゴメン。こいつらが乗っけてくれるって言うもんだから」
モモはトラックの天井をガン! と蹴って答えた。
一部のトドンはトラックを敵と思ったらしく、何匹かぶつかっていったが流石に辺境仕様のトラックは頑丈で、中の男たちは大丈夫そうである。ただし、目の前で繰り広げられている戦いに、彼らがどんな感想を持つのかは定かではない。
そうこうしている内に終に動けるトドンは数頭のみになり、成獣の雄の殆どがやられてしまった群れは、一気に逃げ出しはじめた。
辺りの草木や岩は真っ黒に汚れている。
本日二度目の血の洗礼であった。
「かんべんしろよ、もう」
立ちこめる濃密な血の匂い。
凄惨な風景の真ん中に立つ男は、意外にのんびりした声でモモを振り返った。