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「困ってます。」

可愛すぎて、困ってます。

これが初めての投稿でして、少々読みにくいかもしれませんが、ちょっとでも楽しんで頂けたら嬉しいです!

キーンコーン…

広い社内に12時の鐘が響くと、パソコンとにらめっこをしていた社員達がお昼休みに入る。

「んーっ!肩こるなぁ」

小さく伸びをして呟いた彼女は、渋沢由子しぶさわゆこ、この会社に入社3年目。

本人は自分の事を地味で目立たない存在と思っているが、優しく大人しい性格に長いストレートヘアーが可愛い彼女は、密かに職場の男性社員に人気である。

由子ゆこ、お昼食べに行こう?」

「うん!キョーちゃん、わざわざこっちまで寄ってくれたの?」

「ちょっと近くの部署まで用があったからね」

由子のデスクまでお昼を誘いに来たのは橋田享子はしだきょうこ

由子とは同期で、入社当時に知り合って意気投合した友人である。

享子きょうこは由子と違い、気が強く派手な印象の美人だった。

彼女達は部署は違うが、いつもこうしてお昼を一緒に食べていた。

「そっか。じゃ、混んじゃうから早く行こ!」

由子は瞳を輝かせながら、立ち上がった。

「まったく…お昼の時が一番輝いてるんだから」




「うひひ。今日は私の好きな、みぞれ竜田揚げ定食があったよぉ」

二人は食堂で定食のトレーを手に席に着いた。

「もう由子、その変な笑い方やめなさいって何度も言ってるでしょ?あんた可愛いんだから」

「そんなことないよ。それに今は色気より食い気。いただきます…んー!おいしい!」

「まったく、そんな幸せそうな顔されたら、どうでもよくなるじゃない」

「お疲れ、相変わらずおいしそうに食べな、由子は」

食事を始めた二人のもとに、男性社員が声をかけてくる。

「んぐっ、あきちぃだ。お疲れさま」

「あ、秋路。あんたもお昼これから?」

「あぁ、やっとな」

「お疲れさま」

定食のトレーを持った彼は享子と話しながら、由子の隣の席に座った。

彼は鮎川秋路あゆかわあきじ。同じく、彼女等と同期で部署も違うが、三人は入社当時からの友人であった。

秋路あきじは長身で顔のパーツも整っていて精悍だが、男らしい見た目に反して、彼は優しく意外と細やかに気がきいたりする。

こちらも本人は知らないが、女性社員の特に年上に人気である。

「あ、由子と定食同じだ」

「ほんと!これ美味しいよね」

嬉しさで由子はとてもキラキラした笑顔を秋路に向ける。

「…あぁそうだな」

秋路はそんな由子に見とれながら呟く。

「秋路、顔ゆるんでるわよ」

「そっ、そうか?」

「まったく、わかりやすいんだから。…こんなに分かりやすいのに、気づかない由子も由子よねぇ」

「ん?キョーちゃん、呼んだ?」

定食に夢中になっていた由子は顔を上げた。

「いーえ。呼んでませんよ」

「もう!しっかりしなさいよ、秋路。あんたカッコイイし、いいヤツなんだから」

「そうか?…まぁありがとな、享子…」






その日の終業後、自宅のある最寄り駅を出た由子は、とぼとぼ歩きながら呟いていた。

「今日は大好きな、みぞれ竜田揚げ定食が食べれて良かったケド…。 夕飯…どうしよう」

食べる事が大好きな由子は、日々お店で食べたり、お弁当を買ったりして生活している。

それも超不器用で家事系は壊滅的に苦手な彼女は、就職先の勤務地のおかげで3年前から一人暮らしをするはめになったからだった。

独り暮らしの部屋は日々悲惨な状態であったが、入社時から時たま享子が面倒を見に来てくれていたため、今までやってこれていた。

「お気に入りのお店に行く手もあるけど…、お金も厳しいしなぁ。

あぁあ…、この間読んだ少女漫画みたいに、料理とか家事の出来る彼氏が一緒に住んでればね…。あはは…ないない…」

人通りの少ない歩道を歩きながらの独り言に、自分で苦笑し、自分でツッこむ、なんとも寂しい彼女であった。

バサバサッ!

その直後、由子の前方にある脇道から出てきた人物の持つ荷物が歩道に広がった。

少し離れている由子の足下までいくつか荷物が転がってきた。

由子が慌てて拾うと、それはリンゴだった。

なんか漫画かドラマみたい…。

一瞬、あまりのベタさに呆れかけたが、気を取り直してリンゴの持ち主に由子は声をかけた。

「あの、大丈夫ですか?」

由子はリンゴを持ってその人物に近づく。

「あ、すみません!袋が破れてしまって…」

声の主はすぐ側の街灯の光から外れていて日の暮れた今は顔をよく見ることが出来なかった。

その足下を見ると野菜などの食材が街灯に照らされ散らばっているのが見える。どうやら近くのスーパーの帰りらしい。

「いえいえ。とりあえずそっちの無事な袋に入るだけ入れてみましょ…全部は無理だけど」

由子は相手がもう片方の手に持つスーパーの袋を指差した。

「はい…」

地面の食材を拾おうと由子がしゃがむと相手も街灯の光のもとへ入ってきた。

「…!?」

その姿を見て由子は一瞬固まった。

それは整った甘い顔でとても可愛らしい人物だったからだ。

しかし、服装から見るに男の子だと想像がつく。

身長も由子と変わらなそうで、少年みたいな印象だった。

中学年…?いや、ギリギリ高校生って可能性も…?

なら、お母さんにお使いでも頼まれたのかな?

