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四話

最初は前後編はずだったのに……なぜここまで長くなったのでしょう。

9月25日:大幅改定。

10月22日:神話を改定。

 パルシャヴァーニ・ネフェルシャンドラ・ナディーシェ・サガシアは、今年94歳。ベリュトゥス大公ファラフィーの嫡曾孫女である。母系継承を基本とするデヴシェ族は、爵位と財産を継ぐのは娘である。長女であった彼女は、将来大公家を継ぐ立場にある高貴な身分であった。

 しかし、47年前、病の神の呪いをその身に受け、失明した上に、ひどい皮膚病にかかってしまった。どんな有能な医師や、祭司たちでも呪詛を解くことはできず、逆に悪化するばかり。結局、彼女は神殿預かりの身となり、後継者の地位は双子の妹であるローサヴァーニ姫に移ることになった。

 しかしである。凄絶な荒行の末に呪詛を克服したパルシャヴァーニ姫は、いまからちょうど2年前の冬、女神ディヴィーをその身に降ろし、ヴェスヴィス山の噴火を予言。見事に的中させた。

 そのことから、パルシャヴァーニ姫は地上における生きた女神「生身女神(アヴァトリー)」と認められ、大祭司(マハルカン)の位と、ディヴィー女神の別名の一つ「美しき白の月(ネフェルシャンドラ)」を名乗ることを許されたのである。

 そして現在、再びベリュトゥス大公家の後継者の地位に戻った彼女は、このアクヌ・ミセレクラ大寺院の寺院長として、三十人の祭司・奴隷たちと共に暮らしていた。


 アクヌ・ミセレクラ大寺院は、黒い石で造られたこじんまりとした寺院である。山頂の少し下に総門があり、その前には6パッスス四方ほどの広場がある。そこには小さな門衛用の小屋と厩があり、騎獣でやってきた者たちは、そこに預けるようになっていた。

 ヴェンテと共にやってきたサリーフも、そこに降下した。2500パッススを超える高山である上、今はコルフィニーの月、エウロパ風に言えば9月の終わりである。本来ならば寒くて仕方がないはずであったが……不思議なことに、この広場は厚い防寒着では熱くなるほど温かかった。

 サリーフはヴェンテから降りると、手綱を引いて総門に向かい、門衛の奴隷に声をかけた。


「失礼。私はサリーフ・ドゥオルト。大祭司猊下(シュリ・マハルカン)から結縁を賜りに参った」


 そういって、サドゥーハから書いてもらった紹介状を手渡す。

 門衛の男は紹介状を受け取って読むと、門扉を開いた。


「お入りください。今、案内が参ります。騎獣の方は、お預かりいたします」

「ありがとう」


 サドゥーハはヴェンテに積んであった供物の入った箱を持つと、門をくぐった。

 門を入るとすぐに階段だった。石で造られたそれは、きちんと整備されてあるのか、ひび割れ一つ、崩れひとつない。階段は傾斜こそ緩やかだったが、無駄に長く曲がりくねっており、段数が多い。

 この程度で息が切れるほど軟弱ではないが、延々と続くそれにさすがに辟易してきたころ、朱に塗られた山門が見えてきた。

 すでに門扉は開いており、一人の祭司が奴隷たちを従えて立っている。祭司は若い、正確には、若く見えるデヴシェ族の男で、水色のトゥニカの上に、紺地に銀の縁飾りのあるトガを纏い、フィブラというブローチで固定してある。そして、頭にはスマグと呼ばれるトガと同系色の一枚布を被り、ピンのようなもので固定していた。そのフィブラの形状と服の色から、彼が士族階級出身で、5つある祭司の位のうち、上から四番目である権祭司の位にあることが分かった。

 儀式こそまだだが、サリーフはすでに士族として市民名簿に載っており、この権祭司とは同格の身分である。サリーフは、少し迷ったが、権祭司に向かって軽く会釈した。

 祭司は軽く頷いて会釈を返した。どうやら間違っていなかったようだ。


「サリーフ・ドゥオルト殿でよろしいな」

「はい」


 サリーフが答えると、権祭司は鷹揚に頷いた。そして、


「猊下のもとに案内する。ついてこられよ。供物は奴隷たちに渡すとよい」


 というと、門の中へと進んでいった。

 

