嬰児ーメブイタイノチー
「初めまして、我が末の子よ。汝の誕生を心から祝福しよう」
「……え?」
少女はぽかん、と口を開けた。
闇夜よりも際立つ漆黒を纏ったソレは、女の声で少女に言葉を伝えた。
*
息苦しさに酸素を求め、上へ、上へと行く少女は手が水面を突き破る感覚に、死に物狂いで水面を叩いた。
ざぶり
「ガボふっ!!」
水面から顔を出し?、酸素を求めて口を開けたはいいが、水が流れこんでくる。
周囲を弄る手が硬い質感を捉えた。
少女は必死にそれにしがみつき、その先へと手を伸ばす。
ガサリと掴んだのは雑草だ。
水面から顔を出し、呼吸をするのが精一杯で、目にかかる水を払う余裕すらなく、とにかく水面から身体を離す事には成功した。
「ぅえっほっ…」
一通り激しく咳き込み、顔をあげ、瞼を押し上げようとすると、滴る水が邪魔をする。
身体が鉛のように重く、動かすのも億劫で、ノロノロと顔を上げた。
べろり
「!」
瞼の上を這ったそれには覚えがある。
近所で飼われていたソレは、少女を見かける度に襲いかかり、顔中をそれは念入りに唾液まみれにしてくれたものだ。
今のは「犬の舌」だった。
(ゴン太…?)
すると、ここは、まだ自宅にほど近い場所だろうか?
それともご近所ではヤンチャで評判のゴン太の散歩コースのどこかだろうか?
そんな疑問と安堵を覚え、目を開けた瞬間、少女は喉から絞るような悲鳴を上げて背を反らした。
目を開ければ闇。
その闇の中の黒い光沢。
月の柔らかな光が照らし出したのは、座り込む少女を見下ろす程の大きな漆黒の狼だった。
*
「どうした?我が子よ」
するりと出てくるその言葉に少女は我に返った。
目の前には巨大な狼。
その口からは流暢な日本語が何の引っかかりもなく出てくる。
狼の喉元を見るが、特に拡声器的なものがついているようには見えない。
(ロボット?)
少女が眉根を寄せて首を傾げれば、目の前の狼も同じように首を傾げる。
その様は愛らしく、本物の生き物のように滑らかだ。
「あの」
「どうした?」
のそり、と狼がこちらにゆったりとした動作で近づいたかと思うと、べろりと頬を流れる水滴を舐めとる。
「ひゃっ!」
その舌は生温かかった。
はふり、と吐き出された呼気は紛れもなく生き物のそれだ。
彼女は近所のゴン太さんのような乱暴な甘えるそれではなく、我が子の毛づくろいに施すような丁寧なそれだった。
(……我が子……?)
少女はそこではたと我に返る。
「あの…」
「どうした?」
穏やかな女性の声だ。
少女が狼を見上げると、顔面をべろりと舐められた。
「我が子…?」
自分を指さし、首を傾げる。
「そうだ。汝は我の末に生まれた仔ぞ」
「末のこ?」
首を傾げたまま問えば、狼はふいと鼻面を自分の背後へと向ける。
そこからは確かに、命の息遣いが聞こえた。
狼をちらりと見上げると、四つん這いでそろり、そろりと相手を刺激しないように歩き出す。
狼も首を巡らせ、少女の歩調に合わせてのそり、と歩く。
(わあ…)
少女は感嘆の声をあげた。
そこには折り重なるように生まれたての4匹の仔狼が小さな寝息を立てていた。
「汝の兄弟達よ」
「きょうだい?」
狼は頷いた。
「これらは我が腹から生まれた」
少女は再び首を傾げる。
「そして汝はこの『森』が我の代わりに産んだ仔よ」
少女は訳の分からない事態に、首をひねる事しかできなかった。




