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クロス・ワールド  作者: 小来栖 千秋
Another Story
42/118

第一章 日野市 Ⅲ

 

 かれんが去った後。

 マサトシは研究室に(こも)ったまま、じっと先ほど読んでいた新聞の続きを読んでいた。その目は、一つの記事に向けられている。

(『覚醒者』グループ関与の陰謀(いんぼう)……?)

 マサトシが読んでいる記事は一面で大きく写真が掲載されていた研究所閉鎖の記事の続きだった。その記事には研究書閉鎖には、とある『覚醒者』グループが仕掛けた陰謀だという説を唱えているものだった。その情報の出所が確かなものなのかどうか確認する術はないが、マサトシは不穏(ふおん)な感情を抱く。

「『覚醒者』たちは数人でグループを作り、集団行動を取っている。その流れは近年になってからさらに加速しており、今回の研究所閉鎖も『覚醒者』たちが仲間を救済しようと目論(もくろ)んだものによる、だと!?」

 マサトシは記事のある一文を読んで、憤慨(ふんがい)した。

「救済!? まるで、研究所にいる『覚醒者』たちが囚人のように閉じ込められているような言い回しじゃないか。そのような研究所があるとでも――」

 他に誰もいない自室で声を荒げていると、固定電話がけたたましく鳴る。

「……電話?」

 不意に鳴った電話にマサトシは驚いた。

 普段研究室の電話が鳴ることはなく、鳴ったとしても内線の場合だけである。しかし今日は、研究所は休日のため、他の職員の誰かが電話してくるということはないはずだ。警備員がマサトシの部屋へ電話を回したのだろうか。

 そう疑問に思いながら、マサトシは受話器を取る。

「もしもし?」

『もしもし。マサトシさんに電話がありました。そちらに回します』

 案の定、電話の相手は警備員からだった。どうやら外から電話があったみたいだ。

「わかりました。お願いします」

 しばらくすると、受話器から聞こえてくる声が変わる。

『……もしもし、マサトシか? マエダだ』

「マエダ? どうしたんだ?」

 電話をかけてきたのは、同業者でありマサトシの親友でもある『マエダ』だった。大学在籍時に知りあい、かつては同じ施設でも働いていた旧友である。

 マエダからの電話は久しぶりのものだった。

 現在の彼は日野市の別の研究所で『覚醒者』の力の二次利用の研究をしていると把握しているだけで、定期的に連絡を取り合ったりしているわけではない。ゆえに、マエダからの電話にマサトシは自然と身構えてしまう。

 彼の身に何かあったのではないか、と勘ぐってしまうのだ。

()り入って、お前に頼みたいことがあるんだ……』

 受話器から聞こえてくる声はとても申し訳なさそうで、か細い。その声をマサトシは聞き取るのに必死で、受話器をきっちりと耳へ押しあてているほどだ。

「頼み……?」

 マサトシは、なんとか聞き取れたマエダの言葉を繰り返す。

『あぁ、そうだ。他の研究所も当たったんだが、全部断られて……な』

「どんな内容だ?」

(研究所絡み……。『覚醒者』か?)

 内容を聞く前に、マサトシは大体の見当がついた。

 それは長年この世界で働いてきたからであり、その経験を今まで何度もしてきたからである。

 そして、その予想は間違ってはいなかった。

『「覚醒者」の子どもを一人、受け容れてほしい』

「子ども?」

 自身の予想が当たっていたため、マサトシはそれほど驚きはしない。しかし、その『覚醒者』が子どもであるということには敏感になった。

『あぁ、そうだ。マサトシも新聞かニュースで研究所閉鎖のことは知っているだろう?』

「あ、あぁ……。まさか、その施設の子どもだって言うのか!?」

『そうだ。どこにも引き取り手がないんだ。このままじゃ、この子は行き場がない』

「…………」

 マサトシはしばし黙り込む。

 マエダの言う『覚醒者』の子どもを素直に受け容れるべきか、別の施設を紹介するべきか。迷っているのだ。

「お前の研究所はどうなんだ?」

 数秒間黙っていたマサトシは、おもむろに切り出した。

 会話の『覚醒者』の子どもは、マエダの研究所に今はいるのだろう。そこが受け容れれば、何も問題はない。自分に話を持ちかけていることの意味を理解しながらも、マサトシは尋ねずにはいられなかった。

『……無理だ。俺が働いている研究所はこれ以上余裕がない。もう一人『覚醒者』を受け容れることは予算的にも規模的にも不可能だ。ここらで一番でかい施設はお前のとこしかないんだよ』

 悲痛な願いだった。

『県立異能力精査研究所』に限らず『覚醒者』関連の研究所や機関には、使命として『覚醒者』の受け容れがある。『覚醒者』の出現から一〇年以上が経った現在では、数多の出来事を経て、『覚醒者』に対する世間の目は厳しいモノになっている。もちろん世間の認識は出現当初の頃とは大きく違うモノになっているが、負の感情を持つ者は未だに多い。それら世間の目から『覚醒者』の生活や存在を守ることを、目的としているのだ。

