第一章 日野市 Ⅴ
『県立異能力精査研究所』には、現在五人の『覚醒者』がいる。
一人はもちろん、かれんである。
彼女の能力は他の『覚醒者』と違い、少々特殊と言えた。かれんの『覚醒者』としての力は物体の『蒸発、液化、融解、凝固』を自在に行うことができるということである。生産工場やエネルギー生産に大きく役に立つ力として研究者の間では評価が高い力であるが、彼女はそちらへの研究は意欲的に協力をしているようではなかった。
そして、この研究所にはかれんの他に四人の『覚醒者』がいる。
四人の『覚醒者』は皆、かれんとは大きく歳が違い、小学生や中学生がほとんどである。そのため、かれんは一人だけ一○歳近くも歳が上なのだ。
その四人の『覚醒者』もかれんと同様に、研究所内の寮棟で生活をしている。
寮棟の廊下を歩いていると、かれんはその内の一人の少女に会った。
少女の名前は『ショウコ』である。
かれんと同じ、『県立異能力精査研究所』に所属している『覚醒者』の一人である。ショウコは肩にかかる程度の髪をおさげにしており、寝起きなのか瞼を眠そうにこすりながら廊下に現れた。ずっと寮にいたようで、、着ている服は部屋着である。
「あ、かれんお姉ちゃん! 日本に来てたの?」
不意に姿を見せたショウコは、廊下を歩いていたかれんを見つけて声をかけた。
最初は驚いた表情を見せていたものの、久しぶりに会うかれんに対して目を輝かせている。
「えぇ。昨日着いたのよ」
「そうなの? なら、昨日教えてくれても良かったのに~」
拗ねるように頬を膨らませながら、ショウコは言った。
「ごめんね。昨日は飛行機乗って疲れちゃったから、すぐに眠ったの」
頬を服らませているショウコに、かれんは謝った。
その口調は、マサトシに対するモノとは明らかに違う。研究者に対する口調でも『覚醒者』に対する口調でもなく、自分よりも年下の少女に対するモノだった。
「そうなんだ。あ、またお休みの日は私と遊んでね」
「えぇ、もちろんよ。私もショウコちゃんと遊びたかったもん。ところで、みんなは?」
他の『覚醒者』の姿が見えないため、かれんはショウコに尋ねた。
「みんな談話室にいるよ。今日は夏休みの宿題も終わったから、みんなテレビ見てるよ」
「そうなの?」
「うん!」
笑顔でショウコは答えた。
かれんに会えたことがとてもうれしいようで、ニコニコとした表情はずっとそのままである。ショウコは、研究所にいる『覚醒者』の中でもかれんと特に仲が良いのだ。
「かれんお姉ちゃんも、またケンキュー?」
「えぇ、そうよ。ショウコちゃんたちも昨日やったのよね?」
「うんっ。また何日かやるんだって。楽しいから毎日でもいいんだけどね」
ショウコは、研究所で行われている『第三期「覚醒者」使用能力研究』に対して、楽しいという感想を述べる。
ショウコは自分が有している『覚醒者』の力とその使用を、楽しい、と述べたのだ。それは単純に自分の力を使うことに、おもしろいや楽しいという感情を抱いていることになる。その感想は一般人には決して抱けない。『覚醒者』のみが抱ける感想あるいは感情である。
「……そうね」
そのショウコに、かれんは短く相槌をした。
ショウコが抱いた感想は、かつての自分も抱いたものである。初めて力の使用をした時、自分が持っている力を認識した時のことは忘れられない。一○年近く経った今でも、はっきりと思い出すことができた。
「でもね。私たちの力は注意して使わなければならないものよ」
かれんはその思い出を懐かしみながら、ショウコに一つ注意をした。
それは、ショウコが抱いた感想が危険性を多いに含んでいるから、である。
楽しいやおもしろいという感情、感想を抱いているとその使用に躊躇いを持たなくなり、常時使用するようになってしまう傾向がある。そして、その対象が物から人に変わってしまうこともある。一般人であれ『覚醒者』であれ、人に対して力を使用すれば最悪の結果を招く恐れがある。
その危険性を考慮して、かれんは注意をしたのだ。
一般人に対して力を使用するような『覚醒者』にならないためにも。
「うん、わかった」
かれんの注意に、ショウコは快活な声で返事をした。
その返事だけではショウコが本当に分かっているのかは、かれんには分からない。しかし、ショウコがしっかりと理解したとかれんには信じるしかできなかった。
「……みんな、談話室にいるのよね。少し暇な時間あるから、みんなの久しぶりの顔見ようかな」
「みんな談話室にいるよ。ゲームやってて、私は見てるだけだったから出てきたの」
「……そう。じゃあ後で私とお喋りしようか?」
「うんっ!」
再び嬉しそうな表情を見せるショウコ。
一人だけ相手にされない状況だったが、研究所の中で一番の仲良しであるかれんが来て本当に嬉しいようだ。
ショウコの笑顔を見ると、かれんまでも嬉しくなる。また、ここに戻ってこられて嬉しいという気持ちになれるのだ。その気持ちのまま、かれんはショウコと別れて寮の談話室へ向かう。談話室にいるだろう『覚醒者』たちも、ショウコと同じ反応を見せてくれることを期待しながら。
かれんが寮棟でショウコと会っている頃、マサトシは自分の研究室にいた。
朝の能力調査が終わった後、研究室でゆっくりしていた。八時前から仕事をしていたということで少し寝不足であり、一時間ほどの仮眠を取ろうとしていたのだ。
ワンルームマンションの一室ほどの広さの研究室に置かれているソファに横になろうとしていると、不意に研究室のドアがノックされた。
「? どうぞ」
