第二章 身を寄せて、背を向ける Ⅱ
建物のワンフロア丸々を部屋としている――この家は、いつでも騒がしい。
『覚醒者』たちの抗争により身寄りを無くした少年少女が集って生活をしているのだ。自然と騒がしさは大きくなってしまう。それでも、彼らにはそれがうっとうしく感じることはなかった。今の生活に幸福さえ感じていたのだ。
その彼らの様子を見て、タクヤはぞっとしていた。
今までの自分の暮らしが、とても平和で安全だったことを改めて強く感じていたのだ。『覚醒者』が世間から煙たがられていることは変わっていない。しかし研究所に所属している――あるいは世話になっている――『覚醒者』の生活はかなりのレベルで保障されている。
ここに暮らしている彼らの暮らしとは比べ物にならないほどに。
(たとえ俺が『覚醒者』であることが多くの人に知られても、施設が庇ってくれる。けど、ここにいるみんなはそれ以前の問題で生活が安定していないんだ……)
『覚醒者』を捕まえ、施設や組織に売ることで生活をしている『賞金稼ぎ』。
その実態を、タクヤは初めて目の当たりにしたのだ。驚かないわけがない。そして、それを不憫にも感じてしまった。自分の生活とはるかに違うと比べてしまって――。
そのタクヤは依然として、テーブルの椅子に座っていた。
同じテーブルには『ビッグイーター』のメンバーである少女や少年が座っており、テーブルの前に配置されているソファにはサトシが座っている。
「お腹空いたわね」
「もうそんな時間か?」
テーブルに座っていた少女がお腹をさすっているのを見て、サトシが口を開いた。
部屋の壁にかけられている時計を見れば、二時三〇分前を差していた。昼食の時間はとっくに過ぎているような時間である。
「今日はみんないるみたいだぜ」
同じテーブルに座っている少年が、サトシに言う。
「そうか。なら好都合だ」
少年の言葉を聞いて、サトシはソファから立ち上がった。
「みんな、ご飯にしよう!」
立ち上がったサトシは部屋中のみんなに聞こえるように、大声を張り上げた。
サトシの声を聞いて、それまで自由にくつろいでいた少年少女たちが一斉に動き出す。二〇人もの大所帯が一緒にご飯を食べるのだ。準備もそれなりに騒がしくなる。
(好都合?)
少年の言葉やサトシの反応に、タクヤは疑問を感じる。
「好都合ってのはどういうことだ?」
「あぁ。今日はみんないるからな。俺たちはなるべくみんなで食事をするようにしてるんだ。効果があるかどうか分からないんだが、仲間意識をしっかり持つようにな」
と、サトシは少し恥ずかしそうに説明した。
その説明の中に、タクヤはさらに疑問を見つけた。
「今日は、ってのは?」
「ん? あぁ。休日は外にアルバイトに行ってる奴もいるからな。少しは生活費の足しにしようとしてな。今日はたまたま休みで、みんな揃ってるんだよ」
アルバイトをしている。
これは、彼らが『賞金稼ぎ』としてだけではなく、ちゃんとした生活を送っているということでもある。無論、学校に行っているということも、その証明のプラスになっている。
それを聞いて、タクヤは気になったことを尋ねる。
「アルバイトしてる奴もいるなら、みんなでアルバイトして生活を遣り繰りできるんじゃないか?」
その疑問は、友達であるサトシたちには『賞金稼ぎ』という危ないことは止めてほしいという願いが含まれているからだ。
『賞金稼ぎ』が『覚醒者』にとって脅威になることがあるように、『覚醒者』が『賞金稼ぎ』の脅威になることもある。そして、その割合は後者の方が高い。『覚醒者』の人知を超えた力とは、それほどに圧倒的なのだ。その脅威を感じながらも、『賞金稼ぎ』たちは『覚醒者』を捕まえることを止めようとはしない。
それは、
「今さら止めるなんてことはできない。タクヤだって俺たちがどんな目にあってきたか知ってるだろ? たしかに学生やりながらアルバイトして、それで暮らしていくこともできるだろう。けど、俺たちの目的はただ安全に暮らしたいだけ、じゃないからな。動き出した歯車を今さら止めるなんてことはできないんだよ」
