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クロス・ワールド  作者: 小来栖 千秋
Another Story
43/118

第一章 日野市 Ⅳ

 

 研究室を出たかれんは研究所内での自室へと戻るために、来た廊下を引き返していた。

 研究所にいる間の彼女の自室は、『県立異能力精査研究所』の敷地内にある寮棟にある。『覚醒者』は全員、この寮棟で暮らすことが義務づけられており、基本的に外に出ることはなく、研究所に属している『覚醒者』たちは施設内で生活をしているのだ。

「……ったく。マサトシは相変わらずなのね」

 口をついて出てきた愚痴は、マサトシの態度に対して、である。

 彼の態度は前に研究所に来たときと何も変わっていなかった。かれんが、マサトシの態度に対して先ほど以上にとやかく言ったわけではないが、(はた)から見ていて何も思っていないわけではなかった。人の過去の出来事に強く言うことはできない、とかれんは思っているので、他の研究者同様溜めこんでいたのだ。

(……家族を亡くしたことが、今の自分を形成している――か)

 そう言っていたマサトシのことを考えて、自分もそう変わるのだろうか、とかれんは少し不安になる。

 かれん自身は今の自分に不満があるわけではない。誰に聞かれても、自分のことは好きだ、と言い切れる自信もある。それほど今の自分に自信があるのだ。しかし、世界でもたった二人しかない血の繋がった家族を失った後、その感情は変わるのかもしれないと思うと恐くもあった。

 それをどれほど恐く思っても、どうなるかは結局訪れてからしか分からない。そう自分に言い聞かせても、分からないからこその恐さなのだ。

 廊下を歩いているかれんの心はその足取りと揃えるように、恐さや不安によって落ち込んでいく。最初はマサトシに愚痴を言っていたが、そういう気持ちもなくなって、マサトシと同じように新しい自分と言えるまでに変わってしまうのだろうか、という恐さ、不安に(さいな)まれていた。

 そして、そのような思考を止めようと考えることすらできなかった。気分が滅入(めい)っている時は、とことんそのような考えばかりが巡るように。

 歩いている廊下の窓から入り込む陽の光も、かれんの心を晴らすことは叶わない。夏真っ盛りという日光は余計に頭を熱し、元気づけるということとは正反対の結果をもたらしている。

 そのような心の状態のまま、いくつかの角を曲がって廊下を歩いていたかれんは気が付くと、寮内の自室の目の前まで来ていた。

 考え事をしながら歩いていたため、寮棟へと通じる渡り廊下を越えたことすら覚えていなかった。

(長時間のフライト疲れかもね)

 そう考え、明日も早いのだから、と今日はもう休もうと目の前のドアを開けて、中へと入っていく。

 (さいな)まれている恐さや不安を押し殺して。





 翌日。

『県立異能力精査研究所』の朝は早い。

 時刻は、まだ八時前である。

 しかし、研究所のある一室にはマサトシとかれんの姿があった。

 先日始まった『第三期「覚醒者」使用能力研究』は、約半月のスケジュールで行われる予定である。『県立異能力精査研究所』にいる五人の『覚醒者』の能力を精査し、能力使用時の身体的あるいは精神的変化や使用後の変化。さらには能力使用の原理を解き明かすことを第一とした研究である。

 マサトシとかれんがいる部屋は数百平方メートルの広さがあり、床一面に白いタイルが敷き詰められている部屋だった。他には何も物がなく、だだっ広い部屋に二人だけいると部屋の広さを逆に認識しづらくなってくるほどだ。唯一、部屋で異彩を放っているのは、片側の壁が天井から数メートルほどの幅で、端から端までガラス張りになっていることくらいだろうか。

「それでは始めていいかな?」

「構わないわ」

 あまりに広い部屋に二人の声がゆっくりと響いていく。声を遮るものがないため、発した声はどこまでも響いていくような感じがした。

「ふむ。それでは、私は別室で君のデータを見る。こちらが用意したモノを君の力で溶かしたり固めたりしてくれ」

「……了解」

 二人の会話はどこかギスギスしたような印象を受ける。

 それは研究者と研究対象というだけではない空気だった。前日に、あのようなやり取りがあったためであるが、重たい雰囲気が部屋を次第に満たしていく。

 部屋の端に設けられているドアの向こうにマサトシはその姿を消していき、部屋にはかれんだけが残された。

 マサトシが部屋から出ていったため、部屋にいるのはかれん一人だけとなった。何も物がない部屋に一人でいると、変な圧迫感が押し寄せてくる。床面積が数百平方メートルもある部屋でも外ではないため空気は新鮮とは感じないし、開放感も全く感じない。堅い質感の壁が与えてくる圧迫感だけがやたら感じられるのだ。

