第四章 流れに逆らう意思 Ⅶ
百貨店の屋上から昇っている黒煙は消えない。
地上にいる人々はその煙を見て、各々に喧騒を発している。その光景がたとえ見慣れたものであったとしても、何度も見たいと思うものではないからだ。その人々は周囲にいる人と情報を求めあったり、携帯電話のカメラで騒ぎを懸命に撮影しようとしていた。
どのような世界になっても、やじ馬は消えないのである。
そして、それらの人々はその危険が自分の身体と隣り合わせであることに気付いていない。気付いていないからこそ、行える行動でもあった。
多くの人が視線を向けている百貨店の屋上には悠生やミユキ、マサキとアオイの四人はいた。彼らのことは地上の人々からは視認できない。
「怪我は?」
「結構痛いけど大丈夫。何日か安静にしていれば、痛みも消えるでしょうし」
ミユキの心配をしている悠生に、ミユキは努めてそう言った。
「そっか。良かった……」
ミユキの無事を見て安心している様子の悠生に少し戸惑うミユキだが、小さく微笑む。
「言ったでしょ。私が倒すって――」
「そ、そうだけど……」
「それでも心配だった」と悠生は小さく漏らした。それは初めて目にした『覚醒者』同士の本気の戦いだったからである。悠生が最初に抱いたSF映画やファンタジー映画でのワンシーンのような戦闘という軽い印象はすぐに打ち消されている。
「心配してくれてありがとう」
その悠生に対して、ミユキは微笑んだまま短く感謝の言葉を言った。
「い、いや……。そ、それより、止めは刺さないのか?」
「……えぇ。気絶してるし、『覚醒者』としての力も水で封じた。あれだけ傷を負わせれば、身体が乾いてもすぐには力を使うことはできないでしょうしね」
屋上に倒れているトモヤを見て、その必要はないわ、とミユキは言った。彼女としても人を殺めたいというわけではないようだ。
そのトモヤが倒れている百貨店の屋上は戦闘前とは様変わりをしており、唯一の物であった貯水槽も破裂して跡形もない状態である。あちこちでコンクリートが剥がれて、悲惨な状態になっていた。
いずれ、ここにも警察がやってくるだろう。
「事情を説明すれば――」
「理解は示してもらえるでしょうけど、協力は期待しないほうがいいでしょうね」
「な、なんで……?」
悠生の疑問に、ミユキに代わってやっと起き上がることが出来たマサキが答える。
彼はトモヤとは別の場所で倒れていたシンジの部下の男から鎖の鍵を見つけ、フェンスと繋げられていた鎖をやっと解いていた。シンジだけが持っていると思っていた鍵は、部下の男も持っていた。これが相手のドジなのか、それすらも今は気にしている場合ではなかった。
「『時空扉』の存在は明かせられない。その存在は研究機関で秘密裏にされてきたものだから。君も聞いているはずだよ? 並行世界は立証もされていない。そんな世界へ行ける機械があるってのは、どうしても認めてもらえないよ。唯一『時空扉』を使えるユウキも、今はいないんだしね」
やっと鎖から解放されたマサキは両手の調子を確かめるように、手を様々に動かしている。長時間拘束されていたために、手首には鎖の跡がくっきりと残っていた。
「マサ兄、頭は?」
起き上がり、説明しているマサキにアオイが尋ねた。
「もう大丈夫だよ。それでね、それを取り戻すために協力してくれって頼んでも、警察は僕たちに協力してくれるか定かじゃない。犯人逮捕のためには動いてくれるかもしれないが、『時空扉』もその時に警察あるいは政府の手に渡るかもしれない。それは僕たちにとっても、君にとっても最悪の結果の一つだよ」
冷静に説明してくるマサキは、じっと悠生の顔を見つめている。
この件は自分たちで解決するのが一番だ、と教えるように。
「君はそれでも警察に全てを話すかい?」
「……そ、それは……」
「だろう? 今は警察に見つからないように『ルーム』に戻るのが先決だよ。これからの事を考えないといけないし、ミユキの怪我もひどいしね」
マサキに言われた通りに、悠生たちは百貨店からすぐさま離れようと立ち上がる。
ミユキの風の力でこの場から一気に脱出するのが一番速い方法だが、これ以上ミユキに負担を負わせるわけにはいかない。地上まではミユキの力で移動し、そこからはアオイの力を使って、なるべく人の目に触れないように百貨店と商店街から出ていく。
トモヤと決死の戦闘を繰り広げたミユキは、マサキの背に身体を預けている。
その後ろを歩いている悠生にも彼女の怪我のひどさは分かり、トモヤとの戦闘の激しさは理解できた。二日ほどの戦いで、ここまで消耗しているのだ。この先のことを考えれば、悠生は少なからず不安になる。
(この人は、政府とも口にしてた。ってことは、国も丸きり信用することはできないってこと――か)
前を歩いているマサキについていきながら、悠生は考える。
マサキの言葉通りなら、警察や政府には全幅の信頼を置くことはできないようだ。そして『覚醒者』一人を相手にして、ミユキはここまでぼろぼろになり、ユウキは『時空扉』を使用して並行世界に逃げなければならないという最終手段を取っている。
つまり、『時空扉』の奪還には相当の被害が予想できる。
タクヤとアオイが戦闘タイプの『覚醒者』ではないことは、二人がすでに述べている。『ルーム』には他にも『覚醒者』がいるが、その力も悠生には分からない。
しかし世界を救うという名目で、悠生をこちらの世界へつれてきたミユキたちだ。『時空扉』は取り返そうとするだろう。それはマサキの話からも見て取れる。
そして、そうなった時、悠生に出来ることは何か。
(……『ルーム』から出るな、という指示を俺は無視して、ミユキたちが戦っている舞台まで出てきた。その意思があるなら、俺にも――)
考えた先に出た答えは、一つ。
それが最善の選択なのか、悠生には分からない。
本当はそれ以外の選択肢もあり、そちらの方が安全なのかもしれない。
しかし、一度選択した悠生には、それを成し遂げようとする意思があった。
「みんな!」
決意した悠生の耳へ、声が届けられた。
聞こえてきた声のほうへ目を向けると、眩しいほどに輝く太陽の光が視界に飛び込んできた。その光に耐えられなくなり細めた視界の先には、心配そうな表情でこちらを見つめているトモミの姿があった。