と、サトシは言った。
「やっぱり復讐――なのか?」
「…………」
タクヤの追及に、サトシは口を噤んだ。その無言が、周囲の空気を重くさせていく。
何も返事をしようとしないサトシを見て、タクヤは自分の中で確信を持った。サトシの目的も他の『賞金稼ぎ』たちとは変わらないのだ、と。
「なぁ、サト……」
もう一度尋ねようと声をタクヤが声を上げた所で、
「はいはい、重っくるしい話はやめようなー。これから昼飯だってのによ」
不意に一人の少年が割って入ってきた。
いきなり話に入ってきた少年に、タクヤは驚く。
「……!?」
「タクヤ、だっけ? 俺はダイチ。君がサトシたちの昔からの友達で、こんなこと止めてほしいってのはわかる。けどな、路頭に迷ってた俺たちを助けてくれて、こうしてまとめてくれてるのもサトシなんだ。ここはサトシが作ってくれた、俺たちみんなの家なんだよ」
『ダイチ』と名乗った少年は、タクヤにきつくそう言った。
タクヤよりも背の高いダイチのその威圧は強い。タクヤは視線を上げなければ、目線を合わすこともできなかった。
そのような身長差で、モノを言われたタクヤは言葉を返すことができなかった。
「……わかったよ」
それだけを言って、タクヤはその場から離れていった。
離れていくタクヤの背中をサトシは申し訳なさそうに、また寂しそうに見つめていた。
『ビッグイーター』のメンバーが集まって暮らしているこの家では、食事は決まった時間に取るというわけではない。
サトシも言っていたように、その日の内でメンバーが一番集まっている時に食事を取るらしい。すでに数日『ビッグイーター』にお世話になっていたタクヤだが、そこまでは気が付かなかった。それまでは『ルーム』の仲間に申し訳ない気持ちが心を占めていたのだ。
サトシの「ご飯にしよう」の言葉の後、小一時間でメンバー全員に食事が配られた。それぞれに配られた料理は、冷やし中華と簡単なサラダである。
タクヤは自分の目の前に置かれた料理を見て、改めて感心している。
二〇人近くの料理を一度に作るのはとても大変だろう、と料理中の様子を見てタクヤは他人事のように思ったほどだ。
そのタクヤは、先ほどまで座っていたテーブルからは離れた場所に座っていた。
とうに元の色が分からなくなるほど変色した座布団の上に座っており、木製の小さな机の上に配られた料理を並べていた。
同様に『ビッグイーター』のメンバーはそれぞれ好きな場所で食事をしている。その中、サトシは相変わらずソファに座って食事をしていた。ソファに座って食事をするのは下品だろう、とタクヤは思うが、誰もそれを指摘はしない。出来るだけ集まっているが、各々自由に食べているのだ。
(……いつまで、ここにいようか)
小机に置いたサラダにフォークを伸ばしながら、タクヤはふと思った。
あと一日二日経てば、ここに来て一週間になる。さすがに居すぎだろう、という気持ちがあるのだ。
(でも、ここを出てもどこに行けば――)
タクヤの頭の中に、素直に『ルーム』に帰るという選択肢はなかった。
『時空扉』や悠生のことを巡って、ミユキにあれほどの罵声を浴びせたのだ。その後の居づらい雰囲気は、そうさせてしまったタクヤでもひしひしと感じたほどである。
その雰囲気から逃れるように『ルーム』を出て、今はサトシたちにお世話になっているのだ。どの面をさげて『ルーム』に帰れるのだろう、という気持ちがタクヤにはあった。
「料理、食べたくない?」
そのようなことを考えていると、声がかけられた。
不意にかけられた声に視線を上げると、それまでサトシの横にいた少女がタクヤの隣に座っていた。少女は、タクヤと同じように、持っていた冷やし中華とサラダのお皿を小机に並べる。
「……ユミ」
「タクヤは、やっぱり私たちがそういう目的で『賞金稼ぎ』やってるのは嫌だよね?」
