第一章 世界が交わった時 Ⅰ
ふわふわとした感覚が悠生の全身を包む。
それはとても気持ち良くて、いつまでもその感覚を味わっていたいと思えるようなものだ。しかし、ずっとその感覚を味わっていることが出来ないと分かるような感覚でもある。
「……ん――」
吐息が自然とこぼれる悠生は、やわらかい感触のベッドに横になっている。その感触が悠生の感覚を誘導しているようだ。
ふと目を開けると、悠生がいたのは白を基調とした部屋の中だった。
「眠ってたのか……」
意識がまだはっきりしない悠生は、虚ろな目で部屋を見渡す。すると、その部屋が見慣れた高校の保健室だと気付く。
(あれ、なんで俺、保健室なんかに――)
状況が理解できない悠生は、記憶を辿ろうと思考を巡らせたところで、鈍い頭痛を感じた。
「……っ!」
不意に感じた頭痛を抑えようとするように左手で頭を押さえる。そこに、
「大丈夫か?」
悠生を心配するような声が聞こえてきた。
「……? 拓矢……それに葵も……」
声をかけてきたのは、クラスメートである『吉田拓矢』だった。その隣には、同じくクラスメートの『飯山葵』もいる。
「どうしたんだ、俺?」
「覚えてないのか!?」
悠生の発した言葉に、拓矢は驚いたような声を上げた。
「? あ、あぁ……」
「授業中に急に倒れたんだよ、お前……!」
「……倒れた……?」
少しずつ覚醒していく脳で、悠生は拓矢の言った内容を理解する。しかし、自分が倒れた、ということには疑問を覚えた。
(俺が、倒れた……?)
「全くびっくりさせやがって。先生は貧血だろうって言ってたけど」
「ほんとだよ~。すっごい心配したんだからねっ」
拓矢と葵は、それぞれ悠生の身を案じてくる。そのことに悠生は感謝しながらも、目が覚めたら保健室で横になっていたという状況を必死に整理しようとする。
(おかしい……よな――。体調が悪くて、昼には早退したんだし……)
保健室の壁にかけられている時計をみると、針は夕方になろうとする四時過ぎを指している。
(四時……っ!? 俺が家で寝ようとした時間と――)
悠生は体調不良で授業を午前だけ受けて早退したことと家に帰ったら早めにベッドに横になったことをはっきりと覚えていた。その時間が記憶の中では、四時だったのだ。
(これはどういう――)
自らの記憶と現実が一致しないことに、悠生は困惑した。
「どうした?」
そこに、悠生の様子がまだおかしいと感じた拓矢が心配そうに言った。しかし、その拓矢の表情ですら、困惑した悠生には恐く感じてしまう。
「い、いや――」
目覚めた自分の状況が未だに飲み込めない悠生は、歯切れの悪い返事を返すことしか出来ない。はっきりと覚えている記憶が、今の現実をさらに困惑したものへと変えている。
「ほんとに大丈夫か? どっか頭打ったとかじゃないよな?」
「いや、そうじゃないけど――」
身を乗り出して心配してくる拓矢の表情は悠生のことを心から心配しているかのようだが、状況が把握できない悠生にはその混乱を助長させるものでしかない。
「私、先生呼んでくるねっ」
その拓矢の横に座っていた葵が、悠生が目覚めたことを保健の先生に報告しに行こうと立ち上がった。
「あぁ、任せた」
そう言って、葵が保健室から出ていくところを拓矢は見とどけて、もう一度悠生のほうへ向き直る。
「五時間目の現文の授業の時に倒れたんだよ。ほんとに覚えてないのか?」
「あ、あぁ……」
「まぁ、あんな倒れ方じゃ無理ないかもな。もうちょっと安静にしてろよ。その内、葵が先生連れてくるだろうしさ」
起き上がろうとしている悠生に対して、拓矢はまだ横になっていろと言う。たしかに頭痛はまだするとはいえ、悠生はそれほど深刻な状態ではない。そもそも現在の状況を把握したいがためにベッドから起き上がろうとしているのだ。
(学校で間違いはなさそうだな……二人とも制服だし――)
けど、と悠生は思う。悠生の記憶では学校には午前中までしかいなかった。それは間違いのないことで、今が午後四時過ぎであることが理解できない。誰かのいたずらかとも思うが、家に帰ったことも覚えているので、いたずらはあり得ないだろう。
(となると、考えられるのは――)
そこまで考えたところで、保健室のドアが開けられる。
「先生呼んできたよ!」
開けられたドアからは先ほど保健室を保健室を出ていった葵と白衣を着た腰まで届きそうな長い髪が特徴的な化粧でしっかりと作られている顔の『真田佳織』先生が入ってくる。佳織先生は保健の先生だ。
「真田先生!」
「どう? 上村くんの容体は?」
拓矢の声に気付いた佳織先生は、悠生の身体の調子を尋ねた。
「さっき目覚ましたんですけど倒れるまでのこと覚えてなくて、まだ調子悪いのかなって思って――」
「そう……」
拓矢から悠生の容体を聞いた佳織先生は保健室の壁に設置されているロッカーから、薬の瓶を取り出す。
「拓矢、だから俺大丈夫だって――」
「そう無理すんなって! 今日はもうこのまま授業もここで休んでろよ」
依然としてベッドから起き上がろうとしている悠生に、拓矢は授業も欠席することを勧めてくる。
「そうね。あんまり無理しちゃいけないわよ」
それに、佳織先生も同調した。
「とりあえず、はい」
そう言って、佳織先生は薬とコップに入った水を差しだしてくる。
「?」
「頭痛薬よ。頭痛いんでしょ?」
「あ、ありがとうございます」
(なんで分かったんだ……?)
疑問に思う悠生だが、差し出された薬をとりあえず水と一緒に飲みこむ。
「それ飲んで、もう一回寝なさい。次起きた時は身体もすっきりしてるでしょ。あなたたちも看病してくれてありがとうね」
「い、いえ」
「私たちは悠生が心配で……」
佳織先生に感謝の言葉を言われて、拓矢と葵はそれぞれ恐縮する。二人のその表情を見て、悠生は小さくため息を吐いて、ベッドに横になる。
(どっちにしろ、二人が心配してくれてるのは本当か――)
「あなたたちもそろそろ教室に戻りなさい。次の授業が始まる時間でしょ?」
「はい。それじゃ悠生、俺たち教室に戻るから」
「あ、あぁ。ありがとうな」
「気にすんなよっ」
二カッと笑顔を見せて拓矢は葵と一緒に保健室から出ていく。その拓矢と葵を見て佳織先生が、
「いい友達ね」
「え、えぇ。ずっと二人が看病してたんですか?」
「ん? そうじゃないけど、休憩時間とか私が少し席を外してる時は二人があなたのそばにいたのよ」
「そう……ですか……」
そう言って、悠生は飲んだ頭痛薬の効用か自然と眠りについていく。
再び訪れる眠りは先ほどと同様にふわふわとした感覚を全身にもたらしていき、安堵感に満ちた幸福な眠りへと誘う。
意識がある、どの世界が現実なのか分からなくなるほど、それは深くゆっくりとした速度で悠生を導いていく。