 通常、寺院は、神々をまつり、日々の祭祀を行う本殿と、祭司たちの日常生活の場である宿坊によってなる。とはいえ、都会の寺院では通いの祭司が多いため、宿坊がないこともあるし、本殿の他に副殿や祠があったり、お守りや縁起物を売る場所があったりもする。

 ここ、アクニ・ミセクラナ寺院は、中門の正面に広場があり、その奥に生贄や供物をささげるための祭壇が、さらに、祭壇の奥には神像をまつる本殿がある。右手には宿坊が、そして、左手には、禊をするための斎院と、いくつかの小さな祠があった。

 権祭司は広場を突っ切ると、本殿へと向かった。しかし、正面の大扉には向かわず、隅にある小さな扉から中に入る。サリーフと奴隷たちも、それに続いた。

 そこは、土間にすのこを敷き、靴箱を置いただけの小さな玄関だった。この国では、家に上がるときは靴を脱ぎ、裸足か靴下一枚で過ごす。サリーフはその習慣に従い、革靴を脱いで裸足になり、靴箱に入れると、板の間に上がった。

 どうやら、ここは本堂そばの控えの間らしい。広さはそこそこあるものの、家具は机が一つと、隅に積まれた円座がいくつかあるだけの、殺風景な部屋だ。

 祭司は奴隷たちに供物を持っていくように指示し、サリーフに向きなおった。


「サリーフ殿、上着を脱がれよ。トガは着ているな?」

「はい」


 サリーフは祭司の指示通り、上着を脱いだ。すると、士族の証である、白地に朱色の縁飾りがついた真新しいトガが姿を現す。

 つい最近まで見ているだけだった、市民の象徴-サリーフは気恥ずかしく思いながらも、トガのしわを伸ばし、歪んだドレープを丹念に直す。

 すると、祭司がくすりと笑い声をあげた。


「そこまで念入りにせずとも大丈夫だよ、サリーフ殿。ドレープなど、動けば崩れてしまうものだ。直していたらきりがない」

「え、あ、そうだよな。ですよね……」


 おかしそうにそういわれて、サリーフはトガから手を放し、年甲斐なく頬を赤らめた。自分でもわからぬうちに緊張していたようだ。照れくさくなって頭をかくと、祭司は声を出して笑った。


「着慣れていないからだろうな。儀式を受ける者たちは、十人が十人、あなたと同じことをするよ」

「はあ」

「まあ、儀式でトガが着崩れることはないから、安心するといい。さ、行こう。すぐに猊下もいらっしゃる」


 祭司はそう言って、本殿へ続く戸を開けた。


 本殿は、2,30人がゆったり座って入れるほど広かった。天井は高く、二重になった天窓から明るい太陽の光がさんさんと降り注ぎ、天井に渡されている五色の祈祷旗(タルコ)を輝かせている。ひんやりとした板張りの床は顔が映るほど磨かれており、漆喰で塗り固められた壁には、幻想的なまでに美しい蓮池の風景が描かれ、この空間が一種の異空間、聖域であることを強く認識させた。

 本殿の中央奥には、この寺院の主審であるディヴィー女神とルーヴァヌ神の像が鎮座していた。像はほとんど等身大で、紫色の天蓋の下で、逞しい男性の姿をしたルーヴァヌ神が、愛する妻ディヴィ―女神を膝に座らせている、よくある形式である。

 さらに、右隣には二神の長女で、豊穣の女神であるナーディ―と、その夫で知恵の神サガスの、左隣には、これも二神の娘である、子授けの女神ハリティーと、お産の女神オルティニーの姉妹の像が、白い天蓋の下に鎮座していた。

 それぞれの祭神像の前には小ぶりの祭壇がおかれ、五穀や塩、酒、果物といった、サリーフが持ってきた供物が、整然と並べられている。そして、主祭壇の前には、祭司の御座所であろうか。藁を固めて作った藁板を、草を編んだ茣蓙でくるんだ(チャタイ)が敷かれ、その上に座り心地のよさそう座布団(タキヤ)が置かれていた。