などと考えながら、由子は袋をおろした少年と食材を集めて、入るものは無事な袋に入れる。

「うーん、やっぱり半分は入らないね。あなた、お家はこの近くなの?」

「はい、あそこの交差点を右に曲がってすぐです」

「…もしかしてご近所?私もその辺りに住んでるの」

「じゃあお家までこっちのは持つよ。それでもいいかな?」

由子は屈むと、袋に入りきらなかったリンゴやらの食材を腕に抱えた。

「えぇ!?そんな悪いです!ここまで手伝って頂いただけでも、申し訳ないのにっ」

「いいの、いいの。困った時はお互い様ね。さ、案内して?」

「…ありがとうございます」

彼はペコリと頭を下げると、柔らかく笑った。

「……」

その不意打ちの可愛らしい表情に由子は見とれてしまうのだった。




由子は少年のあとにつづき歩く。

すると、少年は交差点を曲がってすぐに立ち止まった。

「ここです、ここの3階の部屋です」

彼の住まいは3階建てほどの、こじんまりとした趣のあるアパートだった。

「やっぱり、かなりの近所」

「え、ご近所ですか?」

「うん!私、あそこの3階に住んでるの」

由子は手が荷物で塞がってるため、彼のアパートから車道を挟んで真正面にあるマンションへ視線を向けた。

それは5階建てだが上品な外装で、いかにもオートロックなどっしりとした見た目だった。

「…お向かいのあれですか?」

「うん。あ、そっちの袋も危ないから早く行こ?」

「あ、はいっ、こっちです」

「3階まで階段なんです、すみません…」

アパートの階段の前まで来ると、彼は申し訳なさそうに言った。

「大丈夫よ!3階くらい、謝らないで。これは私がやりたくてしてるんだから」

「…ありがとうございます」

二人で階段を上り始めると、由子は自然と話し出していた。

「あそこね、親が結構心配性で勝手に決められちゃっただけなの。

その代わり、家賃は親が出してくれてるけどね」

「へぇ、そうなんですか。逆にお徳でイイですね…あ、ここです」

話してる間に3階に到着して、少年の部屋の前まで来ていた。

少年は部屋の鍵を開けると、持っていた荷物を玄関に下ろして、スグに由子から食材を受け取る。

「本当にありがとうございました!とても助かりました。

近くにいた方があなたで良かったです」

そう言って、彼は深々と頭を下げた。

「いえいえ!そんなたいしたことしてないよ。じゃ、私は帰ります」

あまりの感謝のされように、照れくさくなった由子はそそくさと階段へ向かおうとした。

「あの!待って!」

「え?」

必死な声に由子は驚き、足を止めて振り返る。

「すみません…。でも名前だけ教えてもらえませんか?あの、僕は和泉智光いずみともみつといいます」

「ふふ、いいよ。私は、渋沢由子。よろしくね」

「近所だから、また道とかで会うかもね。じゃ、またね」

「…はい!」




智光と別れたあと、由子は急いで部屋へ向かった。

バタンッ

玄関のドアを構わず閉めて、靴を脱ぎ捨てると、物で足場のない部屋を進み唯一のスペースであるベッドへ飛び込んだ。

「はー!びっくりしたぁ〜。

あんな可愛い男の子初めて見た。それに、ちゃんとお使いしてて、えらいなぁ。…また、会えるかなぁ」

大事な夕飯の事も忘れて、しばらくその可愛らしかった少年のことを思い出して惚ける由子だった。




そのころ、智光は部屋に入らず、向かいの建物に由子が入って行く姿を見守っていた。

由子を見届けると、彼も部屋に入る。

パタン…

その部屋は一人暮らし規模で狭く、外装と同じく年期が入っていた。

彼は買ってきた荷物を数回に分けて小さな台所に運んだ。

彼は食材を小さい冷蔵庫に詰め込むと、出しておいた食材で料理を始める。

「…優しい人だったな、渋沢由子さん…。絶対また会いたいな。…そうだ!お礼しなくちゃ」

慣れた手つきで調理を進めながら少年は呟き、ひらめきに心を踊らせるのだった。






翌日のお昼休み、享子と由子の二人は食堂でいつものように昼食をとっていた。

「由子。なんか良いことでもあったの?」

「え…?そ、そうかな?そんな風に見える?」

「うん。もしかして、彼氏でもできたの?」

「ううん!そんなんじゃないよ。ちょっとうれしい事があったのは確かだけど」

「へぇ、何があったの?」

「うん!近所にスゴく可愛くて、もうスゴくいい子がいてね、ちょっとお知り合いになったの!可愛かったなぁ…、あれは中学生?いやギリギリ高校生だったりするのかなぁ…?」

そう言って由子は、ぽーっと、緩んだ顔で遠くを見つめる。

「今日も会えないかなぁ…。だから、今日は絶対、定時であがるんだ!!」

「ああ、だからあんなガシガシ仕事してたのね。でも、由子…犯罪者にはならないでね」

「もう!そんなんじゃないんだから!」

享子に呆れられて、由子は珍しく強く抗議をするのだった。






「渋沢さん、帰ってくるのはまだ早いよね…」

智光は一人の部屋で呟いた。

テーブルの上には綺麗に箱に入れられたアップルパイが用意されている。

これを昨夜会った由子へお礼として持って行くつもりな為、彼は先程からそわそわして、時計ばかり見ていた。

ピピピ

その時、彼の携帯が着信音を発した。

ディスプレイを確認すると、それは智光の友人からだった。

「もしもし?…あ、サトちゃん。

…ううん、風邪とかじゃないよ。心配したよね、ごめんね、急に今日の授業サボって。

…え?今日論文の課題が出たの?