 しかし、マサトシもそれぞれの『覚醒者』関連の研究所や施設、機関の規模や現状はそれなりに把握している。『覚醒者』の数が増えているということは聞いたことはないが、どこにも所属していない『覚醒者』も未だ多くいる。それに対して受け容れる側である研究所や機関の数が圧倒的に不足しているのだ。

 研究所あるいは機関の数が足りない要因には莫大な予算が必要であり、運営維持が容易ではないことの他に、まず『覚醒者』の数が多いことが上げられる。そして、研究所や機関で働こうとする者が少ないという理由もあった。

 それでも、マエダがその『覚醒者』の子どもを助けてやりたい、と思っていることは十分すぎるほど伝わってくる。

「……俺の一存では決められない。まず所長には聞かないと――」

 それらを理解した上で、マサトシにはそう言うのが精一杯だった。

 一研究者であるマサトシには研究所全体に関わることを一人で決定することはできない。研究所所長はもちろん、他の研究者やスタッフにこのことは話さなければならなかった。

『……そうだな。できるだけ早く返事が欲しい。そっちがどういう結論を出すにせよ、こちらもいつまでも預かっておくことはできない』

「わかった。来週の頭には返事しよう」

 その一言で、マサトシは受話器を置いた。

 受話器を置いたマサトシは、視線を緩やかに上げる。部屋の壁の向こうを見透かすように、じっと遠くを見つめるマサトシは、

(……この研究所もそれほど余裕があるわけではない。『覚醒者』を五人も受け容れているのは県内ではここくらいだ。しかし、見過ごすことが出来ないのも事実。所長がなんて言うか……)

 じっと目線を固まらせていたマサトシは、オフィステーブルの上に置かれたままのマグカップを手に取る。マグカップには、まだミルクが残っている。しかし、ホットではなくなっていた。

 マグカップの残っていたミルクを飲み干して、マサトシはオフィスチェアから立ち上がる。そして、そのまま部屋から出ていった。

 マサトシの自室の外は、長い廊下になっていた。

 左右にそれぞれ数十メートルも廊下が広がっている。建物の全長が中からは把握できないほどの長さである。その廊下は白を基調としているが、片方の壁は天井から腰までの高さはガラス張りにされており、その向こうが見えるようになっていた。

 ガラスの向こうには、だだっ広い部屋がある。

 その部屋は、数百平方メートルはあるだろう広さで、タイル状の白い床が目立つだけで他には何も置かれていない。全体の広さが把握しづらい部屋である。

 その部屋を横目に、マサトシは廊下を歩く。

 硬い革の靴の底から、カツカツ、という音が廊下を歩く際に響く。他に誰もいないため、廊下にはマサトシの足音が際立って響きわたっている。決して聞き心地が良い音ではないが、マサトシはそれほど気にしていない。

 その意識は、廊下の先へと向けられていた。

 廊下を歩きながら、自然と思いが口から洩れる。

「……子ども一人を即座に受け容れられない箱モノ――か」

 自身が勤務している研究所の存在意義を、マサトシは見失う。

『覚醒者』の受け容れを使命とされていながらも、たった一人の『覚醒者』もすぐに受け容れることができない。ましてや、マエダの話の『覚醒者』はまだ子どもと言う。『覚醒者』に対する世間の目は年齢など関係なく、その子どもも他の大人の『覚醒者』と同じような経験をしてきたことがあるかもしれない。世間の目から守る決断がすぐにできないことに、研究所の意義を見失ってしまうのだ。

 そして、

(目から守るといっても、表向きは『覚醒者』の力の調査と別の活用方法の研究。結局『覚醒者』は良いように操られているだけだ)

 だからこそ、マサトシは『覚醒者』に対して、研究所で『覚醒者』たちを飼っている、あるいは養っているという意識を持たないように強く自身を制御している。

(政府の方針だろうがなんだろうが、私は人を()うなんてことはしない……っ)

 胸に秘める想いは、彼の信念でもある。

 研究者として働きだしてからずっと抱き続けているその想いは今も変わっておらず、そのためマサトシは同業の研究者たちからも一目置かれている存在だ。

 廊下を歩く足取りは、自然と速くなる。

 無機質なイメージを与えてくる廊下を突き当たりまで歩いた彼は、さらに左右に分かれている廊下を左に曲がる。その先にマサトシの目的の部屋があった。

 部屋の前に着いたマサトシは鍵を回して、重たいドアを開ける。

 マサトシがドアを開けた部屋は、研究所の職員の事務室だった。この研究所では警備室の他に、外と電話が繋がるのは事務室と所長室くらいである。マサトシが事務室に来たのも、電話をするためだった。

