第三章 選択を迫られて Ⅳ
四LDKのファミリーマンション二部屋を合わせて作られた『ルーム』には、ミユキとトモミの二人だけが残っている。
自分の意思を述べた悠生と一緒に、トモユキや『覚醒者』であるマサキとミホは、旧大竹町の『眠る街』を目指して出て行っていた。
「…………」
「……」
『ルーム』のリビングには重たい空気が蔓延っている。
四LDKのファミリータイプの家二つを改装して作られた『ルーム』のリビングは、ミユキとトモミの二人だけがいる分にはあまりに広い。誰も座っていないテーブルがやけに大きく見えるほどだ。
そのリビングのソファにミユキとトモミは座っていた。
「……どうして――」
不意に、ミユキの口から言葉が漏れた。
その言葉は誰に向けて言ったものなのか、トモミには分からない。けれど、自分に向けられたものではないことは直感で分かった。
「トモユキさんの判断が気に食わない?」
項垂れているミユキに、それでもトモミははっきりと聞く。
「そ、そんなことはないけど……」
最後の方は尻すぼみしていて、トモミは聞きとれなかった。
それでもミユキが言いたいことを何となくでも理解する。
「でも納得できないんだよね?」
二つの質問は、悠生に向けてしたものと同じだった。
(やっぱりどこか似てるんだね――)
そのことに気付いて、トモミは言いようのない気持ちを抱く。
顔つきや身体つきが似ているだけで全くの別人。そう思いこませようとしても上手くいかないのはそれが原因なのかな、とトモミは疑問に思った。
「……うん」
トモミの質問に、ミユキは小さく頷いた。
頷いた表情は少し陰っている。その表情に、ミユキの思いが浮かんでいるようだった。ミユキが抱いている気持ちを、トモミは察している。だから、自分が『ルーム』に残ると発言したのだ。
そのトモミは、ミユキに優しい言葉をかける。
「ミユキがどれほど責任を感じているのかは私には分からない。けど、一人で背負わなくたっていいんじゃない? ミホも言ってたけど、みんな仲間なんだから」
ゆっくりと紡がれた言葉は、トモユキとは違って圧迫感はない。
「……そう、だよね。私ばっかり先走ってたのかもしれない」
ぽつりと出た言葉に、ミユキは改めて気負い過ぎていたことに気付く。
タクヤが『ルーム』から出ていったことは元を辿れば、『時空扉』をミユキが失ったためだ。ユウキを危険から逃がすために『時空扉』を持ち出し、それを使用した。結果としてユウキを安全な場所へ逃がすことには成功したが、代わりにこちらの世界へやってきた悠生に負担を背負わせ、元の世界へ帰る手掛かりになるだろう『時空扉』までも奪われてしまった。
その失態はミユキにある。それに憤ってタクヤは『ルーム』から出ていったのだ。ミユキが責任を感じないわけがなかった。
「責任を感じることが悪いことだとは私も思わないよ。ミユキはそれを力に変えちゃうくらい強いもんね。でもね、なんでも一人でこなそうとばかり思わないで。私もいるし、みんながいるんだよ」
責任を一番に感じているのはミユキだろう、とトモミや『ルーム』にいるみんなも理解している。
カツユキも言っていたように、『ルーム』にいる『覚醒者』の中で、ミユキは特に戦闘に向いた力と性格をしている。真っ先に前線へ出たいという思いを強く持っていることもみんな理解していた。だからこそ責任を強く感じているのだが。
トモユキはそれを十分理解して、怪我だからという理由だけでなくミユキを『ルーム』に残させたのだろう、とトモミは思っている。
「トモ姉もこれで良かったの?」
「私は自分から残るって言ったんだよ? それにカツユキさんやアオイが怪我してるなら、私よりミホの方が役に立つだろうからね」
ミユキの質問にも、トモミは笑って答える。
悠生にも言ったように、トモミ自身もタクヤを助けに行きたいという思いは抱いている。しかし、自分が行くよりもミホが行くほうがいいと判断して残ったのだ。
そこには、やはりトモユキの思惑が働いているのだろう。トモミは手の平で動かされていると分かっていながら、そう行動することしかできない。いや、そう行動することが最善だと認識させられているのだ。
「……そっか」
短く、小さくミユキは言った。
『ルーム』に残るという意思が自分から決めたものであれば、そこにある納得の度合いは大きく違うのだ、と分かったような短い返事だった。
「今は、みんなの帰りを待とう? きっと悠生くんたちがタクヤを連れて帰ってくるよ」
トモミは諭すように優しい言葉を続ける。
声と言葉に込められている優しさは、ミユキを本当の家族と思っているように暖かさに満ちている。
トモミの言葉を聞いて、ミユキは「うん」と答えた。
自分ばかり気負って無理をしなくてもいい。
そう言われたことに救われたのをミユキは実感する。責任を感じ、危険が及ぼうとしているタクヤを絶対に連れ帰るんだと、気追いすぎていたことは嘘ではない。自分が頑張らなければ、と今までも強く思ってきた。
けれどトモミに言われて、ようやく自分一人で頑張らなくてもいいことに気付けた。
(お願い、悠生くん。タクヤを連れ戻してきて――)
言葉に出さないその願いが、しっかりと届くようにミユキは強く心で念じる。