うぇ…、僕今週末提出の課題、あとちょっとだけど終わってないよ。

…え、今日のノート見せてくれるの?ありがとう!助かる。

…今日?明日また話すけど、アップルパイ作ってたの。ちょっとお礼しないといけない人がいてね。

じゃ明日、2限でね」

通話を終えると、彼は時計を見て立ち上がった。




「ふぅっ」

由子は会社から帰宅すると、荷物を置いてベッドへ腰かけた。

ちなみに彼女の部屋で座れる場所はそこしかない。

「今日は会えなかったなぁ…」

由子は昨日知り合った智光と会うために、仕事をなんとか定時に終わらせ、昨日と同じ時間の電車に乗って帰ってきたのだった。

「な!なにガッカリしてるんだろう。昨日の今日でまた道で会えたりはしないよね。

漫画じゃあるまいし!あはは…」

ピンポーン

その時、部屋にチャイムが鳴った。

「誰だろ?もう遅い時間だけど」

おそるおそる彼女は、インターホンのディスプレイを見た。

「え?!和泉君?!」

ディスプレイには昨夜会った智光の姿が映っていた。

彼女は反射的に受話器を取り、返事をしていた。

「はい!」

『あの、和泉と申します。

あの…渋沢由子さんのお宅でしょうか?』

「はい!私です。今そちらに行くので、待ってて下さい!」

『え?あ、はい』

彼女は用件も聞かず、玄関を飛び出していた。




エレベーターで1階に着くと、自動ドアの向こうに智光の姿が見えた。

「和泉君!」

「こんばんは」

「こんばんはっ」

彼女は自動ドアを開いて挨拶すると、中へ智光を入れた。

エントランスは少し広くなっているため、立ち話しやすいのだ。

「おそくにいきなり訪ねてしまって、すみません」

智光は頭をペコリとさげた。

「ううん、平気。私も今帰ってきたところだから。でも、どうしたの?」

「はい、あの昨日のお礼をどうしてもしたくて。

これ、アップルパイ作ったんです!よかったら、食べてください」

言いながら智光は、アップルパイの箱を由子の前に出した。

「え!お礼なんてよかったのに。でも、アップルパイを和泉君自分で作ったの?」

「はい。料理好きなんです。あんまり人に食べさせられるモノじゃないんですけど…今回は特別です」

「スゴいね!私は家事とか全然ダメだから、うらやましいな。甘いのは大好きだから、遠慮せずに頂いてもいいかな?」

「はい!ゼヒ」

由子は満面の笑みで、智光からアップルパイの入った箱を受け取った。

「ありがとう!楽しみ!」

その笑みに、智光は、ほっと、肩の力をぬいた。

「喜んでもらえて良かったです。わざわざ、出てきて下さってありがとうございました」

彼はまたペコリと頭を下げ、夜遅いので失礼します、と言って帰っていった。




バタン

由子はドアの閉まる音で気がつくと部屋の玄関に戻ってきていた。

智光と会えた衝撃でぼーっとしていたため、下から戻ってくるまでの記憶はほとんどなかった。

「ま、また、会えた…。仕事頑張ったかいがあったかも」

「そうだ!アップルパイ!」

由子は急いで部屋を進み、ベッドへ腰かけると、膝の上で箱を開いた。

それはつやつやと美味しそうなホールのアップルパイだった。

「わぁ!スゴい!美味しそう!」

アップルパイはご丁寧にカットされていて、彼女は構わずひとつを手で取って食べた。

「ん〜!うそ…何これ。すっっごく美味しい!一人じゃ食べきれないかもって思ったケド、これなら全部食べちゃいそう!」

夕食に買ってきた大好きなお弁当も忘れて、彼女は夢中でアップルパイを食べたのだった。






「由子、どうしたの?最近元気ないわね」

会社でのお昼休みに心配そうに享子が聞いてくる。

そう。アップルパイをもらってから、既に1ヶ月以上経つが、由子は全く智光と会えていなかった。

家に行けば確実なのだが、特に用事も思い付かず、道でも会わないため、彼女は悩んでいた。

「そ、そうかな?最近ホント暑いからバテぎみなのかも…」

遅ればせながら、現在は7月、夏真っ盛りである。

「そう?…好きな人でも出来たんじゃないの?」

「…え?」

一瞬、智光の事が頭に浮かんでしまった由子は慌てて誤魔化した。

「な、何でそんなこと聞くの?」

「ん〜、最近可愛くなったなぁ、と思ってね。

そうだ、参考までに教えてほしいんだけど、由子の好みのタイプってどんな人なの?」

「えぇ?そ、そんなのわからないよ」

「そうかぁ。私にあんたを紹介してほしいって話が来る程度にモテてるのに、どうして彼氏がいないのかしら…」

「え?そうなの?」

「もったいない…。こんなに可愛いのにぃ!」

享子は悔しそうに、テーブルを拳でドンッと叩く。

「キョーちゃん…」

「でも、いたらいたで、相手がどうしようもないダメ男だったりしたら…。私、何をするかわからないわ…」

うつむいて呟く享子の眼光は鋭くなり、拳にギリッと力がこもる。

「え?キョーちゃん、よく聞こえなかったけど?」

「いいの、あんたは気にしないで」

すぐに顔を上げた享子はいつものように由子に笑ってみせるのだった。






「ミッチー!頼む。今日の飲み、来てくれよ!」

「サトちゃん…、ごめん」

その頃、智光は大学の学食で友人と昼食をとっていた。

「頼むよ!実を言うと、女子達に今日こそはミッチー連れてきてって言われてるんだよ」

「そっか…でも、今日はダメなんだ。ごめんね」

「おぃ〜なんでなんだよぉ。何か嫌いなのか?酒か?女か?俺か?最後のだったら泣くぜ、今ここで!」

「違うよ。サトちゃんは好きだよ」

「ホントか?!うお、もう男でも構わない!俺のものになれミッチー!」

「あはは、それは遠慮するよ」

「冷たいなぁ」

「ちょっと、京太きょうた!何ふざけてるのよ。ちゃんと和泉君説得してよ」

二人の会話に入ってきたのは、二人の知人である同学年の女子だった。

「ね?和泉君一緒に行こうよ?」

「ごめんね、長谷川さん」

智光はどうしても今日は早く帰りたかったのだ。

学校のテストも課題提出も終わり、バイトのない今日こそは由子に会いに行ける。

帰って訪問する為の料理も作りたい。

それも、ここ1ヶ月程、智光はテストやらバイトやらで決まった時間に帰れなかったりして、そんな時間が取れなかったのだ。

「本当にごめんね、みんなで楽しんで来て?」

「そんなぁ〜。和泉君が来るって、女子達楽しみにしてたんだよ?もぅ」

「本当ごめんね。じゃサトちゃん、時間ないから僕は先に行ってるね!」

「お、おぅ」

「…和泉君、やっぱり彼女いるのかなぁ…」

食堂を出ていく智光の背中を見つめながら、長谷川という女子は呟いた。

「彼女はまだいないと思うけど、気になってる人ならいるみたいだな」

「うそ!誰?!」

「さぁね、大学の人じゃないと思うけど」

「そっか…」

「ミッチーも人気だよなぁ。まぁ、気が利いて優しくて家事が趣味で、美少年。

おまけに女子の趣味にだって理解があるとくる。そら魅力的に見えるよなぁ。

俺だって可愛さに、くらっとくるときあるもんなぁ」

「あんたには実美子みみこがいるでしょ」

「あぁ~。そーでした」




智光はその後も残念がる友人の誘いを振り切って帰宅し、夕食のおかずになるものを作った。

料理をタッパに入れて、時間を見計らって向かいのマンションまでいそいそと向かう。

郵便受けで確認した由子の部屋番号を押して、インターフォンを鳴らした。

ピンポーン

『はい!』

「こんばんは、和泉です」

『うそ!ま、待ってて!今行くから!』

「あ!待って下さい!悪いので、もしよければ僕がそちらまで行きますから!」

『そ、そう?ありがとう。』

そう言って彼女は自動ドアを開けてくれた。

智光はエレベーターに乗りながら、苦笑していた。

ふっ…なんで二人とも焦ってるんだろう。しかもあの人はまた用件も聞かずに…。オートロックに住んでる意味がないんじゃ…。

すぐに3階に着き、彼は由子の部屋のインターホンを押す。

ピンポン

ガチャ

「はい!」

「……」

インターホンを押してすぐにドアが開いたので、智光は驚いて声が出なかった。

この人は、ドアの前で待ってたんだろうか…。この人らしい…。

「和泉君?」

「こ、こんばんは。…お久しぶりです。また急にすみません。これ作ったので、よかったら食べてください」

「え?またいいの?」

「はい、ご迷惑でなければ。中身は肉じゃがです」

智光は一人には少し大きいかもしれないタッパを彼女にわたした。

「ううん、そんなことない。食料は喜んで頂きます。肉じゃが…久しぶりだなぁ。ありがとう!すごく嬉しい」

「良かった…」

「…そういえば、最近全然見かけなかったけど、元気だった?」

「はい。あ、たぶん、論文とか課題とかバイトがあったりして、帰りが遅かったり早かったりしてたのでお会いしなかったんだと思います」

「…へ?論文?バイト?それは和泉君の話し?」

由子は智光からは考えられない言葉が出てきたため、混乱して目を丸くしながら聞き返す。

「そうですけど。あ!そうか見えないですよね、僕大学2年生なんです」

「えぇぇぇぇ!!そうなの?!」

「はい、よくびっくりされますが、スキップしたわけでもなく、本当に大学生です」

「…じゃあもしかして、今あそこに一人暮らしとか?」

「はい、そうです」

「そ、そうだったんだ…」

「あ!大学生の男が、女性の独り暮らしの所に何度も来たらコワイですよね?!すみません!もう…来ないように…」

「うんん!そうじゃないの!和泉君はとってもいい人だし。来てくれるの、スゴく嬉しいの。今日も会えて嬉しいし…」

どうしよう、和泉君が男の人なんだってわかったら、恥ずかしくて目が合わせられないよ…!

由子はなんとか迷惑じゃないことを伝えようとするが、きょろきょろと視線を彷徨わせ智光を見ることが出来なくなる。

「……」

智光に見つめられてると思うと、恥ずかしさで顔が熱くなるのがわかり、パニックになった由子はその視線から早く逃れたくなった。

「私なに言ってるんだろう…!?とにかく和泉君が来てくれるの嫌なんかじゃないからね!今日はありがとう!おやすみなさい!」

バタン

いきなりドアを閉められた智光は、驚きで由子の部屋の前からしばらく動けなかった。

「……」

僕は何か間違えたんだろうか…。由子さん、急に目を合わせてくれなくなった…。

どうしよう…。

由子に怖がられて会えなくなったら…、と一瞬考えただけで智光はひやりとした。

その時、智光は気がついた。

ここ最近、こんなにも渋沢さんに会いたかったのは、僕はあの人のことを…?

だって会えなかった間もずっとあの人のことばかり考えてた。

うん、きっとそうだ…。

でも、なんだか混乱してるみたいだし、すぐには来ないほうがいいかもしれない。

ドアを閉める前に、嫌じゃない、と言っていた気がするけど、これからどうしよう…。

智光は必死に考えながら、エレベーターに足を向けた。




「はぁ、はぁ…」

勢いよく閉めた玄関のドアの前で立ち尽くす由子は、すぐに自分の行動に後悔していた。

何してるの自分…。せっかく和泉君に会えたのに、急にドア閉めちゃうし…。

でも、由子にはすぐにドアを開けて謝ることなど出来なかった。

それも、智光が大学生の男の子だった事と、今までにない自分の変化に驚きすぎていたからだ。

私、どうしちゃったの…?

和泉君、大学2年生ってことは20歳の男の人なんだ…。どうしよう、和泉君の事考えるとなんかドキドキする…?