 数分後、部屋の天井にあるスピーカーからマサトシの声が聞こえてきた。

「では、『第三期「覚醒者」使用能力研究』を始める。被験者かれんは、まず自身が有する能力を制御できる範囲の六〇パーセントで使用せよ」

 聞こえてきたマサトシの声はそれまでと明らかに違った。

 声の抑揚はほとんどなくなり一研究者としてかれんを見ているようで、一瞬かれんの背筋が凍る。しかし、それもすぐに治まった。マサトシのこの声も、これまでの研究時に幾度も聞いていたものだ。懐かしい、とさえ不意に思ってしまうほどである。

「了解」

 同じく、抑揚を出来るだけ殺した声で答えた。

 直後、カチッ、という電子音がスピーカーを介して部屋に小さく響く。別室にいるマサトシがコンピュータを操作した音である。その音に続いて、部屋の床に敷き詰められているパネルの内の一つ、かれんの目の前のパネルがせり出し始めた。

 パネルはどんどん上がっていき、他のパネルよりも一メートルも高い位置でようやく止まった。せり上がったパネルの下は、パネルの色よりは鈍い色の円柱になっていた。円柱の前面には、円柱に収まるサイズの扉が設けられていた。再び鳴った、カチッ、という音とともにその扉が開く。中から出てきたのは気体だった。

「君の能力を、その気体に対して使用せよ」

「……了解」

 マサトシの指示に、かれんはまたしても同じ声で答えた。その視線はじっと目の前の気体に向けられている。

 その気体に対して、かれんは右手を胸の前まで上げ突き出した。指が開かれた手に力を込める。力が込められた手先は少し震えていた。

 すると、数秒後には目の前の気体が目に見える形で消えていく。

 いや、液体に変わっていっているのだ。気体から液体に変わったそれは、そのまま床に落ちていき溜まっていく。見る見ると液体は増えていき、かれんが『覚醒者』としての力の使用を止めた時には水溜まりが床に出来ていた。

「気体の液化までの所要時間、一七秒、よろしい。次は液化させた液体を自身が思い描く形に凝固させよ」

 マサトシはかれんが気体を液体化させた様子を別室で見ながら、『覚醒者』としてのデータを取り続けている。そして、すぐさま次の指示を出した。

 その指示に対して、かれんは同じように「了解」とだけ答えた。そして、また同じように手を広げる。

 再びかれんは『覚醒者』としての力を、先ほど液化させた液体へと使用する。

『覚醒者』の力が作用された液体は、さらにその形を固体化させていく。液体はただ固体化するだけでなく、その形にかれんの意思が通っていく。徐々に固体化されていくと、その形が明確になっていく。

 そして、完全に固体化した形は、小さな家だった。

 家は断面図のように中が見えるようになっており、家の中には三人の人形らしき形も見える。二つの大きな人形に比べて、一つは大きさが半分もない。それらの人形は、一つのテーブルを囲むように椅子に座っていた。その様子は、まるで家族が団欒しているかのようだ。

 それはかれんが示した一つの答えだ。家族を失ったことが今の自分を形成していると言い切ったマサトシや、自分も同じように変わってしまうのだろうかと不安になっている昨日のかれんに対する意思表示である。

 その時が来ても、私の心はこの日と何も変わらない、というように。

 そして、それを見たマサトシは、

「……ふん。朝の作業はこれで終わりだ。二時間後、再びこの部屋に来るように。以上だ」

 スピーカーを介して聞こえてくる声は、それまでよりも抑揚がはっきりとしていた。声の端にもマサトシが小さく笑っているように思える。

 かれんにはそれが皮肉笑いでも良かった。

 固体化させたこれを見て、マサトシが小さくでも反応を見せた。それだけで、十分だったのだ。

 作業終了の合図を聞いて、かれんも部屋から出ていく。

 しかし、その表情は先ほどまでとは大きく変わっていた。



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