第二章 身を寄せて、背を向ける Ⅴ
カツユキとアオイは『眠る街』の建物の陰に隠れるようにして、複数の人の会話を盗み聞きしていた。
建物の端から顔だけを覗かせて、会話をしている人たちの様子を探っている。会話をしているのは三人のようで、どうやら全員男のようだ。
その男たちはそれぞれ近くの花壇や階段の段差に腰掛けており、周囲を警戒しているようにはとても見えなかった。『眠る街』には他に誰もいない、と高を括っているのかもしれない。
「『賞金稼ぎ』の奴らはまだこの町にいるらしい」
男の一人が声を上げる。
声を出した男は黒い帽子を目深に被っており、その表情が捉えにくい。遠目から見た体型では何歳なのかも判断しづらかった。
「コウジ、それは本当か?」
花壇に腰掛けて、煙草を吸っていた別の男が尋ねた。
「間違いない。近辺の住人を脅して聞きだした。駅の南側のビルのワンフロアを住処にしてるみたいだ」
「南側……。バイパス沿いの辺りか?」
「いや、そこまでは南に下らないみたいだ」
『コウジ』と呼ばれた黒い帽子を被った男は、他の二人の男に説明を加えた。
「となると、駅に近い大きなビルですかね」
コウジの話を受けて、残った一人の男が推測した。
敬語を使っている所を見ると、三人の中では一番若いようだ。他の二人の男と違って、髪を明るい色に染めていることからもカツユキよりも若いのではないかと思えた。
そして、三人の男たちはある集団の居場所を探っているようだ。
町の住人を脅したという言葉に、カツユキは不穏な結果を想像してしまう。
(あの人たち、誰なんですかね?)
カツユキの陰に隠れるようにして、男たちの様子を見ていたアオイが小さな声で呟いた。
(まぁ、十中八九『覚醒者』だろうさ。恐らく『賞金稼ぎ』に捕まった『覚醒者』の仲間ってとこだろうな)
(ってことは?)
(あぁ、ビンゴ――だ)
カツユキはこれで『賞金稼ぎ』の足取りが掴めた、と意気込む。
会話をしている男たちが『覚醒者』であり、『賞金稼ぎ』に捕まった『覚醒者』の仲間であるという確固とした証拠はない。しかし、自分の予想が外れではない、という自信があったのだ。
この『覚醒者』たちを追いかけておけば、『賞金稼ぎ』の居場所も突き止められる。そして、そこにタクヤがいれば助けるだけである。カツユキはそう信じて、疑わなかった。
(どうします?)
小声で、アオイが尋ねる。
(まだ様子見だ。奴らが何をするつもりなのかも分からないし、駅の南側のビルというのももっと正確に知りたい)
冷静なカツユキの表情は、それまでとは明らかに違っていた。煙草を吸いたそうにしていたのが、別人のようだ。
再び二人は男たちの様子を、建物の陰から見つめる。
男たちは依然として会話を続けていた。
「それで、いつやる?」
「今からでも、俺はいいですよ」
男の二人は血気盛んな表情が見て取れる。
しかし、
「いや、もう少し様子を見よう。俺たちの目的は単純だが、まだあいつが生きているということも考えられる」
とコウジは二人を落ち着かせようとする。
だが、その言葉では落ち着くことはなかった。
「『賞金稼ぎ』に捕まった奴らがどうなるかなんで、もう明白だろうが! ちんたら待ってたら余計にその確率が低くなるんだぞ!?」
コウジの言葉にも最初に尋ねた男は語気を荒げる。
仲間が『賞金稼ぎ』に捕まったということで焦っているのだ。
「そういうわけにもいかない。町の住人に聞いたら、その『賞金稼ぎ』のグループに新しい奴がいたようだ。この近辺じゃ見ない顔らしい。『覚醒者』の可能性もある。決行までは慎重になった方がいい」
(『覚醒者』の可能性……)
(カツユキさん、それって――)
仲間を制止させたコウジの言葉に、カツユキとアオイは敏感になる。
コウジたちが襲う計画を立てている『賞金稼ぎ』の住処には『覚醒者』の可能性もある新しい人物がいるらしい。トモユキの話では『賞金稼ぎ』の中に、タクヤの知り合いがいるとのことだった。そして、コウジが言った新しい奴というのは、タクヤで間違いないだろう。
(トモユキさんの話通りか……)
トモユキの言葉通りだったことにも驚くが、今はそれよりもコウジたちの会話からもっと情報を引きだすことが大事だ。
「向こうにも『覚醒者』か――。でも、『覚醒者』が狙われる側の傍に普通いるか? 俺は疑問に思うんだが?」
煙草を咥えた男が、疑問を口にした。
その疑問は、カツユキが抱いた疑問を同じである。しかし、彼らは『賞金稼ぎ』のメンバーに、その『覚醒者』の知り合いがいる事は知らない。その分、余計に疑問に感じるのだ。
「まだ『覚醒者』だと決まったわけじゃないが、そう考えておいて損はないだろうな。『覚醒者』の場合、なぜ『賞金稼ぎ』の所にいるのか、尋ねなければならない。俺たちの邪魔をするようなら叩き潰すぞ」
(な……っ!?)