ふと、彼女は手にある温かなタッパを思い出し、彼女は唯一のスペースであるベッドへと足を進めた。






「由子、こぼしてるわよ」

「え…?あわわっ」

享子に胸元を指差され、見ると服にたくさんのご飯がくっつていた。

今はいつもの、享子との社食ランチ中である。

「最近ぼーっとして、どうしたの?」

「ん?べ、別に?」

行儀悪く、こぼしたご飯を拾って食べながら、由子はなんでもないように答える。

「そうぅぅ?」

まだ疑いの目で見てくる享子だったが、無理に追及はしてこなかった。

それに、由子は内心ほっとする。

追及されても困る。だって、まだ自分の気持ちがよく分からない。

智光に会いたいけど、会いたくない。

ここ数日、由子はその気持ちをずっとループしている。

そして、智光はあれから、まだ訪ねて来ていない。




その日の会社からの帰り道、自宅の最寄り駅を出ると、彼女は考え事をしながら歩いていた。

やっぱり、この間私が変な態度とったから、もう来てくれないかもしれないな…。

嫌われちゃってたら、どうしよう…!会いに行って、謝ったほうがいいかな?!

うつむきながら歩いていた由子は、わき道から出てきた人物に気が付かず、その人物とぶつかってしまう。

「…っ!」

「あっごめんなさい!」

ぶつかってしまった人を見ると、女の子が転んで地面に腰をついてしまっていた。

そこは以前、智光と出会った場所だった。

女の子は街灯に照らされ、転んだ痛みでか目は潤み、カーディガンと可愛らしいワンピースを着ていて、とても可憐な子だった。

「いえ…こちらこそすみませ…」

その人物は謝りながら由子を見ると、目を見開いて固まってしまった。

「…?」

その顔に由子は何か引っかかるものを感じたが、それどころではなかった。

「あ、あの!大丈夫ですか?」

「…え、あ。はい。だいじょ…」

女の子が立とうとすると、一瞬顔を歪めた。

「もしかして!足くじいちゃいました?」

「はい…みたいです。慣れないヒールのあるサンダルなんか履いたからですね」

女の子は困ったように微笑む。

「本当にごめんなさい!お家、この近くですか?」

「え?」

「肩を貸すぐらいしか出来ませんけど、お家まで送ります」

「え!?大丈夫です。家はすぐそこですし!」

「すぐ近くですか?じゃ早く行きましょ!手当もしないとだし」

焦って断る女の子を無視して、由子は女の子の腕を肩にかけ、立ち上がらせた。

「ちょっとお家まで我慢してくださいね。さ、お家はどっちですか?」

「……あの交差点を曲がってすぐです」

「え?私もそっちなんですよ…」

なんだか懐かしいやりとりに由子は引っかかるもゆっくりと歩き出した。




「あの…ここです」

二人でゆっくり進み、交差点を曲がると、女の子がそう言いながら視線を向けた建物は、智光の住むアパートだった。

「え…?ここ?」

「はい、ここの3階です」

「3階…」

「あの階段なんです、すみません」

「ううん…気にしないで」

和泉君と同じ…。

そんな偶然あるわけないと、心の中で否定しながら由子は階段を上り始めた。




変な焦りを感じながら階段を上りきり、部屋の前で女の子が足を止めた。

「…ここで大丈夫です。」

女の子は少々うつ向きながら小さな声で言う。

覚えのある場所に戸惑いつつ、由子は部屋のネームプレートを確認する。

すると、そこにはやっぱり「和泉」と書かれていた。

「…!…」

不思議な数々の偶然に、由子は頭が真っ白になり、ショックで返事をする事が出来なかった。

この女の子は和泉君の知り合い!?まさか、彼女…。

「…お家には誰か一緒に住んでたりするのかな…」

由子は無意識に聞いてしまっていた。

「え?…あ!兄が…」

「…え?お兄さん?」

「はい、双子の兄がここで一人暮らししてます。私は夏休みになったので、今は遊びに来てるんです…」

「じゃあ、あなたは和泉君の妹さん?」

覗き込んで、通路の蛍光灯の下で女の子顔をよく見れば、智光にそっくりだった。

途端に、感じていた焦りが自分の中から一気に引いていくのを由子は感じた。

「あ…兄を知ってるんですか?」

「うん、あなたと似たようなきっかけで知り合ったの、ふふ」

由子はもうなんだか、笑ってしまう。

「あの、もしかして、渋沢さんですか?」

「はい、渋沢です」

「お…お話しはちょっと訊いてます。その節は兄がお世話になりましたっ。

兄妹で…渋沢さんにお世話になってしまって。本当にありがとうございます」

「ううん、困った時はお互い様だから」

「いえ!…今度このお礼はさせてください。兄ももうすぐ帰って来ますし、もうここまで来れば大丈夫です。ありがとうございます」

女の子は由子から離れると玄関のドアに寄りかかってお辞儀をした。

「そう?じゃ和泉君に手当してもらってね」

「はい…」

「あ!あなたも和泉さんだよね?お名前聞いてもいいかな?」

「あ、和泉…トモ、ミっていいます!」

「トモミちゃんね。私は渋沢由子。よろしくね」

由子はにっこりトモミに微笑んだ。

「はい…」

それにつられてか、トモミの顔も少し綻ぶ。

「あ、トモミちゃん、すごく可愛いから暗くなってきたらあまり外出ちゃダメだよ?」

「いえ、私なんて…」

「ううん、すっごく可愛い。私は好きだなぁ…」

「え?」

「あ!ごめんなさい、いきなり言われても困るよね!変な意味にとらないでね。えーと…」

由子があたふたしていると、トモミはクスクス笑いだした。

「ふふ、誉めて頂いてるんですよね?ありがとうございます。すごく嬉しいです」

「良かった。あ!足痛いよね、じゃ私はそろそろ失礼します」

「はい、ありがとうございました!」

由子は会釈すると、平静を装いつつも慌てて階段をおりた。




「はぁ…」

そのまま、すぐに部屋へ戻った由子はやっと肩の力が抜ける。

「妹さんかぁ…。びっくりした。あんな可愛い子が彼女なのかと思っちゃったよ…」

由子は部屋を進みベッドへ腰を下ろす。

「よかった…」

え…?よかった…??