今日は休日であり、職員は警備員や寮長などを除いて、研究所には来ていないはずである。かれんでも来たのだろうか、と訝しみながらマサトシは答えた。
しかし、
「おっす!」
という若い声とともに、研究室に入ってきたのは中年男性だった。
「所長!? 今日はお休みじゃ……」
ドアを開けて姿を見せた中年男性を見て、横になろうとしていたマサトシはガタッ、ソファを鳴らしながら驚いた。
入ってきた中年男性の第一印象はまたさらに驚きだった。
ぽっこりとしたお腹は白いポロシャツで隠されているが、身長に比べて横に大きい体型は隠せていないという服装は、休日のおじさんという印象を一番に与えてくる。体型とは違い顔は清潔であり髭の剃り残しは一つも見られなかった。
しかし、休日に一人で競馬か競艇を見に来ましたというイメージが真っ先に思い浮かんでしまう何処か残念な男性だった。これでスポーツ新聞を畳んで持っていれば完璧だろう。
それでもマサトシが呼んだように、れっきとしたこの研究所の所長である。
「君からの連絡に慌てて家を飛び出したからね。明日でも良かったんだけど、なるべく早くみんなに尋ねた方がいいだろうと思って、ね」
「で、ですが……」
「何、家もすぐ近くなんだ。ふらっと立ち寄った程度、だよ。職員にメールを送ったら、また帰るつもりだよ。息子が野球観戦に行こうと言ってて聞かないんでね」
所長は困ったように、でもうれしそうに子どもについて話してきた。
この研究所に勤めている職員ならば、マサトシが家族あるいは家庭の話に極端に敏感なのは誰でも知っている。しかし、この人だけはそれを気にしないでいつも話していた。もちろん鈍感なのではなく、マサトシが乗り越えるのを手伝って、である。
「そ、そうですか……」
一方のマサトシは反応に困るように、小さく答えた。
相変わらず、その話題にはあまり触れたくないようであり、それ以上に話を広げようともしない返事である。
そのマサトシの反応を所長はしっかりと見て、
「……それで、連絡では新しく『覚醒者』の子どもを受け容れてくれということだったが?」
所長の目つきが、仕事の時のモノに変わっていた。
それまでの休日のおじさんという印象もそれだけで消え、一気に所長としての顔になる。
「あ、はい。話を持ちかけてきたのは僕の学友のマエダという研究者です。彼は県内の別の研究所に勤めているのですが、先日ニュースにもなった閉鎖された研究所から、『覚醒者』の子ども一人を預かったようで、受け容れ先を探しているようでした」
電話でも伝えたことであるが、マサトシはもう一度一通り所長に伝えた。
「なるほど。巡り巡って、うちにも電話が来たと言っていたが?」
「はい。マエダはこっちに電話をする前にもいくつか研究所や機関に話をしたみたいですが、どこにも断られたみたいで……」
「このご時世、積極的に受け容れる施設はやはり少ない――か」
マサトシの話を聞いて、所長は悲しそうに呟いた。
研究所や機関が『覚醒者』の受け容れを使命として設立されていった流れは、今から六年前に始まっている。『覚醒者』受け容れの流れが広まってから二年内で、その六割はそれぞれの研究所や機関に所属するようになったと言われている。
しかし、そこで『覚醒者』受け容れの流れは止まってしまっている。研究所や機関の設立が滞り始めたのである。政府あるいは自治体主導で設立されていったそれらの施設の運営維持には多大な費用がかけられ、さらに『覚醒者』の生活保護まで課せられている。単純に予算が足りなくなってしまったことと、施設で働きたいという研究者や職員が足りないことが原因である。
「それでも受け容れなければ……」
世の中の流れを憂いている所長に、マサトシは自身の思いとともに『覚醒者』の子どもを受け容れることを勧めた。
「無論、それには異論はない。しかし、職員にはそれぞれ意思を問わねば。お金の問題だけではないからな」
「……わかりました」
自分の一存だけでは決められないと言った所長に、マサトシも同意した。
『覚醒者』の受け容れは研究所全体に関わることである。無理を通せば所長の言葉だけでも受け容れることはできるだろう。しかし、そうした場合は、その後の関係性が上手くいくという保証はない。マサトシが言っていたように、この研究所も余裕があるわけではないのだから。
それらの事情を踏まえて、マサトシは所長の言葉に同意しているのだ。
「何、心配せんでも受け容れることになるだろうさ。県内ではうち以外に大きな施設はないし、『覚醒者』の子どもを多く受け容れている所も、この辺りではうちくらいだ。職員もみな、子どもの扱いには慣れておるしな。反対を言う者はいないと思うぞ?」
「……だと、いいんですが――」
所長はマサトシの心配を気にしてか、それ以上気に病むことはしないでいい、と気遣った。
「うちとしても、彼らに友達が増えることはうれしい限りだよ。ショウコは女の子の友達が欲しいと常々言っておるくらいだからな。そういえば、その『覚醒者』の子どもというのは男の子か女の子かどっちなんだ?」
聞いていなかった質問を、所長はした。
そして、質問されてマサトシもマエダから聞いていなかったことを思い出した。
『覚醒者』の子ども、ということだけしか聞いておらず、年齢も性別も名前すら聞いていなかった。
いや、受け容れるとは決定していなかったから、聞くのは後でもいいだろう、と流していたのだ。
そして、後日。
所長の言葉通り、『覚醒者』の子どもの受け容れは賛成多数で決定された。
『覚醒者』の子どもの年齢も性別も名前すらも分からないまま。