(これ、まずいんじゃ――)
カツユキとアオイは顔面を蒼白とさせる。
建物の陰から顔だけを覗かせて聞いている会話は、今朝未明に犯行を行った『賞金稼ぎ』が話題で間違いはない。その『賞金稼ぎ』に対して、復讐をしようとしている。問題はその『賞金稼ぎ』に『覚醒者』と思われる新しい人物がいることである。
二人はその人物が、タクヤだと断定している。
そして、このままでは間違いなくタクヤも巻き込まれるだろう。そう考えると、これ以上ここでじっとしていることは憚られた。一刻も早く『ルーム』にいるトモユキに連絡して、このことを伝えなければ、とカツユキは足を一歩後ろへずらす。
その直後、カラン、という音が響く。
転がっていた空き缶を小突いてしまった音だ。
「……っ!?」
「誰だっ!?」
物音に気付いた男たちは、建物の陰に隠れていたカツユキとアオイの方へ一斉に顔を向けた。
慌てて、二人は覗かせていた顔を引っ込める。
「誰かいましたよ!」
「やべぇ、話聞かれてたぞ――っ」
しかし、間に合わなかった。
(やば……っ)
(ど、どうします!?)
ひそひそ声で話し合う二人だが、見つかった以上取る手は一つだけだ。
「そんなの、逃げるに決まってるだろ……っ!」
そう言って、カツユキは反対方向へと走り出した。
「ちょ……っ!?」と猛然とダッシュし始めたカツユキを見て、アオイは仰天する。女子である自分よりも、年上で大人の男であるカツユキの方が先に逃げだしたのだ。男ならそのような行動は取らないだろうと思っていたアオイは失望と驚きで言葉を失う。
そのためアオイの行動は、一歩遅れた。
行動が遅れたアオイは、慌てて走りだしたカツユキの後を追う。しかし、当然男であるカツユキの速度にアオイは追いつけられない。
「追いかけるぞ!」
建物の陰から様子を見ていたカツユキとアオイが逃げ出した音を聞いて、コウジたちは二人を追いかける。
「待ちやがれ!」
コウジたちは、『眠る街』から逃げるようにして走っているカツユキとアオイの背中に叫んだ。
(ち……っ。あっちの方が速いな)
背中から聞こえる声を聞いて、カツユキは焦る。アオイがいるから、というわけではなく、根本的な足の速さで敵わないようだ。
その差は見る見るうちに縮まっていく。
「くそ……っ」
お互いの距離が縮まってきているのを見て、カツユキは走っていた足を止めて、男たちへ振り返った。
「カツユキさん!?」
前を走っていたカツユキがいきなり振り返ったことに、アオイは驚く。
振り返ったカツユキの視線はアオイには向けられておらず、後ろから迫ってきている男たちに向けられている。
「ここは任せろ! アオイは駅まで戻って、『ルーム』のみんなに連絡しろ。不味いことを聞いたかもしれない」
「け、けど……っ」
一人で三人の男を相手にしようとするカツユキの言葉に、アオイは戸惑う。