由子は不意に出た自分の呟きに自分で驚いた。

もしかして、あんなに焦ったりして、私、和泉君の事…好きになっちゃったのかな…!?まだあんまりお話できてないのに。…もうよくわからない。

「あんなに可愛すぎるのがいけないんだよ…。兄妹そろって、可愛さが私の好み、どストライクなんだもん!」

由子は不貞腐れるように、布団にもぐりこんだ。





それから数日後の週末。

「ふぁ…」

仕事が休みの由子はちょっと遅起きだった。

食料の調達に行くため、彼女が身仕度をしているとインターホンが鳴った。

ピンポーン

慌ててディスプレイを見ると、なんとこの間会った「トモミ」が映っていた。



「はーい!」

ドアを開けると、またもや可愛らしいワンピースのトモミが立っていた。

智光のかわりに、彼の作った料理を届けにきたと言うトモミに、上の部屋まであがってきてもらった。

「こ、こんにちは、いきなりすみません。これ切り干し大根の煮物です」

「いつももらってばっかりでいいのかなぁ。ありがとう、すごく嬉しい」

「いいんです、料理は…兄の趣味なので、食べてくれる人がいて、楽しいんです。

だから気にしないで下さい。それに、自分も何か渋沢さんにこの間のお礼したいです」

「え?いいよ!ぶつかっちゃった私のせいでもあるし、ね?」

「いいえ!お役に立ちたいんです。何か…」

考えようとしたトモミの目に、玄関を開け放してる部屋の中の惨状が映った。

「…!渋沢さん、失礼ですがお掃除苦手なんですか?」

「え!?見られちゃった?!うん…恥ずかしながら、家事や掃除は壊滅的に不向きみたいで…。時々、友達が片付けに来てくれたりするんだけどね」

「じゃあ、私に掃除させてください!」

「え!?だって凄い事になってるし、悪いよ」

「渋沢さんは今日ご予定あるんですか?」

「今日はとくにないけど?」

「わかりました。じゃあ今から失礼します!おじゃまします」

「えぇ!トモミちゃん!」

少々強引にトモミが部屋へあがると、由子も慌てて彼女に続いて部屋の中へ戻った。

「渋沢さんはくつろいでてください。端から片付けていきますから」

そう言って部屋を観察するトモミの瞳はうきうきと輝いていた。

それを間近で見てしまった由子は、止めることが出来なくなり、大人しく言うことを聞くことにする。

「はい…」




「トモミちゃんすごい…」

綺麗に片付いたリビングで、由子はもらったゼリーを食べながら呟いた。

「何か言いました?」

テーブルの向かいに座って一緒にゼリーを食べるトモミににっこり微笑まれる。

「あのね、トモミちゃんスゴイなって。友達も掃除に来てくれるけど、こんな短時間でここまで綺麗にはできなかったよ?」

「そんなことないですよ」

トモミは照れたようにまた微笑む。

だが、そんなことはあるのだ。

このリビングなどは一番酷く、もう足の踏み場も無いほど、ゴミや服や物が散乱し、由子もここ数ヶ月はリビングを使った覚えがないほどだった。

それが今や、入居した時のように綺麗になっていた。

といっても、すでに日は暮れてしまっていたが、惨状が惨状なだけに、一日でここまで片付くのは奇跡に近い。しかも、途中現状が悪化したにも関わらずにだ。

だから、由子は余計に驚いていた。




数時間前。

初めは楽しそうにせかせか動くトモミが可愛くて、観察するため由子はトモミの近くをうろちょろしていた。

それを見かねたトモミにとても簡単な手伝いを頼まれた。

手伝いを頼まれたことが嬉しくて、由子は己の危険さも忘れ、それを受けてしまったのだった。

天性の家事不向きな彼女は、誰しもそこからは起こることなど想像もできない事故をおこす能力がある。

一回目はトモミの機転により、事故を防げたが十分ヒヤリとする状況だった。

しかし、事情を知らないトモミは驚きながらも、嬉しそうに自分にくっついて回る由子が可愛くて、ついまた手伝いを頼んでしまう。

由子もなんだかもうトモミが可愛すぎるのと、久々にお手伝いを頼まれる嬉しさから、自分の悪い癖などすっかりどこかへいってしまっていた。

そして由子が手伝いを始めた次の瞬間、事故は起こってしまう。

今回は、運が良いことに近隣住民の迷惑にならなかったが、連鎖的に起きた事故は本当にヒヤリとするものだった。ちなみに掃除は一から、いやマイナス百ぐらいからのやり直しになった。

それで、やっとおかしい事にトモミは気づいた。

「渋沢さん!すみません、もう何もしないで大丈夫ですから…」

ガーーーーーン!!

浮かれてた由子は、トモミの言葉にショックを受け泣き出した。

そして彼女は、なぜか切り干し大根のタッパを持って部屋の隅へ移動すると、べそをかきながらタッパの中身を食べだした。

「…ぐすっ…むしゃむしゃむしゃ…ぐすっ…」

「渋沢さん、ごめんなさい。キツイ事言ちゃいました…」

トモミは慌てて、由子に近寄ると謝る。

「ううん…、ごめんね。私がいけないの…ごめんね、ごめんね…」

ごめんね、を繰り返しながら、由子はまた涙を流した。

「もう、謝らないでください。大丈夫ですから、ね?あ、そうだ家に作ったゼリーがあります。片づけ終ったら、一緒に食べましょ?ね?」

「ゼリー?」

「はい」

トモミは頷くとにっこり微笑む。

「わかった、大人しく待ってる…」




それから、トモミが一人で動きまくり、もうすっかり夜になってしまったが、驚く早さで片づけて掃除をし、現在に至る。

「ううん!すごいよ。スペシャリストみたいだよ?私とは正反対だね…」

「あの渋沢さん…、今日あったことって、いつもなんですか?」

「うん…。昔から私、家事をしようとすると、毎回起こることは違うけど、あんな感じの事になっちゃうの」

「そうだったんですか…」

「ごめんなさい。親にも友達にも、部屋がどんなに汚くなっても家事掃除はするなって言われてたのに…。トモミちゃんがすごく楽しそうにやってるから、一緒にやりたくなっちゃって…」

「そうだったんですか…、ごめんなさい」

「ううん、トモミちゃんは悪くないよ。それにトモミちゃんは優しいね…」

「え?」

「私がこんな馬鹿しても怒らないし、落ち込んでいじけちゃっても優しかったし…。こんな私の為に本当に色々ありがとう…。もうお礼にお礼しないとだよ」

「……」

トモミは急に持っていたスプーンを置いて黙ってしまう。

「トモミちゃん?」

「あの…、お願いがあります」

「え?なに?トモミちゃんのお願いなら聞くよ!」

「…私に、渋沢さんのお部屋の家事をさせて頂けませんか…!」

「え?」

「家事大好きなんです…。それに渋沢さんのこと、もう放っておけないし、もっと一緒にもいたいって思うんです」

「私も、トモミちゃんともっと一緒にいたいな…でも…」

「夏休みの間だけでもいいんです!お願いします」

見つめてくるトモミの瞳はとても真剣で必死だった。

「じゃあ、お願いしちゃおうかな…」

「ありがとうございます!!」

トモミは深々と頭を下げる。

「じゃあ、私のことは由子って呼んでほしいな。名字だと堅くて」

「わ、わかりました。では由子さん…、とお呼びしますね」

「うん!私なんか、もうトモミちゃんって呼んじゃってるしね」

「……」

「どうしたの?トモミちゃん」

急に黙ったトモミを見ると、彼女は頬を赤くして、嬉しそうに微笑んでいた。

「いえっ、あの、もっと仲良くなれたみたいで…嬉しくて」

「そんなに、私なんかと仲良くなれて嬉しいの?」

「はい!すごく」

「可愛いなぁトモミちゃんは」

「…由子さんの方が可愛すぎです…」

「え?何か言った?」

「いえ!」

「もう、可愛すぎて、ぎゅっ、ってしたくなる」

「ゆ、由子さん!」

「だめ?」

「…!」




その後、夜も遅いため、トモミは家へ帰る時間になってしまった。

「今日は本当にありがとう!

切り干し大根もお兄さんにすごく美味しかったって伝えてもらえないかな?あ!あと、ゼリーも食べちゃってごめんなさいって言っておいてもらえるかな?」

「いえ、ゼリーなんかいいんですよ。こちらこそ無理にお邪魔してしまってすみませんでした」

玄関で靴を履いたトモミはまた深々と頭を下げた。

「ううん、ありがとう。これからこの部屋の清潔はトモミちゃんにかかってるから。よろしくね!」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

由子がおどけてみせると、トモミは嬉しそうに微笑んだ。






それから相談の結果、トモミは毎週末に掃除に来るようになった。

それ以外にも平日の夕方には、智光にかわってトモミが料理を持って来るようになった。どうやら智光はバイトで忙しいらしい。

そのため、気が付けば2ヶ月ちかく智光に会っていなかったが、なぜだか由子はそれが気にならないでいた。

今では週末、トモミは由子の家に来ると溜まった洗濯や掃除をし、手伝い禁止の由子は、楽しそうに仕事をするトモミをこっそり観察し、終われば部屋で過ごしたり、そのまま一緒に出掛けたり、という日々を送っていた。