「ここで座って待っていてくれ」


 祭司が示したのは、主祭神像の正面、御座所から2パッススほど離れた場所である。祭司はそこに円座(わろうだ)を置くと、サリーフに座るよう指示した。


「間もなく、猊下が御出座しになる。その前におつきの祭司が来るから、そうしたら頭を下げる。猊下がお許しになるまで、頭を上げてはならないし、口をきいてはいけない。いいな?」

「承知した」


 サリーフが頷くのを見ると、権祭司は先ほど戸から出て行ってしまった。


 サリーフは一人になった。突っ立ったままなのもアレなので、権祭司がおいてくれた円座に、胡坐をかいて座る。

 紹介状を書いてくれたサドゥーハは、大祭司である長姉パルシャヴァーニが、サリーフの助けになってくれるだろう、と言っていた。

 確かに、彼女はヴェスヴィス山の噴火を予言して、多くの命を救っている。女神をその身に降ろして一体化し、地上における女神として、膨大な力を持っているともされる。

 しかしである。彼女はエリアスに会ったことはなく、また言葉も風習も、宗教すらも違う国の出だ。話を聞いただけで、解決できるようなものだろうか……?


 サリーフがそんなことを思っていると、控えの部屋の戸が開き、一人の女祭司がやってきた。白のストラに、赤地に金縁のパラ。階級は先ほどの権祭司より一つ上、正祭司だ。

 正祭司の女はサリーフを一瞥すると、よく通る澄んだ声で


「パルシャヴァーニ・ネフェルシャンドラ猊下の御成りである」


 と告げた。

 サリーフはすぐさま礼法に従い、握った拳を床に付け、深く頭を下げた。市民階級の男性が行う最敬礼である。

 そうしていると、静かな足音が近づいてきた。足音の一つは衣擦れの音とともにサリーフの正面に立ち、あの御座所に、もう一つは御座所のそばに座った。


「顔を上げられよ」


 先触れの正祭司が、あの澄んだ声で命じた。サリーフは、声の通りゆっくりと頭を上げた。

 目の前に、二人の女が座っていた。一人は先ほどの正祭司で、御座所の左隣に座り、じっとサリーフを見据えている。

 ヒューマン族でいえば20代半ば、帝国人らしい浅黒い肌に、燃え盛る炎のような赤い虹彩と、同色のビンディ。

 ミルク入りの紅茶(チャイ)色をした長い髪はきっちりと編みこまれ、背中からたらされている。きりりとした目元と、きゅっと引き結ばれた唇が印象的な、気の強そうな顔つきの美女である。

 そしてもう一人、御座所に座るのが、盲目の生身女神(アヴァトリー)、パルシャヴァーニ・ネフェルシャンドラ大祭司であろう。濃い紫のストラの上に、黒地に金縁のドルマンを纏い、薄紫の帯で胸の下をきゅっと締めている。頭には金糸で繊細な刺繍が施された、白のスマグ。略式ではあるが、祭司階級の最高位、大祭司の衣装である。

 ヒューマン族であれば、やっと二十歳に届いたばかりの年頃で、肌は滑らかな象牙色、ビンディは弟サドゥーハ同様真珠色である。床に流れるほど長い髪は艶やかで黒々としており、メディオラヌムで造られた極上の絹糸とて、この黒髪には及ぶまい。そして、嫋やかな肢体は服の上からでもわかるほど豊満で、男の情欲をそそるほどの色香を漂わせている。

 しかし、容貌の方は極上とは言えず、はっきり言ってしまえば隣にいる正祭司の引き立て役だ。とはいえ、決して醜女というわけではない。際立った特徴こそないものの、少女の面影を残す、愛らしく気品に満ちた風貌であった。

 ところがである。サリーフにとっては、目の前の大祭司の容姿など、どうでもいいものであった。問題は、彼女の纏う空気である。さほど信心深い性質ではないサリーフだったが、そんな彼でさえわかるほど、彼女は違っていた。