カツユキは『覚醒者』である。追手きている男たちと争おうことになっても、簡単には負けないだろう。しかし男たちが『眠る街』にいたこととその会話からも、彼らが『覚醒者』であることは容易に想像できた。その力は未知数である。全員が『覚醒者』で一対三では、危険度は一気に増す。
それでもカツユキは、
「いいから連絡するんだ! 奴らがタクヤを狙う可能性だってあるんだ!」
「……絶対やられないで下さいよ! みんなを連れて、すぐに戻ってきますから――」
「わかってるよ!」
立ち止まったカツユキを越えて、アオイは『眠る街』を駆け抜けていく。
一方のカツユキは、じっと追いかけてくる男たちを睨みつけていた。
「ち……っ。一人取り逃がしたな」
追いかけていた男たちの一人は、アオイを逃がしたことに舌打ちする。先ほど花壇に座って煙草を吸っていた男だ。その視線は睨んできているカツユキを睨み返していた。
「まぁ、いい。この男から目的を聞こう」
舌打ちをした男に、黒い帽子を被ったコウジが返した。その顔には余裕の表情も見える。
他の二人もコウジと同様に、カツユキを舐めきった表情をしていた。
(一対三か。ミユキなら楽勝とか考えるだろうが……)
対するカツユキは睨んだままで、真剣な表情を崩さない。そのままの表情で、一気に駆け出した。
呼応するように、コウジたちも走りだす。
「テツヤ、ナオキ! 周り込めっ」
先頭を走るコウジが、後ろの二人に指示を出す。
先ほどの会話から見ても、黒い帽子を被ったコウジがリーダー格のようだ。
「わかった!」
「了解ですっ」
ならば、とカツユキは照準をコウジへと定める。
真っ直ぐ走っているカツユキとコウジが、『眠る街』の廃れた街道でぶつかり合う。『覚醒者』の力も使わない――力と力のぶつかり合いだ。
真っ直ぐに繰り出されたコウジの右拳を半身でカツユキはかわす。そして、速度を殺して体重を乗せたカウンターの拳を放つ。その拳は狙いが逸れることもなく、コウジの顔面を捉えた。
しかし、
「が……っ!?」
痛みに呻いたのはカツユキの方だった。
カツユキの拳は確実にコウジの顔面に当たっていた。殴られたのは間違いなくコウジである。
だが、コウジは痛みに顔を歪めることもせず、ニヤリと笑っていた。
(まず……っ)
呻いたカツユキの身体は痛みに数秒硬直する。
痛みに固まって動けない身体の脇腹に、コウジの裏回し蹴りが当たる。身体を回転させて勢いを増した回し蹴りである。カツユキの身体は容易く吹き飛ばされた。
「ぐぅううううう……っ」
カツユキの身体は数メートル吹き飛ばされて、止まった。
(……くそっ。なんだ、あいつの身体は――!?)
蹴りを受けた脇腹を押さえながら、カツユキは立ち上がる。
そこへ追撃とばかりに『テツヤ』、『ナオキ』と呼ばれた残りの二人が襲いかかってきた。
「「喰らえぇえええ!」」
カツユキに襲いかかる二人の声が共鳴する。
(ち……っ!)