そして週末の今日もトモミが由子の部屋へ来て、テキパキと家事をこなした後、二人は部屋で一緒にお茶を飲んでいた。

「トモちゃん、いつもありがとう。こんなに長くお部屋が綺麗だった事ないよ」

すっかり打ち解けた二人は、名前の呼び方もかわっていた。

「それは良かったです。家事好きなので、やらせてもらえるだけで嬉しいです」

「もぅ、トモちゃん可愛いし、家事とか出来るし、すごくいいお嫁さんになれるね!」

「…」

「あ!でも、トモちゃんがお嫁に行っちゃったら、もう私のところにはこれないね…あはは」

「…」

「あ、そうだ!和泉君は元気かな?夏バテとかしちゃってないかな?」

「あ…、はい、兄は元気です。やっぱりバイトが忙しいみたいで…」

「そっかぁ」

「……」

「トモちゃん?」

するとトモミはうつ向き、険しい表情をしていた。

「…自分ももっと由子さんと一緒にいたいです…。でも、夏休み…もうすぐ終わっちゃう」

「トモちゃん…」

9月も後半になり、そのためかトモミは近頃元気がなく、その後も表情はどこか沈んだままだった。






「由子、あんたやっぱり、好きな人でもできたんじゃないの?」

「えぇ?…そ、そんなことないよ!」

いつもの会社でのお昼休み。由子は突然、享子に問いつめられていた。

そして、好きな人の言葉で、一瞬由子の頭に浮かんだのは智光とトモミの二人だった。

「だって、前に私があんたの部屋掃除に行ってから、もう半年以上経ってるけど、何も頼まれないし…」

「あ!それは…。や、休みにお母さんが来てくれたんだよ!」

「あぁ、そうなの?」

享子は納得したようで、食事を再開したので由子は胸をなでおろす。

やっぱりキョーちゃんには言えないよ…。私、なんか変なんだもん…。

和泉君とトモちゃん、二人の事を想うとおんなじ風にドキドキするの。なんでなんだろう…。

最近由子は二人の別の人物に同じ感情を抱きはじめていた。

あんなに会いたいと思っていた智光に夏の間はほとんど会えていないのに、全く寂しくなっていないのだ。

それも、とてもそっくりなトモミに毎週会えているから平気でいられるような気がしているのだ。

トモミと智光は、声もしゃべり方もしぐさなどほとんど同じ、違うのは見た目だけだ。

トモミはとっても可愛いし、ずっと見ていたい。

しかし、ときたま一瞬見せるトモミの表情にドキッとときめいてしまうことがある。これは、智光に会った時と同じ感じがするのだ。

そのため、由子はトモミと一緒にいると、トモミと智光に同時に会っているような錯覚に陥ることもしばしばあった。

やっぱり双子だからかな…?






この日、自分の部屋へ帰宅した智光はある決心をしていた。

もう、解禁するしかない…。

智光は台所へ向かい、冷蔵庫を確認すると、すぐに作るものを決めた。

彼は狭い台所で調理に取りかかる。

しかし、いつもの手早さは無く、じっくりゆっくりとした動きだった。

彼はあるものを封じる為、料理するときはある程度スピードをつけて手を抜いていた。

それでも非常に美味な家庭料理ができあがるのだが…。

そうしないといけない理由が彼にはあった…。




智光は小さい頃から料理が好きで、基本的な事は母に教わったが、あとは自己流だ。

そして、中学生になったころ、事件は起こった。

母の誕生日に心を込めて料理を作った。

それを食べた家族は美味しいと大変喜んでくれた。

だが…その翌日から、家族に禁断症状が表れだしたのだ。

家族が目の色を変えて、智光の作った料理を食べたいと言い、母や父までがすがってきたのだ。

その姿は普通ではなかった。

その上、智光の料理以外の食べ物を食べようとしなくなってしまったのだ。

智光は学校へ通いながら、朝食と父には弁当、母には作りおきの昼食、帰宅後に夕食を作る生活を半年続けた。

さすがに体力の限界が来た智光が、珍しく少し失敗してしまった料理を偶然食べた母がもとに戻ったことで一時的に解決出来た。

それでも料理をやめる事は出来なかった智光は力の入れ具合を模索し、今では感覚で、ある程度手を抜けば誰が食べても大丈夫な料理が作れるようになり、力を調節できるようになった。これには大変苦労した。

その為智光は、この料理の力を封印していた。さらに、危険なため自分の作った料理は家族以外には食べさせないようにしてきた。

しかし、ある日突然出会ったとても優しい人。その人に、また会いたくて、事件以来、初めて家族以外に料理を作った。

その人はやっぱり、とっても優しかった。智光の危険かもしれない料理を知らずとはいえ、とても喜んでくれた。それが嬉しくて、嬉しくて…。

もう夢中だった。その人の為だったら、自分に出来ることなんでもしたい。

でも、あの人に近づきすぎて、もう前の距離感では耐えられそうにないってわかる。

本当の事なんてとても言えない、そうしたら会うことさえできなくなってしまうだろう。

もう、あの人のそばにいるためには…。

追い詰められた智光は最後の手段を使うことにしたのだった。






次の週末。いつものようにトモミが家に遊びに来る。

「はーい」

インターホンでドアを開けた由子を見て、なぜかトモミは驚いた顔をした。

「…!?」

「こんにちは。…?トモちゃんどうしたの?」

「…いえ。こんにちは。お邪魔します」

部屋に入るとトモミはいつものようにすぐに片付けを始めず、由子に続いてリビングへついてきた。

「あれ?トモちゃんどうしたの?」

「…あの!由子さん、昨日差し上げたロールキャベツとかは、食べてもらえましたか?誰かにあげたりしてないですよね?」

「え?うん、すぐに全部食べちゃったよ?」

「え…?じゃあ…これも食べてください!」

トモミは少々考え込んでから、手提げからタッパを出した。容器に入っているのは筑前煮だ。

「う、うん。いいの?ありがとう!お腹すいてたんだぁ」

「用意しますね!」

トモミはキッチンで筑前煮を少しだけ皿にのせて、それを手にリビングに戻る。

皿を由子の前に置くと、その小さなテーブルを挟んで彼女の向かいに座った。

「はい、どうぞ…」

「うわぁ、やっぱり美味しそう!私、煮物好き!いただきます!」

「…どうですか?」

「むぐ、うん!すっごく美味しいよ」

「なんか変な気分になったりしませんか…?」

「それと、昨日のロールキャベツ食べてから、何か食べたりしましたか?」

「えーっと…、夜にお菓子食べちゃった。太るってわかってるんだけどね。えへへ」

なんで…効果がない…!?

「……」

「どうしたの?トモちゃん」

急に黙り込むトモミを見つめ、由子は首をかしげた。

「あの、夏休みが終わっちゃうので、もう実家に帰らないといけなくて…」

「そっか…そうだよね。トモちゃんは学校が始まるもんね。寂しいな…」

ふとトモミが由子を見ると、彼女の目は赤くなり、今にも涙がこぼれそうだった。

「由子さん?」

「あれ、おかしいな…。どうしたんだろう、急に」

「由子さん、泣かないでください…」

「やっぱり…ヤダよ。会えなくなるなんて、ヤダよ」

「由子さん…」

目の前で泣き出す由子を見て、トモミはとてつもない衝撃を受けた。

自分は何をやってるんだ…。自分の嘘をつき続けるために、この人を泣かせて…!自己満足のためにこの人にヒドイことをしようとまでして…!