 カリスマや威厳、そんな生易しい言葉で表現できるものではない。どこまでも清澄で凛とした、人の心を清めていくような「なにか」。温かく優しく、すべてを許して包み込んでくれるような「なにか」。その心の奥底を暴き、隠されたものを見通してしまうような「なにか」。

 そして、人を嘲笑い、恐怖させ、ひれ伏させるおぞましい「なにか」……。

 自然―そう、自然だ。彼女はヒトの身でありながら、自然に近い。ときに人々に恵みを与え、ときにすべてを破壊し、嘲笑う。無力なヒトは、それに流され、縋り、ひれ伏すしかない。 


 なぜ、この娘が生きた女神と呼ばれ、人々に平伏されるのか。男は、心の底から理解した。


 サリーフは、ごくりと息をのみ、再び平伏した。何故かはわからない。ただ、そうしなければならないと思ったのだ。その盲いて閉じられた目と、視線を合わせたくなかったのだ。

 

 尋常ではない男の様子に気付いたのか、それとも最初からこうなることを承知していたのか。パルシャヴァーニは、慌てることなく男に声をかけた。


「大丈夫ですよ、サリーフ・ドゥオルト」


 大祭司の声は、上質の笛のように柔らかく、砂糖菓子のように甘い。耳に心地よいその声は、恐怖で顔を上げられない男の心にするりと入ってきた。そして、泣き止まぬわが子をあやす母親の歌のように、サリーフの心を静めていく。

 大祭司は続けた。


「私は、お前に、危害を加えたりは、しません」


 一語一語ゆっくりと語られた言葉が、サリーフの怖れを和らげる。

 サリーフは二、三度深呼吸すると、ようやく顔を上げた。


「申し訳ございません、猊下(シュリ)

「いいのですよ、サリーフ・ドゥオルト。時々、お前のように、勘の鋭い者がいるのです」


 パルシャヴァーニは、ゆるりと微笑んだ。炉辺の火のように暖かく、温かい微笑みである。サリーフも、ようやく安堵して表情を和らげた。


 その後、サリーフには紅茶と茶菓子が出され、それを楽しみながらしばし雑談した。話す内容は、軍の事や、今まで赴任した街のこと、そして、彼女の弟サドゥーハのことである。

 どうやら、彼の緊張をほぐそうとしてくれているらしい。サリーフは大祭司の配慮に感謝し、できるだけ興味を引くことを話そうとしたが―逆に、話し上手なパルシャヴァーニの話術に、すっかり引き込まれてしまった。最後の方にはすっかり緊張もほぐれ、笑い声をあげるまでになっていた。


 ひとしきり笑いあった後、サリーフの緊張がほぐれたのを察したパルシャヴァーニは、正祭司―オルシーダというらしい―に何事か囁いた。

 すると、オルシーダは小さく頷き、頭を下げた後、本殿から去って行った。

 本殿には、サリーフとパルシャヴァーニの二人きりである。


「さて、サリーフ。私に聞きたいことがあるとか」


 パルシャヴァーニは柔らかな微笑みを引き締め、サリーフに言った。どうやら、真剣な話をするために、人払いをしたようである。


「サドゥーハからも言われています。心に抱えているなにかを軽くしてやってほしいと」

「ええ、まあ……」


 サリーフはあいまいに答えた。今や彼は、パルシャヴァーニをただの娘だとは思っていない。しかしである。今までこの国の誰にも教えていなかったこと。自分の中に押し込めておいたことを、今日あったばかりの人物に話すのは、少しばかり憚られた。

 サリーフの思いが分かったのだろう。パルシャヴァーニは、柔らかな声でサリーフに語りかける。


「無理強いはしません。しかし、私たち祭司の役目には、人々の心の重荷を軽くすることも含まれるのです。秘密については安心なさい。ここで話したことは、私一人の中にとどめ、決して外に漏れることはありません」


 どこまでも優しげな大祭司の声音に、サリーフはほんのわずかに言いよどんだ後-


「私がここを出てくる原因となったことです。いえ、そのことに関しては、すでに決着はついています。しかし、どうしてもわからないことがあるのです」


 今まで抱えていた疑問を、すべて話すことに決めた。



 パルシャヴァーニは話し上手であったが、それ以上に聞き上手であった。サリーフの話に静かに相打ちを返し、考え込んでしまったときは急かすことなく待っている。そして、詰まってしまったときは、さりげなく言葉を補足し、続きを促した。