立ち上がったばかりのカツユキは反応が遅れてしまう。
煙草を咥えたままのテツヤは左手に圧縮された空気の塊を、髪を染めているナオキは右手に二メートル弱の槍を持っている。
二人の攻撃が交錯する。
轟音が轟き、周囲の空気が揺れる。
しかし、カツユキには当たっていなかった。
攻撃が当たる直前に重心を低くし、相手の攻撃を掻い潜っていたのだ。そして、すぐに距離を取る。
「あぶねぇ……っ」
(やっぱり全員が『覚醒者』。力を見極めないと――)
たった一度の攻防で、カツユキはコウジたちが『覚醒者』である事を確信した。
だが、確信しただけで満足してはいけない。『覚醒者』としての力を正確に知る必要がある。相手の力を把握しなければ、どのような攻撃が来るのかも予測する事が出来ない。
対して、コウジたちは先ほどまでの自分たちの見方を改めていた。
「簡単に避けるとは――。どうやら一般人ではないようだな。お前も同類か? 何の用だ?」
「それを言ったら、あんたらが『賞金稼ぎ』を襲うとしてるの止めてくれるのかい?」
「な……っ!? しっかり聞いてやがったな?」
カツユキの言葉に、あからさまにコウジはうろたえた。
「そんな話してるなら周囲には気をつけとけよ」
注意力なさすぎだろ、とカツユキは鼻で笑う。
安い挑発だが、コウジたちは簡単に乗ってきた。
「なんだと、てめぇ!」
「聞かれたのなら悪いが、口封じさせてもらうっ」
カツユキの近くにいたテツヤとナオキがすぐさま走り出す。
それぞれの手には圧縮された空気の塊と、二メートル弱の槍があった。それを見て、カツユキは分析を始める。
(空気の塊と槍……。とりあえずどっちも近接格闘型なのか?)
形状だけでそれを判断する事は出来ない。投げて攻撃するという事も出来るかもしれないからだ。
迫りくる二人に、カツユキは後ろへと跳んでさらに距離を取る。しかし、追いかけてくる二人の方がやはり速い。
「逃がすかよ!」
吠えたのはテツヤの方だ。
右手に作り出した空気の塊を、カツユキへ向けて腕ごと突き出す。
「くそっ」
眼前へ迫る空気の塊に対して、カツユキは咄嗟に身体を捻ってかわそうとする。そこへ、ナオキの槍が死角から現れた。
「な……っ!?」
カツユキは、捻った身体の背後から現れた槍を回避する事が出来なかった。突き刺される事なかったが、その刃が背中を服ごと裂いた。
捻った身体を前へ倒し、前転をするようにしてカツユキは慌てて間を取る。その直後に、二振り目の槍が空を切った。
(槍を突き刺すんじゃなく、振り回して使ってくるか……)
その背中からは少なくない量の血が流れている。血を流しているからか、カツユキの息は自然と上がる。
それでも倒れる事はなかった。
その目はさらに距離を縮めてくるテツヤとナオキに向けられている。
(せめて時間は稼がないと――)
今も駅へ向けて『眠る街』を走っているだろうアオイのために、カツユキは簡単に倒れる訳にはいかないのだ。
「次で止め刺してやる――っ」
自分の身長よりも大きい槍を振るっているナオキが、先に攻撃を仕掛けてきた。
ナオキは袈裟切りのような形で槍を振るう。
その軌道を見れば、槍というよりは薙刀という印象を与えてくる。しかし、先端に付けられている刃は紛れもなく槍のものだ。
襲いかかってくる槍を、カツユキは今度は身体を捻ることはせず、素直に後ろに跳び去る事でかわす。
(軌道が大きい分かわしやすい!)