トモミは由子の隣へ移動して、床で土下座をした。

「由子さん、ごめんなさい!僕、嘘ついてるんです!」

「…ウソ?」

トモミは顔を上げると、肩まである髪を頭から外した。それはカツラだった。

由子は目を丸くしながら、涙を拭ってトモミをじっと見ると、恐る恐る名前を呼んだ。

「和泉君?」

「はい…。そうです。僕、ホントは双子の妹なんかいないんです。

この女装は、誰にも言えない僕の趣味で…。でも、夜に散歩していたら由子さんに偶然会ってしまって。恥ずかしくて、つい嘘をついてしまいました。本当にすみません!」

智光はまた深く頭を下げた。

「なんだ…そっかぁ!!」

「え?」

智光は由子の声に顔を上げた。

「トモちゃんと和泉君の行動とかがそっくりすぎて、双子だからそういうものなのかなって思うようにしてたんだけど、どうしても別々の人だって思えなかったから…。そうだったんだね」

由子は彼のそばに寄ると、かつらを智光にかぶせて髪を整えると、顔をじっと見て呟く。

「むぅ、やっぱり可愛いなぁ」

「あの…怒らないんですか?」

「なんで?嘘ついちゃった理由もわかるし、トモちゃんの格好してる和泉君は絶対誰が見ても可愛いからそれでもいいと思うし」

「でも!男なの隠して部屋に上がったりしてるし…」

「それも、トモちゃんが家事を本当に好きなのは見てて知ってるからいいの」

「由子さん…、でも僕、もう一つ謝らないといけないことがあるんです」

「なにかな?」

由子はまっすぐ智光を見つめると、優しく微笑んだ。

「僕にはまだ秘密があって。実は僕、本気で料理を作ると、なぜか禁断症状を発症する料理が出来上がっちゃう癖があるんです」

「禁断症状?」

「はい、それを食べると僕の料理しか受けつけられなくなるんです」

「スゴイ…それは、とんでもなく美味しいんだろうね」

「すみません…。由子さんにも食べてもらいました…」

「え!?」

「この前のロールキャベツと…さっきの筑前煮です」

「そっか!だから、今までの中で一番美味しかったんだぁ。ん?でも私、他にお菓子とかも食べたよ?」

「そうなんです。由子さんには禁断症状が出ないみたいなんです…。でもそれで本当に良かった」

「そっか。…でも、どうしてそれを私に?」

智光は意を決して、由子の目をみつめた。

「智光で、由子さんの近くにいたかったからなんです…。

トモミと智光では距離感が違います。だから智光でもそばにいられるように禁断症状を…、ごめんなさい!」

「え…?どういう…」

「由子さんが好きなんです」

「…!」

突然の告白に由子は声が出なかった。

「もう出会ったときから、好きになってたんだと思います。

だから、毎日由子さんのご飯を作ったり、お部屋を掃除したりしていきたい。そして、もうずっと一緒にいたいです…」

「なんか、プロポーズみたい…」

由子は嬉しさがこみ上げ、涙を流しながらやっと言った。

「そうとってもらってかまいません。でも、こんなおかしな僕じゃ、一緒にいるのは無理ですよね…」

由子はふるふると頭を横に振った。

「そんなことない!私の方がよっぽど変だし…お互い様だよ」

「え…」

「和泉君も、トモちゃんしてる和泉君もどっちも、大好きなんだ私。私も、もっと一緒にいたい…」

「本当ですか!?じゃあお付き合いしてもらえますか?」

「うん!」

「ありがとうございます!良かった…!」

「ねぇ、トモちゃんが和泉君なら、また毎週会えるでしょ?」

「はい!あ、でも、僕次の週末は一回実家に帰らないとなんです」

「え?会えなくなるの…?」

「学校がすぐ始まるので、1日、2日ぐらいで戻ってきます。でも、良ければ由子さんも一緒に行きませんか?」

「え!?」

「僕の癖をずっと心配してきてる親に、由子さんのこと紹介したいんです」

「そっか!でも…急にお邪魔していいのかな?それに私…年上だし、お手伝いできないし…」

「大丈夫ですよ。それに、僕の両親なら絶対大喜びしますよ?」

智光は優しく微笑む。

「うん…わかった。私も和泉君のご両親に会ってみたいな」

「ありがとうございます!」

智光の嬉しそうな顔を見ると、由子も自然と表情を綻ばせる。すると一気に体の緊張が解けた気がした。

なんだか、今からわくわくしてきたな、和泉君のご両親でどんな方なんだろう…?

「あの…由子さん」

「ん?」

「僕の事、ちゃんと名前で呼んでもらえませんか?」

「うん!わかった、じゃあ智光君?」

「…はい」

「?」

なんだか急に智光が目を合わせてくれなくなったので、由子が首をかしげていると、彼は小さく深呼吸してから視線を合わせてきた。

「あの…、抱きしめてもいいですか?」

「え?」

「今はこんな格好してますけど、僕だって男なんです。ずっと我慢してたんです。…嫌ですか?」

由子は智光の言葉に心臓が跳ね上がった、可愛い格好の彼氏だが男性ということを忘れてはいけない。

「う…うん。いいよ」

すると智光が近づいてきて、ギュッと抱きしめられた。

「……」

「…あの、智光君?まだなのかな…?」

抱きしめたまま、しばらく無言になった智光に、由子は恥ずかしさに耐えられず話しかける。

すると、智光がやっと腕を緩めたので、由子が彼の顔を覗き込むと、彼は目も鼻も真っ赤にして、泣くのを堪えていた。

「どうしたの?智光君」

「なんだか、嬉しくて…」

智光は涙を拭いながら、微笑んだ。

もう!可愛すぎるんだから…!!

「そっか、じゃあお姉さんの胸で泣いていいよ?」

今度は逆に由子が智光を抱きしめる。

「ありがとうございます。ん?なんだか…やわらかいですね」

智光は由子の胸の感触に驚いて触りだす。

「やっ!もう…やめて」

「由子さん……?」

「え?…智光君、どうしたの?」

「今の声と表情、すっごく可愛かったです…」

智光はとてもキラキラした瞳で由子をみつめる。

「え?」

「もっと触ってもいいですか?あの表情もっとしてください」

「え!」

そう言いながら、由子の着ているチュニックもキャミソールも捲り上げて、その中に手を入れてくる。

「…や!だめ!…やめて…」

ブラ越しに胸を触られて、由子は自分でもびっくりする声が出てしまう。

「すごい…!とっても可愛いですよ」

手を動かしながらも、智光は由子から目を離さず、感嘆の声を上げる。

すると、智光は次に由子の背中に両腕をまわすと素早くホックを外してしまう。

「うそ!ダメダメダメ!」

由子は急に胸の締め付けがなくなったことにびっくりして、智光の腕をつかんだ。

「すみません…嫌ですか?」

「だって、恥ずかしいし…」

顔を真っ赤にしながら答える由子の頬に、智光は触れるだけのキスをした。

そうすると、由子はもっと赤くなる。

「可愛い由子さんをもっと見たいんです、ダメですか?」

もう、そんな風に、可愛く見つめられておねだりされたら、ダメなんて言えないよ…。






智光君て、童顔な見た目に反してかなりえっちなんだから…。

付き合うことになった日は、結局智光に色々好き放大に触られてしまい、可愛いをずっと囁かれながら、恥ずかしいことをいっぱいされてしまった由子。

しかし、そんな興奮してる智光も可愛くて、でもやっぱり男の人なんだなと思い出すたびに顔が熱くなるのだった。

今日、寝不足のなかやっと仕事を終え、ヘトヘトになりながら由子は帰宅した。

すると部屋についた途端、携帯が鳴った。

「もしもし?あ、お母さん?」

それは母からの電話だった。出るなり、すぐに夏に帰らなかった事についての小言を言われ始めて、出なきゃよかったと少し後悔する。

『あんた、部屋は大丈夫なの?またごみ溜めみたいになってるんじゃないの?足の踏み場はある?でもだからって家事をやろうとしちゃ駄目よ。事故になりかねないんだから』

母にいつものごとくまくし立てられるが、今はそれに腹立つことはなかった。

「そう!ここ数ヶ月、部屋ずっと綺麗なの!あとで写メ送ってあげるね!」

『え!?どうして?』

「あのね…、年下なんだけど、彼氏が出来て」

『あら』

「その彼氏が料理とか掃除とか家事が大好きで、私の身の回りの家事をやらせて欲しいって頼み込んできて。それから、ずっと私の料理を作っていきたいし、ずっと一緒にいたいって言ってくれたんだけど…」