その手は微かに震えていた。
駅前には多くの人がいた。
休日ということもあって、人通りはかなり激しい。
駅から出てくる人、駅の構内へ入っていく人。それらの人の流れは途切れることがなく、この街にいる人の多さを物語っている。
その人の流れをぼーっと見ながら、悠生はこの中にどれくらい『覚醒者』がいるのだろう、とふと思った。
(そういえば、『覚醒者』の数とか聞いたことないな)
そのようなことを考えている悠生の横には三人の人間がいた。その内の一人である眼鏡をかけているトモユキはじっと携帯電話の画面を見つめている。
「どうしたんですか?」
トモユキが携帯電話を睨んでいるのを不思議に思ったマサキが尋ねた。
トモユキ同様に悠生の隣にいるマサキだが、その表情は『ルーム』にいた時のものとは明らかに違っている。
「いや、旧大竹町について調べているだけだ」
マサキの質問に、トモユキは深い理由はないと付け加えた。
しかし、マサキにはとてもそうは思えなかった。
(大竹町……。たしか合併される前の町名だったっけ。トモユキさんが調べるくらいだから、何かあるんだろうな――)
何でもないというような感じで答えたトモユキだが、マサキは普段のトモユキの思慮深さから何か引っかかる部分があるのだろうと判断する。
その何かがマサキには分からない。
だが、考えるのはトモユキさんに任せて、自分は身体を張ればいいと意識を改める。自分が実力を発揮するほどタクヤを取り戻す確率が高くなるのだ、と自分に言い聞かせるように。
「そこって遠いんですか?」
マサキに代わって、これから向かう『眠る街』の場所を知らない悠生は携帯電話の画面に視線を落としているトモユキに尋ねる。
その悠生の質問を聞いて、それまでじっと黙っていたミホもトモユキへ視線を向ける。
「電車で町を一つ二つ越えた先だ。小一時間はかかるだろうな。それまでにアオイとカツユキが合流していてくれればいいだが――」
トモユキは一つの懸念を漏らす。
アオイからの電話では、カツユキとアオイは一時的に離れたと言っていた。それからカツユキの居場所は分からなくなっている。戦闘が起こった場所にそのままいるということもないだろう。『眠る街』について始めにするのがカツユキとアオイの捜索と『覚醒者』を追うことでは明らかに時間の浪費は違ってくる。トモユキはそれを心配しているのだ。
「二人はどれくらい離れているんですか?」
トモユキの懸念を聞いたマサキが気になって尋ねた。
「詳しいことは分からないが、カツユキはこちらへ連絡させるために先にアオイだけを逃がしたようだ。電話で聞こえてきた雑音からして線路の近くだったのは間違いないだろう」
「線路の近く――。じゃ、じゃあアオイとカツユキさんの距離はかなり離れてるんじゃ……」
マサキはテレビのニュースで取り上げられていた旧大竹町の『眠る街』の映像を思い出す。
瓦礫が散乱し、廃れた町には線路は走っていなかった。いや、例え走っていたとしても無人の町を電車が通ることはない。町が沈黙した後に線路が張りかえられているからだ。
アオイの電話で電車が走る音が聞こえてきたのだとするとアオイは駅あるいは線路の近くにいたことになる。となると、駅から『眠る街』までどれほど離れているのか、それが重要になってくる。
「そういうことだろう。恐らくアオイは駅まで戻ってきて、私に電話をしてきたようだ。電話の話では『覚醒者』との衝突は『眠る街』でと言っていた。そこで地図を調べていたんだが、駅から『眠る街』まではそれなりに離れている。今、カツユキがどこにいるのか分からない状況だと、その『覚醒者』たちが『賞金稼ぎ』を襲う瞬間に間に合わないかもしれない」
「……も、もし間に合わなかったら――?」
最悪の結果を想像してしまい、恐る恐る悠生はそれを聞く。
そして、トモユキはその想像と寸分違わずに結果を答える。
「『覚醒者』と『賞金稼ぎ』がお互いに持っている恨みは相当に深い。一方的な場合が多いことは認めるが、今回は違う。こういう言葉は言いたくないが、皆殺しもあり得るだろう」
そう言ったトモユキの表情には深い陰影があった。
そこには悠生の知らない――トモユキたちが経験してきた過去が滲み出ている。その経験の辛さを悠生は知ることはできても、理解することはできない。辿ってきた時間の違いを痛感した瞬間だった。
「……そうさせないためにも、これから『眠る街』へ向かうのだよ」
駅のホームへと入っていく電車を見据えて、トモユキは強い気持ちを込めて断言した。
そして先導するトモユキについていくように悠生、マサキ、ミホの三人は歩いていく。
これから向かう場所は死地に等しい。
『覚醒者』同士の争いだけでなく、『賞金稼ぎ』がいる。『覚醒者』に恨みを持っていて武装していると言っても、彼らはあくまでも一般人だ。軍と軍がぶつかるような戦争や紛争とは違う戦いである。
(……死者が出るかもしれない戦い)
一つ深呼吸して、悠生は視線を上げる。
『眠る街』へ行くと言ったのは悠生自身の意思だ。そこに誰かの介入はない。自身も死ぬかもしれない場に立つことに恐怖は覚えるが、それを払拭するように力強く一歩を踏み出していく。
(タクヤは俺を助けてくれた。今度は俺の番なんだ――っ)