タクヤの隣に座ってきた少女は、『ユミ』という。
サトシ同様、タクヤの『ルーム』以前からの知り合いである。
「…………」
核心をついてきたユミの質問に、タクヤは何も返せない。
『覚醒者』を捕まえて売り捌く『賞金稼ぎ』を止めてほしいということは、一歩間違えば『覚醒者』に命を奪われるからであり、危険だからである。そして、『覚醒者』狩りを止めてほしいということは、復讐なんて考えてほしくないということとそれほど変わりはなかった。
無言のタクヤに対して、ユミは長い髪を片手で耳にかけながら、空いた手で持ったフォークで冷やし中華を一口食べた。
「ん、おいしい」
一口食べただけで、ユミは笑顔になる。
ふとタクヤが周りを見渡せば、ユミ同様食事をしている人はみんな笑顔だった。楽しそうに会話もしている。彼らにとってはここがやはり家であり、居場所なのだ、と改めて思える光景だった。
その光景を見て、ぽつりと呟く。
「……みんな幸せそう――だな」
「当り前でしょ。みんな、自分たちの力で精一杯生きてるんだもん。辛いことや苦しいこともたくさんあったけど、幸せじゃない人なんていないよ」
「……そっか」
フォークに刺さっていたサラダを口に運んだタクヤは、何てことのないサラダに温かみを強く感じた。それは、周囲にいる人々の笑顔に感化されたものか、仲間という繋がりを意識したためか。今のタクヤには、それが分からなかった。
「タクヤも、仲間の所に戻った方がいいんじゃない?」
タクヤの気持ちに気付いてか、ユミは尋ねた。「もう何日もここにいるんだし」と彼女は付け加える。
そこにはタクヤのことを純粋に心配している気持ちもあれば、タクヤが長期間いればサトシがまた『覚醒者』を捕まえる計画を早めるかもしれないという危惧もあった。
ユミのその不安にもタクヤは気付いている。
「……これ以上ユミたちの世話になるのも確かに気が引けてる。明日明後日にでも出て行こうかとは考えてるけど、今はなんでか『ルーム』に帰る気が起きないんだ……」
だから、タクヤは『ビッグイーター』の活動にそのまま協力つもりはない、と言ったのだ。
「…………」
「悪いな。迷惑ばかりかけて」
呟いた言葉は、『ビッグイーター』のメンバーたちの騒いでいる声でユミまで届かない。
それでも、ユミは何となくタクヤが言ったことが分かった。
「……いいわよ。久しぶりにタクヤに会えて私も嬉しいし。もちろんサトシも――ね。サトシがあんなに張り切ってるのを見るのは本当に久しぶりだから――」
感慨深そうな表情を、ユミは見せた。
タクヤがサトシとユミと別れたのは高校に入学する前――今から約二年前である。あれから様々なことがあり、こうして『賞金稼ぎ』のグループを結成したのだろう。
ユミの表情に、これまでの辛さが滲み出ているような気がした。
「そうだ! タクヤの話も聞かせてよ。私たちと別れてから、今までどんなことがあったの? 『覚醒者』の研究施設に入ったってのは聞いたけど」
「……そうだな――」
ユミに尋ねられて、タクヤは語り出す。
今の研究所に入るきっかけとなった出来事のこと、『ルーム』で生活をするようになったこと、様々な『覚醒者』と知り合ったこと、その『覚醒者』たちと同じ高校へ入学したこと。
それらの出来事は、全て『ルーム』の『覚醒者』たちと歩んできた思い出だ。
その思い出の中には、いつもユウキやミユキ、アオイたち同い年の『覚醒者』。そして、カツユキやトモミ、マサキ、ミホたち『ルーム』で共同生活をしている仲間たちがいた。
彼らなしに、タクヤの思い出を語ることはできない。
「……いいの?」
その思い出を聞いて、ユミは改めて尋ねた。
仲間の所へ戻らなくていいの、と。
その質問に、タクヤは言葉を返せない。目の前の問題から逃げているだけ、ということはタクヤ自身も理解している。
それでも、今さら戻る、という選択は出来なかった。