『あらあら!それプロポーズみたいじゃないの?』

「うん…」

『ホント?…良かったわね』

「え?」

『あんたは家事がまったく出来ないから、お母さん心配してたのよ。なかなか結婚できないんじゃないかって…。まったく誰に似たのかしら?』

母の笑いを含んだ話し方に、由子も笑みがこぼれた。

「もう。お母さんは料理得意なのにね」

『で、彼氏はどんな人なの?』

「あの…びっくりしないでね?20歳の大学生の男の子なの」

『……』

少しの沈黙があった。

「でもすっごく真面目ないい子なんだよ!」

『まぁ、そのくらいの年齢差なら問題ないでしょ。あんたは相手選んでる場合じゃないしね。あんたが好きな人なら私はそれでいいと思うけど』

反対されると思っていた由子は肩を撫で下ろした。

『でも、すぐに結婚は難しいわよ?』

「うん。それはわかってるから大丈夫だよ」

『そう、でもよかったわね』

「うん!」

由子は通話を終えるといつのまにか腰かけていたベッドに倒れこむ。

「はぁ…とりあえず良かったぁ。そうだ、智光君に電話しよう!」

思い付いた由子は勢いよく起き上がると携帯を操作した。

今までは住んでいるところが近すぎて、アドレス交換をしていなかったのだが、付き合いだした日にやっと交換をしたのだ。

由子が通話ボタンを押そうとした時、部屋にインターホンの音が響く。

ピンポン

「あ、智光君かな?はーい!」

「由子さん!」

由子は玄関に急ぎ、ドアを開けるといきなり抱きしめられた。

「わ!どうしたの?智光君」

「さっき、親へ電話しました。そしたら、すごく喜んでくれました!予定通り、次の週末一緒に行ってもらえますか?」

智光の腕の拘束がゆるむと、彼は嬉しそうに一気に話してくる。

「うん!良かった…。

あのね、私も今さっきお母さんと電話してたんだけど。智光君のこと話したら、お母さん喜んでたよ?」

「ホント?良かった…」

「早く由子さんと一緒に生活したいです」

「…うん」

由子は頬を染めて恥ずかしそうに、小さく頷いた。

「そうしたら、毎日由子さんのあの可愛い表情が見れますね?」

「え…!」

由子は目を丸くして、真っ赤になった。






のん気な二人だったが、それからはあっという間だった。

由子は智光の実家に行き、両親に会った。

両親は智光から、由子は本気料理に禁断症状がでない人と聞いていたらしく、由子が両親に会うなり泣かれてしまった。どうやら感激したらしい。

さらに、智光の女装も可愛くて好きだと告げると、特に智光の母親は、幼いころから女装させていたことをよほど後悔していたらしく、ありがとうと何度も繰り返していた。

そして、母親とは幼い頃の智光の女装写真で盛り上がってしまい、由子は智光の両親に大変気に入られたのだった。

さらにその後、以前の母との電話がきっかけで、由子の両親も智光に会いたいと言ってきたため、次の休みには由子の実家へも二人で行く。

由子の両親は智光の悪い癖にはまったく驚かず、『うちの子も変わってるけど、世の中にはいろんな人がいるんだな』とむしろ関心していた。

由子母親などは、智光と料理の話で盛り上がり、すぐに意気投合する始末。

さらに、若いのに真面目で礼儀正しい智光は、両親にすぐに気に入られてしまった。

そしてさらにその後、変わった子供をもつ親同士でも会ってみたいという話しが両方の親から出てくる。

由子も智光もその展開には驚いたが、なんとか場を設けることにした。心配だったお互いの予定もうまく合い、想像以上に早くそれも実現してしまう。

対面した親同士はすぐに子供の話しで意気投合した。

「由子さんの癖は女の子にはツライわね、うちの息子で良ければどんどんやらせていいのよ?好きなんだから」

「でも、息子さん学校もあるのに、大変になってしまいません?」

「そうだねぇ、いくらそばに住んでいても通うのは大変だろうな」

「じゃあ、もういっそのこと…」

それからはもう、お互い不肖の娘、息子ですが…、という感じでどんどん話が進む。

冬が訪れる頃には、一番合理的として、もう書類上結婚となり一緒に暮らしはじめていた。




というわけで、智光が大学を卒業するまでは、とりあえず由子が住んでいた部屋で一緒に暮らすことになっていた。

「今日の晩御飯はなにかなぁ…?」

相変わらず、ご飯の事ばかり考えながら、エレベーターを降り、由子はいそいそと部屋へ向かう。今や表札が『和泉』となっている、玄関のドアを由子は開けた。

「ただいまぁ、んーいいにおい!」

仕事から帰宅した由子はそのままキッチンへ向かう。

「お帰りなさい」

今日の智光はワンピースにエプロンのトモミの姿でキッチンに立っていた。

「もうすぐ出来ますから待ってて下さいね?それとも、お風呂入っちゃいます?」

「わぁ…新妻みたい」

「えへへ、このやりとり、やっぱりまだ恥ずかしいですね」

うっすらと頬を赤く染め、恥ずかしそうにする智光は最高に可愛いくて、気が付けば由子は智光をぎゅうっと抱きしめていた。

「もう、ミツ君は可愛いなぁ〜」

「由子さん…」

「え…!?…やんっ」

抱きしめていた智光にいつのまにか胸を触られ、由子は声を出してしまう。

「…ミツ君?」

「あのですね。由子さんに抱きつかれると、胸が当たって我慢できなくなっちゃうって何回も言ってるじゃないですか」

「何回もひどい目にあってるの忘れちゃったんですか?」

智光は苦笑しながら、腕が解かれたので少しだけ由子と身体を離す。

「うぅ…ごめんなさい」

「僕は嬉しいのでいいんですけどね。でも今回は我慢します」

「ホント?」

「本当です。でも、由子さんの可愛い表情を、毎日見たいことには変わりないので、ご飯のあと覚悟してくださいね!」

智光は楽しそうににっこりほほ笑むと食事の準備をはじめる。

「あと…今日はお風呂も一緒に入りたいです」

手を止めた智光は、少し赤くなりながら可愛いお願いをしてくる。

「え!…恥ずかしいよ」

「ダメ、ですか?」

そう言って、少し悲しそうに智光は由子をみつめてきた。

もう、可愛すぎ…!

だから、なんでもお願いを聞いてあげたくなっちゃって困る…。

それに、本人はそんなことまったく気づいてなくて。ワザとじゃないから余計に憎めないのよね…。

「わかった、いいよ…」

「本当ですか!?」

智光は嬉しそうに笑顔で、由子に近づいてくる。

「ありがとうございます」

そう言って、智光は由子に触れるだけのキスをした。

もう、可愛すぎて困る……。







おわり

読んで頂きありがとうございます!

この話は、次に秋路視点で続きますので、良かったらそちらもよろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
[一言] 困ってます。を全部読みました。 私は、可愛すぎてが一番面白かったです。 これからも頑張ってください。
[一言] 可愛いお話ありがとうございました。 破れ鍋に綴じ蓋 ぴったりな二人ににやにやする程ww しかし、せっかく魅力的な同僚の二人がめっちゃちょい役で。鮎川秋路に至っては出て来た意味が無い程ヤツには…
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