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クロス・ワールド  作者: 小来栖 千秋
Another Story
40/118

第一章 日野市 Ⅰ

 

 三年前。

 季節は夏真っ盛りの八月。そのとある土曜日。

 日野市。

 人口一○万人ほどのそれほど大きくない市には『覚醒者』関連の研究所があり、街には周囲の市よりも『覚醒者』の数が多く確認されていた。『覚醒者』はただ存在するだけならば、それほどの脅威にはならない。しかし一般人の認識はそうではなく、嫉妬と恐怖の対象でしかなかった。

 それは『覚醒者』が出現した時も、今もさほど変わらない。

 人々は人知を超えた力に憧れていたのだ。



 日野市にある『覚醒者』関連の研究所の一つ『県立異能力精査研究所』。

 ここではとある『覚醒者』五人が研究の対象として扱われており、他の研究所やその類の機関よりも施設的にも研究対象数的にも勝っていた。

 その『県立異能力精査研究所』の研究者の一人である『マサトシ』は、自分に与えられた研究室のオフィステーブルの上に広げられた新聞に目をやりながら、ずずず、とホットミルクを飲んでいた。彼は古びた黒いスラックスの上にワイシャツを着て、裾や袖がぼろぼろになった白衣を着ていた。

 マサトシがいる研究室は研究者ごとに個別に用意された個人の部屋であるが、ワンルームマンションの一室ほどの広さしかない。部屋の照明は消されており、オフィステーブルに設けられているスタンドライトだけが弱々しく点けられている。

「やはり先日の研究所閉鎖の報道はスポンサー問題ではなかったか。真相は別にありそうだな――」

 とマサトシは他に誰もいない自室で小言を言った。

 マサトシが視線を落としている新聞の一面には、先日起こった研究所閉鎖問題についての記事が取り上げられていた。その記事には日本の『覚醒者』関連の研究所が急に閉鎖したことについての新聞社の考えやその事に通じている専門家の意見が同時に載せられている。

(研究所の周囲も同様に閉鎖されている。何か事件があったと思うのが妥当だろうな)

 それだけ考えるとマサトシは記事について深く追求することもしないで、オフィステーブルの上に広げていた新聞を手にとって次のページを(めく)る。

 すると、そこに部屋のドアのインターホンが鳴らされる。

「……?」

 不意の来訪者に、マサトシは誰が来たのだろう、とオフィスチェアから立ち上がった。

 研究室のドアの前まで来たマサトシは覗き窓を見ることもなく、ドアを開ける。そして、そこにいたのは、

「かれん――か。遅かったじゃないか」

 一人の女性だった。

 彼女の名前は、『ていらー・かれん』。

 かれんは、その名が差す通り外国人である。それを表すように、彼女は日本人特有の黒髪ではなく、鮮やかなブロンドの髪をしている。

 また彼女は、成人はしているだろう容姿を持ち、大きなリボンがあしらわれた白いワンピースを着ていた。ワンピースの胸の部分が大きく盛り上げられている。ワンピースの上には淡い水色のロングカーディガンを羽織っており、少し肌寒そうにしていた。

「私が悪いわけじゃない。飛行機のフライトが遅れたのよ」

 重たそうなキャリーバッグを持ちながらマサトシの部屋にずかずかと入って、かれんは遅れた理由を述べた。

 かれんはキャリーバッグを部屋の壁際に置いて、近くにあったコロがついているオフィスチェアに座る。そして転がるようにして、マサトシのオフィステーブルのそばまで移動した。

「だとしても、我々のスケジュールにはなるべく合わせてもらいたいものだ。フライトが一日も遅れるということは、何かしらのテロ行為か事件あるいは事故があった場合だけだろう? 機体不備というわけでもないだろうし」