槍による攻撃を容易にかわすと、今度はテツヤが二撃目を繰り出してきた。テツヤの攻撃も変わらず空気の塊を直接ぶつけようとする直線的な攻撃だ。
その攻撃に対して、カツユキは右手を軽く振る。
すると、テツヤの手に目に見える形であった空気の塊が霧散した。
「な……っ!? 何をした?」
突然自分が作り出した空気の塊が消えた事に、テツヤは驚愕の表情を見せる。もちろん自分で消した訳ではない。明らかに外からの力が加えられた結果だ。
そして、それをしたのはカツユキで間違いなかった。
「俺の力が有効みたいだな――」
驚いたテツヤの身体は一瞬硬直する。その瞬間を狙って、カツユキの強烈な蹴りが繰り出された。
「ぐぅうううう……っ」
カツユキの蹴りはテツヤの鳩尾に直撃した。
蹴りを受けたテツヤは身体を蹲らせる。鳩尾に蹴りが入った事で、呼吸が止まったのだ。カツユキの反撃はそこで止まらない。
さらに右手を振るった。すると、テツヤの右腕から血飛沫が上がる。
「ぁああああああああ――!!」
いきなり腕から血が飛び散り、テツヤはさらに絶叫した。
腕を斬られた訳でもない。しかし、腕からは確かに血が出ている。絶叫したテツヤは痛みに顔を歪めながら、血が溢れ出ている腕を見る。血が出ている腕は皮膚が破けたように大きく裂けていた。
「な、にが……?」
皮膚が破けているのを見て、テツヤは困惑する。
直接的な攻撃は蹴り以外に受けていない。その蹴りも食らったのは鳩尾である。蹴りによって、腕から血が飛び散るということは考えられなかった。
となると、挙げられる可能性はカツユキの『覚醒者』としての力、だ。
「てめぇの力は――?」
「相手に簡単に教える奴がいるかよ」
いきなり腕から血が飛び散ったことに驚いたテツヤが尋ねるが、当然カツユキは答えることはしない。
「ちっ」
いきなり自分の攻撃が消え、さらに傷を受けたテツヤは舌打ちをする。カツユキの不明瞭な攻撃にいらついているのだ。
一方のカツユキは、余裕の表情を浮かべている。
(俺の力が通じるんなら、相手の攻撃を恐がる必要はないっ)
カツユキの『覚醒者』としての力が、相手の攻撃を消滅させたのだ。相手の攻撃を消せるのならば、相手の『覚醒者』としての力を深く分析する必要もない。繰り出される攻撃を、先ほどと同じように消せばいいだけだ。
しかし、それは空気を圧縮させた塊で攻撃してきたテツヤの力に対してだけである。コウジとナオキの力には有効なのかどうか定かではない。
「お前はもう恐くもねぇよ!」
皮膚が裂けた腕をぎゅっと強く掴んでいるテツヤへ、回し蹴りを繰り出す。
カツユキが放った回し蹴りは、テツヤの側頭部を正確に捉える。
「ぐぅうう……」
頭を直撃した蹴りに、テツヤは呻き声を上げながら地面に倒れる。蹴りが直撃した頭は脳が揺さぶられ、意識が吹き飛んでしまうのだ。
そのままテツヤは動かなくなった。
「よしっ」
『覚醒者』を一人倒したことで、カツユキは一つ声を張り上げた。
三人を相手にするよりも、当然二人の方がまだ楽である。不利な状況は変わらないが、積極的に仕掛けてきていたテツヤを倒せたことは大きい。もう一人の――自分の身長より大きい槍を振るっていた――ナオキを倒せば、後はじっとしている黒い帽子を被っているコウジ一人だけである。
さらに、ここで『覚醒者』を叩いておけば、『賞金稼ぎ』への復讐も止めることが出来るかもしれない。最初はアオイを逃がす時間を稼げればいいと考えていたカツユキも、さらに相手を倒すことに意欲を剥き出しにする。
(タクヤの所へはいかせねぇ! ここで俺が仕留める!!)
意気込んだカツユキは、視線を前に戻す。眼前には、槍を振るうナオキが迫っていた。
「きさまぁあああああ――っ!!」
吠えた声が『眠る街』に響きわたる。
空気を切り裂いて、ナオキが持つ大きな槍が斜め上から降り降ろされる。
だが、カツユキはそれをいとも容易くかわす。それだけでなく、カツユキは再度強烈な回し蹴りを繰り出した。
かわされた直後のカツユキの反撃に、ナオキは反応が遅れる。必死に回避しようとするが、あまりに大きい槍のせいでそれすらも遅れてしまう。カツユキの回し蹴りが、ナオキの左の脇腹に直撃する。
「ぐ……っ」
体重の乗った重たい蹴りに、ナオキは身体がよろける。
槍を支えにすることで倒れることは免れたが、そこへカツユキはさらに追撃をする。
「まだまだぁ!!」
ラッシュのごとく繰り出される突きや蹴りに、ナオキは槍を防御に使うことでなんとか防いでいる。
(く、くそ……っ)
さきほどまでの勢いは完全に失われ、カツユキの攻撃を防ぐだけで精一杯な状況だ。じりじりと後ろへ追い込まれていく。ナオキがちらっと後ろへ視線を向けると、廃れた建物がすぐそばまで迫っていた。
(さっきまでの勢いもない。ここで倒す!)