 おかげで、サリーフは語るつもりのなかった心情まで吐露してしまった。その時のことを思いだし、情けなくも泣き出してしまい、パルシャヴァーニに慰められる始末である。

 しかし、今まで溜めていたものを吐き出したことで、心のうちはすっきりと軽くなった。自分の中では決着をつけたつもりでも、いろいろと無理をしていた部分があったらしい。

 サリーフにとっては、それだけでも価値のある時間となった。


「なるほど……確かに、不気味な話です」


 すべてを聞き終えたパルシャヴァーニは、しばしの間腕を組んで考え込んでいたが、間もなく、静かに語り始めた。


「ヒューマン族社会には、勇者や聖女といった存在がいるでしょう?」

「ええ、おりますが。それが何か?」


 確かにいる。邪竜を倒したレオン王国の「聖ホルヘ」、生涯を信仰に捧げ、不思議な力で病に苦しむ人々を癒し続けた「聖カタリナ」、魔王を倒した勇者「聖アレクサンドロス」。彼らはすべてデミュージ教会によって列聖され、信仰の対象となっている。


「彼らは皆美しく人格者で、神から与えられた強大な力を持ち、神と人々に愛されたといわれています」

「それです」


 パルシャヴァーニは頷いた。そして、サリーフが考えもつかなかったことを、語り始めた。


「おそらく、エリアスという者も、彼らと同じく神から力を与えられた者だったのでしょう」

「神から力を……!?では、エリアスが聖人たちと同じ存在だというのですか!?」


 サリーフは声を荒げた。あの悪魔が、自分から父を奪い、母を奪い、友を、故郷を奪った者が、聖人だと!サリーフは声を荒げた。聖人とは、偉大な業績をなし、信仰熱く人々から敬われる存在だったのではないのか!?なのに、何故、何故!?

 サリーフは混乱し、縋るように大祭司を見た。否定をしてほしかったのだ。

 しかし、願いもむなしく、大祭司は事もなげに頷いた。


「そうです」

「馬鹿な……!」

 

 普段ならば不敬とされ叱責されても仕方がないサリーフの言動を、パルシャヴァーニは咎めなかった。彼女にもわかっているのだ。このことが、サリーフの常識を覆すような事実であるということが。

 そして、淡々と続きを話す。


「お前の家族や友人は、エリアスを特別視するようになったといいましたね?しかしサリーフ、そうなるのが当たり前なのです。神の力は、お前たちヒューマン族にとっては、麻薬のようなものなのですから」

「麻薬……?」 


 神の力が麻薬。あまりにも予想外な言葉である。サリーフは高ぶった神経を静めようと、大きく息を吐いた。


「猊下に対し『馬鹿』などと……失礼いたしました、どうぞお許しを。しかし、どういうことなのです?我らは、神の力は広大無辺にして、神聖なものと教わってきました。それが、麻薬とは……」

「許しましょう、サリーフ。簡単なことです。お前たちヒューマン族……いえ、お前たちのみならず、『神の創造物』として生まれた種族たちには、神の力というのは合わないのですよ。水と油のようなものです」


 パルシャヴァーニはさらに続けた。


「神の力……我らはこれを、『霊力(プナマ)』と呼んでいます。これは、世界の根源エネルギーそのものです。嵐が吹き荒れるのも、種が芽をだし成長し、実をつけるのも、人が生きているのも……そして、世界が生まれたのも、すべて霊力(プナマ)があったからこそ」

「神々は霊力(プナマ)を使い、我らを手助けし、ときには恵みを与え、ときには罰を与えます。たとえば、破壊神ルーヴァヌは霊力(プナマ)でもって嵐を起こし、「大夏嵐(マハ・テンハ)」を起こします。治癒の女神クラティニーは、霊力(プナマ)でもって失った肉体を作り、怪我を癒します」