 マサトシはかれんの遅刻の理由を軽く一蹴する。マサトシの言葉にも、かれんは気にした風でもなく、マサトシが飲んでいたホットミルクを勝手に飲んだ。

「あら、研究所閉鎖の記事、あなたも読んだの?」

 かれんはマサトシの話を無視して、尋ねた。

「私も新聞くらい読むさ。研究論文ばかりに目を通しているわけじゃないぞ?」

「そういう意味で聞いたんじゃないんだけどね~。あなたはどう思ったの?」

「どうも――。閉鎖の理由は別にあるだろうということくらいかな。同業者が失業するというのは私自身も(こた)えるが、この研究所にそれほど影響はでないだろう」

 かれんの質問に、マサトシは自身の考えを答えた。

 そのように考えていることは嘘ではない。研究所が閉鎖するということはそこで働いていた人は働き場を失うことになるが、それを(うれ)いていられるほどマサトシにも『県立異能力精査研究所』にも経済的な余裕があるわけではない。

「そんな態度でいいの? その研究所で飼われてた『覚醒者』がこっちに来るんじゃない? 場所も近いんだし」

「飼われたという表現はよしてくれ。私たちはかれんも含めて『覚醒者』を飼っている。あるいは養っているという意識は持っていない」

 かれんの言葉遣いが気に食わなかったマサトシは、言葉の撤回を求める。

「本当に?」

「研究者の全員がそうだ、とは言わないが、私はそのような意識で君たちと接しているわけではない。それは十分理解してもらっていると思っていたが――」

「……冗談よ。あなたたちとの関係には満足してるわ。それこそ十分すぎるほどにね」

 茶目っ気があるような冗談ではなかったが、マサトシはかれんの言葉に小さくため息を吐いて、先ほどまで座っていたオフィスチェアに座り直す。

「今回の調査は昨日から始まっている。君が一日遅れたことでスケジュールにも変更が生じたことには?」

「それについては謝るわ、ごめんなさい。前の調査の後、そのまま日本にいればよかったんだろうけど、そうもいかなかったのよ」

「それについては、こちらも理解している」

 マサトシは本音では、かれんが遅れたことに対する弁明も謝罪も求めていない。求めようとする気持ちすら湧いていない。しかし研究所の一員としては、進行が遅れていることを指摘しないわけにはいかないのである。

「君のご両親は?」

「後少し、だって医者に言われたわ。覚悟はしてたけどね」

「そうか……」

 しんみりとした表情をマサトシは見せる。

 それを見たかれんは、

「何? 私の心配でもしてくれるのかしら?」

「付き合いは長いのだ。心配してもよかろう?」

 オフィスチェアに座ったマサトシは場の雰囲気を和ませようと言ったかれんの言葉にも、真摯な態度と言葉で返した。

「…………」

 その返答を聞いて、かれんの言葉が喉に詰まる。

 これほどまでに親しく接してくれる研究者は稀であり、かれんにとっては肉親に近い存在と言える。一日フライトが遅れたことを追及しないのも、勝手に研究者の自室へ入るのを認めてくれるのも、そういった感情が双方にあるからだ。

「……ありがと。――やっぱ辛いもんだね……」

「その辛さを味わうのが人生というものだ。先に生を受けた者が先に死を迎えるのも、大きな世界の流れから見れば、至極真っ当なことであり、我々にはどうすることもできない自然の摂理とも言えるだろう。または神のいたずらと言うべきかもしれないな」

「……こんな時まで、そんな口調なの?」

 マサトシの研究者臭い言葉遣いと口調に、かれんは涙ぐみながらも苦笑いをする。深く悲しんでいることが馬鹿らしく思えるほどに――。

「……済まない。根っからの研究者気質のため、どうも慰めるということは上手くないのだ」

「意外ね。子どもを持つ親だった(・・・)のに」

「全ての親が、必ずしもそのような能力に長けているとは思わないことだ。君はその事例を良く知っているだろう?」

「……えぇ、そうね。フライトで疲れたから、先にシャワーを浴びさせてもらうわ」

 マサトシに涙ぐんだ顔をこれ以上見られたくない、見せたくないとかれんは部屋を出ていこうと立ち上がった。

 背中を向けて、キャリーバッグをまた転がしてドアへと歩くかれんに、

「場所は分かるのか?」

「えぇ。何日ここにいたと思ってるの?」

 最後に振り返って、かれんは研究室の外へとその姿を消していった。

 その間際にかれんの表情を見たマサトシは、

(立ち直るのに、数日かかりそうだな)

 と、その身を案じた。


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