 休日であるため事務室には誰もおらず、明かりも点けられていなかった。

 マサトシは、事務室のドアの近くにある明かりのスイッチを押す。すると、景気の良い音をたてながら、部屋が照らされた。

(たしか電話は――)

 明かりが点けられた部屋で、マサトシは固定電話を探し始める。

 事務室には多くのオフィステーブルが並べられており、それぞれ研究者や職員が使用している。綺麗に整頓(せいとん)されているテーブルもあれば、作業するスペースもないほどに汚いテーブルもあった。

 それらのオフィステーブルが並べられている先の小机に、固定電話は置かれていた。

 固定電話を見つけたマサトシはその前まで行き、固定電話の前の壁に貼られている紙から一つの番号に電話をかける。壁に貼られている紙には、様々な電話番号が書かれていた。

 呼び出し音が数秒鳴って、電話は繋がった。

「もしもし、マサトシです」

『あぁ、君か。何かあったのか?』

 聞こえてきた声は寝起き声のようであり、反応も(にぶ)かった。休日であるため昼寝でもしていたのかもしれない。

「お話しておかなければならないことがありまして、お電話させて頂きました」

『話?』

「はい、僕の古い学友からの話なのですが……」

 マサトシは電話の相手である所長に、マエダからの話を全て伝えた。マエダからの話の期限として、来週までには答えをする方がいいということも含めて。

 それを聞いた所長は、

『……なるほど。やはり研究所閉鎖の影響は大きいか。分かった。一日では決められないが、月曜までにはどうするかこちらの答えを出そう』

「お願いします――」

 所長の返事を聞いて、マサトシは再度お願いをした。

 どのような結果になるにせよ、マサトシができることはこれ以上にはなかった。後は所長や研究所の職員たちの総意を聞いて、『覚醒者』の子どもを受け容れるかどうか決定される。それまで待つことしかできないのだ。

 そのことにマサトシが歯噛(はが)みしていると、事務室のドアが開けられた。

 ドアを開けて入ってきたのはかれんである。シャワーを浴びた後の彼女の頬はすこし上気しており、ブロンドの髪も()われていた。

 先ほどまで転がしていたキャリーバッグは、今は手にしていない。どうやら、すでに研究所内でのかれんの部屋に運んだようである。

「探したわよ」

「……かれんか」

 マサトシは後ろを振り返ることもせずに、答えた。

 事務室に入ってきたかれんは、マサトシが電話の受話器を握りしめていることに気付く。

「携帯電話くらい買ったら?」

「……私にはもう必要のないものだ」

「あなたがそうだとしても、緊急の連絡が取れなくて困る人もいるのよ?」

「…………」

 マサトシは言葉を返すことができない。

 その脳裏に()まわしい記憶が蘇る。思い出したくもない――しかし、忘れてはいけないと自分に強く言い聞かせてきた思い出が。

 彼のその反応を見て、かれんはため息をつきながら尋ねる。

「私も人のことをとやかく言うことはできないだろうけど、まだふっきれないの?」

「……現在の私を形成しているかつての出来事を昇華することなど出来はしない。そうしてしまえば、それは私ではなくなるということだ。自ら、自身を否定する行為はできないし、したくもない。」

 理解を得難い表現で、マサトシは心中を吐露(とろ)した。

 それが彼の癖である。それを知っていて、かれんは対して気にもせずに会話を続ける。

「あの事件はたしかに悲惨(ひさん)なものだったけど、いつまでも引きずってるわけにもいかないでしょ?」

「引きずってなどいないさ」

「あなたはそう思ってるのかもしれないけど、周りはそうは見ないわよ。前々から思ってたけど、他の研究者さんたちと話してる時も、あなたはその話題を回避する癖があるわよね?」

 回避する癖。話したくない話題。

 それはマサトシの過去に関する話題であり、現在の彼の性格を作り上げている出来事である。

「…………」

 無言がそれを肯定する。

 かれんはさらにため息をついて、

「矛盾してるよね。ふっきる気も忘れる気もなくて、でも引きずってないって言い張ってるのに、同僚内でその話題になったら逃げるなんてさ。私には、なんとかふっきりたくて、でも出来なくてその話題からは背を向けてるようにしか見えないんだよね。それってさ、引きずってるってことよね?」

 かれんの言葉が、マサトシの背中に突き刺さる。

 突きつけられた言葉に、マサトシはやはり何も返せない。その沈黙が場の雰囲気をさらに悪くしていく。

 言い放ったかれんも、それ以上言葉を続けることはしなかった。(かかと)を返して、部屋から立ち去ろうとする。

 その間際に、

「遅れた昨日分は明日やるわ。休日勤務になるけど、構わないかしら?」

「……あぁ。それでいい」

 マサトシの返事を聞いて、部屋のドアが閉められた。

 事務室には再び、沈黙が訪れる。

 その沈黙は、マサトシの心に深く重く広がっていった。


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