意気込んだカツユキは、さらに踏み込んで拳を突き出していく。握り拳で、ナオキが持っている槍をへし折ってやろうとする気概までも感じ取れた。
その気概に、ナオキは押し負けていく。
気が付くと、ナオキの背中は建物の外壁にぴったりと張り付いていた。
「この距離なら外さねぇ!!」
ナオキを追い詰めたカツユキはテツヤの時と同様に、右手を何もない空中で振る。
すると、ナオキの両腕から血飛沫が上がった。これも、テツヤの時と同様だ。
「う、うわぁああああ――!!」
突然のことと、裂けた皮膚の痛みに、ナオキの絶叫が木霊する。その悲鳴を、コウジも聞いていた。
明らかな劣勢の状況にも、コウジは目深に被った黒い帽子のつばからじっと戦況を見守っていた。その視線は、明らかに追い詰められたナオキではなく、カツユキへ向けられている。
「はぁはぁ……くそっ」
カツユキの攻撃を受けたナオキは、一度距離を取るために真横へ跳んだ。
それまでは積極的に仕掛けていっていたが、初めて自ら距離を取ったのだ。その行動に、見かねたコウジが口を開いた。
「どいてろ、ナオキ。こいつは俺がやろう」
「け、けど……」
それまでじっと二人の戦いを見守っていたコウジが、ため息を吐きながら近づいてくる。
二人の不甲斐無さに呆れているのだろうか。それはカツユキには分からないが、その言葉からは大きな自信が見て取れる。
恐らく黒い帽子を被ったコウジだけは力が抜きんでているのだろう、とカツユキは予測する。あるいは、『覚醒者』としての力が他の二人よりも異質なのか。相手の力を把握しなければ、とカツユキは再度気を引き締める。
(俺の攻撃は一度完璧に防がれた……。どんな力が働いたのか分からんが、あいつの力は身体に影響を及ぼすものだ。近づくのはまずいか)
最初に組み合ったコウジの力を、カツユキは警戒する。
あの時、カツユキの拳は間違いなくコウジの顔面を捉えていた。しかし、痛みに顔を歪めていたのは攻撃を受けたコウジではなく、カツユキの方だった。それだけでは、コウジの『覚醒者』の力は把握出来ない。未知数の力に、カツユキは深呼吸を一つする。
ナオキに代わって、近づいてきたコウジは再度カツユキへ尋ねる。
「同じ『覚醒者』だろう? なんで俺たちの邪魔をする?」
「こっちにも事情があるんだよ。それを教える必要はないだろう?」
「タクヤとかいう人物と関係があるのか?」
「……ちっ」
コウジの質問に、カツユキは小さく舌打ちをした。その反応が、図星であることを教える。
「そのタクヤとかいう人物、お前らの仲間のようだな」
「だったら、どうした?」
「どのような事情があるのか知らないが、こっちは仲間を捕らわれている。邪魔をするのなら、容赦しないぞ?」
目の前に立っているカツユキに向けて、コウジは言い放つ。
言葉とともに放たれている威圧感は、他の二人とは比べ物にならない。カツユキは、威圧感に背筋を震え上がったほとだ。
それでも、カツユキも引くわけにはいかなかった。
同じく目の前にいるコウジは、この『覚醒者』三人の中でリーダー的役割をしている。コウジを倒せば、相手も意気消沈するだろう。そうすれば、一人残っているナオキも引いてくれるかもしれない。
「容赦するつもりがないのは、こっちも同じだ。お前らを邪魔するのはもう明白だろう?」