 パルシャヴァーニは冷えた紅茶を一口口に含み、喉を湿らせる。


「そして、神というのは、強大な霊力(プナマ)の集合体、いわば、意志を持った霊力(プナマ)です。霊力(プナマ)は神の肉体でもあるのです。そして、我らデヴシェ族は神々の末裔。肉体という制約こそありますが、自らの肉体が生み出す霊力と、神から与えられた霊力、そして、自然界に存在する霊力を取り込み、神々のように操ることが可能なのです。お前たちが魔力を生み出し、取り込み、自在に扱うように」


 あまりに急に知らされた多くの情報に、サリーフはすっかり混乱してしまった。ぐちゃぐちゃと渦巻く頭の中をどうにか整理し、パルシャヴァーニに確認する。


「つまり……万物のエネルギーにして、神の力である霊力(プナマ)は、私たちヒューマン族とは合わない、と。しかし、何故です?その……人が生き、成長することさえ霊力(プナマ)のおかげなら、私たちも霊力(プナマ)を持っていることになるのでは?それなのに……なぜ、私たちと霊力(プナマ)は合わないことになるのです?」

「ゆっくり考えなさい、サリーフ。時間はまだあるのですから……。確かに、お前たちヒューマン族も、その身に霊力(プナマ)を持っています。いえ、持っていました」

「持っていた?」


 過去形である。もし、彼女の話が正しいのなら、かつてのヒトは、デヴシェ族に近かった、あるいは同じ存在だったことになる。しかし、デミュージ教の聖書にはそれらしきことは書いていなかった。一体どういうことなのだろうか?

 パルシャヴァーニは、長い話になる、と前置きすると、語り始めた。


「我らデヴシェ族にのみ伝わる神話です。かつて、全ての神々とヒトの祖……『母』は、この地とは違う場所に住んでおり、『星の船』で『星の海』を旅していました」

「星の船?星の海?」

「ええ。母は、この星が浮かぶ海、すなわち宇宙から、大きな船でやってきた、と。古来からそういわれています」


 「母」とは、デヴシェ族が崇拝する冥府の女神で、彼らの主神ユーニー女神とマヌ神は彼女の末娘、末息子である。名前は聖なる女(サクラーニー)とされているが、デヴシェ族は単純に「母」もしくは「太母」と呼んでいる。

 しかし、星の船、星の海、ここと違う場所。サリーフが知る九大神神話には、そのようなことは書かれていない。ただ、唯一なる父が世界と古代人を作り、栄えたが、父より離反した十一柱の神々が魔神となり、父を滅ぼした。父の子である九大神は魔神を倒し、封じたが、魔神たちは死の直前に毒をまき散らし、古代人を滅ぼしてしまった。唯一生き残ったアーダムを哀れに思った九大神は、彼に9人の妻を与え、それぞれの産んだ子が今の九大種族になった……という神話が伝わるだけだ。

 デヴシェ族は九大種族とは、起源を異にする種族である。そのことを、改めて認識させる話であった。

 パルシャヴァーニは続けた。


「そして、『母』は星の海でおぼれていた『父』を救い、夫にします。そして、さすらいの果てにいまだ未熟だったこの大地を発見し、双子の大地を作ったのちに降り立ち、愛する子らにこういいました。『我が子らよ、双子の大地は汝らのもの。この地で産み、増え、地に満ちよ』と。それからしばらくは、豊かな自然の中、父と母の民は平和に暮らしていましたが、父と母が仲たがいしたことにより、それは崩れてしまいます」

「仲たがい?」


 サリーフはぽそりと呟いた。かすかな声ではあったが、パルシャヴァーニにはしっかり聞こえていたようだ。彼女は微かに笑うと、律儀に説明した。


「神統書紀には、母の持つ権威と権力、『命を生み出す力』を欲した父が、母に反旗を翻したのだ、とか、あるいは単純な夫婦喧嘩であった、父が浮気をしたなど多くの説があります。現在は反逆説が通説となっていますが、どれを信じるのかは自由ですよ」


 神統書紀とは、帝国の神話がまとめられている書物である。サリーフは文字の練習てがら、子供向けの物を読んだだけで、詳しい内容自体はよく知らない。だが、帝都に帰ったら必ず読んでみよう。男はそう決めた。