「……そうだな。邪魔をされる理由を知りたいだけだったが、仲間がいるというのも分かった。もう十分だ」
敵対する理由も分かった、とコウジは改めてカツユキを敵と認識する。
二人の『覚醒者』がぶつかろうとする最中、一人残ったナオキが口を開く。
「コウジさん! 俺は?」
コウジの後ろへ回り、腕から流れていた血を止血したナオキは戦える意思を示すように声を出した。
見れば、着ていた服の裾を破いて、止血したみたいだ。
「テツヤを介抱してろ。こいつは思った以上にやるようだ。単調なお前の攻撃じゃ、難しいだろう」
しかし、コウジの返事は冷淡だった。
「わ、わかりました」
要らないとばかりに言われたナオキは、小さく返事をして身を引く。
地面に倒れたままであるテツヤへ近づく。そしてテツヤを守るように、二人の様子を見守る。
「厳しいね」
コウジのナオキへの発言を聞いていたカツユキは、素直な感想を漏らす。
「実力と相性を見て、だよ。『覚醒者』の力は明確に優劣がつけられていないが、お前が相当強いことは分かったからな。ただのゴロツキじゃないだろう? どこかの研究所にでも所属しているのか?」
「それも、教える必要はないな」
「……そうだな」
その一言を皮切りに、コウジはカツユキに向けて走り出す。
迫ってくるコウジに対して、カツユキは距離を取ろうと後ろへ跳ぶ。コウジの『覚醒者』の力がまだ判明していないため、近づくのは良くないと考えているからだ。
「逃げ腰か?」
さらに迫るコウジは、カツユキを挑発する。
最初に組み合う前に距離を取るのは、カツユキのやり方だ。それを罠だとも考えずに突っ込んできた相手をカウンターで倒すのだ。
しかし、コウジにはこのやり方が通じるのか分からなかった。
(タイミング合わせても、さっきみたいになったら――)
その不安が、真正面からコウジに反撃をすることを拒ませる。
迫るコウジと距離を取ろうとするカツユキ。当然、跳びながら後ろへ移動しているカツユキよりもコウジの方が速い。二人の距離は見る見るうちに縮まっていく。
(やっぱり速い――っ)
コウジの方が速いと判断したカツユキは、後ろから横へ跳ぶ。
「逃げるだけじゃ、俺は倒せねぇぞ!!」
それにもコウジはしっかりとついてくる。
(好きで逃げ回ってんじゃねぇっての……っ)
明らかな挑発に、カツユキは乗ることはしない。しかしカツユキは、表に出すことはしないが、苛立ちははっきりと感じていた。
「なら、こっちから行くぞ!」
反応を見せないカツユキに対して、コウジはさらに速度を上げた。
(なにっ!?)
コウジの速度がさらに上がったことに、カツユキは驚く。
二人の差は一気に詰まっていき、ついには無くなった。
追いついたコウジの右の拳が、カツユキに迫る。咄嗟に反応したカツユキは、それを左手で防いだ。
しかし、
「ぐ……っ!?」
突きを止めたカツユキの左手に鋭い痛みが走る。拳を受け止めた衝撃で、指が折れたようだ。
「痛いだろう?」
「……これくらいどうってことないさ」
強がるカツユキ。しかし、顔はかなり歪んでいる。痛みになんとか耐えようとしているみたいだ。
その表情を見て、コウジはにやりと笑う。
(こいつの力は、俺には効かないのか?)