「父と母は長い間話し合い、そして戦いました。母は父に『命を生み出す力』のほんの一部を奪われましたが、勝利することができました。二人は離縁し母は北を、父は南を支配することになりまた。子供たちはそれぞれ好きなほうについて行き、それぞれ栄えました。これがいわゆる『古代王国』と『古代人』です。彼らは神の裔であるがゆえに、我らと同じように霊力を使うことができました。『古代デヴシェ族』といってもよいでしょう」


 ようやくサリーフが知っている言葉が出てきた。

 古代王国とは、世界を創造した「唯一なる父」が想像した種族が、南の大地に建国した、高い技術と文明をもった国家であったとされる。しかし、父から離反した11柱の魔神により滅ぼされた……と九大神神話に述べられている。

 しかし、人類の祖先がデヴシェ族と同様の存在ならば、なぜその子孫である自分たちに霊力を操る力が伝わらなかったのだろうか?その答えはこの先にある。


「これ以降はお前も知っているでしょう?11柱の魔神が生まれ、大災厄が発生します。そこで、父と母は死に、世界中に毒がまきちらされ、古代人は滅びました。生き残ったのは我らが始祖ユーニーとマヌ、九大種族の祖である九大神。そして、二人の男。すなわち、『母の子』であるドゥセルと、『全ての父』アーダムです」


 大祭司はそこで言葉を区切った。


「ユーニー女神とマヌ神は、ドゥセルのもとに女神を遣わします。ドゥセルと女神たちの間に生まれが子が、我々デヴシェ族です。我らと古代人との間には、違いはほとんどありません。額にビンディがついたぐらいです。ゆえに、我らもまた霊力を自在に操ります。」

「一方、九大神が創造した女たちは、肉体的には古代人と同様です。しかし、九大神は『霊力を生命力として吹き込む方法』を知りませんでした。彼女らの体に霊力を定着させることこそできましたが、それを巡らせ、活性化させ、意識と感情を持たせることができなかったのです。ゆえに、彼らは知恵を出し合い、霊力を魔力に変え、生命力とする器官である『魔臓』を作ることで、新たな生命を生み出すことに成功した。それが、我らデヴシェ族に伝わる人類種の成り立ちです」


 この話が正しければ、デヴシェ族と九大種族は、兄弟というほど近くはなくとも、従兄弟程度には近い関係にある。それどころか、根源は全く同じ存在……。

 デミュージ教では、ヒューマン族は「神々の王」デミュージによって作られた、「選ばれた存在」であるとしている。サリーフはそれを無心するほど信心深い性質ではないが、今まで教えられてきたことがひっくり返されたである。サリーフが絶句してしまったのも、無理はなかった。


「驚きましたか?」

「驚いた……というものではありません。私はミスニにいた時、デミュージ教の司祭らから聖書を学びました。しかし、このような話は聞いたことがありません」

「そうでしょうね……。不思議なことですが、お前たち九大種族の神話とは、かなり異なっていますが……少なくとも、この国の人間は皆知っています。興味を持ったのなら調べてみなさい。しかし、これが正しければ、お前たちの種族と霊力との相性の悪さに説明がつきます」


 パルシャヴァーニは紅茶を飲み干すと、そばに置いてあった金属製の湯沸かし器(サモワール)上部に保温してあったティーポットをとり、器に紅茶を注いでいく。その動きは、盲目とは思えないほどなめらかで、迷いのないものだった。


「お前も飲みなさい。混乱した時は、とりあえず頭を休めることが必要です」

「……はい、ありがとうございます。いただきます」


 サリーフも、暖かな紅茶を入れてもらい、喉を潤した。驚愕に次ぐ驚愕で、喉がカラカラだったのだ。

 パルシャヴァーニはサリーフが紅茶を飲み干したのを見計らい―実際見えているわけではないのだろうが、見計らったようなタイミングで口を開いた。


「さて、話の真偽はともかく、お前たちは肉体に宿る霊力を、魔力に変換して生命力とし行使します。それは、神に与えられた霊力の場合も同じです。しかし、与えられる霊力は膨大。一度に変換できるものではありませんし、そもそも、自分の肉体から生まれる霊力も変換しなければなりません」

「そのため、普段は霊力として体内に蓄積しておき、必要に応じて変換することになります。しかしです。霊力とのなじみが悪くなったお前たちの体は、霊力を霊力として蓄積できず、少しずつではありますが、劣化させていきます。そして、問題はその劣化した霊力なのです」

「劣化?どのように劣化するのです」


 サリーフは思わず口を挟んだ。エネルギーが、いったいどうやって劣化するというのだろう?

 しかし、パルシャヴァーニもよくわからないらしい。首を振ると、話を続けた。


「魔臓が関係していることはわかっているのですが、詳しい仕組みはまだ……。ただ、私たちデヴシェ族は、劣化霊力は、なんというべきか、非常に不快なものと感じます。一言でいえば、そうですね、香の匂いがきつい人のそばにいるような……ともかく、そんな感覚だと思ってください」

「なるほど」


 それは確かに不快だろう。サリーフはミスニ時代、宮廷の昼食会で、香のきつい貴婦人の隣になったことを思い出した。料理の味はわからないし、臭いで吐きそうになるしで、辟易した記憶がある。

 思ったことが顔に出ていたらしい。サリーフの顔は、何とも言えないしかめっ面になった。しかし、それが見えるわけではないパルシャヴァーニは、特に反応することなく続けた。


「劣化させた霊力は、その人の体から少しずつ漏れ出します。そして、その漏れ出した霊力は、人にとってたまらないものであるらしいのです」

「たまらないもの……まさか、猊下が麻薬といったわけは……」


 声をかすれさせたサリーフに、大祭司は深く頷いた。


「その通りです。劣化霊力に接した人は、もっとそれに接したいがために、その人のそばにいたくなります。人はそれを、『自分はその人に好意を持っている』と錯覚します。そして、長い時間劣化霊力に接しているうちに、それなしでは生きていけなくなります。『その人が素晴らしい人物である』『その人のそばにいなければ生きていけない』『その人につらく当たる人は敵』と考えるようになるのです」


 それは、確かに麻薬だ。人の心を操る、恐ろしい麻薬。まさか、エリアスはこのことを知っていたのだろうか?知っていて、それを利用していたのだろうか?

 サリーフは身震いした。


「まあ、普通はそこまで極端なことにはならないですが。エリアスとやらは、きっと『漏れ』が他人より多かったのでしょう」

「そうなのですか?……よかった」


 本当に良かった。列聖されるほどの聖人や、過去の偉大な勇者たちが、皆あのようだったと思いたくはない。しかし、サリーフにはどうしてもわからないことがあった。

 劣化霊力が人によって「たまらない」ものであるなら、なぜエリアスの近くにいたはずの自分は、他の者のようにならなかったのだろう?

 サリーフがそのことを尋ねると、疑問を予想していたらしい。パルシャヴァーニは淀みなく答えた。


「稀なことではありますが、劣化霊力に接しても惑わされることのない、勘の鋭い者がいます。それがお前であり、彼の兄や前の主人の息子だったのでしょう。」


 そして、愛らしい(かんばせ)に憐憫の色を浮かべ、さらに続けた。


「そのような者から見れば、エリアスと彼の周囲の言動は、不気味極まりないことでしょう。しかし、周囲の人間は自分の言動がおかしいと理解できません。彼らにとってはお前たちの方が異端です。ゆえに、お前を危険視し、排除する方向に向かったのではないでしょうか」


10月22日:神話部分を改定。

 要するに、「母」はエンジンやらモーターやら、車の全てを知っていたので、自分で一人で車を作ってガソリンを入れて動かすことができます。

 一方、九大神は車の設計図を持っていましたし、車がガソリンで動くということも知っていました。しかし、どれがエンジンでどれがモーターなのか、どこにガソリンを入れればいいのかよくわからなかった。なので、自分たちで勝手に機械をくっつけてどうにかこうにかしてたら動くようになったぞやったー。今度からうちのスタンダードはこれだぜ!ということにしちゃったわけです。

 もっと分かりにくいですね、すみません。

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