カツユキが痛みに顔を歪めたのを見て、コウジはカツユキの『覚醒者』の力の及ぶ範囲を推測する。
その推測が当たっているのか、コウジは確かめようとはしない。一気にカツユキを倒すことに集中する。
掴まれていた拳を無理矢理引くことで、カツユキを引き寄せる。
「まず……っ」
いきなり身体を引っ張られたカツユキは危険を感じる。
しかし、間に合わなかった。
引っ張られたカツユキの腹に、コウジの空いていたもう一方の拳が直撃する。
「がっは……っ」
大きく振りかぶられた攻撃に、カツユキは呻く。そのまま蹲るように、地面に膝をついた。
重たい一撃だった。
その一撃は、カツユキが今まで受けてきた攻撃の中でも、格段に重たいものだった。一度殴られただけで、呼吸が一気に乱れる。掴んでいたコウジの拳も自然と離し、攻撃を受けた腹をさする。
(骨がイッたな)
折れた骨が内臓を圧迫している感覚が分かる。これでは戦うことはおろか、まともに歩くことも叶わない。
カツユキが立ち上がらないことを見届けて、コウジは口を開く。
「さて、お前の名前を教えてもらおうか」
「……はぁはぁ、へっ。簡単に話すやつがいるかよ――」
「それもそうだろうが、お前は敗れた。口を割らないのなら、命の保証はないぞ?」
話そうとしないカツユキに、コウジは強く言う。
しかし、それでもカツユキは口を割ることはしない。ここで名乗ってしまえば、先に逃げているアオイだけでなく『ルーム』も狙われるかもしれない。そのことを危惧しているのだ。
「…………」
「どうしても名前は言わないようだな」
喋ろうとしないカツユキを見て、コウジはもう一度拳を握る。
一向に名前を言おうとしないカツユキをここで仕留めようとする。このまま放っておいても、復讐の邪魔になるのは明白だからだ。
(ここまで……か)
目の前に振りかぶられている拳を見て、カツユキは観念する。
「頭蓋骨粉砕してやるよ」
コウジの声が耳元で聞こえる。
さらに振り降ろされる拳が、空気を裂く音がやけに鮮明に響く。
(アオイは無事だろうか)
アオイの無事を祈って、カツユキは迫る拳から目を逸らそうと顔を伏せる。
その間際、カツユキの視界にあるものが飛び込んできた。
「……っ!?」
それは、
(マンホール!)
カツユキとコウジの間に、丸いマンホールがあったのだ。
視界に入ったマンホールを見つけて、カツユキは一気に『覚醒者』の力を行使する。マンホールの下にあるものにカツユキは自身の力を集中させる。
「何を?」
カツユキが視線を一点に集中させていることに気付いたコウジは、振り降ろそうとしていた拳を止めた。その瞳が、強く睨んでいたことに気付いたのだ。
直後、マンホールが勢いよく吹き飛んだ。
「がっ!?」
吹き飛んだマンホールは、コウジの顎を直撃する。
マンホールが直撃したコウジは仰け反るようにして倒れる。鉄の塊が顎に当たったのだ。その衝撃はかなりのものだろう。それでも、コウジは呻くことはあっても、意識を失うことはなかった。
「が……。く、くそ……っ」
マンホールが直撃した拍子に口を噛んだのだろう。コウジの唇からは血が流れていた。
倒れたコウジを見て、カツユキは隙を逃さない。
(今だ!)
吹き飛んだマンホールの穴へと、カツユキは一気に飛び込んでいった。
このままでは殺される、と観念していたカツユキだが、視界に入ったマンホールの下へと活路を見出したのだ。
「ま、待て!」
カツユキがマンホールの下へと逃げていくのをナオキは止めようと声を出したが、間に合わなかった。
ナオキの声を無視して、カツユキはマンホールの下へと姿を消していく。
「ちっ、逃がすか!」
逃げていったカツユキを追いかけようと、テツヤの側にいたナオキは駆け出そうとする。
しかし、倒れていたコウジがそれを止める。
「止めろ、ナオキ」
「し、しかし……っ」
「俺の一撃を受けたんだ。傷は深いはずだ。すぐに俺たちの邪魔をすることはないだろう。それよりも、今はテツヤを介抱するのが先だ。復讐を為すためにも、あいつは必要だからな」
コウジは上半身を起こして、ナオキを思い留まらせる。
その視線はカツユキが消えていったマンホールの穴へちらっと向けられるが、すぐに横になっているテツヤへ戻した。
気を失っているテツヤはぴくりとも身体を動かさない。
「……どうします?」
「ここを離れよう。あいつの仲間が来るかもしれない。先に逃げていった女のことも気になるし。テツヤが起きてからどうするか考えるぞ」
「わかりました」
コウジの指示に、ナオキは素直に返事する。
コウジたちの目的は邪魔をしてきたカツユキの排斥ではなく、捕らわれた仲間の奪還と『賞金稼ぎ』への復讐である。
それだけを最優先に、コウジたちは『眠る街』を移動していく。